この記事でわかること
60日に一度の眠らない夜。その本尊になったのが、この青い仏様です。
01. 青面金剛の基本情報
| 分類 | 天部(てんぶ)。夜叉神(やしゃじん)に分類されます |
| 読み方 | しょうめんこんごう |
| 別名 | 青面金剛明王(しょうめんこんごうみょうおう)、青色大金剛薬叉(せいしょくだいこんごうやしゃ)。親しみをこめて「庚申さん」とも |
| 梵名(ぼんみょう) | 伝わっていません。インドの仏教にはいなかった仏様とされます |
| 真言(しんごん) | オン・デイバ・ヤキシャ・バンダ・バンダ・カカカカ・ソワカ(寺によって異なる場合があります) |
| 種子字(しゅじじ) | 確認できる資料では見つかりませんでした |
| 出典の経典 | 『陀羅尼集経』巻9「大青面金剛呪法」 |
| ご縁日 | 庚申(かのえさる)の日。60日に一度めぐってきます |
02. 青面金剛とは? ― 経典に説かれた、病を払う青い夜叉
① 一言まとめ
青面金剛は、青い体をした夜叉の姿の仏様です。経典では、病を払う呪文(じゅもん)の主として説かれます。日本では庚申信仰(こうしんしんこう)の本尊として、各地の庚申塔にまつられてきました。
② 由来・経典上の位置づけ
青面金剛が説かれるのは、7世紀の中ごろに漢訳された『陀羅尼集経』です。その巻9に「大青面金剛呪法」という章があります。
この章には、呪文を唱えると治る病が並んでいます。たとえば、こんな一文です。
(骨蒸〈こつじょう〉・伏連〈ふくれん〉・伝尸〈でんし〉の病の人は、呪を千遍唱えれば、病はすぐに治る)
ほかにも、鬼魅(きみ=もののけ)の病や、はやり病にも効くと説かれています(『陀羅尼集経』巻9、大正新脩大蔵経第18巻)。
ただし、インドの仏教に青面金剛という仏様はいなかったとされます。唐の時代に大黒天(マハーカーラ)の絵が伝わりました。それが誤って「青面金剛」と名づけられた、という説があります(Wikipedia「青面金剛」)。
また、もとは病を起こす鬼だったものが、降伏(ごうぶく)されて病を防ぐ守り神になったと説く仏典もあるとされます(日本美術の用語辞典 JAANUS)。
③ 姿・持物の特徴
経典の姿(一面四臂〈いちめんしひ〉):『陀羅尼集経』では、体は青く、手は4本です。
- 顔:大きく口を開け、牙が上に出ています。目は3つで、血のように赤いとされます。
- 頭:頭の上に髑髏(どくろ)をいただき、髪は炎のように逆立ちます。
- 持ち物:左の上の手に三股叉(さんこさ=三つ又のほこ)、下の手に棒。右の上の手に輪、下の手に羂索(けんさく=なわ)。
- 体:首に大蛇を巻き、両肩から龍が垂れます。虎の皮を腰にまとい、両足で鬼を踏みます。
- お供:左右に、香炉を持つ青い衣の童子。さらに赤・黄・白・黒の4人の夜叉が控えます。
江戸時代の庚申塔の姿(一面六臂):庚申塔では、手が6本の姿が定番です。岩手県花巻市の「田力の青面金剛像七庚申塔」(1889年)は、典型的な例とされます。右手に剣・三叉矛(さんさほこ)・矢、左手にショケラ・法輪(ほうりん)・弓を持ちます。足もとには邪鬼(じゃき)、その下に三猿と2羽の鶏が刻まれています(文化遺産オンライン)。
03. 青面金剛のご利益 ― 病気平癒・健康長寿・厄除け
🛡 無病息災・除災
🐢 健康長寿
🌾 豊作・招福
🚫 厄除け
青面金剛のご利益の中心は、病を払う力です。経典が病を治す呪文として説いたことが、その根拠になっています。
四天王寺の庚申堂にも、疫病から人々を救ったという寺伝があります(「07」の物語で紹介します)。
また庚申信仰では、豊作・招福・厄除け・健康長寿などの願いがかけられました(Wikipedia「庚申信仰」)。
こんな人におすすめ
- 家族や自分の病気の回復を祈りたい人
- 健康で長生きしたいと願う人
- 悪い習慣や欲を断ち切って、心を入れかえたい人
3つ目の願いには、八坂庚申堂の「くくり猿」がぴったりです。欲をひとつがまんして、願いをかけるお守りです。
04. 青面金剛の眷属・関連する仏様
三猿の信仰は、日吉大社(ひよしたいしゃ)の山王信仰で猿を神の使いとすることとも結びつきました。室町時代の後期から、猿を描いた碑が増えたとされます(Wikipedia「庚申信仰」)。
帝釈天と庚申の日の関係は、帝釈天の記事の謎のコーナーでくわしく考察しています。
05. 青面金剛をまつる主な寺社
- 四天王寺 庚申堂(大阪市天王寺区):「日本最初の庚申尊出現の地」といわれます。本尊は青面金剛童子で、秘仏です。60年に一度だけ開かれる秘仏とする資料もあります(大阪市の文化財資料)。
📅 庚申の日の「庚申まいり」は、大阪市の無形民俗文化財です。その年最初の庚申(初庚申)の前日には、大般若経600巻の転読(てんどく=経典をぱらぱらとめくって読むこと)があるとされます。当日には柴燈大護摩供(さいとうおおごまく=屋外で大きな火をたく護摩の祈り)が行われるとされます。日程は四天王寺の案内で確認してください。 - 八坂庚申堂(京都市東山区):正式名は大黒山延命院金剛寺(だいこくさん えんめいいん こんごうじ)。天台宗の寺です。本尊の青面金剛は、飛鳥時代に渡来系の秦氏(はたうじ)が持っていた念持仏(ねんじぶつ=身近に置いて拝む仏像)と伝わります。境内は、願いをこめて奉納された色とりどりの「くくり猿」でいっぱいです。くくり猿は、手足をしばられた猿のお守りです。欲のままに動く猿をしばるように、欲をひとつがまんして願いをかけます。拝観は9時〜17時との情報があります(旅行サイト。公式サイトは確認できず)。
- 入谷庚申堂(東京都台東区):江戸時代、四天王寺庚申堂・八坂庚申堂とともに「日本三庚申」に数えられたとされます。お堂は今はなく、小野照崎神社の境内に残る庚申塚がその名残とされます。
- 柴又帝釈天(東京都葛飾区):本尊は帝釈天ですが、庚申の日が縁日です。1779年に板本尊が見つかった日が庚申の日だったからとされます。
- 各地の庚申塔:さいたま市南区には、寛文4年(1664年)の庚申塔があります。青面金剛が大きく浮き彫りにされ、二童子や四夜叉、猿、鶏も彫られています(さいたま市の案内)。経典に説かれたお供が、石の上にそろっているのです。
06. 青面金剛の見分け方ガイド ― 庚申塔の三猿・鶏・ショケラが目印
✅ 青面金剛かどうか、ここをチェック!
- 足もとに三猿がいる:いちばんの目印です。2羽の鶏がいれば、さらに確実です。
- 手が6本(または4本):弓と矢、剣、法輪などを持ちます。
- 女の人の像をさげている:ショケラがあれば、ほぼ青面金剛です。
- 邪鬼を踏んでいる:足の下に小さな鬼がいます。
- 上に日と月:庚申塔の上の左右に、太陽と月が刻まれることが多いです。
似ている仏様とのちがい
07. 青面金剛の物語 ― 庚申の日に現れた童子と、眠らない夜
飛鳥時代の終わりのことです。多くの人々が、疫病(えきびょう=はやり病)に苦しんでいました。
四天王寺の僧・豪範僧都(ごうはん そうず。毫範とも書きます)は、人々を救いたいと一心に祈りました。大宝元年(701年)正月7日。その日は、ちょうど庚申の日でした。
すると、帝釈天の使いとして、一人の童子が現れたといいます。童子は、災いを除き、病をなくす力を示しました。この童子が、庚申堂の本尊・青面金剛童子とされます(四天王寺庚申堂の寺伝)。
この寺伝から、四天王寺の庚申堂は「日本最初の庚申尊出現の地」と呼ばれるようになりました。経典で病を払うと説かれた仏様が、日本では「庚申の日」と結びついて語られたのです。
庚申の夜に眠らず過ごす習わしは、平安時代の宮中ではすでに行われていました。貞観5年(863年)には清和天皇の宮中で庚申の宴が開かれています。15世紀の中ごろには、お経を唱える「庚申待」になりました。延宝4年(1676年)の京都の宮中では、青面金剛にお酒やお菓子を供えたと記録されています(黒川道祐『日次紀事』)。
そして江戸時代、村や町では「庚申講」がつくられ、道ばたに石の庚申塔が次々に建てられていきました。701年の童子は、千年をかけて、日本じゅうの道ばたに立つことになったのです。
08. 青面金剛のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
- 青面金剛は、『陀羅尼集経』に説かれた、病を払う青い夜叉の姿の仏様
- 日本では庚申信仰の本尊となり、三猿・鶏とともに各地の庚申塔にまつられた
- 庚申の夜に眠らず過ごす「庚申待」は、平安の宮中から江戸の庶民まで千年近く続いた
散歩の途中で三猿の石塔を見つけたら、上の青い仏様の手の数を数えてみてください。
09. ゆる仏様トーク ― 青面金剛編
庚申待は、今でいえば「60日に1回の、町内会のオールナイト見張り番」です。見張る相手は、自分の体の中の虫。眠ったら負けなので、みんなで集まってお経を唱え、ごはんを食べ、おしゃべりで夜を明かしました。
寿命を守るために、身をつつしんで起きている夜。……のはずが、平安の宮中では音楽が奏でられ、末にはお酒も出るように。江戸の宮中の記録では、青面金剛にもお酒とお菓子が供えられています。──そう、眠らない夜の道もまた、まっすぐではなかったのです。
※経典の言葉ではなく、庚申塔の三猿と「10」の考察をもとにイメージしたセリフです。
10. 青面金剛の謎 ― 病を払う夜叉は、なぜ「三尸の虫」の番人になったのか
『陀羅尼集経』の青面金剛は、病を治す呪文の主です。三尸のことも、庚申のことも、経典には出てきません。それなのに日本では、道教から来た三尸の虫を押さえる神として、庚申信仰の本尊になりました。数ある仏様の中で、なぜ青面金剛が選ばれたのでしょうか。
① 『陀羅尼集経』巻9は、「骨蒸・伏連・伝尸」の病の人は、呪を千遍唱えれば治ると説きます。
② 伝尸病(でんしびょう)について、江戸時代の医書『病名彙解』は、腹の中で内臓を食べる虫が原因だと説明します。身近な親類に次々うつり、一家が絶える病とされました。
③ 室町時代の医書『類証弁異全九集』では、その虫は病人が死ぬ瞬間に口や鼻から出て、近くの人の腹に入るとされます。鎌倉時代の『医談抄』には「伝屍病ハ、鬼ノ住スル病ナリ」とあります(②③は和楽web「虫になった鬼が引き起こす〈伝尸病〉」による)。
④ 同じ記事は、『青色金剛』という書物に、僧・覚円(かくえん)の修法(しゅほう=密教の祈り)で伝尸病が収まったという記述があると紹介しています。修法の中身はわかっていません。
⑤ 三尸は、人の体にすむ3匹の虫です。庚申の夜、眠った人の体を抜け出して天の神に罪を告げ、寿命を縮めるとされました。
⑥ 15世紀の中ごろ、庚申の夜は仏教の勤行(ごんぎょう=お経を唱えるおつとめ)を行う「庚申待」に変わったとされます(Wikipedia「庚申信仰」)。
⑦ 庚申塔の三猿は、「申」と「猿」の関係から、三尸の虫を封じる意味があるとされます(文化遺産オンライン「八坂神社の青面金剛像庚申塔」〈岩手県花巻市〉の解説)。
私が注目したのは、②③と⑤がよく似ていることです。伝尸の虫も三尸の虫も、人の体の中にすみ、命をけずる虫です。しかもどちらも、ある時に体から抜け出していくとされました。伝尸の虫は死の瞬間に、三尸の虫は庚申の夜の眠りの間に、です。
青面金剛が庚申の本尊に選ばれたのは、「体の中にすみ、命をけずり、抜け出していく虫」を退ける仏様だったからではないでしょうか。経典の伝尸の虫と、道教の三尸の虫。2つの虫が重ねられ、病を払う夜叉は、眠らない夜の番人になったのだと私は考えます。ただし、2つの虫を結びつけた古い記録は確認できていません。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?

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