神 様 図 鑑 — No. 005
あまてらすおおみかみ 天照大神
日本の最高神 / 太陽の女神 / 皇室の祖神
基本情報
① 名前と出典
| 正式名称 | 天照大御神(あまてらすおおみかみ)古事記 |
|---|---|
| 表記ゆれ | 天照大神(あまてらすおおかみ)日本書紀 |
| 名前の意味 | 「天(あま)」は高天原・天界、「照(てらす)」は光で照らす、「大御神(おおみかみ)」は最高の神を意味する。すなわち「天界を光で照らす偉大な神」。太陽そのもの、あるいは太陽の神格化された存在。 |
| 初出文献 | 古事記(712年)上巻・日本書紀(720年)神代上。日本最古の文献から登場する最高神。 |
② 別名と出典
| 大日孁貴神 | おおひるめのむちのかみ。「大いなる日の女神」の意。太陽神としての側面を強調した呼び名。日本書紀 |
|---|---|
| 撞賢木厳之御魂 | つきさかきいつのみたま。伊勢神宮の別名的な称号。御神霊そのものを指す名称。古語拾遺 |
| 皇大神 | こうたいじん。天皇家の最高祖神としての呼称。伊勢神宮では現在もこの尊称が使われる。伊勢神宮文書 |
| 天照坐皇大御神 | あまてらしますすめおおみかみ。神社の祝詞に使われる格式ある呼び名。延喜式祝詞 |
③ 同一神・神仏習合
| 大日如来 | 密教の最高仏・大日如来(だいにちにょらい)と習合。「大日(だいにち)」が「大いなる太陽」を意味することから、同一視された。真言宗では天照大神=大日如来として信仰された。 中世神仏習合(本地垂迹説) |
|---|---|
| 観音菩薩(一部) | 地域の信仰によっては観音菩薩と習合した例もある。ただし主流は大日如来との習合であり、観音との習合は局所的。 各地民間信仰 |
④ 神様の種類
| 分類 | 天津神(あまつかみ)——高天原(たかまのはら)を根拠地とする神々の最高位。イザナギの命によって生まれ、高天原の主宰者となった。 |
|---|---|
| 神格 | 太陽神・主宰神・農耕神・機織神・国家守護神・皇祖神 |
| 位置づけ | 日本の神々の頂点に立つ「八百万の神の最高位」。高天原を統治し、地上世界(葦原中国)の支配権をめぐって大国主命と間接的に対立、最終的に「国譲り」によって地上の支配権を得た。天皇家は天照大神の直系子孫とされ、三種の神器(鏡・勾玉・剣)は天照大神ゆかりの宝とされる。 |
| 天津神との違い | 国津神が地上(葦原中国)の神であるのに対し、天津神は天界(高天原)出身の神。天照大神はその頂点に君臨し、地上への天孫降臨(孫・瓊瓊杵尊を地上に遣わす)によって地上の支配を確立した。 |
⑤ 系図
⑥ 活躍した時代
天地開闢(てんちかいびゃく)後、イザナギの禊から生まれた天照大神は高天原の主宰者として神代のはじめから登場する。天岩戸隠れ・素戔嗚尊との誓約・国譲り・天孫降臨など神代の一大事件すべてに深く関わり、地上支配の根拠を作り上げた。さらに初代天皇・神武天皇の遠祖神としての位置づけから、以後の天皇制においても「皇祖神」として奉祀され続けている。伊勢神宮での式年遷宮(20年ごとの社殿建て替え)が今も続くように、現代においても生きた信仰の対象として日本人の精神文化の中心に存在する。
祀られる神社
登場する神話・伝説
誕生——イザナギの禊から生まれた三貴神
黄泉の国(死の国)から戻ったイザナギが禊(みそぎ)を行った際、左目を洗うと天照大御神が、右目を洗うと月読命が、鼻を洗うと素戔嗚尊が生まれた。イザナギはこの三柱を「三貴子(みはしらのうずのみこ)」と呼んで特別に愛し、天照大御神には「高天原を治めよ」と告げた。こうして天照大神は高天原の主宰者となり、日本の神話世界の頂点に君臨することになった。
誓約(うけい)——素戔嗚尊との誓いと宗像三女神の誕生
母神・イザナミのいる根之堅州国へ行きたいと泣き叫ぶ素戔嗚尊が高天原を訪れた際、天照大神は「国を奪いにきたのではないか」と警戒し、男装して弓矢を携えて対峙した。二神は「誓約(うけい)」という占いを行い、互いの持ち物から神を生み出すことで心の潔白を証明し合った。この誓約から天照大神の勾玉より五柱の男神(天忍穂耳命ら)が、素戔嗚尊の剣より三柱の女神(宗像三女神)が生まれた。
天岩戸隠れ——太陽が消えた日本神話最大の危機
誓約後に素戔嗚尊が高天原で乱暴を働き(田の畔を壊す・神聖な機屋を汚すなど)、それに心を傷めた天照大神は天の岩屋戸(あめのいわやど)の中に閉じこもった。太陽が消えた高天原と葦原中国は闇に包まれ、悪神が跋扈した。困り果てた八百万の神々は岩屋の前で大宴会を開き(天鈿女命が踊り・笑い声が満ちた)、不思議に思った天照大神が岩屋戸を少し開けたところを天手力雄神が引き開け、世界に光が戻った。
国譲りと天孫降臨——地上支配の確立
高天原を支配する天照大神は、葦原中国(地上)もその支配下に置こうと使者を何度も送り、大国主命に国譲りを迫った。最終的に大国主命が国譲りを承諾すると、天照大神は孫神・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を「三種の神器(八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣)」とともに日向(宮崎)の高千穂へ降臨させた。この天孫降臨が天皇家の起源とされ、三種の神器は今も天皇即位の際の重要な宝として引き継がれている。
伊勢への鎮座——神宮の成立
古事記・日本書紀には記されないが、『日本書紀』の崇神天皇・垂仁天皇の段に、天照大神の神鏡(八咫鏡)が大和から伊勢へ遷座した経緯が記される。当初は大和(奈良)で皇居内に祀られていたが、神威が強すぎて皇居に置けず、長い遍歴の末に伊勢の地に落ち着いたとされる。以来、伊勢神宮は天照大神の聖地として2,000年以上にわたり守り続けられている。
逸話・エピソード
素戔嗚尊が高天原を訪れた際、天照大神は「弟が国を奪いにきた」と疑い、髪を男のようにまとめ、弓矢を持って武装して対峙した。これは単なる脅しではなく、高天原の支配者としての毅然とした姿勢を示すものだった。最高神でありながら状況を見極め、必要なら武装もいとわないその姿は、柔和なだけでない強さと知性を体現している。また、誓約の際に素戔嗚尊の剣を霧のように噛み砕いて女神を産むくだりも、神話屈指の力強い場面として語り継がれる。
天孫降臨の際、天照大神は孫神・瓊瓊杵尊に三種の神器を授けた。「八咫鏡(やたのかがみ)」は天照大神の神体(魂の象徴)そのもの、「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」は霊力の結晶、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、別名・草薙剣」は素戔嗚尊がヤマタノオロチから得た剣である。この三種は現在も天皇即位の際に皇位継承の証として儀式に用いられており、鏡は伊勢神宮内宮に、勾玉は皇居に、剣は熱田神宮(愛知県)に奉祀されている。
伊勢神宮では20年ごとに隣接地に全く同じ社殿を新しく建て直し、ご神体を遷す「式年遷宮(しきねんせんぐう)」が行われる。第1回は689年(天武天皇の発願・持統天皇の代に実施)とされ、2013年の第62回まで一度も絶えることなく続いている。社殿・調度品・神宝すべてを作り直すこの行事には毎回数百億円の費用と8年間の準備が必要とされ、古代の建築技術・染織技術・金工技術がそのままの形で現代に受け継がれている。次回(第63回)は2033年の予定。
古事記には、天照大神が高天原で「御機(みはた)」を織っていた場面が登場する。素戔嗚尊が暴れて機屋の屋根を壊し、機織り女が驚いて死んでしまったことが天岩戸隠れのきっかけの一因となった。この描写から、天照大神は「機織り(はたおり)の神」としての側面も持つ。また、天照大神が高天原で稲作を行っていたとの記述もあり(斎庭の穂・ゆにわのほ)、稲・五穀豊穣の神としても信仰される根拠となっている。日本の農耕文化の起源に関わる神でもある。

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