神 様 図 鑑
おとよのみこと 乎止与命
初代尾張国造・建稲種命と宮簀媛命の父神 / 倭建命の東征を支えた尾張の大国造 / 熱田神宮・上知我麻神社に鎮まる尾張氏の始祖
基本情報
乎止与命は名古屋・尾張の歴史の出発点に立つ神様です。「国造本紀」では成務天皇の御代に尾張国造に定められたと伝わる。熱田神宮を生んだ宮簀媛命(No.093)・倭建命東征の副将軍・建稲種命という二人の英雄の父神として、尾張国の礎を築いた初代国造という偉大な役割を担った神です。熱田神宮境内摂社・上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)に御祭神として祀られており、名古屋在住者なら熱田神宮参拝のたびに縁を持てる距離にいます。また尾張国造の領域内の古墳の分析から、白鳥塚古墳が初代国造の乎止与命を埋葬したものと見られる。この白鳥塚古墳は名古屋市守山区(しだみ古墳群の一部)にあり、乎止与命の「眠る地」を現代も訪れることができます。
① 名前と出典
| 正式名称 |
乎止与命(おとよのみこと)上知我麻神社社伝・熱田太神宮縁記・各種尾張国内古文献 表記の揺れが多い神名で、文献によって以下のように異なる: |
|---|---|
| 各文献の表記 |
小止与命(こどよのみこと)先代旧事本紀・国造本紀 小止與命・小登與命勘注系図 小豊命(おとよのみこと)新撰姓氏録(弘仁6年・815年) 乎止與命尾張氏系図(徳川宗敬氏寄贈写本)・上知我麻神社ほか尾張国内古文献 |
| 名前の意味 |
「乎(お)」——「小(お)」という美称・謙称。古代では「小」は小さいという意味ではなく、若々しい・生命力旺盛という意味の美称として用いられた。「小止与(おとよ)」とも「小豊(おとよ)」とも書かれることから、「おとよ」という音が本来の名前の音であり、「豊(とよ)」は「豊かな・力強い」という意味を持つと解釈できる。 「止与(とよ)」——「豊(とよ)」と同音。豊かさ・力強さ・豊饒を意味する。「豊(とよ)命」=「豊かな命(みこと)」という読み方もできる。 |
| 初出文献 | 先代旧事本紀(天孫本紀・国造本紀)——平安時代初期成立。国造本紀に「小止与命、成務天皇の御代に、天下に定められ尾張国造となった」という記述がある。天孫本紀では尾張氏の系譜上の「十一世孫」として位置づけられる。先代旧事本紀(天孫本紀・国造本紀)・新撰姓氏録・勘注系図 |
| 神様の種類 |
尾張氏系・国津神——天火明命(天孫系)の十一世孫として初代尾張国造に任命された古墳時代の豪族神 尾張国造の祖であり、日本武尊妃である宮簀媛の父神とされる人物。記紀にその名は記されず、実在したという確証は無し。また実在したとすれば尾張氏の起点となる重要人物であるにもかかわらず、事蹟等が記載される文献は見当たらない。 |
② 文献別の記録状況
乎止与命は複数の文献に登場するが、それぞれ表記が異なる。古事記・日本書紀には名がなく、先代旧事本紀・新撰姓氏録・勘注系図・各地の社伝にのみ記録される。これほど表記が揺れる神名は珍しく、「後世の編纂者が異なる音写(おとよのみこと)を採用したため」または「複数の人物・伝承が統合されたため」とする解釈がある。
| 文献・資料 | 成立年代 | 記載 | 神名の表記・内容 |
|---|---|---|---|
| 古事記 | 712年 | 記載なし | 宮簀媛命(美夜受比売)は登場するが父神・乎止与命への言及はない |
| 日本書紀 | 720年 | 記載なし | 宮簀媛は「尾張の国の宮簀媛」とのみ記され、父神の記述はない |
| 先代旧事本紀 (天孫本紀) |
平安初期 | 記載あり | 「小止与命」——天火明命の十一世孫として系譜に記録。真敷刀俾命を妻として建稲種命を生んだと記す |
| 先代旧事本紀 (国造本紀) |
平安初期 | 記載あり | 「小止与命、成務天皇の御代に尾張国造に定められた」——成務天皇朝(4世紀前後)に初代尾張国造として公式任命されたと記す |
| 新撰姓氏録 | 815年 | 記載あり | 「小豊命」——天孫系の尾張連の系譜に記録。「河内国 神別天孫 尾張連」の項に登場する |
| 勘注系図 (かんちゅうけいず) |
平安期 | 記載あり | 「小止與命・小登與命」——籠神社(天橋立)の海部氏が作成した系図にも同系譜の人物として記録される |
| 上知我麻神社 社伝・尾張国内文献 |
各時代 | 御祭神として祀る | 「乎止與命」——熱田神宮境内摂社・上知我麻神社(通称:源太夫社)の御祭神として現在も祀られる |
③ 尾張氏の系譜における位置づけ
④ 活躍した時代
「国造本紀」では成務天皇の御代に尾張国造に定められたと伝わる。成務天皇(せいむてんのう・第13代)の時代は古墳時代の前期〜中期(3〜4世紀頃)とされ、各地の豪族が「国造(くにのみやつこ)」として大和政権から正式に地方統治を委任された時代に相当する。これら尾張の古墳の築造時期や形式から、白鳥塚古墳が初代国造の乎止与命を埋葬したものと見られる。
祀られる神社・縁の地
神話・史実・研究上の論点
「成務天皇の御代に尾張国造に定められた」——国造本紀が語る乎止与命の任命
先代旧事本紀・国造本紀には「小止与命、成務天皇の御代に、天下に定められ尾張国造となった」という記述がある。「国造(くにのみやつこ)」とは大和政権が地方豪族に与えた地方行政の長の称号で、乎止与命が初代の尾張国造に任じられたということは「大和政権が尾張という地を公式に統治範囲に組み込み、その代表として乎止与命を認めた」ことを意味する。成務天皇の時代に全国各地で「国造の制度」が整備されたとされており、乎止与命の任命はその全国的な流れの一部であった。尾張国造乎止与命の子・建稲種命は倭建命(第12代景行天皇の皇子)の東征に副将軍として随伴し軍功を上げた。妹の宮簀媛は東征の還路に尾張の地で娶られ、そのときに預かった草薙剣を奉納し熱田社を建てたとある。
「乎止与命=日本武尊」同一神説——大胆な解釈が語る熱田神宮神話の謎
乎止与命について、実在したという確証は無し。また実在したとすれば尾張氏の起点となる重要人物であるにもかかわらず、事蹟等が記載される文献は見当たらず、出自はベールに包まれており多くの説が出されている。その中に「乎止与命=日本武尊(倭建命)」同一神説がある。古事記・日本書紀では「倭建命(父)→宮簀媛命(妻)」という関係が描かれるのに対し、先代旧事本紀系の文献では「乎止与命(父)→宮簀媛命(娘)」という関係が描かれる。「宮簀媛命の父神」を日本武尊の別名・別側面として解釈したのが同一神説の核心で、「父と義父(妻の父)が混同・融合したのではないか」という説も提唱されている。確証はないものの、この問いは熱田神宮の神話の起源に直接関わるため、古代史研究者が今も注目し続けている論点である。
白鳥塚古墳——乎止与命が眠るとされる名古屋市守山区の前方後円墳
尾張国造の領域で最古の古墳はいくつか確認されており、これら尾張の古墳の築造時期や形式から白鳥塚古墳が初代国造の乎止与命を、尾張戸神社古墳が乎止与命の妻(真敷刀俾命と推定)を、東之宮古墳が次代国造の建稲種命を、兜山古墳が美夜受比売(宮簀媛命とも)をそれぞれ埋葬したものと見られる。誰の墓なのかは正確にはわかっていないが、おそらく尾張国造の乎止与命と推定している。前方後円墳を造ることを許されたということは、大和王権と繋がっていたということ。白鳥塚古墳は名古屋市守山区・しだみ古墳群の中核をなす国史跡であり、現在も歴史の里しだみ古墳群ミュージアムとして一般公開されている。「乎止与命の眠る古墳を訪れる」という神社めぐりとは異なる視点の史跡探訪も、名古屋在住者にはぜひ体験してほしい。
逸話・エピソード
上知我麻神社は長く「源太夫社(げんだゆうしゃ)」という通称で地域に知られてきた。この剣を投げ社地を定めた石井源太夫(いしいげんだゆう)は尾張国の蓬莱島に宮地が有り、そこに祭られる尾張国造小豊命であるとも有る。尾張国の熱田神宮、境内摂社の上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)は通称源太夫社と呼ばれ、祭神は『先代旧事本紀』に尾張国造と記される乎止與命である。「剣を空に投げてその落ちた地を社地と定めた」という神社の縁起譚は日本各地に見られる古い形式であり、乎止与命がこの地域の神社の鎮座地を「剣を投げて定めた」という伝説が上知我麻神社の起源に結びついている。「源太夫」という通称が長く使われてきた背景には、地元で乎止与命を「源(みなもと)の大夫(たゆう)=この地の創始者の大人」として崇敬していた民間信仰の根強さが見える。
乎止与命と真敷刀俾命(ましきとべのみこと)の結婚は、単なる「夫婦の縁」以上の政治的・歴史的意義を持つ出来事として研究者に注目されている。乎止与命は「天火明命(尾張氏の天孫系始祖)の十一世孫」——つまり大和から来た天孫系の血を引く氏族の子孫。一方、真敷刀俾命の父・尾張大印岐(おわりのおおいみき)は濃尾平野の先住の有力豪族(稲置=いなぎ)の系統。海部氏系(≒尾張氏の別姓)の乎止与命が尾張の先住者としての尾張大稲城族に入婿することで出雲系の祀りをやめ、天火明命を祖とする祀りに変えている。尾張国造は、大国主系尾張大稲置の財政的基礎の上に、天火明系海部氏の出自と主権を奉じて創始されたものと考えることができる。この縁組によって「天孫系の霊統(乎止与命)」と「尾張土着の経済力(尾張大印岐)」が合体し、濃尾平野を支配する強大な尾張国造の基盤が生まれたのだという。
倭建命(やまとたけるのみこと・No.081)の東征は、景行天皇の命による関東・東北方面への征討。尾張国造乎止与命の子・建稲種命は倭建命(第12代景行天皇の皇子)の東征に副将軍として随伴し軍功を上げた。妹の宮簀媛は東征の還路に尾張の地で娶られ、そのときに預かった草薙剣を奉納し熱田社を建てたとある。この東征を可能にした背景には、乎止与命が「尾張国造として倭建命に対し息子(建稲種命)を副将軍として提供し・娘(宮簀媛命)を妃として捧げる」という全面的な支援があった。乎止与命は倭建命を直接もてなし草薙剣を預かる役を担った宮簀媛命の父として、倭建命東征という大和政権の一大事業を尾張の地から支えた。「子供たちを歴史の渦中に送り出した父神」という乎止与命の静かな存在感は、熱田神宮の神話を理解する上で欠かせない視点のひとつ。
ご利益
初代尾張国造として濃尾平野を開拓し・倭建命東征を子供たちを通じて支えた乎止与命は、開拓・国土守護・家族守護・子の活躍への守護という神格を持ちます。熱田神宮境内の上知我麻神社(乎止与命)と下知我麻神社(妻神・真敷刀俾命)を合わせて参拝することで縁結び・夫婦円満のご利益も得られます。

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