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【仏様図鑑】十二神将(じゅうにしんしょう)-薬師如来を守る干支の守り神、名前が入れかわる謎

仏様図鑑
お薬師さまのまわりで、武器をかまえてにらみをきかせる12人の武将。それが十二神将(じゅうにしんしょう)です。

この記事でわかること

  • 十二神将の正体と、12人の名前・干支(えと)・本地仏(ほんじぶつ)の一覧
  • お経の中で12人が立てた誓いと、「五色の糸」で願いを結ぶ話
  • 同じ像なのに、資料によって名前が入れかわるのはなぜかという謎

あなたの干支を守る大将は、だれでしょう。一緒に探してみましょう。

01. 十二神将の基本情報

十二神将(じゅうにしんしょう)基本情報
分類 天部(てんぶ=仏様や教えを守る神々のグループ)
読み方 じゅうにしんしょう(「じゅうにしんしょう」が一般的。「じゅうにじんしょう」と読む例もあります)
別名 十二薬叉大将(じゅうにやくしゃたいしょう)、十二神王(じゅうにしんのう)
出身 夜叉(やしゃ=インドの森や山にすむ鬼神)。仏様の教えに帰依(きえ=心から従うこと)して守護神になったとされます
仕える仏様 薬師如来(やくしにょらい)
梵名(ぼんみょう)・種子字(しゅじじ) 12人それぞれに梵名と種子字(仏様を表す1文字の梵字)があります。たとえば筆頭の宮毘羅(くびら)大将の梵名はクンビーラです。十二神将全体としての梵名・種子字は、確認できる資料では見つかりませんでした
出典 『薬師経(やくしきょう)』。代表的なのは、玄奘(げんじょう)訳の『薬師瑠璃光如来本願功徳経(やくしるりこうにょらいほんがんくどくきょう)』です
部下の数 1人が7000人の夜叉を率い、合わせて8万4000人とされます
真言・ご縁日 十二神将としてまとまった真言・ご縁日は、確認できる資料では定まったものが見つかりませんでした(本記事では省略)

02. 十二神将とは? ― 薬師如来を守る12人の大将

① 一言まとめ

十二神将は、病気を治す仏様・薬師如来を守る12人の武将です。薬師如来を信じる人も守ってくれるとされます。日本では、干支の守り神としても親しまれています。

② 由来・経典上の位置づけ

十二神将のもとは、インドの夜叉です。お経では「十二薬叉大将」と呼ばれます。「薬叉(やくしゃ)」は夜叉の別の書き方です。

『薬師経』の終わり近くで、12人はお釈迦さまの説法の場にいました。そして薬師如来の名を聞いて、仏様の教えを守ると誓います(くわしくは「07」の物語で紹介します)。

12という数は、薬師如来が立てた「十二の大願(だいがん=大きな誓い)」に応じたものとされます。やがて12人は、1日の12の時刻、1年の12か月、12の方角をそれぞれ守ると考えられるようになりました。そこから中国や日本で、十二支(じゅうにし)と結びつけられたのです。

③ 姿・持物の特徴

  • よろいを着た武将の姿:12人とも、よろいをつけて立つ姿が基本です。
  • 怒りの顔:目をむき、口を開けたり結んだりして、悪いものをにらみつけます。
  • 持物はさまざま:剣・弓矢・矛(ほこ)・斧(おの)などを持ちます。ただし、だれが何を持つかは決まっていません。
  • 頭の上の動物:平安時代以降(鎌倉時代からとする解説もあります)の像には、頭に十二支の動物をのせたものが多くあります。
  • 台座・光背:岩をかたどった台座に立つことが多いです。光背(こうはい=後ろの光の輪)はなく、決まった印相(いんぞう=手の形)も結びません。

ふつうは、薬師如来の左右に6体ずつ並ぶか、お堂の前に一列に並びます。新薬師寺のように、本尊をぐるりと円形に囲む例もあります。

④ 12人の名前・干支・本地仏

本地仏とは、「その神様の、本当の姿とされる仏様」のことです。下の表は、よく使われる組み合わせの一例です。十二支の割り当ても本地仏も、資料によって違います(諸説あり)。

読み方も資料によってゆれます。伐折羅は「ばざら」、摩虎羅は「まごら」、招杜羅は「しょうずら」、毘羯羅は「びがら」とも読みます。新薬師寺では、バザラ・マコラ・ショウトラ・ビギャラと呼んでいます。

名前(読み) 十二支 本地仏
宮毘羅(くびら)大将 亥(い) 弥勒菩薩
伐折羅(ばさら)大将 戌(いぬ) 勢至菩薩
迷企羅(めきら)大将 酉(とり) 阿弥陀如来
安底羅(あんてら)大将 申(さる) 観音菩薩
頞儞羅(あにら)大将 未(ひつじ) 如意輪観音
珊底羅(さんてら)大将 午(うま) 虚空蔵菩薩
因達羅(いんだら)大将 巳(み) 地蔵菩薩
波夷羅(はいら)大将 辰(たつ) 文殊菩薩
摩虎羅(まこら)大将 卯(う) 大威徳明王
真達羅(しんだら)大将 寅(とら) 普賢菩薩
招杜羅(しょうとら)大将 丑(うし) 大日如来
毘羯羅(びから)大将 子(ね) 釈迦如来

お経に出てくる順番(宮毘羅→毘羯羅)と、十二支の順番(子→亥)が、ちょうど逆向きになっているのがわかります。ちなみに、筆頭の宮毘羅大将の梵名(ぼんみょう=インドの言葉での名前)はクンビーラです。四国の金毘羅(こんぴら)さんと同じ語源とされます。

03. 十二神将のご利益 ― 病気平癒と干支の守り神

🩺 病気平癒(へいゆ)・健康
🛡 災難よけ
🐾 干支の守り神
🙏 願いごとの成就

十二神将は、病気を治す薬師如来の家来です。そこで、病気平癒・健康を願う信仰と強く結びついています。

また、昼と夜、1年、方角のすべてをすき間なく守るとされます。そこから災難よけのご利益も信じられてきました。

日本では、十二神将は干支の守り神としても親しまれています。自分の生まれ年の干支や、新しい年の干支の大将にお参りする楽しみ方もあります(一般に「干支の守り本尊」というと、千手観音などの8体の仏様を指すので、区別してください)。たとえば2027年は未年(ひつじどし)です。表の組み合わせでいえば、頞儞羅(あにら)大将の年になります。

こんな人におすすめ

  • 自分や家族の病気が早く治るよう、願いたい人
  • 新しい年を、無事にすごせるよう祈りたい人
  • 自分の干支の守り神を知って、お参りしてみたい人

ご利益の根拠:『薬師経』で12人は、お経を広めたり薬師如来の名を大切にしたりする人を守ると誓います。そして、苦しみからぬけ出させ、願いをかなえると約束しています。

04. 十二神将と関連する仏様・神々

薬師如来(やくしにょらい)十二神将が仕える仏様。病を治し、この世での幸せを約束する。
日光菩薩・月光菩薩(にっこう・がっこうぼさつ)薬師如来の左右に立つ脇侍(わきじ)。3体で「薬師三尊」と呼ばれ、十二神将とセットでまつられることが多い。
夜叉(やしゃ)十二神将のふるさと。森や山の鬼神が仏法の守護神になった。
四天王(してんのう)同じく仏法を守る武将の姿の神々。4人で東西南北を守る。
二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)千手観音を守る28の神々。「仏様を守る大勢の神々」という点で似ている。
金毘羅(こんぴら)筆頭の宮毘羅大将と同じく、梵名クンビーラに由来するとされる神。

※神仏習合(しんぶつしゅうごう=神と仏を結びつける考え方)では、十二神将それぞれに本地仏が当てられました(上の表)。日本の神と特に定まって対応づけられた例は、確認できる資料では見つかりませんでした。

05. 十二神将に会える寺院

  • 新薬師寺(しんやくしじ/奈良県奈良市)本堂 ― 奈良時代(8世紀)の塑像(そぞう=粘土でつくった像)で、日本最古・最大級の十二神将とされます。12体のうち11体が国宝です。残る1体は、1931年(昭和6年)につくられた木の像です。お寺ではこの像を波夷羅(はいら)大将と呼びます(この像は国宝ではありません)。12体は本尊の薬師如来をぐるりと囲んで立ちます。拝観は9時〜17時、大人600円です(公式サイトより)。お寺のくわしい歴史は新薬師寺の記事へ。
  • 興福寺(こうふくじ/奈良県奈良市)東金堂 ― 1207年ごろにつくられた国宝の木造十二神将立像。頭に十二支の動物をかざった姿で、動きのある鎌倉時代の名作です。
  • 興福寺国宝館 ― 国宝の板彫(いたぼり)十二神将像。厚さ3センチほどのヒノキの板に彫ったレリーフ(浮き彫り)で、11世紀の作とされます。もとは東金堂の本尊の台座にはめこまれていたと考えられています。
  • 広隆寺(こうりゅうじ/京都市右京区)霊宝殿 ― 平安時代後期の国宝・十二神将立像。仏師の長勢(ちょうせい)の作と伝わります。
  • 東京国立博物館・静嘉堂文庫美術館(東京都)― 鎌倉時代の木造十二神将立像(重要文化財)。12体が5体と7体に分かれて伝わります。もとは京都府木津川市の浄瑠璃寺にあったと考えられています。頭に十二支の動物が表されています。
📅 国宝に指定された十二神将は、全国で4件あります(2013年の展覧会解説による)。そのうち2件が興福寺にあります。拝観料・拝観時間・展示の状況は変わることがあります。お出かけ前に、各寺院や美術館の公式情報で確認してください。

06. 十二神将の見分け方 ― 四天王・金剛力士との違い

  • ✅ まん中に薬師如来がいる:よろいの武将がたくさん並び、中心が薬師如来なら、まず十二神将です。
  • ✅ 数が12体:四天王は4体、二十八部衆は28体(+風神・雷神)です。
  • ✅ 頭の上に動物がいる:ネズミやウシ、トラなど、十二支の動物を頭にのせていれば十二神将です(古い像にはいないこともあります)。
  • ✅ 足もとに邪鬼(じゃき)がいない:四天王は足で邪鬼をふみつけますが、十二神将は岩の台座に立つことが多いです。
  • ✅ 上半身が裸ではない:門に立つ金剛力士(仁王)は上半身が裸。十二神将はよろいを着ています。
💡 12体のうち「だれがだれか」を見分けるのは、専門家でもむずかしいとされます。持物やポーズで決まった区別がないからです。お寺では、像のそばの名札や、頭の動物を手がかりにしてみてください。

07. 十二神将の物語コラム ― 12人の誓いと五色の糸

お釈迦さまが、薬師如来の教えを説き終えようとしていたときのことです。集まった人々の中に、12人の夜叉の大将がいました。宮毘羅、伐折羅、迷企羅……。1人1人が、7000人の部下を連れています。

12人は声をそろえて、お釈迦さまに申し上げました。

「私たちは、薬師如来のお名前を聞くことができました。もう、悪い世界に落ちる心配はありません。命あるかぎり、仏・教え・僧を敬います。そして、すべての生きものの幸せのために働きます」

12人は、さらに約束します。このお経が広まる村や町、山の中まで、どこへでも駆けつける。薬師如来の名を大切にする人を、部下とともに守る。苦しみから救い、願いをかなえる、と。

そして、こう付け加えました。

「病や災いに苦しむ人は、このお経を読みなさい。そして五色の糸で、私たちの名を結びなさい。願いがかなったら、その結び目をほどくのです」

お釈迦さまは、「よきかな、よきかな」とたたえました。薬師如来の恩に報いたいなら、いつもそのように人々を助けなさい、と。

夜叉といえば、もとは人をおそれさせる鬼神です。その12人が、病に苦しむ人の願いを、糸の結び目に受けとめる守り神になったのです。

📖 玄奘訳『薬師経』の終わり近くの場面を、やさしく言いかえました。正式な名前は『薬師瑠璃光如来本願功徳経』です。セリフは意訳です。このお経の別名にも、「十二神将」と「結願(けちがん=願いを結ぶ)」の言葉が入っているとされます。夜叉が仏法の守護神になる流れは、夜叉の記事でも紹介しています。

08. 十二神将のまとめと関連記事

この記事でわかったこと

  • 十二神将は薬師如来を守る12人の大将で、もとはインドの夜叉
  • 『薬師経』で12人は、お経と信じる人を守り、願いをかなえると誓った
  • 12の時刻・月・方角を守ることから十二支と結びつき、干支の守り神として親しまれている

次に薬師如来のお堂を訪ねたら、自分の干支の大将を探してみてください。

09. ゆる仏様トーク ― 十二神将編

🍵 ゆる仏様トーク①(たとえ話)

十二神将は、今でいえば「24時間・365日休みなしの、12人チームの警備会社」です。1人が2時間ずつ、1か月ずつ担当してリレーする。しかも1人に7000人の部下つき。薬師如来のまわりは、すき間なく守られているのです。

🍵 ゆる仏様トーク②(ツッコミ)

インドの森の鬼神が、やがて十二支の動物を頭にのせることになりました。トラやタツの大将は、なんだか得意げです。いっぽう、子(ね)の毘羯羅(びから)大将の頭には、小さなネズミがちょこん。それでも顔は、ほかの11人に負けない本気の怒り顔です。──そう、頭の上がネズミでも、守る覚悟はトラにもタツにも負けないのです。

🍵 ゆる仏様トーク③(ひとこと)
「名前を覚えてくれなくてもかまわない。苦しいときは、私たちがそばにいる。」

※経典の言葉ではなく、十二神将の誓いをもとにイメージしたセリフです。

10. 十二神将の謎 ― 同じ像なのに、なぜ名前が入れかわるのか

【謎】同じ十二神将の像なのに、資料によって「だれなのか」が入れかわるのはなぜか?
【事実の整理】『薬師経』には、12人の名前と部下の数は出てきます。でも、それぞれの顔つきや持物は書かれていません。像の持物やポーズからは、だれがだれかを見分けにくいとされます。
興福寺の国宝・板彫十二神将像について、観光庁の多言語解説文は、それぞれの像の名前を「後世につけられたもの」と説明しています。そのため、もとはどの像がだれだったのかは、はっきりしないそうです。
新薬師寺では、国の指定名とお寺の呼び名が、多くの像で違います。たとえば国の指定名で「伐折羅(ばさら)」とされる像を、お寺は「安底羅(あんてら)大将」と呼びます。
昭和につくり直された1体も同じです。この像は国宝ではありませんが、お寺の公式サイトの対応表では、国の名前の「宮毘羅(くびら)」にあたります。それをお寺では「波夷羅(はいら)大将」と呼びます。お寺の呼び名と干支の組み合わせは、12体とも02の表と一致します。
しかも新薬師寺の像は奈良時代の作です。つくられた当初は、十二支を意識していなかったとされます。十二支と結びつける信仰が広まったのは、鎌倉時代以降という解説があります。
いっぽう、頭に十二支の動物をのせた像は、平安時代以降(鎌倉時代からとする解説もあります)に多くなります。1207年ごろの興福寺東金堂の像も、その一つです。
【私の考察】私は、十二支の動物は十二神将の「名札」だったのだと考えます。理由は3つあります。
1つ目。お経には名前しかなく、姿の決まりがありません。よろいを着た怒りの顔の武将が12人並ぶと、だれがだれか見分けがつきません。名前だけあって、顔のない12人だったのです。
2つ目。そこへ十二支が結びつきました。頭の上にネズミがいれば子、ウシがいれば丑。動物は、だれにでもわかる目じるしです。頭に動物をのせた像は、つくられた時点で「だれか」が決まります。名札をつけて生まれてきたわけです。
3つ目。反対に、名札のない古い像はどうでしょう。奈良時代の新薬師寺の像は、十二支を意識せずにつくられたとされます。だから後の時代の人が、置かれた場所や伝えをもとに名前を当てはめることになりました。
でも十二支の割り当て方は、資料によって何通りもあります。当てはめ方が違えば、名前も入れかわる。国の名前がどんな根拠で付けられたかは、公式サイトにも説明がありません。それでも、国と新薬師寺で呼び名が違うのは、そのためではないでしょうか。興福寺の板彫の名前がはっきりしないのも、同じ理由で説明できます。
そして名札がついたことで、十二神将は「12人のうちのだれか」から、「私の干支を守る、あの大将」へ変わりました。干支の守り神として親しまれるようになったのは、名札のおかげだったのかもしれません。
【結論(あくまで推測)】十二神将の名前が入れかわるのは、もともと見分ける手がかりがなく、あとから十二支という「名札」がつけられたからではないでしょうか。名札のない古い像ほど、名前がゆれるのです。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?

11. 十二神将データベース早見表

項目 内容
分類 天部
読み方 じゅうにしんしょう
別名 十二薬叉大将・十二神王
仕える仏様 薬師如来
梵名・種子字 12人それぞれにある(例:宮毘羅=クンビーラ)。全体としては確認できなかった
出典 『薬師経』
部下 1人7000人、合わせて8万4000人の夜叉
真言・ご縁日 確認できる資料では定まったものが見つからなかった
主なご利益 病気平癒・災難よけ・干支の守り神・願いごとの成就
代表的な像 新薬師寺(国宝・奈良時代・塑像)、興福寺東金堂(国宝・鎌倉時代)、興福寺板彫(国宝・11世紀)、広隆寺(国宝・平安時代後期)

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