この記事でわかること
・世界遺産・厳島神社のすぐ隣に、なぜ「お寺」が今も残っているのか
・年に一度、6月17日にしか開帳されない秘仏・厳島弁財天の正体
・伊藤博文ゆかりの松と、パリ万博に出展された錦帯橋の模型
広島県廿日市市・宮島、世界遺産・厳島神社の出口すぐそばに佇む大願寺。日本三大弁天の一つ・厳島弁財天を祀るこの寺は、明治の神仏分離を乗り越えて今も宮島に残る、貴重な仏教寺院です。
01. 大願寺の基本情報
| 正式名称 | 亀居山放光院大願寺(ききょざん ほうこういん だいがんじ) |
|---|---|
| 宗派 | 真言宗 |
| ご本尊 | 厳島弁財天(日本三大弁天の一つ) |
| 開山 | 了海(伝) |
| 創建 | 建仁年間(1201〜1203年)頃 |
| 寺格 | かつて厳島神社の修復・造営を担った寺院 |
| 所在地 | 広島県廿日市市宮島町3 |
| アクセス | 宮島桟橋から徒歩約15分、厳島神社出口すぐ |
| 拝観時間 | 8:30〜18:00頃 |
| 拝観料 | 境内無料 |
02. ご本尊「厳島弁財天」ってどんな仏様?
分類:天部
日本三大弁天の一つ・秘仏
分類:明王
像高約4mの半跏坐像
① 一言まとめ
大願寺のご本尊は厳島弁財天。江ノ島・竹生島とあわせて「日本三大弁天」の一つに数えられる秘仏で、年に一度、6月17日の大祭でのみ御開帳されます。
② 由来・経典上の位置づけ
大願寺は建仁年間(1201〜1203年)頃、僧・了海によって開かれたと伝えられています。明治の神仏分離令が発布されるまで、大願寺は厳島神社の修復・造営を担う寺院として、神社と一体になって宮島の信仰を支えてきました。神仏分離によって多くの仏教施設が宮島から姿を消す中、大願寺は現在まで存続を続けている貴重な寺院です。
③ 姿・特徴
本堂の厳島弁財天のほか、護摩堂には像高約4mにおよぶ大きな不動明王半跏坐像が安置されています。厳島神社の出口を出てすぐという立地から、多くの参拝者が神社参拝の締めくくりとして立ち寄る、宮島観光に欠かせない存在となっています。
03. ご利益・祈願
厳島弁財天は財福・芸能のご利益で、不動明王は厄除け・開運のご利益で、それぞれ篤い信仰を集めています。毎年6月17日の「厳島弁財天大祭」では、護摩焚きなどの行事とともに秘仏が特別に公開されます。
04. 境内の見どころガイド
護摩堂の巨大不動明王
護摩堂に安置される不動明王半跏坐像は、像高約4mにおよぶ堂々たる姿で参拝者を迎えます。「嚴島大仏」とも呼ばれるその圧倒的な存在感は、大願寺を訪れた誰もが目を奪われる見どころです。
伊藤博文ゆかりの九本松(跡)
かつて境内には、初代内閣総理大臣・伊藤博文が手植えしたと伝わる、一つの根元から9本に分かれた珍しい松「九本松」がありました。惜しくも虫食いにより枯死し伐採されましたが、明治の元勲とこの寺との縁を物語る逸話として、今も語り継がれています。
錦帯橋の模型
本堂の軒下には、明治時代のパリ万国博覧会に出展された、山口県の名勝・錦帯橋の1/25スケール模型が架けられています。海外に日本の技術と美を伝えた、意外な歴史の一場面がここに残されています。
御朱印情報
| 種類 | 備考 |
|---|---|
| 厳島弁財天の御朱印 | 御朱印帳・御朱印帳袋も授与 |
05. 寺宝・秘宝ハイライト
約4m ― 護摩堂に安置される不動明王半跏坐像の像高。「嚴島大仏」とも呼ばれるその大きさは、宮島でも屈指の迫力を誇ります。
年に一度 ― 本尊・厳島弁財天が御開帳されるのは、6月17日の大祭当日のみ。日本三大弁天の秘仏を実際に拝観できる、貴重な機会です。
06. 参拝の作法ガイド
- 仁王門をくぐる前に、境内に向かって軽く一礼します
- 手水舎で両手と口を清めます
- 本堂・護摩堂の前で姿勢を正し、静かに合掌して一礼します
- 厳島神社参拝とあわせて訪れる場合は、神社の作法との違いに注意します
07. 神仏分離を乗り越えて残った、宮島の寺
大願寺の歴史は、建仁年間に僧・了海が開いたと伝わるところから始まります。明治の神仏分離令が発布されるまで、大願寺は厳島神社の修復・造営を担う特別な役割を果たしており、神社と寺院が一体となった、日本古来の神仏習合の姿を体現する存在でした。
明治政府による神仏分離政策により、宮島にあった多くの仏教施設は取り壊されるか、他所へ移されました。そんな中で大願寺は数少ない例外として現在までその姿を残し続け、厳島神社のすぐそばで、今も仏教の祈りの場としての役割を果たし続けています。
08. 伝説・言い伝え
【史実】厳島神社を支えた、もう一つの顔
神仏分離以前、大願寺は厳島神社の社殿修復・造営を担う寺院として、神社の運営に深く関わっていました。世界遺産として知られる厳島神社の美しい社殿が守られてきた背景には、大願寺という寺院の存在があったと伝えられています。
【逸話】明治の元勲が残した、9本の松
初代内閣総理大臣・伊藤博文が手植えしたと伝わる「九本松」は、一つの根から9本の幹に分かれるという珍しい松でした。惜しくも失われてしまいましたが、明治維新の立役者がこの寺を訪れ、記念に松を植えたという逸話は、今も語り草として伝えられています。
09. 周辺スポット・アクセス
徒歩約15分
出口すぐ隣に位置
大聖院・千畳閣も徒歩圏内
境内散策 約20〜30分
大願寺は厳島神社の参拝ルートの終盤に位置しているため、神社参拝の締めくくりとして自然に立ち寄ることができます。大聖院など宮島の他の寺院とあわせて巡るのもおすすめです。
10. まとめ
- 大願寺は、明治の神仏分離を乗り越えて今も宮島に残る、貴重な仏教寺院である
- 本尊の厳島弁財天は、江ノ島・竹生島とあわせて「日本三大弁天」の一つに数えられる秘仏である
- 護摩堂の巨大な不動明王像、伊藤博文ゆかりの逸話、パリ万博出展の錦帯橋模型など、多彩な見どころを持つ
世界遺産・厳島神社の参拝とあわせて、ぜひこの隣接する古刹にも足を運んでみてください。
11. ゆる仏様トーク
神社のすぐ隣にお寺が今も残っているというのは、実はとても貴重なことなんです。明治の神仏分離で多くの寺院が姿を消した中、大願寺はしぶとく生き残った、いわば宮島の「生き証人」なのかもしれません。
──神様とお寺、両方の信仰が一つの場所に息づく風景こそ、大願寺が今に伝える宮島本来の姿なのでしょう。
12. 謎と考察コーナー
【謎】なぜ大願寺だけが、神仏分離の波を乗り越えられたのか?
【事実の整理】
明治政府による神仏分離令によって、宮島にあった多くの仏教施設が取り壊されるか、他所へ移転させられました。しかし大願寺は例外的に現在までその姿を保ち、厳島神社のすぐそばに立ち続けています。
【私の考察】
なぜ大願寺だけが生き残ることができたのでしょうか。私は、これは大願寺が長年果たしてきた「厳島神社の修復・造営を担う」という実務的な役割の重要性が関係しているのではないかと考えます。単なる信仰の場としてだけでなく、世界的にも貴重な社殿群を維持管理する専門的な知識と技術を持つ組織として、地域社会にとって代替の効かない存在だったのかもしれません。信仰上の理由だけでなく、実利的な必要性が、大願寺の存続を後押ししたのではないでしょうか。
【結論(あくまで推測)】
大願寺が神仏分離の波を乗り越えられたのは、信仰の場としてだけでなく、厳島神社という貴重な文化財を守るための実務的な役割を担っていたことが、大きな理由だったのではないでしょうか。あなたはどう思いますか?
※あくまで私の考察です。

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