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【お寺めぐり】源光庵-悟りの窓と迷いの窓はなぜ同じ庭を見るのか、380余人の血天井が残る鷹峯の禅寺(京都府京都市)

(写真準備中)

本堂の「悟りの窓」(丸)と「迷いの窓」(四角)(写真準備中)

京都の北のはずれ、鷹峯(たかがみね)にある源光庵(げんこうあん)。本堂に、丸い窓と四角い窓が並ぶ曹洞宗(そうとうしゅう)の禅寺です。

この記事でわかること

  • 丸い「悟りの窓」と四角い「迷いの窓」の意味と、紅葉の見どころ
  • 伏見城で380余人が自刃した跡と伝わる「血天井(ちてんじょう)」の由来
  • 【謎】2つの窓は、なぜ同じ一つの庭に向いて並んでいるのか

見上げれば、関ヶ原の前の戦いの血の跡。目の前には、悟りと迷いの2つの窓。この本堂には、人の生と死がまるごと詰まっています。

01. 源光庵の基本情報

寺号(読み方) 源光庵(げんこうあん)。正式には鷹峰山 寶樹林 源光庵(ようほうざん ほうじゅりん げんこうあん)。別名「復古禅林(ふっこぜんりん)」
山号 鷹峰山(ようほうざん)
宗派 曹洞宗(そうとうしゅう)。はじめは臨済宗(りんざいしゅう)でした
ご本尊 釈迦如来(しゃかにょらい)。公式の表記は「華厳の釈迦牟尼佛」。脇には阿難(あなん)尊者と迦葉(かしょう)尊者
開創 1346年(貞和2年)、大徳寺2代の徹翁義亨(てっとう ぎこう)国師が開きました。Wikipediaによると、徹翁の隠居所として開かれました
寺格 特別な寺格の記載はありません(曹洞宗の寺院)
再興 1694年(元禄7年)、卍山道白(まんざん どうはく)が住持となり、曹洞宗に改めました。公式サイトは卍山道白を「開山」と呼んでいます
所在地 京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町(きたたかがみねちょう)47
アクセス 市バス北1系統(地下鉄烏丸線「北大路」駅から)または6系統(「四条大宮」から)の玄琢(げんたく)行きで「鷹峯源光庵前」下車すぐ
拝観時間 9:00〜17:00(16:30受付終了)。寺の行事があるときは、終日または臨時に拝観を中止することがあります
拝観料 公式サイトに記載なし。旅行サイトでは400円、紅葉の時期(11月)は500円です(要確認)
駐車場 旅行サイトでは20〜25台。公式サイトは「紅葉時は混雑が予想されるため、お車でのお越しはご遠慮下さいませ」としています
公式サイト 源光庵 公式サイト(genkouan.or.jp)/電話 075-492-1858
💡 出典
・寺号・開創・再興・本尊・拝観時間・所在地・バス・電話・車の注意:公式サイト(2026年10月確認)
・山号・別名・隠居所:Wikipedia「源光庵」
・拝観料・駐車場の台数:旅行サイト(るるぶ・ジョルダン・旅と観光のマガジン「tabi-mag」)。料金は変わることがあるので、電話で確かめると安心です

02. 源光庵のご本尊 ― 釈迦如来と、迦葉・阿難の二人の弟子

(写真準備中)

源光庵の本堂(写真準備中)

① 一言まとめ

源光庵の本尊は、仏教を開いたお釈迦さま、釈迦如来(しゃかにょらい)です。左右には、お釈迦さまの弟子の迦葉と阿難がひかえます。仏様のくわしい話は釈迦如来の記事にまとめています。

② 由来・経典での位置づけ

公式サイトは本尊を「華厳の釈迦牟尼佛」と書いています。『華厳経(けごんきょう)』は、悟りを開いたばかりのお釈迦さまの世界を説く経典です。

脇の二人は、お釈迦さまの十大弟子です。迦葉(摩訶迦葉〈まかかしょう〉)は、お釈迦さまが亡くなったあと、教団をまとめた人です。禅では、お釈迦さまが花をひねって見せ、迦葉だけがほほえんだ「拈華微笑(ねんげみしょう)」の話で知られます。

阿難は、お釈迦さまのそばに長くつかえ、いちばん多く教えを聞いた弟子とされます。禅の系譜では、迦葉から教えを受けついだ2人目の祖師です。お釈迦さま→迦葉→阿難。この3人は、禅が「師から弟子へ直接」受けついできた教えの、最初の3人なのです。

③ 本尊の姿

本尊の像の大きさ・年代・作者は、公式サイトに記載がありません。釈迦如来と迦葉・阿難の3体の組み合わせは、禅宗の寺でよく見られる形です。一般に迦葉は年をとった姿、阿難は若い姿であらわされます。

💡 出典:本尊の表記は公式サイト「源光庵 縁起」。迦葉・阿難の役目と拈華微笑は一般的な仏教の説明です。迦葉のくわしい話は迦葉の記事にまとめています。
釈迦如来
如来|本尊
仏教を開いたお釈迦さま
迦葉尊者
仏弟子|脇侍
お釈迦さまの教えを受けついだ弟子
阿難尊者
仏弟子|脇侍
いちばん多く教えを聞いた弟子

03. 源光庵のご利益・祈願

🪷 心を見つめる
🍀 開運(霊芝観音)
🙏 先祖・戦没者の供養

源光庵の公式サイトには、本尊のご利益の記載がありません。上の3つは、寺の伝えと行事から選んだ筆者のおすすめです。

  • 心を見つめる:2つの窓の前に座る時間は、自分の迷いと向き合う時間になります
  • 開運:寺宝の霊芝観音(れいしかんのん)は「開運霊芝観世音」とも呼ばれます(公式サイト)
  • 供養:春と秋のお彼岸には、鳥居元忠(とりい もとただ)一党の追善法要が行われます

ご利益の根拠:曹洞宗は、ただひたすら座る坐禅「只管打坐(しかんたざ)」を大切にします。公式サイトは、坐禅で得た心の安らぎそのものが仏の姿だと説明しています。

こんな人におすすめ:悩みごとで頭がいっぱいの人。歴史の現場に立ってみたい人。人の少ない朝に、紅葉の庭を静かに見たい人。

参拝に適した時期:紅葉は例年11月中旬〜下旬が見ごろです(旅行サイト)。公式サイトには、新緑と雪の日の窓の写真ものっています。

📅 年中行事(公式サイト):1月1〜3日 修証会(しゅしょうえ・大般若祈祷)/3月の彼岸の中日 春彼岸会と鳥居元忠一党追善法要/8月1〜16日 盂蘭盆会(うらぼんえ)/9月の彼岸の中日 秋彼岸会と追善法要/10月19日 開山忌と霊芝観音法要。
※2026年10月は、本堂での法要のため、拝観を一時休止する日時があります(公式のお知らせ)。日時は公式サイトで確かめてください。11月以降の予定は、公式サイトのお知らせで確かめてください。

04. 源光庵 境内の見どころガイド(紅葉の窓と血天井)

(写真準備中)

山門

山門(さんもん)

鷹峯の通りに面した門です。境内には総門・山門・鐘楼・庫裏(くり)があります(Wikipedia)。

体験ポイント:バス停からすぐなので、門の前で一息ついてから入りましょう。紅葉の季節は、門の前から境内の色づきをながめるのも楽しみです。

(写真準備中)

悟りの窓と迷いの窓

悟りの窓・迷いの窓(本堂)

本堂に並ぶ2つの窓です。丸い「悟りの窓」は「禅と円通(えんつう=さとりが、すみずみまで行きわたること)」の心をあらわし、円は大宇宙をあらわします。四角い「迷いの窓」は人の一生、生老病死(しょうろうびょうし)の四苦八苦(しくはっく)をあらわします(公式サイト)。

体験ポイント:まず四角い窓の前に座り、次に丸い窓の前へ。同じ庭なのに、見え方がどう変わるかを感じてみてください。この記事の「謎」は、ここから始まります。

(写真準備中)

本堂の血天井

血天井(本堂の天井)

伏見城の遺構と伝わる天井です。1600年の伏見城の戦いで、徳川家康の家臣たちが自刃したときの床板を、天井にして供養したものとされます(公式サイト・Wikipedia)。

体験ポイント:見上げると、黒ずんだしみの中に、足の形のように見える跡があります。手を合わせてから、静かに見上げましょう。

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本堂裏の枯山水の庭

本堂裏の庭(枯山水)

北山(きたやま)を借景(しゃっけい=遠くの山を庭の景色に取りこむこと)にした枯山水の庭です(公式サイト)。Wikipediaでは「鶴亀の庭」と紹介されています。

体験ポイント:秋は、窓の外が一面の赤と黄色。朝いちばんの、人が少ない時間がおすすめです。

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開山堂(復古堂)

開山堂(復古堂〈ふっこどう〉)

1719年(享保4年)に建てられたお堂です。卍山道白の木像をまつり、その下に舎利(しゃり=遺骨)を納めています(公式サイト)。

体験ポイント:「復古」の2文字に注目。この寺の別名「復古禅林」の由来は、07の物語で紹介します。

御朱印 内容
御朱印の有無・種類 公式サイトに記載がありません。現地か電話(075-492-1858)で確認してください
受付時間・料金 公式サイトに記載がありません。拝観の受付は16:30までです
📷 撮影のポイント:2つの窓を、正面から少し下がって横に並べて写すと、源光庵らしい一枚になります。
出典:窓の意味・血天井・庭・開山堂は公式サイト。鶴亀の庭・総門・鐘楼などはWikipedia「源光庵」。
⚠ 注意:撮影の決まりは、公式サイトに記載がありません。現地の掲示に従ってください。公式サイトは、自分用の靴袋(マイシューズバッグ)の持参をお願いしています。紅葉の時期は車での参拝をひかえましょう。

05. 源光庵の寺宝・秘宝ハイライト

380余人

伏見城の遺構「血天井」

1600年(慶長5年)7月、伏見城を守る鳥居元忠の一党1,800人が、石田三成(いしだ みつなり)の軍勢と戦って討死しました。残る380余人は自刃したといいます(公式サイト)。そのときの床板を天井にして供養したものとされ、血の跡や足跡が残るといわれます(Wikipedia)。

1681年

霊芝観世音(れいしかんぜおん)

天和元年(1681年)の春、卍山道白が宇治田原(うじたわら)の山の中で見つけた像です。霊芝(れいし=キノコの一種)が自然に観音菩薩(かんのんぼさつ)の形になったもの、と伝わります。本堂の西にまつられています(公式サイト)。

約21m

元禄7年(1694年)の本堂

金沢の豪商・中田静家(なかた じょうけ)居士の寄進で建てられた本堂です。間口は11間半(約21m)、奥行は7間(約13m)あります(Wikipedia)。2つの窓と血天井は、この本堂の中にあります。

06. 源光庵の参拝の作法

お寺の基本の作法は、お寺の参拝作法の記事でくわしく紹介しています。源光庵では、次の順番でお参りしましょう。

  1. 山門の前で軽く一礼してから入ります
  2. 受付で拝観料を納め、靴をぬいで本堂へ上がります(靴袋を持っていくと安心です)
  3. 本尊の釈迦如来の前で、手を合わせて一礼します
  4. 血天井の下では、亡くなった人たちに静かに手を合わせます
  5. 窓の前では、ほかの人とゆずりあいながら、静かに庭をながめます
🙏 源光庵ならではのポイント:血天井は、亡くなった人を供養するための天井です。指さして騒いだりせず、敬う気持ちで見上げましょう。
💡 お寺では、神社のように手をたたかず、手を合わせるだけです。
子どもへの説明:「丸い窓は『さとり』、四角い窓は『まよい』の窓なんだって。どっちの窓から見たお庭が好きかな?」

07. 源光庵の物語 ― 42年かけて「師から弟子へ」を取りもどした禅僧・卍山道白

1636年、備後国(びんごのくに=いまの広島県)に、一人の男の子が生まれました。のちの卍山道白です。7歳でお寺に入り、やがて江戸で修行して、月舟宗胡(げっしゅう そうこ)の教えを受けつぎました。

1680年、卍山は加賀(いまの石川県)の大乗寺(だいじょうじ)の住職になります。きびしい決まりで知られ、「規矩(きく)大乗」と呼ばれた寺です。

そのころの曹洞宗には、悩みがありました。お寺の住職になると、その寺の系統を受けつぐ。そんなやり方が広がり、だれから教えを受けたのかがあいまいになっていたのです。

卍山は、一人の師から直接、教えを受けつぐ形にもどすべきだと考えました。道元(どうげん)から瑩山(けいざん)へと受けつがれた、正しい道です。

1694年、卍山は請われて京都・鷹峯の源光庵に入り、曹洞宗の寺として立て直しました。そして仲間と江戸にとどまり、寺社奉行(じしゃぶぎょう)へ約3年も願い出つづけます。

1703年(元禄16年)、ついに幕府が決まりを出しました。公式サイトによると、卍山が志を立ててから42年目のことでした。卍山が唱えた言葉は「釈尊に還れ、祖師に還れ」。源光庵が「復古禅林」と呼ばれるのは、このためです。

晩年、霊元法皇(れいげんほうおう)から教えを聞きたいと招かれましたが、病を理由に断ったと伝わります。1715年、80歳で亡くなりました。

📖 物語は、公式サイト「卍山禅師『復古禅林』」と、Wikipedia「卍山道白」「源光庵」をもとに、やさしく言いかえました。

08. 源光庵に伝わる伝説・言い伝え

【寺伝】龍が童子になって教えた井戸

寺の西の谷に「稚児井(ちごい)」という井戸があります。むかし水不足に人々が苦しんでいたとき、池にすむ龍が童子の姿で徹翁義亨の夢にあらわれたと伝わります。「西の谷から水がわく」と告げ、その水で多くの人が救われたそうです(公式サイト)。Wikipediaでは、涸(か)れたことがない井戸とされています。

【伝え】キノコが観音さまの姿に

1681年、卍山道白が宇治田原の山で見つけた霊芝は、自然に観音さまの形になっていたと伝わります。後西天皇(ごさいてんのう)があつく敬い、宮中で供養されたそうです。それで「開運霊芝観世音」と呼ばれるようになったといいます(公式サイト)。

【言い伝え】天井に残る足の跡

血天井には、血のしみのほか、血の足跡が残るといわれます(Wikipedia)。床板だったものを天井にしたので、亡くなった人の足跡を、今は下から見上げることになります。公式サイトは、この人たちの追善法要を今も続けていると伝えています。

09. 鷹峯・源光庵周辺のスポット・アクセス詳細

🚌 市バス北1系統
地下鉄「北大路」駅から玄琢行き約15分(旅行サイトの目安)「鷹峯源光庵前」すぐ
🚌 市バス6系統
「四条大宮」から玄琢行き「鷹峯源光庵前」すぐ
🚗 車
駐車場あり(旅行サイトで20〜25台)。紅葉の時期はひかえる
⏱ 所要時間
境内は約30〜40分(筆者の目安)

近くの寺社:同じ鷹峯に、本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)ゆかりの光悦寺(こうえつじ)と、吉野太夫(よしのたゆう)ゆかりの常照寺(じょうしょうじ)があります(Wikipediaの「周辺」)。歩いてめぐれる距離なので、鷹峯の3つの寺をまとめて訪ねるのがおすすめです。

血天井めぐり:伏見城の血天井は、養源院(ようげんいん)・宝泉院(ほうせんいん)・正伝寺(しょうでんじ)・瑞雲院(ずいうんいん)、宇治市の興聖寺(こうしょうじ)にも伝わるとされます(tabi-mag)。

グルメ:鷹峯は静かな住宅地で、飲食店は多くありません。食事は、バスの乗りかえの北大路駅のまわりで探すと選びやすくなります。

地図:Googleマップで源光庵を開く

10. 源光庵のまとめと関連記事

この記事でわかったこと

  • 源光庵は1346年に徹翁義亨が開き、1694年に卍山道白が曹洞宗に改めた禅寺。本尊は釈迦如来と迦葉・阿難
  • 丸い「悟りの窓」は禅と円通の心と大宇宙、四角い「迷いの窓」は人の一生の四苦八苦をあらわす
  • 本堂の天井は、1600年の伏見城の戦いの跡と伝わる「血天井」

紅葉の季節に、2つの窓の前に座りに、ぜひ源光庵を訪ねてみてください。

11. ゆる仏様トーク ― 源光庵編

🍵 ゆる仏様トーク①(たとえ話)

丸い窓と四角い窓は、今でいえば「同じ景色を、2つのカメラのレンズで見くらべる」ようなものです。被写体は同じ庭。変わるのは、フレームだけ。……でも、フレームが変わると気持ちまで変わるのが、ふしぎなところです。

🍵 ゆる仏様トーク②(ツッコミ)

「師から弟子へ、まっすぐ受けつぐ形にもどしたい」。そう願って、江戸で3年、志を立ててから42年。気の長さが、ふつうではありません。──そう、正しい道を取りもどす道は、まっすぐではなかったのです。

🍵 ゆる仏様トーク③(ひとこと)

本尊の釈迦如来が、窓の前で迷っている人にかけるとしたら――

「どちらの窓の前に座ってもかまいません。見ているのは、同じ一つの庭なのですから。」

※経典の言葉ではなく、この記事の考察をもとにイメージしたセリフです。

12. 源光庵の謎 ― 悟りの窓と迷いの窓は、なぜ同じ一つの庭に向いているのか

【謎】

悟りと迷いは、ふつうは正反対のものです。それなのに源光庵では、「悟りの窓」と「迷いの窓」が同じ本堂に並び、同じ一つの庭を見ています。なぜ、別々の景色ではないのでしょうか。

【事実の整理】

① 公式サイトによると、丸い悟りの窓は「禅と円通」の心と大宇宙、四角い迷いの窓は生老病死の四苦八苦をあらわします。2つの窓はどちらも、本堂裏の同じ枯山水の庭に向いています。

② 窓をだれが、いつつくったのかは、公式サイトにもWikipediaにも書かれていません。今の本堂は1694年の建物です。

③ 公式サイトは曹洞宗の教えを、坐禅で得た心の安らぎそのものが仏の姿だと説明しています。道元は『弁道話(べんどうわ)』で、修行と悟りは一つ(修証一等〈しゅしょういっとう〉)だと説きました。

④ この寺を曹洞宗にした卍山道白は、「釈尊に還れ、祖師に還れ」と唱えた人です。大乗寺では道元の『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』を編集し、「卍山本」を残しました。

⑤ 同じ本堂の天井は、380余人が自刃した跡と伝わる血天井です。四苦の一つ「死」が、文字どおり頭の上にあります。

【私の考察】

私が注目したのは、①の「同じ庭」です。もし悟りが別の世界にあるなら、悟りの窓からは別の景色が見えるはずです。でも、見えるのは同じ庭。変わるのは、窓の形、つまり見る側の心のかたちだけです。

これは③の考え方とよく重なります。悟りは遠い場所にあるのではなく、今ここで座る、その姿の中にある。迷いの窓の前にいる自分と、悟りの窓の前にいる自分は、たった数歩しか離れていません。

そして⑤です。四角い窓が四苦八苦をあらわすなら、その「苦」の一番重いものが、天井にあります。死んだ人たちの足跡の下で、生きている私たちが窓をながめる。苦しみから目をそらさず、そのまま同じ庭を見つめる。そこに、この本堂の組み立てがあるように思えます。

④の卍山が窓をつくらせたかどうかは、わかりません(②)。ただ、道元に還れと説いた人の寺に、この窓があることは、偶然とは思えないほどよく合っています。

【結論(あくまで推測)】

2つの窓が同じ庭を見ているのは、「悟りと迷いは別の場所にあるのではなく、同じ世界の見え方のちがいだ」と伝えるためではないでしょうか。だから源光庵では、迷いの窓も、悟りの窓も、同じ本堂の、同じ畳の上にあるのです。窓の作り手と時期を記した資料は確認できていません。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?

💡 出典:①③は公式サイト「悟りの窓・迷いの窓」。②は公式サイト・Wikipedia「源光庵」に記載なし。④は公式サイト「卍山禅師『復古禅林』」とWikipedia「卍山道白」。⑤は公式サイト「伏見城遺構 血天井」。修証一等は道元『弁道話』の一般的な説明です。

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