【神話図鑑】古事記 人代篇 第20話
ヤマトタケル(後編)
草薙剣・弟橘媛の入水・伊吹山の祟り・能褒野の死と白鳥伝説
前編のあらすじと後編の概要
前編(第19話)では、ヤマトタケル(倭建命)が九州の熊曾建兄弟を女装で討ち「ヤマトタケル」の名を授かり、帰路に出雲建を謀略で討ちました。今回の後編では、景行天皇から今度は東国平定を命じられたヤマトタケルの旅路を追います。
草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授かり、妃・弟橘媛(おとたちばなひめ)の海への入水を経験し、東国を制圧した後、帰路で伊吹山の神の祟りを受けて病に倒れ、能褒野(のぼの)で息絶えます。そして死後は白鳥(白い鳥)となって大和の空へ飛び立ったと伝えられています。
登場人物
| 人物名 | 読み | 役割・説明 |
|---|---|---|
| 倭建命 | ヤマトタケルノミコト | 景行天皇の皇子・古事記最大の英雄。熊曾建討伐後に東国征討を命じられ、各地を平定するも伊吹山の神の祟りで病死する |
| 倭比売命 | ヤマトヒメノミコト | 伊勢神宮に仕える斎宮。ヤマトタケルの叔母(伯母)。東征出発前に草薙剣・火打ち道具・蓑笠を授けた |
| 弟橘比売命 | オトタチバナヒメノミコト | ヤマトタケルの正妃。走水の海(横須賀)でヤマトタケルの代わりに海に入水して嵐を鎮めた。古事記最大の献身的女性の一人 |
| 宮簀媛 | ミヤズヒメ | 尾張の豪族の娘。ヤマトタケルの妃の一人。伊吹山遠征前に草薙剣を預け、その後草薙剣は熱田神宮に祀られた |
| 伊吹山の神 | イブキヤマノカミ | 伊吹山(滋賀県)に坐す荒ぶる神。ヤマトタケルに祟りをなして重い病にかけた |
草薙剣を授かる
熊曾建・出雲建を討って帰還したヤマトタケルは、休む間もなく父・景行天皇から東国征討を命じられます。嘆きながらも伊勢の倭比売命を訪ねると、叔母は草薙剣と袋に入れた火打ち石・蓑笠を授けました。
本来はスサノオが八岐大蛇の尾から取り出し、アマテラスに献上した「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」。ニニギの三種の神器の一つとして伝わり、伊勢神宮に奉納されていた神剣。倭比売命が「万が一の時に使うように」と授けた。
残り二つ:
・火打ち袋(ひうちぶくろ)=火難を避けるための道具(焼津で活躍)
・蓑と笠(みのとかさ)=雨や嵐への備え(伊吹山でも携行)
草薙剣は古事記・日本書紀においても最重要の神器の一つです。スサノオが八岐大蛇の尾から取り出した神剣(天叢雲剣)→アマテラスへ献上→ニニギの三種の神器として伝世→伊勢神宮に奉納→倭比売命がヤマトタケルへ授ける→東征で使用→宮簀媛(熱田)に預ける→現在の熱田神宮の御神体へ。この長い伝世の経路が記されています。
東征ルート
- ①伊勢(出発)倭比売命から草薙剣・火打ち道具を授かる
- ↓尾張宮簀媛と縁を結ぶが、まず東征を優先して旅立つ
- ↓相模(さがみ)荒ぶる国造に野原に誘い込まれ、火攻めにあう
- ↓走水(はしりみず・横須賀)海を渡ろうとすると嵐が起こる。弟橘媛が入水して嵐を鎮める
- ↓上総・常陸・陸奥東国の神や荒ぶる者を平定する
- ↓信濃・尾張(帰路)甲斐・信濃を通って尾張の宮簀媛のもとへ帰る。草薙剣を宮簀媛に預ける
- ↓伊吹山(滋賀)神を素手で討とうと草薙剣を置いて向かうが、神の祟りで病に倒れる
- ↓能褒野(のぼの・三重)大和への帰途に倒れ、ここで薨去。享年30歳前後と推定
- ⬜白鳥(大和・河内へ)白鳥となり、能褒野→琴弾原→大和の志幾と飛び続けた伝説
弟橘媛の入水(走水の海)
東征最大の困難は、走水(相模国と上総国の間の海)を渡る場面で訪れます。相模の荒ぶる国造の謀略で野原に火を放たれたヤマトタケルは、草薙剣で草を薙ぎ払い(焼津の火難)、火打ち石で迎え火を起こして難を逃れ、次は海を渡ります。
走水の海(現在の浦賀水道または東京湾)を渡ろうとすると、にわかに嵐が起こり、船は波に揉まれて前に進めなくなった。
ヤマトタケルが「この荒波はただの嵐か」と言うと、妃の弟橘媛命が言った:
弟橘媛は海に向かって、八重に畳んだ菅畳・皮畳・絹畳(かさねの敷物)を波の上に敷き、その上に座って海の中に入っていった。すると嵐はたちまち静まり、船は進むことができた。
七日後、弟橘媛の梳(くし)が渚に流れ着いたという。その地(千葉県木更津市の周辺)は後に「橘」の地名が付いたと伝えられる。
古事記の原文(弟橘媛の入水の歌)
弟橘媛が海に入る前に詠んだ歌が古事記に記されています。ヤマトタケルへの深い愛情と、自らの死を受け入れた静かな覚悟が込められた名歌です。
佐泥佐斯 佐賀牟能袁怒邇
佐斯那弊由 那豆岐斯岐美夜
那豆岐斯岐美
※「さねさし」は相模にかかる枕詞。「もゆるひのほなかにたちて」は「燃える火の中に立って」の意。
全文:「さねさし 相武(さがむ)の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも」
相模の野原で燃え盛る炎の中に立って、「大丈夫か」と私に問いかけてくれたあなた(ヤマトタケル)よ——
※この歌は、ヤマトタケルが相模で火攻めにあった際(焼津の場面)、炎の中でも弟橘媛を気にかけて呼んでくれたことへの感謝と、その愛情を胸に海に入っていく決意を詠んだものです。ヤマトタケルが「あなたへの愛」の中で死ぬことを選ぶという、古事記屈指の悲哀の歌として後世に伝わります。
焼津の火難と草薙剣の奇跡
相模国に着いたヤマトタケルを、土地の豪族(国造)が「広い野原に鹿がいる」と嘘をついて誘い出した。豪族は野原に火を放ちヤマトタケルを焼き殺そうとした。
ヤマトタケルは叔母・倭比売命から授かった草薙剣で周囲の草を薙ぎ払い(この時から「草薙剣」の名がついたとされる)、さらに火打ち石で迎え火を起こして難を脱した。その後、謀った国造と一族を殺した。
この地は「焼津(やいづ)」と呼ばれるようになったと伝わる(静岡県焼津市の地名起源)。
草薙剣の名は「草を薙(な)ぐ剣」という意味で、この焼津での使用に由来します。スサノオが発見した際は「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」という名でしたが、ヤマトタケルがこの剣で草を薙ぎ払ったことから「草薙剣」と呼ばれるようになったと古事記は説明します。現在も熱田神宮の御神体として奉安されており、三種の神器の一つに数えられています。
伊吹山の神の祟り
東国を平定したヤマトタケルは、尾張の宮簀媛のもとに立ち寄り、草薙剣を宮簀媛に預けたまま、伊吹山(いぶきやま)の荒ぶる神を討ちに向かいます。この判断が英雄の命取りになりました。
-
1草薙剣を置いていく:ヤマトタケルは「伊吹山の神など素手で討てる」と宮簀媛のもとに草薙剣を残し、素手のまま伊吹山へ向かった
-
2白猪との遭遇:山道で大きな白猪に出会った。ヤマトタケルは「これは伊吹山の神の使いだろう。帰りに討とう」と無視して進んだ。しかしその白猪こそが神の化身であった
-
3祟りを受ける:山頂で大きな氷雨(あられ)が降り注ぎ、ヤマトタケルは意識を失いかけた。下山するとすでに足が重く病を得ていた
-
4清水で回復を試みる:途中の「居醒の清水(いさめのしみず)」で意識が少し戻ったが、病は重く大和へ戻れないほどになっていた
ヤマトタケルが伊吹山で敗れた直接原因は「草薙剣を置いていったこと」ですが、古事記はそれ以上の意味を暗示しています。神剣なき英雄は、もはや神の力を持たない「ただの人間」に戻ります。一方、「素手で討てる」という過信は英雄の慢心でもあります。各地を制圧し続け、自信が過剰になった英雄が神によって罰せられるという構図は、古代神話における典型的な英雄の転落です。
能褒野の最期と辞世の歌
古事記の原文(辞世の歌)
夜麻登波 久爾能麻本呂婆
多多那豆久 阿袁加岐
夜麻碁母礼留 夜麻登志宇流波斯
※「まほろば」は「真秀ろば」=最も素晴らしい場所。「たたなづく」は「幾重にも重なっている」の意。
宇知志摩麻岐 和加久佐能
都麻阿利斯袁 意富夜斯
那斯能母登母那斯
※「うちしまみ」は「うちな(打ち嘆い)て」の意。妃(宮簀媛か弟橘媛)への思慕を詠んだ歌。
大和は国々の中でもまほろば(最も素晴らしい場所)。幾重にも青い垣のように山々が取り囲んでいる——そんな美しい大和よ。
※この「倭は国のまほろば」は、日本最古の望郷の歌の一つとして後世に深く愛されています。英雄が故郷を遠く離れた地で死の床に就き、山々に囲まれた大和の美しさを最後に想う——その情景は千三百年を経た今も読む者の心を打ちます。
白鳥になったヤマトタケル
ヤマトタケルが能褒野で薨じると、その御霊は白鳥(しろとり)となり、空に飛び立った。
白鳥はまず能褒野を発ち、浜辺(琴弾原・河内)へ飛び、次に大和の志幾(しき)へ飛んだ。それぞれの地に御陵(みささぎ)が作られた。
天皇の一族(后妃・皇子たち)が白鳥を追いかけたが、白鳥は遠く飛び去り、最後は高く空へ舞い上がって見えなくなった。
この白鳥伝説から、ヤマトタケルは「白鳥の神」として崇められ、各地の白鳥神社・大鳥神社の祭神となっています。
古代の霊魂観において「魂は鳥の姿をとる」という思想が広くあり、英雄の死後に鳥になるという描写は世界各地の神話に見られます。日本では特に「白い鳥」は清浄・神聖・魂の象徴でした。ヤマトタケルが白鳥になって故郷・大和へ向かう描写は、英雄の魂が安住の地(大和)を求めて飛び続けるという詩的なビジョンです。また三つの地に御陵が作られたことは、実際に複数の地域がヤマトタケルの霊を祀っていた政治的現実を反映したとも考えられます。
考察:英雄の悲劇的生涯の意味
弟橘媛は「自らを犠牲にしてヤマトタケルを救った」。しかし草薙剣を宮簀媛に置いていくという行為は「英雄の守護を自ら捨てた」ことです。他者の命で生き延びた英雄が、自分の守護を手放して死ぬという対比の構造が、古事記のヤマトタケル説話の根幹にあります。
ヤマトタケルが宮簀媛に預けた草薙剣が、後に熱田神宮の御神体となりました。熱田神宮は現在も「草薙剣」を御神体とし、最重要神社の一つです。日本書紀では草薙剣に関わる別の伝説(新羅への神剣持ち出し・航海)も記され、この剣の歴史は複雑に絡み合っています。
「倭は国のまほろば」という歌は、現在に至るまで日本人の心に響き続けています。太宰治の小説「右大臣実朝」などにも引用され、「まほろば」という言葉自体が「理想郷・故郷」を意味する雅語として定着しました。死の床から故郷の山々を想う英雄の歌は、古事記最大の抒情詩の一つです。
ヤマトタケルは父・景行天皇から一度も「よくやった」と言われなかった英雄です。熊曾・出雲を平定して帰ると東国征討を命じられ、東国を平定して帰路についたところで伊吹山の神に倒れます。父の命のまま次々に征討させられ、老いることなく使い捨てにされた——この「父と子の断絶」がヤマトタケル説話の最大の悲劇です。
関連神社・史跡
| 神社・史跡名 | 所在地 | ヤマトタケルとの関係 |
|---|---|---|
| 熱田神宮 | 愛知県名古屋市 | 草薙剣(天叢雲剣)を御神体とする。ヤマトタケルが伊吹山遠征前に宮簀媛に預けた神剣がここに奉安された。三種の神器の一つを祀る全国屈指の格式ある神社 |
| 橘樹神社(たちばなじんじゃ) | 神奈川県川崎市 | 弟橘媛命を祀る。走水の海への入水で亡くなった弟橘媛の梳(くし)が流れ着いたとされる地に近く、「橘樹(たちばな)」の地名もここに由来するとされる |
| 走水神社(はしりみずじんじゃ) | 神奈川県横須賀市 | ヤマトタケルと弟橘媛を祀る。走水の海(浦賀水道)での入水伝説の舞台。弟橘媛が入水した場所として伝承が残り、海難を鎮めた神社として信仰される |
| 焼津神社 | 静岡県焼津市 | ヤマトタケルを主祭神とする。火攻め(草薙剣での草薙ぎ)ゆかりの「焼津」の地名を持つ神社。火難除けの神社として崇敬を集める |
| 能褒野神社(のぼのじんじゃ) | 三重県亀山市 | ヤマトタケルが薨じた能褒野の地に建つ神社。近くに「能褒野王塚古墳」があり、ヤマトタケルの最初の御陵として宮内庁が管理する史跡 |
| 大鳥大社 | 大阪府堺市 | 白鳥神社の総本社。白鳥となって飛び立ったヤマトタケルが降り立ったとされる地。全国の白鳥神社・大鳥神社の総本宮として重要な位置を占める |
| 白鳥陵(倭建命白鳥陵) | 大阪府羽曳野市 | 宮内庁が治定するヤマトタケルの陵墓。白鳥が降り立った河内の地とされ、古市古墳群の一角に位置する前方後円墳 |

コメント