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【お寺めぐり】可睡斎-家康を眠らせた老僧の物語、火防の神を祀る東海屈指の禅の巨刹(静岡県袋井市)

可睡斎 秋葉総本殿
火防の神・秋葉三尺坊大権現を祀る秋葉総本殿

この記事でわかること
・「可睡斎(かすいさい)」という珍しい名前が、徳川家康と老僧の心温まる逸話から生まれたこと
・全国有数の火防(ひぶせ)の聖地「秋葉総本殿」の由来と、日本一と称される東司(トイレ)の見どころ
・明治の廃仏毀釈で行き場を失った神様を、この禅寺が今も守り続けているという知られざる歴史
静岡県袋井市の山あいに広がる約33万㎡の境内には、東海地方屈指の禅の巨刹にふさわしい、たくさんの物語が眠っています。

01. 可睡斎の基本情報

正式名称萬松山可睡斎(ばんしょうざんかすいさい)
山号萬松山(ばんしょうざん)
宗派曹洞宗
ご本尊聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)
開山恕仲天誾(じょちゅうてんぎん)禅師
創建応永8年(1401年)と伝わる
寺格遠州三山の一つ。江戸時代には曹洞宗寺院を統括する「東海大僧録」の地位
所在地静岡県袋井市久能2915-1
アクセス東名高速道路 袋井ICから車で約5分/JR袋井駅からバス約12分「可睡斎入口」下車
拝観時間8:00〜16:30
拝観料拝観志納金700円
駐車場一般駐車場・観光バス無料駐車場(20台)あり
公式サイトhttps://www.kasuisai.or.jp/

02. ご本尊「聖観世音菩薩」と守護神「秋葉三尺坊大権現」

聖観世音菩薩
分類:菩薩
可睡斎のご本尊
秋葉三尺坊大権現
分類:権現(天部に準ずる守護神)
火防の総本山「秋葉総本殿」に鎮座

① 一言まとめ
可睡斎の本堂に安置されているご本尊は聖観世音菩薩。人々のあらゆる音(願い)を観じ取り、救ってくださる観音様の、いちばん根本となるお姿です。境内にはもう一柱、火事から人々を守る「秋葉三尺坊大権現」という守護神も祀られており、この二つを混同しないことが可睡斎を理解するポイントです。

② 由来・経典上の位置づけ
観世音菩薩は法華経などの経典に説かれる菩薩で、三十三の姿に変化して人々を苦しみから救うとされます。聖観音(しょうかんのん)は、そのもっとも基本となる一面二臂(いちめんにひ)のお姿です。一方の秋葉三尺坊大権現は、伝承によれば約1300年前に信州・戸隠(長野県)で生まれ、修行の末に火を自在に操る「火生三昧(かしょうざんまい)」の力を得て、観世音菩薩の化身になったと伝えられています。「私を信じれば火難・病苦・災難のすべてから救う」という三つの誓いを立てたとされ、火防・厄除けの神として全国から篤く信仰されてきました。

③ 姿・特徴
聖観音は片手に蓮のつぼみを持つ、穏やかな立ち姿で表されるのが一般的です。秋葉三尺坊大権現は、白狐にまたがり剣と索(縄)を持つ烏天狗(からすてんぐ)のような勇ましい姿で表されることが多く、御真殿の向拝には黄金に輝く扁額が掲げられています。

03. ご利益・祈願

🔥 火防(ひぶせ)
🙏 家内安全
📈 立身出世
😴 安眠祈願
🛡 厄除け

火伏せの神・秋葉三尺坊大権現を祀ることから、古くから火災除け・家内安全のご利益で知られています。また徳川家康が立身出世を遂げたゆかりの地(後述の「出世六の字穴」)でもあることから、仕事運・出世運を願う参拝者も多く訪れます。家康と老僧の逸話にちなみ、近年は「安眠祈願」のお守りも人気です。曹洞宗の禅寺らしく、坐禅・写経体験も受け付けています。

毎年1月〜3月に開催される「可睡斎ひなまつり」は必見。瑞龍閣の大広間に飾られる32段・1,200体の雛人形は日本最大級の規模です。

04. 境内の見どころガイド

本堂(法堂)

可睡斎 本堂
明治中期に松秀寺から移築された入母屋造の本堂
ご本尊・聖観世音菩薩を安置する本堂。梁の上には美しい装飾彫刻が施されており、365日、朝昼夜と絶えることなくお勤めが行われています。

秋葉総本殿(御真殿)

秋葉総本殿
秋葉三尺坊大権現を祀る、全国有数の火防霊場
秋葉三尺坊大権現の御真体を祀る、火防信仰の総本山。向拝に掲げられた黄金の扁額が印象的です。ここでも365日、朝昼晩と祈祷の火が絶えることはありません。

瑞龍閣

瑞龍閣
画伯が40年をかけて完成させた天井画・襖絵
日本画家・山口玲熙画伯が40年の歳月をかけて手がけた天井画と襖絵で知られる大広間。毎年1〜3月の「可睡斎ひなまつり」の会場にもなります。

大東司(登録有形文化財)

大東司
「日本一のトイレ」と称される東司。中央に烏瑟沙摩明王を安置
昭和12年(1937年)建立の木造平屋建て。中央には東司(お手洗い)の守り神とされる烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)像が安置され、天井の網代組や欄間の木格子など、随所に意匠が凝らされています。

護国塔

護国塔
「東の靖国、西の護国塔」と称される高さ17.1mの白亜の塔
明治44年(1911年)建立。日露戦争の戦没者の霊を祀るために建てられた塔で、静岡県指定文化財です。

家康公出世六の字穴

出世六の字穴
徳川家康が身を隠したと伝わる史跡
徳川家康が戦乱の中、この穴に身を潜めて難を逃れたと伝わる史跡。その後の家康の大出世にあやかり、立身出世のパワースポットとして親しまれています。
大東司(トイレ)は文化財のため見学は有料エリア内での拝観となります。実際の利用可否は境内の案内表示に従ってください。

御朱印情報

受付場所内容
萬松閣1階 総受付(山門をくぐって右手)拝観・御朱印・お札の受付を一括対応

通常の御朱印のほか、ひなまつり・遠州三山風鈴まつりなど期間限定の御朱印も授与されます。初穂料等の詳細は参拝時に総受付でご確認ください。

05. 参拝の作法ガイド

  1. 総門・山門をくぐる前に、本堂に向かって軽く一礼します
  2. 手水舎で両手と口を清めます
  3. 本堂の前で姿勢を正し、静かに合掌して一礼します
  4. 秋葉総本殿にもお参りする場合は、同じように合掌一礼します
神社の「二礼二拍手一礼」とは異なり、お寺では拍手は打ちません。可睡斎は曹洞宗の禅寺なので、坐禅や写経の体験を通して「静かに手を合わせる」作法をお子さんと一緒に学ぶのにもぴったりです。

06. 家康を眠らせた老僧の物語

時は戦国時代。まだ竹千代と呼ばれていた幼い頃の徳川家康は、人質として静岡の臨済寺で暮らしていました。その教育係を務めていたのが、若き日の仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚です。竹千代が故郷への帰還を願った際、和尚は密かに手を貸し、篠島への逃亡を助けたと伝えられています。

それから歳月が流れ、元亀元年(1570年)、浜松城主となった家康は、かつての恩人である和尚を城に招きました。旧交を温める語らいの最中、すっかり年老いた和尚は、うとうとと眠りに落ちてしまいます。並みいる家臣が慌てる中、家康はただ静かに微笑み、こう言ったと伝えられています。「和尚が我を見ること、まるで我が子を見るがごとし。だから安心して眠るのだ。和尚よ、睡る可し(ねむるべし)」。この一言から和尚は「可睡(かすい)和尚」と呼ばれるようになり、寺の名前も「可睡斎」と改められました。権力者の前で居眠りをしても咎められなかったという、なんとも心温まる逸話です。

07. 周辺スポット・アクセス

🚗 車
東名高速 袋井ICから約5分
🚌 バス
JR袋井駅から約12分
🅿️ 駐車場
一般・観光バス無料20台
⏱ 所要時間
境内散策 約60〜90分

可睡斎は法多山尊永寺油山寺とともに「遠州三山」と呼ばれる袋井市を代表する古刹です。すでに紹介した【お寺めぐり】油山寺ともあわせて巡ると、袋井の歴史と信仰をより深く味わえます。境内に隣接する「可睡ゆりの園」(初夏)や、精進料理・宿坊体験も可睡斎ならではの楽しみ方です。

🎐 夏の「遠州三山風鈴まつり」、1〜3月の「可睡斎ひなまつり」など、季節ごとの行事が充実。期間限定の御朱印も見逃せません。

08. まとめ

  • 「可睡斎」という名前は、徳川家康と老僧・仙麟等膳和尚の心温まる逸話に由来する
  • ご本尊は聖観世音菩薩、境内の秋葉総本殿には火防の神・秋葉三尺坊大権現を祀る
  • 日本一と称される大東司や32段のひな壇など、見どころが尽きない東海屈指の禅寺

約33万㎡の広大な境内には、戦国武将の逸話から火防信仰、禅の修行文化まで、たくさんの物語が詰まっています。ぜひ静かな禅の巨刹で、心を落ち着けるひとときを過ごしてみてください。

09. ゆる仏様トーク

聖観音様、いわば「困りごと相談の総合窓口」みたいな存在です。三十三の姿に変化するというのは、今でいう「TPOに合わせて対応を変えるプロフェッショナル」なのかもしれません。

「和尚が我を見ること、愛児の如し。だから安心して眠るのだ」

──家康公のこの一言、現代でいえば「気を遣わなくていいよ、リラックスして」という最高の労いの言葉です。しかも家康公、それを咎めるどころか寺の名前にしてしまうという、なかなかの太っ腹ぶりなのです。

10. 謎と考察コーナー

【謎】なぜ禅寺・可睡斎が「火の神様」を祀っているのか?

【事実の整理】
可睡斎は曹洞宗の禅寺で、ご本尊は聖観世音菩薩です。ところが境内の秋葉総本殿には、本来は信州・秋葉山にあった「秋葉山秋葉寺」という別のお寺で祀られていた秋葉三尺坊大権現が祀られています。秋葉山秋葉寺は、明治6年(1873年)の廃仏毀釈によって廃寺となってしまいました。

【私の考察】
明治政府による神仏分離・廃仏毀釈の政策では、神仏習合的な信仰(神様と仏様が一体となった信仰)を持つ寺社が特に大きな打撃を受けました。秋葉三尺坊大権現は「権現」という名の通り、仏(観世音菩薩の化身)でありながら神のようにも祀られる、まさに神仏習合の象徴のような存在だったため、真っ先に整理の対象となったのではないかと考えられます。行き場を失った三尺坊様の御真体を可睡斎が引き継いだのは、火防信仰そのものを絶やしてはならないという、当時の人々の強い願いがあったからかもしれません。

【結論(あくまで推測)】
可睡斎の秋葉総本殿は、廃仏毀釈という荒波の中で行き場を失った信仰を、禅寺という形で今に伝え続けている「避難先」だったのではないでしょうか。あなたはどう思いますか?

※あくまで私の考察です。

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