【神話図鑑】古事記 人代篇 第24話
雄略天皇(前編)
葛城の一言主神との対面・吉野の童女・赤猪子を80年待たせた天皇
雄略天皇とはどんな天皇か
雄略天皇(大長谷若建天皇・おほはつせわかたけのみこと、第21代)は古事記下巻において仁徳天皇に次いで最も多くのエピソードが記される天皇です。また万葉集の巻頭歌(「籠もよ み籠もち ふくしもよ みふくし持ち」)の作者とされており、実在の天皇として確かな歴史的証拠が残っています。
埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」には「獲加多支鹵大王(わかたけるおおきみ)」の銘文があり、これが雄略天皇の別名「若建(わかたける)」に対応すると考えられ、5世紀後半に実在した天皇であることが確認されています。その治世は強権的で、多くの皇族・豪族を殺害した「暴君」的側面と、神々と対等に交わる霊的な「聖王」的側面が同居しています。
登場人物
| 人物・神名 | 読み | 役割・説明 |
|---|---|---|
| 大長谷若建天皇(雄略天皇) | オホハツセワカタケノスメラミコト | 第21代天皇。古事記下巻最大の主人公。万葉集巻頭歌の作者。稲荷山鉄剣の銘文「獲加多支鹵大王」が実在証拠とされる強権的帝王 |
| 葛城の一言主神 | カツラギノヒトコトヌシノカミ | 葛城山(奈良県)に坐す神。「悪事も一言、善事も一言で決める神」と自己紹介した。雄略天皇と狩りで出会い、天皇と対等に行動した神 |
| 吉野の童女(若い女性) | ヨシノノワラハメ | 吉野の川上に現れた若く美しい女性。天皇に見初められ、吉野の酒蔵(さかくら)の管理を任された。正体については諸説ある |
| 赤猪子 | アカゐノコ | 三輪山(奈良県)の美しい娘。雄略天皇に「後で宮に召す」と言われ80年間他の男性と婚姻せずに待ち続けた。老婆となって宮へ行くと、天皇は約束を忘れていた |
葛城山の一言主神との対面
雄略天皇の物語の中でも特に印象的なのが、葛城山(奈良県御所市)での狩りの際に一言主神(ひとことぬしのかみ)と出会う場面です。天皇と神が互いに「同格の存在」として向き合う、古事記屈指の神人対面の場面です。
雄略天皇は葛城山で狩りをしていた。その時、向こうの山の尾根に、天皇の一行と全く同じ服装・武装をした大勢の人々が現れた。同じ数の供を連れ、同じ衣裳を着ていた。
天皇は「私以外にこの山を歩く者がいるのか」と驚き、「名を名乗れ」と命じた。すると向こうの人物は言った:
葛城の一言主の大神(おほかみ)ぞ。」
天皇はこれを聞いて恐れ敬い、自分の着ていた衣服・弓矢を次々と供物として捧げた。一言主神は衣服を受け取り、天皇の行列が山を下りるまで共に道を歩いたという。
一言主神(ひとことぬしのかみ)は古事記・日本書紀に登場する葛城山の神で、「一言(ひとこと)で事の善悪を言い放つ」神とされます。「悪事も一言、善事も一言」という自己紹介は「私の言葉は一言で決定する」という絶対的な神威の表明です。現在も奈良県御所市の葛城一言主神社で祀られており、「一言の願いを聞いてくれる神」として信仰されています。雄略天皇と同格に振る舞った点が特徴的で、天皇権力でさえ神の前には平伏する姿が描かれています。
古事記の原文(一言主神の名乗り)
吾(われ)は悪事(まがこと)も一言、
善事(よごと)も一言、
言離(ことさか)の神、
葛城の一言主の大神(おほかみ)ぞ。
※「言離の神(ことさかのかみ)」=言葉で事の善悪を裁く神、という意味。「言放つ(ことはなつ)」とも関連し、一言で判決を下す神威を示す。
「私は、悪いことも一言、良いことも一言で決める神、葛城の一言主の大神である。」
※この自己紹介は古事記の中でも特に印象的な場面の一つです。天皇が「名を名乗れ」と命じても、神は全く臆せず対等以上の威厳で名乗ります。天皇が恐れ敬い、衣服・弓矢を供物として捧げる場面は、古代における「神の権威 ≧ 天皇の権威」という関係を示す稀有な記述です。
吉野の童女の出現
雄略天皇が吉野(奈良県吉野郡)へ遊幸したとき、川の上流から一人の美しい童女(わらはめ)が現れた。天皇はこの童女を見て大層喜び、その名を尋ねた。
童女は「吉野の首(おびと)の祖先・罔象女神(みつはのめのかみ)の裔(すえ)」と名乗った(水の女神の末裔という意)。
天皇は喜んで「今日から汝が吉野の宮(酒蔵)を守れ」と命じ、童女を吉野の宮の管理者とした。吉野には天皇の行宮(あんぐう・仮の宮)があり、飲食物の蔵(くら)があったと記される。
吉野は古代から天皇家と深い縁を持つ霊地です。神武東征の際も吉野には「尾に光る人」「口・尻から光を放つ人」などの神秘的存在が登場します(第16話参照)。雄略天皇の時代の吉野は、行宮(かりみや)を置くほど天皇が好んだ地でした。後の白鳳時代にも天武天皇・持統天皇が吉野を特に重視し、「吉野行幸」が繰り返された歴史があります。吉野の童女は水の女神の末裔とされており、吉野の川(吉野川・紀の川)の神的な力を体現した存在として描かれています。
赤猪子を80年待たせた話
雄略天皇の物語の中で最も切なく、最も人間的なエピソードが「赤猪子(あかゐのこ)」の話です。一言の約束で80年間を独身で過ごした女性と、約束を忘れた天皇の悲しいすれ違いです。
雄略天皇は三輪山(奈良県桜井市)のほとりで、美しい娘・赤猪子(あかゐのこ)と出会った。天皇はその美しさに惹かれ「他の男と結婚するな。後で必ず宮に召す」と約束して去った。
赤猪子は天皇の言葉を信じ、他の男性との婚姻を断り続けた。1年、2年、5年、10年……しかし天皇からの使いは来なかった。
赤猪子は老婆(翁媼・おみな)になっていた。
赤猪子はついに宮を訪れ、天皇に80年前の約束を申し上げた。天皇はようやく思い出し、大変申し訳なく思った。しかし、今さら召すこともできない状況になっていた(赤猪子は年老い、天皇との年齢差はさらに開いていた)。
天皇は深く詫び、歌を贈った。赤猪子も歌で応えた。二人の歌のやりとりは古事記の中でも特に哀切な場面として記されている。
古事記の原文(雄略天皇の哀悼の歌)
袁登賣能 袁登賣佐備斯都
袁登賣能 袁登賣佐備斯都
麻都能牟流 登志波須具爾
阿比斯良米夜母
意:乙女らしくしていた乙女よ 乙女らしくしていた乙女よ 松の木が老いるように 年月は過ぎてしまった 出会えるだろうか……
大君の 命(みこと)恐(かしこ)み
延(は)ふ蔦(つた)の
別(わか)れし時(とき)より
日辺(ひのへ)にし
しもとゆ延(は)ひて
あはれとぞ思ふ
意:大君(天皇)の仰せ(お言葉)を恐れ多く頂いて、蔦が伸びるように(年を重ね)、別れた時から日が経ち……ああ、哀しいと思います。
【雄略天皇の歌】乙女らしく振る舞っていたあなた、乙女らしく振る舞っていたあなた……松の木が老いるように年が経ってしまった。今さら出会えるだろうか——
【赤猪子の返歌】大君(天皇)の仰せを恐れ多く守り、蔦が伸びるようにひたすら待ち続け、別れてからの長い年月を経て……本当に哀しく思います——
※赤猪子の返歌には責める言葉は一切ない。ただ「天皇の言葉を守った」という事実と、長い年月への「哀しみ」だけが詠まれている。この静かな悲しさが、この歌を千年以上語り継がれる名歌にしています。
考察:雄略天皇の多面的な人物像
1978年、埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した「金錯銘鉄剣」に「獲加多支鹵大王(わかたけるおおきみ)」の銘文が発見されました。これは古事記の「大長谷若建天皇(わかたけ)」に対応し、雄略天皇が関東まで支配圏を持つ実在の大王だったことを証明する画期的な発見です。熊本の鉄剣にも同様の銘文があり、5世紀後半の倭王権の広がりを示します。
万葉集の第一首は「籠もよ み籠もち ふくしもよ みふくし持ち この丘に 菜摘ます児(こ)……」で始まる雄略天皇作とされる歌です。まだ見ぬ妻への求愛の歌で、万葉集全体の巻頭に置かれることから「日本歌の始まり」ともされます。荒々しい「暴君」の一面と、優雅な「歌人」の一面が同居する天皇です。
赤猪子の話は「権力者の言葉の重み」と「忘れられた約束」の悲劇です。天皇の「後で召す」という何気ない言葉が、一人の女性の80年の人生を決定してしまいました。古事記はこのエピソードを通じて、権力者の言葉の責任と、それに翻弄される一般人の悲哀を描いています。
雄略天皇が一言主神に衣服・弓矢を差し出した場面は、天皇権力が神の前に平伏する稀有な場面です。後の日本書紀では「雄略天皇が一言主神を遠流にした」という記述があり、同じ神との関係が逆転しています。古事記と日本書紀で記述が異なる点は、当時の神観念の複雑さを示しています。
関連神社・史跡
| 神社・史跡名 | 所在地 | 雄略天皇との関係 |
|---|---|---|
| 葛城一言主神社 | 奈良県御所市 | 一言主神を主祭神とする葛城山の麓の古社。雄略天皇と一言主神の対面伝説の舞台。「一言の願いを聞く神」として信仰され、全国の一言主神社の総本社とされる |
| 大神神社(三輪明神) | 奈良県桜井市 | 赤猪子が三輪山のほとりで雄略天皇に見初められた地。大物主大神を祭神とする三輪山そのものが御神体の古社。赤猪子の物語は三輪山の神婚伝説の系譜に連なる |
| 吉野神宮 | 奈良県吉野郡 | 吉野山に坐す神社。雄略天皇が吉野の童女と出会った「吉野の川上」付近の地。吉野は古代から神聖な地として天皇との縁が深く、行宮(あんぐう)が置かれた地 |
| 稲荷山古墳(さきたま古墳群) | 埼玉県行田市 | 「獲加多支鹵大王(ワカタケル大王)」の銘文入り鉄剣が出土した5世紀後半の前方後円墳。雄略天皇の実在証拠となった鉄剣は国宝に指定され、さきたま史跡の博物館で展示 |
| 雄略天皇陵(丹比高鷲原陵) | 大阪府羽曳野市 | 宮内庁が治定する雄略天皇の陵墓(島泉丸山古墳・島泉平塚古墳)。古市古墳群に属する5世紀後半の古墳 |

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