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【仏様図鑑】天親(てんじん)-世親菩薩、舌を切ろうとした唯識の大学者と浄土論の謎

(写真準備中)

興福寺北円堂の世親菩薩立像の写真(準備中)

天親(てんじん)=世親(せしん)は、4世紀ごろのインドの学僧です。心の学問「唯識(ゆいしき)」を大成し、『浄土論』で浄土真宗の七高僧の第二祖にもなりました。

この記事でわかること

  • 天親(世親)とはだれか。兄の無著とならぶ唯識の大学者
  • 大乗をそしった自分の舌を切ろうとして、兄に止められた話
  • 【謎】心の学問の大学者が、なぜ阿弥陀如来への短い詩を書いたのか

奈良・興福寺北円堂の世親像。その口もとは、何を語ろうとしているのでしょうか。

01. 天親(世親菩薩)の基本情報

天親(てんじん)・世親(せしん)基本情報
分類 祖師(そし)。インドの大乗仏教の論師(ろんじ。教えを論書にまとめた学僧)
読み方 てんじん(天親)/せしん(世親)
別名 天親菩薩・世親菩薩・婆藪槃豆(ばそばんず)
梵名(ぼんみょう) ヴァスバンドゥ(Vasubandhu)
生没年 300〜400年ごろ(4世紀ごろ)の人とされます。伝えにより年代はさまざまで、諸説あり。80歳で亡くなったと伝わります
出身 プルシャプラ(今のパキスタン・ペシャーワル)
兄弟 三人兄弟の次男。兄は無著(むじゃく。アサンガ)
おもな著作 『倶舎論(くしゃろん)』『唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)』『唯識二十論』『浄土論』など
位置づけ 浄土真宗の七高僧の第二祖。法相宗(ほっそうしゅう)では唯識の祖師として重んじられます
真言 決まったものは確認できませんでした
種子字 決まったものは確認できませんでした
ご縁日 決まったものは確認できませんでした
💡 出典:Wikipedia「世親」、真諦(しんだい)訳『婆藪槃豆法師伝(ばそばんずほっしでん)』。「世親」は玄奘の訳から広まった名前で、それより前は「天親」と訳されることが多かったとされます。浄土真宗では「天親菩薩」とよびます。

02. 天親(世親)とは? ― 部派の大学者から、唯識の大成者へ

① 一言まとめ

天親は、「わたしたちが見ている世界は、心がつくり出したもの」という唯識の教えをまとめた大学者です。そのうえで、阿弥陀如来の国に生まれたいと願う詩『浄土論』も書きました。

② 由来・生涯

天親は、インド北西部のプルシャプラに生まれました。名前の「婆藪(ばそ)」は天、「槃豆(ばんず)」は親と訳されます(『婆藪槃豆法師伝』)。これが「天親」という訳名のもとです。

天親は、はじめ「説一切有部(せついっさいうぶ)」という部派(ぶは。初期の仏教の学派)で学びました。そこで有部いちばんの学者として名を知られます。その学問をまとめた本が『倶舎論』です。

その後、兄の無著のすすめで、大乗仏教に転じました(くわしくは07の物語)。無著が亡くなったあと、天親は大乗のお経や論書の注釈を次々に書きます。『唯識三十頌』『唯識二十論』も、このころの著作です(Wikipedia)。

天親の学問は、中国で玄奘らに受けつがれ、日本の法相宗のもとになりました。一方で、菩提流支(ぼだいるし)が漢訳した『浄土論』は、曇鸞(どんらん)の注釈を通じて浄土の教えを支えます(Wikipedia「浄土論」)。

天親は、阿緰闍国(あゆじゃこく)で80歳で亡くなったと伝わります(『婆藪槃豆法師伝』)。

③ 姿の特徴

  • 興福寺北円堂の世親菩薩立像:寄木造(よせぎづくり)の立像です。像高は191.6cm(興福寺公式)とされ、190.9cmとする資料(nippon.com・東博の特別展)もあります。壮年の顔つきで、左足を少し前に出しています(nippon.com)
  • 七高僧の一人として:浄土真宗のお寺の七高僧の絵では、龍樹の次に置かれる僧の姿でえがかれます

03. 天親(世親)のご利益 ― 学問・心の安らぎ・極楽往生

📚 学業・研究
🧘 心をととのえる
🪷 極楽往生
🗣️ 言葉の失敗のやり直し
  • 学業・研究:『倶舎論』は、のちの仏教の基礎の教科書として長く学ばれました
  • 心をととのえる:唯識は、心のはたらきを見つめる教えです
  • 極楽往生:『浄土論』で、阿弥陀如来の国に生まれたいと願いました
  • 言葉の失敗のやり直し:そしった舌で教えを説き直した話(07)から、筆者が選んだものです

ご利益の根拠:天親に決まったご利益があると書いた資料は、確認できませんでした。ここでは、その著作と伝記から紹介しています(筆者の見方)。

こんな人におすすめ:試験や研究に向き合う人。言いすぎてしまった言葉を、これからの言葉でつぐないたい人です。

04. 天親と関係の深い仏様・人物 ― 無著・弥勒から曇鸞・親鸞まで

無著(むじゃく)天親の兄。弟を大乗へみちびいた唯識の大学者です
弥勒菩薩(みろくぼさつ)無著に教えを説いたと伝わる菩薩。北円堂の本尊は弥勒如来です
龍樹(りゅうじゅ)七高僧の第一祖。天親の前に置かれます
曇鸞(どんらん)七高僧の第三祖。『浄土論』の注釈『往生論註』を書きました
玄奘(げんじょう)天親の唯識の本を漢訳し、「世親」の訳名を広めました
親鸞(しんらん)その名の「親」は天親から、「鸞」は曇鸞からとされます(諸説あり)
💡 親鸞は、吉水の法然のもとで「綽空(しゃっくう)」、のちに「善信(ぜんしん)」、そして「親鸞」と名のったとされます(名のりの順番や時期には説が分かれます)。綽空は道綽と源空(法然)、善信は善導と源信、親鸞は天親と曇鸞から一字ずつとった、と説明されます(Wikipedia「親鸞」の注。出典の確認が求められている説明です)。一人の名の中に、七高僧が受けつがれているのですね。
💡 同じ人に二つの名前がある話は、龍樹(龍猛)の記事でもくわしく紹介しています。

05. 天親(世親)に出会える寺 ― 興福寺北円堂と七高僧の絵

  • 興福寺(奈良市)北円堂:本尊の弥勒如来坐像の左右に、無著・世親の菩薩立像(ともに国宝)が立ちます。鎌倉時代の1212年ごろ、運慶の指導で作られ、世親像は運賀(うんが)の担当とされます(nippon.com ほか)。北円堂はふだん非公開で、春と秋の一定期間に公開されます(興福寺公式の案内の抜粋による)。2026年の日程は、公式サイトで確認できませんでした。くわしくは興福寺の記事へ
  • 西本願寺(京都市下京区):浄土真宗本願寺派の本山です。阿弥陀堂に七高僧の影像(えいぞう。肖像画)がまつられます。くわしくは西本願寺の記事へ
  • 東京国立博物館:2025年9月9日〜11月30日の特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」で、無著・世親像が東京で公開されました(会期は終了)
  • ペシャーワル(パキスタン):天親が生まれたプルシャプラの地です
💡 浄土真宗のお寺やお仏壇の『正信偈(しょうしんげ)』にも、天親の名が出てきます。拝観の時間や公開の有無は、それぞれのお寺に確かめてください。

06. 天親(世親)の見分け方ガイド

✅ これがあれば世親像かも?チェックリスト

  • □ 北円堂で、弥勒如来の左右に立つ2体の僧の像のうち、壮年の顔つきのほう
  • □ 左足を少し前にふみ出している
  • □ 七高僧の絵で、龍樹のすぐ次に置かれている
  • □ 名札や題に「天親菩薩」「世親菩薩」とある

まちがえやすい人とのちがい

  • 無著とのちがい:無著像は老いた顔つきで、右足を前に出し、経を入れる箱(宝篋〈ほうきょう〉)を手にしています。世親像は壮年で、左足を前に出します(nippon.com)
  • 龍樹とのちがい:七高僧の絵でならぶ二人のインドの祖師です。龍樹が第一祖、天親が第二祖です。名札で確かめましょう

07. 天親の物語 ― 「その舌で、こんどは説きなさい」

天親がまだ大乗仏教を信じていなかったころのことです。天親は、すぐれた学者であるだけに、大乗の教えをするどく批判していました。

そのころ、兄の無著は丈夫国(じょうぶこく)にいました。無著は、阿緰闍国にいる弟へ使いを送ります。

「我今疾篤。汝可急來。」
(わたしは今、病が重い。急いで来なさい。)

天親はあわてて兄のもとへかけつけ、病のわけをたずねました。兄は答えます。

「我今心有重疾。由汝而生。」
(わたしの心の重い病は、おまえのせいで生まれたのだ。)

弟が大乗をそしっていることが、兄の「病」だったのです。天親はおどろいておそれます。そして、大乗の教えを説いてほしいとたのみました。兄は、大乗の大切なところを手短に説きました。

天親は、自分がまちがっていたと気づきます。そして言いました。

「我昔由舌故生毀謗。今當割舌以謝此罪。」
(わたしは以前、この舌で大乗をそしった。いま、この舌を切って罪をわびよう。)

すると兄は、こう止めたのです。

「汝舌能善以毀謗大乘。汝若欲滅此罪。當善以解說大乘。」
(おまえの舌は、たくみに大乗をそしった。罪を消したいなら、その舌でたくみに大乗を説きなさい。)

天親は舌を切りませんでした。兄が亡くなったあと、天親は大乗のお経の注釈を次々に書いていきます。

──そう、天親のつぐないは、口を閉じることではありませんでした。同じ口で、こんどは語りつづけることだったのです。

📖 出典:真諦訳『婆藪槃豆法師伝』(中国語版ウィキソースの原文で確認)。訳は筆者がやさしくしたものです。伝記は伝承をふくみます。

08. 天親(世親)のまとめと関連記事

この記事でわかったこと

  • 天親(世親)は、『倶舎論』と唯識の大学者で、浄土真宗の七高僧の第二祖
  • 兄の無著に「その舌で大乗を説きなさい」と止められ、大乗の論書を書きつづけた
  • 『浄土論』は、曇鸞の注釈を通じて親鸞まで受けつがれた

北円堂で世親の像に会えたら、その口もとを見てみてください。舌を切るかわりに、語りつづけることを選んだ人の顔です。

09. ゆる仏様トーク ― 天親(世親)編

🍵 ゆる仏様トーク①(たとえ話)

天親は、今でいえば「ライバル校の教科書をばっさり批判していた名物教授が、兄に説得されて転校し、その学校の教科書をいちばん多く書いた人」です。しかも、最初の学校で書いた教科書(『倶舎論』)も、名著として読まれつづけました。

🍵 ゆる仏様トーク②(ツッコミ)

兄の手紙は「病が重い、すぐ来い」。かけつけた弟に待っていたのは、看病ではなく大乗の講義でした。しかも伝記では、兄みずから「心の病はおまえのせい」と言っています。──そう、いちばんの薬は、弟が考えを改めることだったのです。

🍵 ゆる仏様トーク③(ひとこと)

天親が、言いすぎて落ちこんでいる人に声をかけるとしたら――

「口を閉じなくていい。こんどは、その口でほめてごらん。」

※天親の言葉そのものではありません。07の兄・無著の言葉をもとに、イメージしたセリフです。

10. 天親(世親)の謎 ― 唯識の大学者は、なぜ「一心に帰命する」詩を書いたのか

【謎】心のしくみを論じた唯識の大学者が、なぜ阿弥陀如来への短い詩『浄土論』を書き、浄土の祖師になったのか
【事実の整理】
① 天親は、部派の『倶舎論』から、大乗の『唯識三十頌』まで、多くの論書を書きました。仕事のはばが広すぎて、「世親は二人いた」という説(フラウヴァルナーの二人世親説)まで出たほどです。ただし今は、この説は否定的に見られています(Wikipedia「世親」)。
② 『浄土論』の正式名は『無量寿経優婆提舎願生偈(むりょうじゅきょううばだいしゃがんしょうげ)』です。詩(偈〈げ〉)と、その説明(長行〈じょうごう〉)からなります(Wikipedia「浄土論」)。
偈は「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国」で始まります。「世尊よ、わたしは一心に(心をひとつにして)、阿弥陀仏に帰命し(きみょう。身も心もまかせ)、その国に生まれたいと願います」という意味です。
③ 『浄土論』は、極楽に生まれる行いとして「五念門(ごねんもん)」を説きます。礼拝(らいはい)・讃嘆(さんだん)・作願(さがん)・観察(かんざつ)・回向(えこう)の5つです。作願は「奢摩他(しゃまた。心をしずめること)」を、観察は「毘婆舎那(びばしゃな。ありのままを見ぬくこと)」を、ほんとうに修めるための行いと説かれます。そして讃嘆は、「口業讃嘆。稱彼如來名」、つまり口の行いで仏をほめ、その名をとなえることとされます(『浄土論』原文。英語版Wikipedia「Discourse on the Pure Land」も参照)。
④ 天親が属した学派は「瑜伽行派(ゆがぎょうは)」とよばれます。名前のとおり、瑜伽(ヨーガ)の行、つまり心をしずめて見つめる修行を重んじた学派です。
⑤ 天親は、大乗をそしった舌を切ろうとして、兄に「その舌で大乗を説きなさい」と止められたと伝わります(07)。
【私の考察】
天親にとって『浄土論』は、唯識をやめて別の教えにうつった本ではなかった、と私は考えます。むしろ、唯識の大学者だからこそ書けた本ではないでしょうか。
まず、詩の最初の言葉は「一心」です(②)。心のしくみを一生かけて見つめた人が、仏に向かうときの自分の心を、いちばん初めに置いたのです。
次に、五念門の中心には、奢摩他と毘婆舎那という、瑜伽行派の修行の言葉がならびます(③④)。天親は、心をしずめて見つめる自分たちの修行の言葉で、阿弥陀如来の国を見る道を書いたのかもしれません。
そして五念門には、はっきり「口の行い」と書かれた「讃嘆門」があります(③)。かつて舌でそしった人が、兄の言葉どおり、こんどは舌でほめる(⑤)。五念門の2つ目は、あの日の約束のつづきのようにも見えます。
【結論(あくまで推測)】
天親が『浄土論』を書いたのは、唯識からはなれたからではなく、「心を見つめる学問」と「口でほめる約束」の両方を、阿弥陀如来へ向けたからではないか。「二人いた」と言われるほど広い仕事は、一人の心と一枚の舌でつながっていたのかもしれません。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?
💡 出典:①はWikipedia「世親」、②はWikipedia「浄土論」、③は『浄土論』の原文と英語版Wikipedia「Discourse on the Pure Land」、⑤は『婆藪槃豆法師伝』。讃嘆門と舌の話を結びつける読み方は、筆者の考察です。

11. 天親(世親)データベース早見表

項目 内容
分類 祖師(インドの大乗仏教の論師)
読み方 てんじん(天親)/せしん(世親)
梵名 ヴァスバンドゥ(Vasubandhu)
生没年 300〜400年ごろの人とされる(諸説あり)。80歳で没と伝わる
兄 無著(アサンガ)
おもな著作 『倶舎論』『唯識三十頌』『唯識二十論』『浄土論』
位置づけ 浄土真宗の七高僧の第二祖・唯識の大成者
真言・種子字・ご縁日 決まったものは確認できず
主なご利益(著作と伝記から) 学業・研究・心をととのえる・極楽往生(筆者の見方)
出会える場所 興福寺北円堂(国宝の世親菩薩立像)・西本願寺(七高僧の影像)

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