この記事でわかること
・二人の禅僧が見た夢の内容が一致し、寺が譲り渡されたという不思議な伝説
・能登(石川県)にあった總持寺が、なぜ横浜・鶴見の地に移転することになったのか
・福井の永平寺と並ぶ「両大本山」という、曹洞宗独自の珍しい制度
神奈川県横浜市、曹洞宗大本山の總持寺には、夢のお告げから始まった不思議な縁と、明治の大火を乗り越えて渡ってきた歴史が刻まれています。
01. 總持寺の基本情報
| 正式名称 | 諸嶽山總持寺(しょがくさんそうじじ) |
|---|---|
| 山号 | 諸嶽山(しょがくさん) |
| 宗派 | 曹洞宗 大本山 |
| ご本尊 | 釈迦如来(しゃかにょらい) |
| 開山 | 瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)(常済大師) |
| 創建 | 元亨元年(1321年)能登にて開創/明治44年(1911年)横浜・鶴見へ移転 |
| 寺格 | 曹洞宗大本山(福井・永平寺と並ぶ両大本山の一つ) |
| 所在地 | 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1 |
| アクセス | JR「鶴見」駅から徒歩約5分 |
| 拝観 | 境内自由(諸堂内は修行僧案内のツアーで拝観可、約1時間) |
| 公式サイト | https://www.sojiji.jp/ |
02. ご本尊「釈迦如来」ってどんな仏様?
分類:如来
仏殿に安置
① 一言まとめ
總持寺のご本尊は釈迦如来。仏教の開祖・お釈迦様そのもののお姿で、福井の永平寺と並ぶ曹洞宗のもう一つの中心地として、多くの雲水を育て続けています。
② 由来・経典上の位置づけ
かつて能登(現在の石川県)の地に、「諸嶽寺(諸岳寺)」という寺がありました。この寺の住職・定賢律師(じょうけんりっし)は、ある夜、観音菩薩から「この寺を瑩山禅師に譲れば、末永く栄えるであろう」というお告げを夢に見ます。同じ頃、禅僧・瑩山紹瑾もまた不思議な夢を見ており、二人が出会って夢の内容を語り合ったところ、その内容が驚くほど一致していました。この不思議な縁をきっかけに、定賢は元亨元年(1321年)、諸嶽寺を瑩山に譲り渡します。瑩山はこの寺を禅の道場として改め「總持寺」と名づけ、曹洞宗の新たな中心地としました。明治31年(1898年)の大火でほとんどの伽藍を焼失したことを機に、明治44年(1911年)、寺は現在の横浜・鶴見の地へと移転しました。能登の旧地は今も「總持寺祖院」として法灯を守り続けています。
③ 姿・特徴
曹洞宗は「両大本山制」という珍しい制度を取っており、道元が開いた福井の永平寺と、瑩山が開いたこの總持寺の二つが並び立つ大本山として、共に曹洞宗全体を統括しています。
03. ご利益・祈願
禅の修行道場である總持寺は、心を落ち着け自分自身と向き合いたいと願う参拝者に篤く信仰されています。明治の大火を乗り越えて移転を果たした歴史から、火災除けを願う参拝者にも親しまれています。
04. 境内の見どころガイド
三松関(さんしょうかん)
總持寺の玄関口となる総門。大正9年(1920年)に建立され、国の登録有形文化財に指定されています。
大祖堂
畳千畳分にもおよぶ広大な空間を持つ大祖堂。禅の各種法要が執り行われる、總持寺の中心的な建物です。
放光堂
安政年間に山形・鶴岡の総穏寺本堂として建立され、明治44年(1911年)の總持寺移転の際にこの地に移築されました。境内で最も古い歴史を持つ建物です。
御朱印情報
| 受付場所 | 備考 |
|---|---|
| 境内の御朱印所 | 複数種類の御朱印を授与 |
初穂料等の詳細は参拝時にご確認ください。
05. 参拝の作法ガイド
- 三松関をくぐる前に、境内に向かって軽く一礼します
- 手水舎で両手と口を清めます
- 仏殿の前で姿勢を正し、静かに合掌して一礼します
- お参りが終わったら、来た時と同じように山門で振り返り一礼して退出します
06. 大火を越えて、能登から横浜へ
瑩山紹瑾が能登の地に開いた總持寺は、以来600年近くにわたって、多くの禅僧を育てる曹洞宗の一大拠点として発展してきました。しかし明治31年(1898年)、不慮の火災により、伽藍の大部分が焼失するという大きな試練に見舞われます。この危機を乗り越えるため、總持寺は大きな決断を下しました。能登の地での再建にこだわるのではなく、より多くの人々に開かれた新天地を求めて、寺そのものを移転させることにしたのです。
明治44年(1911年)、總持寺は現在の横浜・鶴見の地に移り、新たな歴史を歩み始めます。能登に残された旧地は「總持寺祖院」として、今も法灯を守り続けています。600年の時を超え、二つの總持寺が、それぞれの土地で禅の教えを今に伝え続けているのです。
07. 周辺スポット・アクセス
JR鶴見駅から徒歩約5分
首都高速鶴見出入口から約5分
境内に駐車場あり
境内散策 約60〜90分
總持寺は横浜市内という都市部にありながら、広大で静謐な境内を持つ稀有な立地です。境内には著名人の墓所も点在し、歴史散策としても楽しめます。
08. まとめ
- 總持寺は、二人の禅僧が見た夢の一致をきっかけに、瑩山紹瑾が能登の地に開いた曹洞宗大本山
- 明治の大火を機に、明治44年(1911年)に横浜・鶴見の地へ移転した
- 福井の永平寺と並ぶ「両大本山」として、今も曹洞宗全体を支えている
能登から横浜へと渡った、禅の大伽藍。ぜひその広大な境内と、夢の縁から始まった不思議な歴史を、実際に歩いて感じてみてください。
09. ゆる仏様トーク
釈迦如来様、いわば「引っ越しを経験したことのある大本山」の主です。600年住み慣れた能登の地から、横浜という新天地へ移るというのは、寺院としてはなかなか思い切った決断だったはずです。
──定賢律師と瑩山禅師、二人の禅僧が交わしたこの言葉が、今の總持寺の始まりだったのかもしれません。
10. 謎と考察コーナー
【謎】二人の禅僧が見た夢が、なぜぴったり一致したのか?
【事実の整理】
總持寺の前身「諸嶽寺」の住職・定賢律師と、禅僧・瑩山紹瑾は、それぞれ別々に見た夢の内容が偶然にも一致し、この不思議な縁がきっかけとなって、寺が瑩山に譲り渡されたと伝えられています。
【私の考察】
なぜ二人の夢が、これほどぴったりと一致したのでしょうか。私は、これは単なる偶然というより、当時すでに瑩山禅師の禅僧としての評判や実力が広く知られており、定賢自身も心のどこかで「この寺を託すべき相手は瑩山ではないか」と考えていたのではないかと思います。その無意識の期待や確信が、夢という形で先に現れ、実際に二人が出会って言葉を交わした際に、「一致した」という感動的な物語として語られるようになったのかもしれません。
【結論(あくまで推測)】
二人の夢の一致は、偶然の奇跡というより、すでに定賢の中にあった確信が、機が熟した瞬間に形となって現れた出来事だったのではないでしょうか。あなたはどう思いますか?
※あくまで私の考察です。

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