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【神話図鑑】古事記Ver.17-「神武東征(後編)」-

【神話図鑑】第17話「神武東征(後編)」― 大和平定と初代天皇の即位 | 神社ブログ
人代篇 ・ 第一章
【神話図鑑】古事記・人代篇

第17話「神武東征(後編)」

大和を平定し、橿原宮にて初代天皇として即位する

長髄彦 饒速日命 橿原宮即位 伊須気余理比売 始馭天下之天皇

あらすじ

八咫烏の案内で熊野から大和へと入った神武天皇は、吉野・宇陀の服従を経て、大和の強豪・長髄彦(ナガスネヒコ)との決戦に臨む。 しかし長髄彦の背後には意外な人物・饒速日命(ニギハヤヒ)がいた。その後、神武天皇は橿原宮に宮を建て、日本初の天皇として即位する。

  • 1
    吉野に入ると、土地の人々(国巣・井氷鹿・石押分之子ら)が次々と服従した。宇陀では兄宇迦斯(えうかし)が罠を仕掛けようとしたが失敗し、討たれた。弟宇迦斯(おとうかし)は食事を差し出して服従した。
  • 2
    道臣命(みちのおみのみこと・大伴氏の祖)大久米命(おおくめのみこと)が先陣を切り、大和の各地を平定していった。神武天皇は八咫烏の案内に従い、徐々に大和の中心部へ迫った。
  • 3
    大和の最大の抵抗勢力・長髄彦(ナガスネヒコ)と激戦になったが、突然金色の鳶(とび)が神武天皇の弓先に止まり、その光で長髄彦の軍が目を眩まされた。
  • 4
    長髄彦は「我には饒速日命(ニギハヤヒノミコト)という天神の御子を主君にしている。お前が本当に天神の子孫なら証拠を見せよ」と迫った。神武天皇も証拠の品(天羽羽矢・歩靫)を見せ合った。
  • 5
    饒速日命は「神武天皇こそが真の天神の御子」だと認め、長髄彦を自ら討ち取り、神武天皇に帰服した。こうして最後の強敵が倒れ、大和の平定が完成した。
  • 6
    神武天皇は大物主神(おおものぬしのかみ)の娘・伊須気余理比売(いすけよりひめ)を皇后に迎えた。大物主神は三輪山の神(第11話)であり、神武天皇は出雲系の神の血統とも婚姻によって結びついた。
  • 7
    大和の橿原(かしはら)に「橿原宮(かしはらのみや)」を建て、辛酉年(かのととり)の元旦に正式に即位した。これが「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」=神武天皇の誕生である。

登場人物一覧

人物名読み方役割・概要
神倭伊波礼毘古命(神武天皇) カムヤマトイワレビコ 初代天皇。大和を平定して橿原宮に即位した「始馭天下之天皇」
長髄彦 ナガスネヒコ 大和の強豪族。「脛の長い者」の意。最後まで神武天皇に抵抗したが、饒速日命に討たれた
饒速日命 ニギハヤヒノミコト 長髄彦の主君として大和を支配していた天神の御子。神武天皇の正統性を認め、長髄彦を討って帰服した。物部氏の祖先
道臣命 ミチノオミノミコト 神武東征で活躍した武将。大伴氏(おおともうじ)の遠祖。古代の朝廷の軍事を担った名門氏族の祖
伊須気余理比売 イスケヨリヒメ 神武天皇の皇后。大物主神(三輪山の神)の娘。三輪山の神の血を引く
大物主神 オオモノヌシノカミ 三輪山の神(第11話)。神武天皇の皇后・伊須気余理比売の父。出雲の神と大和の神が天皇家と婚姻で結ばれた
兄宇迦斯・弟宇迦斯 エウカシ・オトウカシ 宇陀(奈良県宇陀市)の兄弟。兄は神武天皇に罠を仕掛け自ら罠にかかって死亡。弟は食事を差し出して服従した

饒速日命と長髄彦の最期

神武東征の最大のクライマックスは、長髄彦との対決ではなく、実はその後ろにいた「饒速日命(ニギハヤヒ)」の存在にある。 神武天皇より先に天降りした「もう一人の天神の御子」との対峙は、古代史の謎を秘めた場面である。

饒速日命とは何者か

饒速日命はアマテラスの許可を得て、天磐船(あめのいわふね)に乗り大和へ先に降臨していた天神の御子。神武天皇と同じ「天神の子孫」だが、神武天皇より先に地上に来ていた。長髄彦の妹・登美夜毘売(とみやびめ)と婚姻し、大和に独自の支配圏を持っていた。

なぜ饒速日命は帰服したのか

天羽羽矢(あまのははや)・歩靫(かちゆき)という天神の証の品を見せ合ったとき、饒速日命は「神武天皇こそが本来の天神御子」と認め、長髄彦を自ら討ち取った。「真の天神の御子に従う」という判断は、天神の正統性への絶対的な服従を示す。物部氏はこの饒速日命の子孫とされ、大和朝廷の有力氏族となった。

金色の鳶(霊鳥)の奇跡

長髄彦との戦いで劣勢になった時、神武天皇の弓先に金色に輝く鳶が止まり、その光が長髄彦の軍を眩ませた。これは「金鵄(きんし)の奇瑞」として有名で、明治時代には陸軍の最高勲章「金鵄勲章」の名前の由来となった。奇跡を起こす霊鳥が「太陽の輝き」を体現したとも解釈される。

橿原宮への即位

【古事記・神武天皇即位の言葉】
「是、始馭天下之天皇。」
これ、はつくにしらすすめらみこと。
「これが、初めて天下を治められた天皇(神武天皇)である。」
大和の橿原(かしはら)に宮を建て、辛酉年(紀元前660年頃とされる)の元旦に即位した。

橿原宮の場所は現在の奈良県橿原市に比定されており、明治時代に橿原神宮が創建された。 「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」は「初めて国を知らした(統治した)天皇」を意味し、神武天皇の歴史的位置づけを簡潔に示す称号である。 日本書紀では即位年を「辛酉年(BC660年)1月1日」と記すが、これは神話的時間設定であり、実際の神武天皇の時代は不明である。

神武天皇の皇后と子孫

神武天皇は大物主神の娘・伊須気余理比売を皇后に迎えた。この婚姻により天皇家は三輪山(出雲系)の神の血と結びついた。

🌿 神武天皇の皇后と御子たち
伊須気余理比売
神武天皇の皇后。大物主神(三輪山の神)の娘
↓ 三人の御子
日子八井命
長男(詳細な事跡は記されない)
神八井耳命
次男(詳細な事跡は記されない)
神沼河耳命
三男。のちの第2代・綏靖天皇(すいぜいてんのう)

なお神武天皇には日向時代に娶った妻・阿比良比売(あひらひめ)との間に生まれた日子八嶋命(神八井耳命の兄)もおり、多くの氏族の祖先とされる。 古事記では神武天皇以降、第2代~第9代(「欠史八代」と呼ばれる)については系譜の記録のみで、詳細な事跡は記されていない。

古事記原文と現代語訳

①金色の鳶の奇跡(金鵄の瑞)

📜 古事記原文(訓読文)

「即ち長髄彦と戦ふ時に、天より金色の鵄来て、天皇の弓の弭に止まりき。その鵄光り耀きて、電(いかづち)の如くして、長髄彦の軍が目眩みしき。」

【読み方】すなわちながすねひこと戦うときに、あめよりきんいろのとびきたりて、すめらみことのゆみのはずにとまりき。そのとびひかりかがやきて、いかづちのごとくして、ながすねひこのいくさがまなこくらみしき。

💬 現代語訳

(神武天皇が)長髄彦と戦っている時、天から金色の鳶が飛んで来て、天皇の弓の弭(端)に止まった。その鳶が光り輝いて、雷のようであったので、長髄彦の軍の目がくらんでしまった。

②饒速日命の帰服と長髄彦の死

📜 古事記原文(訓読文)

「爾に饒速日命、天つ神の御子の空より降来坐して治らすを見て、その主に背きたる者を誅して奉りき。かれ、天照大御神の命を識りて、天津神御子に帰服し奉りき。」

【読み方】しかりしてにぎはやひのみこと、あまつかみのみこのそらよりくだりきまして、おさめらすをみて、そのきみにそむきたるものをころしてたてまつりき。かれ、あまてらすおおみかみのみことをしりて、あまつかみのみこにきしたてまつりき。

💬 現代語訳

そこで饒速日命は、天津神の御子(神武天皇)が天から降臨して治めていることを見て、自分の主君(長髄彦)に背いた者(として)を誅殺して献上した。かくして饒速日命は、アマテラス大御神の命令(正統性)を認め、天津神の御子(神武天皇)に帰服し申し上げた。

③神武天皇即位の記述

📜 古事記原文(訓読文)

「かれ、その国を治らしめき。是、始馭天下之天皇。御年百三十七歳。御陵は畝傍山の北の方の白梼尾の上にあり。」

【読み方】かれ、そのくにをしらしめき。これ、はつくにしらすすめらみこと。みとし ひゃくさんじゅうしちさい。みはかはうねびやまのきたのかたのかしのをのうえにあり。

💬 現代語訳

かくして(神武天皇が)その国を治めなさった。これが「始馭天下之天皇(初めて国を治めた天皇)」である。御年は137歳。御陵は畝傍山(うねびやま)の北の方の白梼尾(かしのを)の上にある。
(※137歳は神話的記述。現在の天皇家では在位年数の数え方が異なった可能性がある。)

考察・深掘り

饒速日命は「先住の天孫」か――二つの天孫降臨説

神武天皇より先に大和へ降臨していた饒速日命(ニギハヤヒ)の存在は、古代史の謎の一つである。 「ニギハヤヒが先に大和に来ていた」ということは、九州から来た神武天皇の「天孫降臨」より前に、別ルートで大和に天孫が降りていたことを意味する。 これは「九州系の渡来文化(神武)と近畿の在来文化(ニギハヤヒ・物部氏系)が統合した」という歴史的実態の神話的表現と見る研究者もいる。 物部氏(もののべうじ)はニギハヤヒの子孫として有力豪族となり、後の仏教伝来(6世紀)の際には蘇我氏と激しく対立した。

「欠史八代」の謎――第2〜9代天皇の記録がない理由

神武天皇(第1代)の次、崇神天皇(第10代)まで8代の天皇については、古事記では系譜と在位年数のみが記録され、具体的な事跡が残っていない(「欠史八代」と呼ばれる)。 これについては①実際にその期間の歴史記録が存在しなかった②作為的に削除・簡略化された③この時代の天皇は実在しなかった(神武〜崇神の間には大きな時間的飛躍がある)、などの説がある。 考古学的には崇神天皇の時代が「実質的な大和王権の始まり」に近いとする見方も有力で、神武天皇から崇神天皇の間には神話的な操作が加えられた可能性が指摘されている。

橿原宮と橿原神宮――なぜ明治時代に創建されたか

現在の橿原神宮(奈良県橿原市)は、明治23年(1890年)に創建された比較的新しい神社である。 古代には「橿原宮の地」という伝承はあったが、明治の近代化の中で「初代天皇を祀る神宮が必要」との判断から、当時の畝傍山(うねびやま)周辺の国有地を整備して創建された。 神武天皇を顕彰する「紀元節(建国記念日)」も明治政府が制定したもので、現在の「建国記念の日(2月11日)」はその流れを汲む。 「神武天皇即位の年=紀元前660年」という設定は日本書紀の記述に基づくが、歴史学的な実証は難しく、象徴的・神話的な意味を持つ数字とされている。

神武東征(後編)ゆかりの神社

神社名所在地東征との関係
橿原神宮 奈良県橿原市 神武天皇が即位した橿原宮の伝承地に明治23年創建。畝傍山を背に構える。毎年2月11日(建国記念の日)に紀元祭が行われる
大神神社(三輪明神) 奈良県桜井市 神武天皇の皇后・伊須気余理比売の父神・大物主神を祀る。三輪山が御神体の本殿のない神社。神武天皇と三輪山の神の婚姻関係で深く結びつく
石上神宮 奈良県天理市 饒速日命が天降りの際に携えた「十種神宝(とくさのかんだから)」と布都御魂剣を祀る。物部氏の氏神として崇拝され、日本最古の神社の一つ
大鳥大社 大阪府堺市 金鵄(金色の鳶)との伝承地の一つ。日本武尊(ヤマトタケル)とも深い縁を持つ大社で、全国の鳥神社の総本社
宇太水分神社 奈良県宇陀市 宇陀地方の式内社。神武天皇の東征で兄宇迦斯・弟宇迦斯の伝承が残る宇陀の中心的神社
墨坂神社 奈良県宇陀市 東征で神武天皇が祀った神社の一つ。戦勝祈願の場として古くから崇拝されてきた延喜式内社

関連シリーズ

【神話図鑑】古事記・人代篇 第17話「神武東征(後編)」

参考文献:古事記(太安万侶撰・和銅5年712年)、日本書紀(神武天皇紀)

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