神 様 図 鑑
おわりはりなねのむらじのみこと 尾治針名根連命
天火明命の十四世孫・尾張氏の氏神 / 式内社・針名神社(名古屋市天白区)の主祭神 / 1万2000坪の広大な杜に静かに鎮まる尾張の始祖の神
基本情報
尾治針名根連命は名古屋市天白区平針に鎮座する針名神社(はりなじんじゃ)の主祭神として、1100年以上にわたって地域を守護してきた尾張の神様です。針名神社は名古屋市内でも有数の規模を誇る1万2000坪の広大な杜に囲まれた神社。名古屋市内でこれほど広大な鎮守の杜を持つ神社は少なく、境内に足を踏み入れると都市の喧騒が消え深い森の静寂に包まれます。尾張氏は大和政権とかかわりが深く、孝昭天皇・崇神天皇・継体天皇や日本武尊といった皇族(王族)に妃を輩出し、全国の国造家の中でも屈指の勢力を誇った氏族。その尾張氏の氏神として「尾張の始祖の御社」とも呼ばれます。
① 名前と出典
| 正式名称 |
尾治針名根連命(おわりはりなねのむらじのみこと)先代旧事本紀・針名神社社伝・針綱神社由緒 尾治針名根連(おはりはりなねのむらじ)・尾治針名連(おはりはりなのむらじ)とも表記される。江戸後期の神祇宝典にも「針名根連」として記録が残る。延喜式神名帳・神祇宝典 |
|---|---|
| 名前の意味 |
「尾治(おわり)」——尾張国の古称。尾張氏の氏族名そのもの。「尾(お)」は丘・峰、「張(はり)」は広がるという意味ともされ、尾張丘陵が広がる地形を指す。 「針名(はりな)」——「針(はり)」は針・槍の意味とも、地名「平針(ひらはり)」の語源とも解される。「名(な)」は名声・神名の語尾。平針(現在の名古屋市天白区)という地名との深い関係を示す神名。 「根(ね)」——神名に使われる「根」は根本・根幹という意味で、「この神が尾張の根幹・始祖」であることを示す敬称。大国主命の別名「大己貴命(おおなむちのみこと)の根の国」の「根」と同源。 「連(むらじ)」——古代の姓(かばね)の一種で、天皇家に近い高い氏族に与えられた称号。「大連(おおむらじ)」は朝廷の要職にも任じられた最高位の氏族を示す。 |
| 初出文献 | 先代旧事本紀(天孫本紀)——尾張氏の系譜の一部として「尾治針名根連命」の名が記録されている。また延喜式(927年)の神名帳に「従三位・針名天神(はりなてんじん)」として針名神社が記載されており、そこから祭神が「針名根連」であることが後世の研究で確定された。先代旧事本紀・延喜式神名帳 |
| 神様の種類 |
尾張氏系・国津神——天火明命(天孫神)の子孫として「尾張の地を守った国造家の神」 主祭神の尾治針名根連命は、尾張氏の祖先神で尾張国一宮の真清田神社の祭神でもある天火明命の十四世孫にあたるとされ、父の尾綱根命とともに犬山市の針綱神社にも祀られている。天孫系の血を引きながら尾張の地に深く根ざした、「天孫と土着の接点にある氏族神」という神格。 |
② 尾張氏の系譜における位置づけ——天火明命から十四世代の系譜
先代旧事本紀によれば、天火明命から尾張氏の系譜は十四世代を経て尾治針名根連命に至る。宮簀媛命(No.093・熱田神宮創建)は尾治針名根連命の「大叔母の子(父・尾綱根命の大叔母にあたる)」という関係にある。つまり熱田神宮を創建した宮簀媛命よりも数世代後の人物として尾治針名根連命は尾張の地に生きた。尾張氏の一派はのちに熱田神宮大宮司を代々務める系譜に続く。
③ 活躍した時代
古墳時代にこの地(尾張丘陵)を治めた尾張氏は大和政権とかかわりが深く、孝昭天皇・崇神天皇・継体天皇や日本武尊といった皇族に妃を輩出し、全国の国造家の中でも屈指の勢力を誇った。尾治針名根連命はこの全盛期の後半にあたる時代の人物と推定される。現在の針名神社の境内に隣接して古墳が発見されており、一族の墓と推定されている。
祀られる神社
神話・伝説・史実
延喜式「従三位・針名天神」——10世紀初頭に国家公認された尾張の格式ある古社
針名神社の創建は古く、延喜式神明帳の従三位・針名天神の記載により今から約千百年以上前と推察できる。延喜式とは延喜五年(905年)に醍醐天皇の命により編纂が開始された「養老律令」の施工細則を集大成した全五十巻に及ぶ古代法典であって、この延喜式の第九巻・十巻に記載されている神社のことを式内社と呼ぶ。「従三位」という位階は現代で言えば副大臣クラスに相当する高い格式であり、平安時代の朝廷がこの神社を「尾張国の重要な神社」と公式に認定していたことを示している。式内社として記載されている神社は全国に2861社あるとされ、針名神社はその中でも特に高い格式を与えられていた。
備前国にも「尾治針名神社」——尾張氏の広域支配が残した全国への痕跡
延喜式神名帳に愛知郡に「針名神社」、備前国御野郡に「尾治針名眞若比女神社」がある。これは尾張氏(おわりうじ)が現在の名古屋・愛知県だけでなく、遠く岡山県(備前国)にまで勢力圏を持ち、その地に「尾治針名」を冠する神社を勧請していたことを示す。尾張氏の一族が濃尾平野だけでなく瀬戸内にまで展開していたことが、この神社名から読み取れる。古代においていかに尾張氏が広域にわたる影響力を持っていたかを物語る興味深い史実である。
「針名神社の本来の場所」論争——平針に移転する前、この神社はどこにあったのか
江戸前期まで現在地北西の天白川左岸の「元郷」という地にあったのが、1612年(慶長17年)に徳川家康の命で駿河街道の整備に伴い平針村ごと南へ移った時に当社も現在地に移転したという。現在も旧地の平針一丁目付近には「神田」などの地名が残るが、これは当社の神田があったことによる。また、天野信景が当社を延喜式神名帳に記載のある尾張国愛知郡「針名神社」に比定したが、その根拠は所在地が愛知郡平針村で「針」の字が共通している点によるのみであり、江戸後期の郷土史家・津田正生はこれを批判し、本来の「針名神社」は中村区烏森町の天神社ではないかとした。「どちらが本来の式内・針名神社なのか」という論争は現在も決着がついていない。
逸話・エピソード
針名神社の拝殿・祝詞殿の天井には、平成30年(2018年)の御屋根替えを機に奉納された、圧巻の天井絵が広がっている。篤志家のご奉納により京都の宮絵師による247枚(祝詞殿77枚・拝殿170枚)にもおよぶ天井絵を取り付けた。四隅には四方の方位を護る四神を配した。なじみ深い植物の絵を中心に全体の約1/3を薬草をモチーフとしていて、華やかな雰囲気で目を楽しませるだけでなく、健康や長寿や様々な願いをさらに強くするそんな願いが込められている。神社本殿の天井に247枚もの絵が敷き詰められるのは全国的にも珍しく、参拝者が「天井ばかり見上げてしまう」と話すほどの迫力がある。薬草をモチーフにした天井絵は「病気平癒」というご利益とも深く結びついており、針名神社が「病気を治すご利益でも有名」とされる理由のひとつとなっている。
先代旧事本紀・尾張氏の系譜に関する記録には、「品太天皇の御世、尾治連の姓を賜い、大臣大連となし」という記述が伝わる。品太天皇(ほむたてんのう)とは第15代・応神天皇のこととされ、「大連(おおむらじ)」とは朝廷の行政の最高位を示す官職——つまり尾張氏の一族は応神天皇の時代に「大連」という朝廷の要職に就いていたということになる。尾治針名根連命の「連(むらじ)」という称号はまさにこの「連(むらじ)姓」の氏族であることを示している。「全国の国造家の中でも屈指の勢力」と評される尾張氏の政治的地位の高さが、神名そのものに刻まれている。
壬申の乱(672年)では海部氏に養育された大海人皇子(のちの天武天皇)へ私邸や資金を提供するなど全面的に支援し、彼の第40代天武天皇の誕生に格段の功績を上げている。壬申の乱は天武天皇(大海人皇子)と大友皇子が皇位を争った古代日本最大の内乱。尾張氏(海部氏を含む系譜)はこの重大な歴史の転換点で勝利した側(天武天皇)を支援し、その後の律令国家形成に貢献した。尾治針名根連命はこの壬申の乱より数世代前の人物と推定されるが、尾治針名根連命が守った尾張の地が後世に日本の歴史を動かす重要拠点となったという意味で、その氏族の歴史的重要性を感じることができる。
ご利益
針名神社は開運・開拓の神様とされ、病気を治すご利益でも有名。天火明命の系譜を引く「尾張の根幹の神」として開運・開拓・地域守護という神格を持ちます。また境内の薬草天井絵との相乗効果もあり、病気平癒のご利益が特に信仰されています。式内社・従三位という格式から国家や組織の守護にも縁が深い神様です。

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