神 様 図 鑑
あめのほあかりのみこと 天火明命
尾張氏の祖神・真清田神社(尾張国一宮)の御祭神 / 天の光が明るく輝く太陽神 / 邇邇芸命の兄神にして愛知が誇る大神
基本情報
① 名前と出典
| 正式名称 |
天火明命(あめのほあかりのみこと)古事記・真清田神社由緒記 天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)日本書紀(一書) 天照国照彦天火明尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりのみこと)諸文献 |
|---|---|
| 名前の意味 |
「天(あめ)」は高天原・天界。「火(ほ)」は稲穂の「穂(ほ)」と同音・同源とも解釈され、稲穂が実り色づいた光輝く様子を表す。「明(あかり)」は輝く・光り明るい。全体として「天界において(稲穂のように)光り輝く神」——太陽のように明るく燦然と輝く天の神という意味。
長い別名「天照国照彦天火明命」における「天照国照(あまてるくにてる)」は「天にも地にも輝く」という意味で、天照大神と同様の太陽的神格を示す最高の称号。ただし天照大神とは別の神であり、「天照」という語を名に持つ太陽神が複数存在していたことを示している。 |
| 初出文献 | 古事記(712年)上巻・日本書紀(720年)第二の一書に登場。古事記では天忍穂耳命と万幡豊秋津師比売命の御子として記録され、邇邇芸命(ににぎのみこと・天孫降臨の神)の兄神とされる。古事記(上巻)・日本書紀(第六・第八の一書) |
| 神様の種類 |
天津神(てんしんかみ)——天孫系譜の太陽神・尾張の地を照らす大神 新撰姓氏録による分類では「神別・天孫」。天照大神・高御産巣日神の系譜に連なる天津神として高天原に生まれ、その子孫が尾張・丹波・丹後(天橋立)など複数の地域に移住して各地の有力氏族(尾張氏・海部氏・津守氏・丹波氏)の祖神となった。 |
② 文献によって異なる系譜——古事記・日本書紀・先代旧事本紀の比較
天火明命は古事記・日本書紀・先代旧事本紀という三つの主要文献でそれぞれ異なる系譜・位置づけを持つ神として記録されており、「どの文献を基準にするか」によって解釈が変わる複雑な神格を持ちます。下の比較表で全体像を把握してください。
| 文献 | 父母神 | 邇邇芸命との関係 | 主なポイント |
|---|---|---|---|
| 古事記712年 | 父:天忍穂耳命 母:万幡豊秋津師比売命 |
兄神(天火明命が兄・邇邇芸命が弟) | 尾張連(おわりのむらじ)の祖神と明記。邇邇芸命の兄として天孫降臨神話の前に位置する。 |
| 日本書紀 (本文)720年 |
父:邇邇芸命 母:木花之佐久夜毘売 |
御子神(火照命・火須勢理命の兄弟) | 本文では邇邇芸命の子として海幸彦(火照命)の兄弟と同列に記される別説。 |
| 日本書紀 (一書)720年 |
父:天忍穂耳命 母:万幡豊秋津師比売命 |
兄神(古事記と同じ系譜) | 一書(第六・第八)では古事記と同様の系譜を採用。長い神名「天照国照彦火明命」で記される。 |
| 先代旧事本紀平安初期 | 父:天忍穂耳命 母:万幡豊秋津師比売命 |
兄神かつ饒速日命と同一神 | 「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」という長い神名で天火明命=饒速日命を明記。物部氏・尾張氏の祖神を統合する説。 |
| 播磨国風土記奈良時代 | 父:大汝命(大国主命) 母:弩都比売 |
— | 大汝命の子として登場する全く別の系譜。「非常に気が強く、父が捨て逃げようとしたが船を壊した」という激しい逸話がある。 |
※ 当記事では最も広く参照される古事記の系譜(天忍穂耳命の御子・邇邇芸命の兄)を基本とし、他文献の異説もあわせて解説します。
③ 尾張氏・海部氏の祖神としての系譜
④ 活躍した時代
天火明命は弟・邇邇芸命の天孫降臨(高千穂への降臨)とほぼ同時代に天上から地上へ降りた天孫神とされる。その子孫・天香山命が大和国葛城の「高尾張(たかおわり)」から現在の愛知県(尾張)へ移住し定住したことで、尾張の地に天火明命の系譜が根付いた。以来2600年以上の歴史を持つ真清田神社(愛知県一宮市)の御祭神として、尾張の地を永遠に照らし続けている。
祀られる神社
登場する神話・伝説
天孫降臨の「もうひとりの天孫」——邇邇芸命より先に地上へ降りた兄神
古事記によれば、天照大神は当初「高天原から地上(葦原中国)を治めるため天忍穂耳命を降臨させよ」と命じた。しかし天忍穂耳命は万幡豊秋津師比売命との間に天火明命(兄)・邇邇芸命(弟)をもうけており、「この御子・邇邇芸命を降臨させるべきです」と申し上げた。こうして邇邇芸命が天孫降臨の主役となり、高千穂(宮崎県・鹿児島県)に降り立った。天火明命はこの天孫降臨神話の系譜上、邇邇芸命の「兄神」として位置づけられているが、天火明命自身がどこへ降りたかについての明確な記述は古事記には少ない。日本書紀の一書・先代旧事本紀・各地の社伝では「尾張(愛知)・丹後(天橋立)」方面へ天下ったとされる。
天火明命=饒速日命説——先代旧事本紀が語る「物部氏と尾張氏の祖神は同じ」という衝撃
先代旧事本紀(くだいきゅうじほんき・平安時代初期)には「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)」という神名が記され、天火明命と饒速日命(No.085・物部氏の祖神)が同一神であることが明示されている。この説を採れば「尾張氏の祖神(天火明命)」と「物部氏の祖神(饒速日命)」が同じ神ということになり、古代大和政権における二大武力氏族の始祖が一致する。ただし古事記・日本書紀の正史では両者は別神として扱われており、同一神説には異論も多い。「天磁船で空を飛んだ饒速日命」の神格と「天の光が輝く太陽神・天火明命」の神格は、「天から地上に光とともに降臨した神」という共通のイメージで重なり合う。
播磨国風土記の火明命——父神の船を壊した「激しき神」の逸話
播磨国風土記(奈良時代)の飾磨郡の条には、大汝命(大国主命)の子として火明命が登場する異説がある。「火明命は心行いが甚だ強く猛々しかったので、父・大汝命はこの子を棄てて逃れようとした。山に連れて行き水を汲みに行かせた隙に船を出して逃げようとしたが、火明命は風波を巻き起こして父の船を打ち壊してしまった」という激しい逸話が記されている。この「父が子を棄てようとし・子が父の船を壊した」という物語は他の風土記にも類話があり、「火明命が強烈な霊力・気性の激しさを持つ神」という古い神格イメージを伝えている。古事記・日本書紀の系譜とは全く異なる「出雲系の血脈を引く火明命」という別の伝承として研究者に注目されている。
逸話・エピソード
愛知県一宮市の「一宮(いちのみや)」という地名・市名は、真清田神社が尾張国の一宮(いちのみや)=国内で最も格式の高い一番目の神社であることに由来している。平安時代、国司(くにし)は任地に赴任するとまず最初に「一の宮」へ参拝するという慣習があった。尾張国では真清田神社がその「最初に参拝すべき神社」として選ばれており、平安時代末期(12世紀)には「尾張国一宮」として定着した記録がある(1143年の醍醐寺文書が初見)。以後この地域が「一宮」と呼ばれるようになり、現在の愛知県一宮市(人口約38万人・尾張最大の都市のひとつ)の市名へとつながった。「一宮市」の名称を冠する自治体は全国に1市6町あるが、市制が敷かれているのは愛知県一宮市のみという日本唯一の存在。天火明命はこのように現代の愛知県の地名・行政区画の名前そのものに深く刻み込まれた神様なのです。
京都府宮津市・天橋立(天下三景のひとつ)に鎮座する籠神社(このじんじゃ)は「元伊勢」とも呼ばれる古社で、彦火明命(天火明命)を主祭神として祀っている。籠神社の社家(代々の宮司家)・海部(あまべ)氏に代々伝わる「海部氏系図(あまべしけいず)」は、日本の神社が所蔵する系図として唯一の国宝に指定されている(ユネスコ世界記憶遺産にも登録申請中)。この系図は天火明命を始祖として海部氏の系譜を平安時代まで記録したもので、日本最古の家系図のひとつとして古代氏族研究・神道研究において極めて高い価値を持つ。名古屋から天橋立へは電車で約2時間半(京都経由・天橋立駅下車)——籠神社は天火明命縁の神社として名古屋から日帰り参拝が可能な距離にある。
真清田神社の境内には「神水舎(しんすいしゃ)」と呼ばれる井戸がある。伝承によれば、平安時代、白河天皇(1053〜1129年)が重病になったとき、朝廷が真清田神社に勅使を派遣し、このご神水を拝受して天皇に献じたところ御病が癒えたとされる。以来「真清田神社のご神水は眼病・持病・不治の病に効く」という信仰が広まり、全国津々浦々から参拝者が集まるようになった。江戸時代には「目や足の不自由な者・持病に苦しむ者が次々と回復した」という話が庶民の間に広まり、尾張の国全体から参拝者が集まったという記録がある。明治11年(1878年)には明治天皇が行幸の際にこの神水でお茶が献じられ、現代まで「眼病平癒・病気平癒」のご神徳で知られる。真清田神社のご神徳「事業守護・機織守護・眼病平癒」のうち「眼病平癒」はこの神水の伝説から来ている。
ご利益
真清田神社(尾張国一宮)が公式に掲げるご神徳は「事業守護・機織守護(はたおりしゅご)・眼病平癒」の三つ。「事業守護」は尾張開拓の祖神として事業・商売・産業全般への守護。「機織守護」は境内・服織神社(はとりじんじゃ)の母神・万幡豊秋津師比売命が織物の神であることからの縁。「眼病平癒」は神水の伝説から来るご神徳。さらに「天照国照」という神名から太陽のような活力・照らし出す力という現代的なご利益も信仰されています。

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