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【お寺めぐり】江戸五色不動-なぜ「目黒」「目白」という地名は不動明王から生まれたのか(東京都内5区)

江戸五色不動 イメージ
江戸の町を陰陽五行で守るとされた、5色の不動明王

この記事でわかること
・「目黒」「目白」という誰もが知る東京の地名が、実は不動明王から生まれていたという事実
・徳川家光が江戸の守りのために配置したと伝わる、5色の不動尊の正体
・5つの不動尊を、都内で実際に巡るためのヒント
東京都内には、目黒・目白・目赤・目青・目黄という5色の名を持つ不動明王を祀る寺院「江戸五色不動」があります。「目黒」「目白」という地名を日常的に使っていても、その由来が不動明王にあることを知る人は意外と多くありません。今回は、5色それぞれの不動尊に伝わる物語と、地名の意外なルーツをご紹介します。

01. 江戸五色不動とは? 陰陽五行で江戸を守る5色の不動

江戸五色不動は、目黒・目白・目赤・目青・目黄という5色の名を冠した不動明王を祀る、都内5つの寺院の総称です。江戸幕府三代将軍・徳川家光が、大僧正・天海の進言により、陰陽五行説(万物を木・火・土・金・水の5要素に分類する思想)に基づいて江戸府内から5つの不動尊を選び、江戸の町の天下太平を祈願したという言い伝えがあります。

実は「五色不動」という呼び名自体は、江戸時代ではなく明治末期から大正初期に定着したとされ、家光と天海が意図的に5色を配置したという話は、史実というより後世に整えられた伝説である可能性が高いといわれています。とはいえ、それぞれの不動尊が地名の由来になったことは事実であり、江戸から続く信仰の厚さを物語っています。
寺名 所在地 特徴
目黒 瀧泉寺 目黒区 独鈷の滝、円仁15歳の伝説
目白 金乗院 豊島区 「目白」の地名由来
目赤 南谷寺 文京区 夢のお告げで授かった金色の像
目青 教学院(最勝寺) 世田谷区 世田谷線沿いの静かな寺院
目黄 永久寺/最勝寺 台東区/江戸川区 2説ある「幻の5色目」

02. 5色の不動尊、それぞれの物語

目黒

目黒不動(瀧泉寺)― 15歳の少年が開いた、関東最古の不動霊場

大同3年(808年)、故郷から比叡山を目指していたわずか15歳の慈覚大師円仁が、目黒の地で不動明王の夢告を受け、自ら不動尊像を彫刻したのが始まりと伝えられています。境内の「独鈷の滝」は、円仁が投げた仏具から泉が湧き出したという伝説の地で、1200年間涸れたことがないとされています。

→ 詳しくはこちら:【お寺めぐり】目黒不動尊

目白

目白不動(金乗院)― 「目白」という地名そのものを生んだ寺

金乗院は、もともと僧・永順が聖観音菩薩を勧請して開いた観音堂を起源とする寺院です。寛永年間、徳川家光によって「目白不動」の号が贈られ、江戸五色不動の一つとなりました。

【地名の由来】「目白」の地名は、この寺から生まれた

現在では山手線の駅名としても全国的に知られる「目白」という地名は、この目白不動尊に由来すると伝えられています。日常的に使われる地名の裏に、こうした不動明王信仰の歴史が隠れていることに驚かされます。

目赤

目赤不動(南谷寺)― 夢のお告げで授かった、一寸二分の金色仏

元和2年(1616年)、万行律師が夢のお告げに従い伊賀国の赤目山で祈願したところ、天から一寸二分(約3.6cm)ほどの小さな黄金の不動明王像を授かったと伝えられています。その像を江戸の地に祀ったのが南谷寺の始まりです。

【地名の由来】「動坂」という坂の名も、この寺から

寛永年間、鷹狩の途中に立ち寄った徳川家光が「目黒・目白があるのだから、これは目赤と呼ぶべし」と命じたと伝えられています。寺の前の坂道はかつて「不動坂」と呼ばれ、現在も「動坂」という地名として東京都文京区に残っています。

目青

目青不動(教学院・最勝寺)― 世田谷線沿いに佇む静かな霊場

目青不動は、もとは麻布にあった「青山」という寺の不動尊が、教学院(最勝寺)に統合される形で現在の世田谷区に移されたと伝えられています。東急世田谷線の沿線という、都心とは思えない下町情緒あふれる立地にある寺院です。

目黄

目黄不動(永久寺・最勝寺)― 2つの寺が名乗る、幻の5色目

目黄不動だけは、台東区の永久寺と江戸川区の最勝寺という2つの寺院が、それぞれ「目黄不動」を名乗っているという珍しい存在です。どちらが本来の目黄不動であるかは今もはっきりしておらず、江戸五色不動の中でも最も謎に包まれた存在となっています。

2つの説 ― 目黄不動を名乗る寺院が2つ存在するという、5色不動の中でも特異な状況。この曖昧さこそが、五色不動という伝説自体が後世に整理されたものである可能性を物語っているのかもしれません。

03. 江戸五色不動、巡り方のヒント

📍 目黒
目黒区・JR目黒駅から徒歩約20分
📍 目白
豊島区・学習院下駅から徒歩約3分
📍 目赤
文京区・千駄木駅から徒歩約10分
📍 目青・目黄
世田谷区・台東区・江戸川区に点在
5寺は都内に広く分散しているため、1日ですべて回るのは難易度が高めです。エリアごとに2〜3回に分けて巡ると無理なく楽しめます。

04. まとめ

  • 江戸五色不動は、目黒・目白・目赤・目青・目黄の5色の名を持つ不動明王を祀る、都内5寺の総称である
  • 「目黒」「目白」「動坂」など、現代でも使われる地名の多くが、これらの不動尊に由来している
  • 目黄不動だけは2つの寺院が名乗っており、今も謎に包まれた存在となっている

普段何気なく使っている地名の裏に、こんなにも豊かな信仰の物語が隠れていたとは驚きです。ぜひ5色すべてを巡って、江戸の歴史に触れてみてください。

05. 謎と考察コーナー

【謎】なぜ「五色不動」という呼び名は、江戸時代ではなく明治末期に定着したのか?

【事実の整理】
「五色不動」という呼称そのものが文献に登場するのは明治末期から大正初期とされ、徳川家光・天海が意図的に5つの不動尊を選定したという逸話は、江戸時代の史実としては確認されていません。しかし、目黒・目白・動坂といった地名の由来自体は、実際に江戸時代の不動尊信仰にさかのぼります。

【私の考察】
なぜ明治から大正という時期に、この「五色不動」という括りが生まれたのでしょうか。私は、これは江戸から東京へと都市が大きく変貌していく中で、失われつつあった江戸の記憶を、わかりやすい物語としてまとめ直そうとする動きがあったからではないかと考えます。個別に存在していた不動尊信仰を、家光・天海という著名な人物の逸話と結びつけ、「五色」という覚えやすい体系にまとめることで、近代化していく東京の中で、江戸の信仰の記憶を後世に伝えやすくしたのではないでしょうか。

【結論(あくまで推測)】
「五色不動」という物語は、江戸時代そのものの史実というより、失われゆく江戸の記憶を明治・大正の人々が意識的に体系化し、後世に語り継ごうとした知恵の結晶なのではないでしょうか。あなたはどう思いますか?

※あくまで私の考察です。

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