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良源(りょうげん)は、平安時代の比叡山延暦寺のお坊さんです。命日が正月3日なので「元三大師(がんざんだいし)」と呼ばれます。おみくじの元祖、そして厄除けの「角大師(つのだいし)」として知られています。
この記事でわかること
- 良源とはだれか。火事で焼けた比叡山を立て直した「中興(ちゅうこう)の祖」
- 鏡にうつった鬼の姿が、厄除けのお札になった角大師の伝承
- 【謎】平安の良源が、亡くなって600年以上たった江戸の町で、なぜここまで身近な「大師さま」になったのか
焼けた山を立て直した一人の僧。その姿は、もう一人の「山を立て直した僧」によって、江戸の町へ運ばれていきます。
01. 良源(元三大師)の基本情報
| 分類 | 祖師(そし)。天台宗の僧・第18代天台座主(てんだいざす) |
| 読み方 | りょうげん |
| 別名 | 元三大師(がんざんだいし)・慈恵大師(じえだいし)・角大師(つのだいし)・豆大師(まめだいし)・御廟(ごびょう)大師。幼名は観音丸(かんのんまる)とも日吉丸(ひよしまる)とも伝わります(諸説あり) |
| 梵名(ぼんみょう) | なし(日本の僧のため) |
| 生没年 | 912年(延喜12年)〜985年(永観3年)1月3日 |
| 出身 | 近江国(おうみのくに)浅井郡(あざいぐん)。今の滋賀県長浜市です |
| おくり名 | 慈恵(じえ)。987年に一条天皇からおくられました。「大師」は朝廷からではなく、人々がそう呼んで広まったとされます |
| 位置づけ | 比叡山中興の祖。弟子に源信(恵心僧都)・尋禅(じんぜん)など |
| ご縁日 | 毎月3日。とくに1月3日は「初大師(はつだいし)」 |
| 真言・種子字 | 決まったものは確認できませんでした |
02. 元三大師良源とは? ― 焼けた比叡山を立て直した天台座主
① 一言まとめ
良源は、火事で焼けた比叡山を立て直し、乱れた山の決まりを正した人です。亡くなったあとは、おみくじと厄除けのお札の「大師さま」として、千年以上親しまれています。
② 由来・生涯
良源は912年、近江国の浅井郡に生まれました。母が観音菩薩に祈ってさずかった子で、幼名を「観音丸」といったと伝わります(日吉丸とする説もあります)。
12歳ごろに比叡山へのぼり、学問にはげみました。やがて右大臣の藤原師輔(ふじわらのもろすけ)の後ろだてを受け、比叡山の北の谷・横川(よかわ)を整えていきます。
966年8月、良源は第18代天台座主になりました。天台宗でいちばん上の位です。ところがなんと、その年の10月、比叡山の東塔(とうどう)で大火事がおこります。根本中堂(こんぽんちゅうどう)をのこして、講堂など31の建物が焼けてしまいました。
良源は、すぐに立て直しにとりかかります。そして972年4月、山の建物の復興をなしとげました。
970年には「二十六箇条起請(にじゅうろっかじょうきしょう)」という決まりを出しました。僧たちの乱暴をおさえ、山の秩序を守るためのものです。
985年1月3日、良源は亡くなりました。この「正月(元)の三日」が、元三大師という呼び名のもとになりました。
③ 姿の特徴
- 僧の姿(慈恵大師像):袈裟(けさ)を着て座る、おだやかな僧の姿でまつられます
- 角大師:2本の角をもつ、やせた鬼のような姿。または、眉が角のようにのびた姿でえがかれます
- 豆大師:小さな良源の姿を、1枚の紙に33体ならべたお札です。実は、正しくは「魔滅(まめ)大師」で、「豆粒のように小さいから」という説は正しくないとも言われます(Wikipedia「良源」)
03. 元三大師のご利益 ― 厄除け・魔除け・迷いの道しるべ
🩺 疫病よけ
🎋 おみくじ(道しるべ)
🌾 家内安全
- 厄除け・魔除け:角大師のお札は、家の戸口にはる厄除け・魔除けの護符として授与されています(延暦寺公式)
- 疫病よけ:鬼の姿で疫病神を追いはらったという伝承から(07)
- おみくじ(道しるべ):横川の元三大師堂は「おみくじ発祥の地」とされます(延暦寺公式)
- 家内安全:豆大師のお札は、33人の童子になって田を守った伝承から(10)
ご利益の根拠:元三大師は観音菩薩の生まれかわり(化身)と信じられてきました。とくに如意輪観音の化身とする説明が多く見られます。ご利益の多くは、この信仰と伝承にもとづくものです。
こんな人におすすめ:厄年をむかえた人。家族の健康を守りたい人。そして、進学や仕事で「どちらへ進めばいいか」迷っている人です。
04. 良源と関係の深い仏様・人物 ― 観音菩薩から天海まで
05. 元三大師をまつる寺 ― 横川・深大寺・喜多院・寛永寺
- 比叡山延暦寺・横川の元三大師堂(四季講堂。滋賀県大津市):良源の住まいだった定心房(じょうしんぼう)は、967年に村上天皇の命を受けました。そして四季に経典の講義を行う「四季講堂」になりました。良源の死後に元三大師をまつるようになり、元三大師堂とも呼ばれます。おみくじ発祥の地とされ、角大師の護符も授与されています(延暦寺公式)
- 深大寺(東京都調布市):「厄除元三大師」の名で知られる寺です。毎年3月3日・4日の厄除元三大師大祭(だるま市)でにぎわいます。くわしくは深大寺の記事へ
- 喜多院(埼玉県川越市):「川越大師」とも呼ばれ、慈恵堂に元三大師をまつります。1月3日の初大師には、だるま市が開かれます。くわしくは喜多院の記事へ
- 寛永寺・開山堂(東京都台東区):開山の天海と良源をまつるので「両大師」と呼ばれます。初建は1644年です
- 真如堂(京都市左京区):元三大師堂があり、角大師の護符を受けられます
諸堂巡拝料(東塔・西塔・横川の共通券):大人1,000円・中高生600円・小学生300円
横川の巡拝時間:3〜11月は9時〜16時、12月〜2月は9時30分〜16時
元三大師堂のおみくじは、悩みを紙に書いて僧侶と面談し、引くかどうかを決める方式と紹介されています(旅の情報サイト)。くわしくは延暦寺に確かめてください。
06. 元三大師の見分け方ガイド
✅ これがあれば元三大師かも?チェックリスト
- □ 2本の角があり、やせた体の鬼が座っているお札(角大師)
- □ 小さな僧の姿が、たくさん(33体)ならんだお札(豆大師)
- □ 「慈恵大師」「元三大師」「御廟大師」の名がある
- □ 天台宗のお寺の「大師堂」「慈恵堂」にまつられている
まちがえやすい「大師」とのちがい
07. 元三大師の物語 ― 鏡にうつった鬼(角大師の伝承)
良源が73歳のころのことと伝わります。夜おそく、良源がひとり瞑想(めいそう)していると、あやしい気配がただよってきました。
「何者だ」。そう問うと、あらわれたのは疫病神(やくびょうがみ)でした。「流行り病(はやりやまい)にかからせるために来た」と言うのです。
良源は、疫病神に小指を出させました。そして秘法で、病を体から追いはらいます。疫病神は逃げていき、良源はすぐに元気になりました。
それから良源は、弟子に鏡を持ってこさせました。鏡の前で瞑想すると、うつる姿がだんだん変わっていきます。2本の角をもつ、骨ばかりの鬼の姿に。
弟子たちはおそろしくて、顔をふせてしまいました。ただ一人、明普(みょうふ)阿闍梨(あじゃり)という弟子だけが、その姿を絵に写しとりました。
良源はその絵を版木にほらせ、お札をすらせました。そして「家々の戸口にはりなさい」と言って、ふもとの村に配らせたのです。お札をはった家は、疫病からのがれたと伝わります。
──そう、病を追いはらう力は、やさしい僧の顔ではなく、鬼の顔の中にあったのです。
この話で私がいちばん心ひかれるのは、良源が「自分の鬼の顔」を人に配ったことです。こわい顔を見せることも、人を守るためならいとわない。千年たった今も戸口にはられる角大師は、そんな覚悟のしるしなのかもしれません。
08. 良源のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
- 良源は、966年の大火で焼けた比叡山を立て直した第18代天台座主
- 命日の1月3日から「元三大師」と呼ばれ、角大師・豆大師の厄除けのお札で親しまれている
- おみくじと天海、豆大師と寛永年間の伝承が江戸時代に語られ、天海のいた寛永寺・喜多院でも大切にまつられている
お正月におみくじを引くとき、その言葉の向こうにいる、千年前の比叡山の僧のことを思い出してみてください。
09. ゆる仏様トーク ― 元三大師編
良源は、今でいえば「火事で焼けた会社を6年で立て直し、社内ルールも作りなおした社長」です。しかも亡くなったあとは、その会社の「おみくじ係」と「警備係」として、千年はたらきつづけています。
やさしいお坊さんのお札かと思ったら、戸口から見下ろしているのは角の生えた鬼。初めて見た人は、ちょっとびっくりします。──そう、悪いものを追いはらうには、悪いものよりこわい顔が必要だったのです。
元三大師が、おみくじを引く人に声をかけるとしたら――
※良源の言葉そのものではありません。元三大師堂のおみくじが吉凶ではなく行動の指針とされることをもとに、イメージしたセリフです。

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