象の頭をもつ、ふしぎな仏教の神様がいます。それが歓喜天(かんぎてん)、親しみをこめて「聖天(しょうてん)さま」と呼ばれる神様です。商売繁盛や夫婦和合のご利益で知られています。
この記事でわかること
- 歓喜天の正体と、インドの神ガネーシャとの関係
- 人を食べる王が、十一面観音のはたらきで心を入れかえた物語
- もとは「障(さわ)り」を起こす神だったのに、なぜ願いをかなえる神になったのかという謎
「こわいけれど、いちばん願いを聞いてくれる」。そう語られてきた神様の素顔に、少しだけ近づいてみましょう。
01. 歓喜天(聖天)の基本情報
| 分類 | 天部(てんぶ=仏様や教えを守る神々のグループ) |
| 読み方 | かんぎてん |
| 別名 | 聖天(しょうてん)、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)、歓喜自在天(かんぎじざいてん)、毘那夜迦(びなやか)、誐那鉢底(がなぱてぃ)、象鼻天(ぞうびてん)など |
| 梵名(ぼんみょう) | ナンディケーシュヴァラ(Nandikeśvara)。ヴィナーヤカ(Vināyaka)、ガナパティ(Gaṇapati)とも呼ばれます |
| 真言(しんごん) | オン キリク ギャク ウン ソワカ |
| 種子字(しゅじじ) | ギャク(gaḥ) |
| ご縁日 | お寺によって異なります(例:宝山寺は毎月1日・16日) |
| 像の形 | 象の頭をもつ1体の「単身(たんしん)像」と、男女2体が抱きあう「双身(そうしん)像」があります |
※真言は、十一面観音・歓喜天・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)の種子(しゅじ=仏様を表す梵字)を組みあわせたものとされます。宗派やお寺によって唱え方が少し違うことがあります。
02. 歓喜天とは? ― 象の頭をもつ聖天さまの正体
① 一言まとめ
歓喜天は、象の頭をもつ仏教の守り神です。商売繁盛や夫婦円満など、くらしの願いをかなえる神様として信仰されてきました。いっぽうで、きびしい作法でまつられる「おそれ多い神様」でもあります。
② 由来・経典上の位置づけ
歓喜天のルーツは、インドの神ガネーシャです。ガネーシャは、象の頭をもつ知恵と商売の神様として、今もインドで大人気です。
ガネーシャの呼び名の一つに「ヴィグネーシュヴァラ」があります。「障害の主(ぬし)」という意味です。障害を置くことも、取りのぞくこともできる神とされてきました。
この神が仏教に入ると、まず「毘那夜迦」と呼ばれる、修行のじゃまをする鬼神として描かれました。ところが、観音菩薩などのはたらきで仏教に帰依(きえ=信じて従うこと)し、守り神になったと伝わります。
中国の唐の時代には、この神をまつる儀軌(ぎき=まつり方を記したお経)がいくつも訳されました。一つは、含光(がんこう)の『毘那夜迦誐那鉢底瑜伽悉地品秘要』です。もう一つは、善無畏(ぜんむい)訳とされる書物です。題名は『大聖歓喜双身大自在天毘那夜迦王帰依念誦供養法』。どちらも名前は長いですが、歓喜天のまつり方を説く書物です。
善無畏訳の書物では、歓喜天は大自在天(だいじざいてん)の妻・烏摩(うま)の子とされます。大自在天はヒンドゥー教のシヴァ神のことです。インドのガネーシャも、シヴァと妻パールヴァティーの子です。親子関係まで、しっかり受けつがれているのです。
日本では、胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅(まんだら=仏様の世界を描いた図)の両方に、その姿が描かれています。平安時代には、歓喜天を単独でまつる修法(しゅほう=密教の祈り)も行われるようになったとされます。
③ 姿・持物の特徴
- 象の頭に人の体:単身像は、象の頭に人の体です。ただしガネーシャのような大きなおなかや、乗り物のネズミはふつうありません。
- 手の数:2本の腕が基本です。4本・6本の腕をもつ像もあります。
- 持物(じもつ):胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)の歓喜天は、左手に蘿蔔根(らふくこん=大根の一種)、右手に鉞斧(えっぷ=おのの一種)を持ちます。金剛界曼荼羅では、外側の区画に6つの姿で描かれます。そのうち毘那夜迦天(びなやかてん)が、大根と歓喜団(かんぎだん=おまんじゅうに似たお菓子)を持っています。
- 双身像:象の頭の男女2体が、向かいあって抱きあう姿です。女天は冠をつけ、男天の足を踏む表し方があります。冠の女天が観音菩薩の化身、抱かれているのが毘那夜迦王とされます。観音さまが毘那夜迦を「抱きとめて」仏教に導いたという伝承を、そのまま形にした像なのです。
- 台座・光背:曼荼羅では円い座にすわります。光背(こうはい=背中の光の輪)や決まった印相(いんぞう=手の形)は、像によってさまざまです。
実は、歓喜天の像は、ほとんどが厨子(ずし=扉つきの箱)の中にまつられる秘仏です。お寺で直接お姿を拝めることは、まずありません。
03. 歓喜天のご利益 ― 商売繁盛・夫婦和合・除災
💞 夫婦和合・縁結び
👶 子授け
🛡 障りよけ・除災
🙏 心からの大願成就
歓喜天は、障りよけと福をもたらす神様として信仰されてきました。とくに知られるのが、商売繁盛と夫婦和合です。
唐の含光は、この神の救いの力は他の仏や神をしのぎ、この世とあの世の願いをかなえるのにふさわしい、とたたえたとされます。
こんな人におすすめ
- お店や仕事を始めるとき、行く手の「じゃま」を取りのぞいてほしい人
- 夫婦や家族の仲を、もう一度あたたかくしたい人
- どうしてもかなえたい願いがあり、本気で祈りたい人
ご利益の根拠:もとが「障害の主」であること、そして観音菩薩と結ばれて仏教の守り神になったという伝承が、障りよけと夫婦和合の信仰の土台になっています。お供えの大根や巾着(きんちゃく)の意味は、本龍院(待乳山聖天)の記事でくわしく紹介しています。
04. 歓喜天と関連する仏様・神々
※神仏習合(しんぶつしゅうごう=神と仏を結びつける考え方)で、歓喜天と特に定まって対応づけられた日本の神は、確認できる資料では見つかりませんでした。
05. 歓喜天(聖天さま)をまつる主なお寺
- 歓喜院(かんぎいん/埼玉県熊谷市・妻沼聖天山)― 斎藤実盛(さいとうさねもり)がまつったと伝わる聖天さま。本殿「聖天堂」は2012年に国宝に指定されました。壁をうめつくす色あざやかな彫刻は、見上げるだけで時間を忘れます。
- 本龍院(ほんりゅういん/東京都台東区・待乳山聖天)― 浅草寺の支院。大根がシンボルのお寺です。毎年1月7日の「大根まつり」では、ふろふき大根がふるまわれます。
- 宝山寺(ほうざんじ/奈良県生駒市・生駒聖天)― 江戸時代に湛海(たんかい)律師が開いた、商売繁盛の聖天さま。毎月1日・16日の縁日はにぎわいます。生駒山の中腹にあり、石段の参道や崖の上の伽藍も見どころです。
- 宝戒寺(ほうかいじ/神奈川県鎌倉市)― 境内の聖天堂に、木造の双身歓喜天立像(重要文化財)がまつられています。歓喜天像の代表作の一つとされます。
- 西江寺(さいこうじ/大阪府箕面市)― 「みのおの聖天さん」。役行者(えんのぎょうじゃ)がひらいた、日本最初の歓喜天の霊場と伝わります。
このうち歓喜院・本龍院・宝山寺は「日本三大聖天」と呼ばれます。3寺のくらべ方は、まとめ記事にゆずります。
御開帳について:歓喜院・本龍院・宝山寺・宝戒寺の歓喜天は、秘仏とされます。西江寺については、公式に記載が見つかりませんでした。定期的な御開帳(ごかいちょう=秘仏の公開)の予定も、確認できる公式情報には記載がありませんでした。
06. 歓喜天の見分け方 ― ガネーシャ・他の天部との違い
07. 歓喜天の物語コラム ― 人を食べる王と、十一面観音の変身
むかし、摩羅醯羅(まらけいら)という国に、一人の王がいました。王は大根と牛の肉しか口にしなかったといいます。
やがて、それが手に入らなくなりました。すると王は、亡くなった人の肉を食べはじめます。ついには、生きている人まで食べるようになってしまいました。
人々はたまりかねて、王を討とうとします。そのとき王は、恐ろしい大鬼王・毘那夜迦に姿を変えて、空へ飛び去りました。
それからです。国じゅうに、悪い病がはやりはじめました。王ののろいだったと伝わります。困りはてた人々は、十一面観音に救いを祈りました。
すると十一面観音は、なんと女性の毘那夜迦の姿になって、王の前に現れました。そして、やさしく王の心にはたらきかけたのです。
王の心は、すっかり変わりました。大きな歓び(よろこび)に満たされ、病はおさまり、国に平和がもどったといいます。
王が最後に感じた、大きな「歓び」。この結末には、のちの聖天信仰のかぎも隠れています(→10の謎へ)。
双身像の由来としては、善無畏訳とされる書物の話もよく知られています。観音の化身・扇那夜迦(せんなやか)が、はじめは兄弟、のちに妻となって毘那夜迦王をしずめた、という話です。
08. 歓喜天のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
- 歓喜天(聖天)は、インドのガネーシャをルーツにもつ、象の頭の天部の神
- もとは修行をさまたげる毘那夜迦だったが、十一面観音のはたらきで守り神になったと伝わる
- 歓喜院・本龍院・宝山寺などでまつられ、商売繁盛・夫婦和合のご利益で知られる
お堂で大根の紋を見つけたら、そこには象の頭の神様が、静かに願いを聞いているのかもしれません。
09. ゆる仏様トーク ― 歓喜天編
歓喜天は、今でいえば「どの道を通行止めにするか決められる、ベテランの交通整理係さん」です。頼りになるけれど、まじめにお願いしないとちょっとこわい。そんな存在です。
インドでは大人気の神様の息子。仏教に来たら、まず「修行のじゃま者」あつかい。それが観音菩薩に導かれて、ついには日本の商人たちが行列をつくる福の神に。──そう、仏様の世界でも、出世の道はまっすぐではなかったのです。
※経典の言葉ではなく、歓喜天の伝承をもとにイメージしたセリフです。


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