この記事でわかること
- インドの経典にいない、日本生まれの仏神の正体
- なぜ台所にまつられ、火の神になったのか
- 【謎】「三宝」は本当に仏・法・僧のことなのか
ごはんを炊く火のそばに、なぜこわい顔の神様がいるのでしょう。
01. 三宝荒神の基本情報(真言・ご縁日)
| 分類 | 日本で生まれた仏神(ぶっしん)。仏法を守る天部(てんぶ)の仲間として紹介します |
| 読み方 | さんぽうこうじん(「さんぼうこうじん」とも) |
| 別名 | 荒神さま、荒神さん、三宝荒神王(さんぽうこうじんおう)、かまど神 |
| 梵名(ぼんみょう) | ありません。インドから来た仏様ではないためです |
| 真言(しんごん) | オン・ケンバヤ・ケンバヤ・ソワカ |
| 種子字(しゅじじ) | 決まったものは確認できませんでした |
| ご縁日 | 全国で決まった日は確認できませんでした。清荒神清澄寺では毎月27・28日に「月並三宝例祭」があります。民間では、毎月の晦日(みそか=月末)に荒神をまつる風習が知られます |
| 関係する経典 | 『仏説大荒神施与福徳円満陀羅尼経』(ぶっせつだいこうじんせよふくとくえんまんだらにきょう。略して『大荒神経』)。日本で作られたお経(偽経〈ぎきょう〉)とされます |
02. 三宝荒神(荒神さま)とは? ― 仏・法・僧を守る、日本生まれの荒ぶる神
① 一言まとめ
三宝荒神は、仏・法・僧の「三宝(さんぽう)」を守り、不浄(ふじょう=けがれ)をきらう神様です。火の清らかさを好むとされます。そのため近世(江戸時代ごろ)からは、かまどの神として台所にまつられてきました。
② 由来・経典上の位置づけ
実は、三宝荒神はインドの正式な経典には出てきません。日本の仏教の中で、独自に生まれた神様です。
もとになったのは、日本古来の荒魂(あらみたま)だとされます。荒魂とは、神の荒々しい力のことです。そこへ古代インドの夜叉(やしゃ)の姿が取り入れられました。さらに神道・密教・山の信仰がまざって、今の荒神さまができたと考えられています。
「荒神」という言葉は、平安時代から記録に見えます。11世紀の日記『水左記』(すいさき)の「荒神祓(こうじんばらえ)」が、早い例とされます。では「三宝荒神」の名は、いつから使われたのでしょう。じつは、はっきりしていません。このことは、10の謎で考えます。
荒神さまと人々をつないだのは、修験道(しゅげんどう)の山伏(やまぶし)や陰陽師(おんみょうじ)でした。琵琶(びわ)を弾く地神盲僧(じじんもうそう)たちもいます。彼らは家々を回り、荒神をきよめる「荒神祓い」をする風習がありました。
③ 姿・持物・印相の特徴
- 三面六臂(さんめんろっぴ=顔が3つ、腕が6本):いちばんよく知られる姿です。宝冠(ほうかん)をかぶり、怒った顔か、如来のようなおだやかな顔で表されます
- 八面六臂(はちめんろっぴ):3つの顔の頭上に、さらに5つの小さな顔がのる姿です
- 髪を逆立て、目をつり上げた顔:不動明王などの明王に通じる、はげしい表情です
- 如来荒神(にょらいこうじん):金剛薩埵(こんごうさった)に似た、おだやかな姿です
- 子島荒神(こじまこうじん):日本の宮廷の装束に冠をつけ、宝珠と輪宝(りんぼう)を持つ姿です
印相・光背・台座:決まった印相(いんぞう=手の形)は確認できませんでした。6本や8本の手に、さまざまな法具を持つ像が多いです。見分けるときは、印相より「多くの顔と腕」「怒った顔」に注目しましょう。
03. 三宝荒神のご利益 ― 火伏せ・家内安全・厄除け
🍚 かまど・台所の守り
🏠 家内安全
🛡️ 厄除け
🌾 五穀豊穣(作神)
🍀 福徳
- 火伏せ・かまどの守り:屋内の囲炉裏(いろり)やかまどにまつられ、火伏せの神の性格がめだちます
- 五穀豊穣:作物を守る「作神(さくがみ)」の性格もあるとされます
- 厄除け:清荒神清澄寺には、厄除けの火箸があります。厄年の人が「火箸で厄をつまみ出してもらう」とされます
- 福徳:清荒神清澄寺の拝殿(天堂〈てんどう〉)には、三宝荒神王・大聖歓喜天(聖天)・十一面観音など、「福徳を授ける諸神諸仏」がまつられています
ご利益の根拠:辞典は、荒神を「浄信者を助け、悪人を罰する神」と説明します。また、怒ると人々の福をうばい、さまたげをなす神だとも書きます。つまり、ていねいにまつれば守ってくれる、きびしい神様なのです。
こんな人におすすめ:毎日料理をする人。新しい家に引っこした人。厄年をむかえて、気持ちを引きしめたい人。
04. 三宝荒神の眷属・関連する仏様と神様
三宝荒神の眷属(けんぞく=おともの神)の名前は、確認できませんでした。ただ、清荒神清澄寺の境内には「眷属堂」があります。また、荒神さまは多くの仏様や神様と「同じ体(同体)」とされてきました。
05. 三宝荒神をまつる主要な寺社 ― 清荒神清澄寺ほか
- 清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ。兵庫県宝塚市):真言三宝宗の寺で、「荒神信仰の総本山」をかかげます。宇多天皇の発願(ほつがん=願いを立てること)による勅願寺(ちょくがんじ)で、896年に静観僧正(じょうかんそうじょう)を開山に迎えたと伝わります。本尊は大日如来です。開門は5時〜21時(12月31日21時〜1月3日は除く)。阪急「清荒神駅」から徒歩約15分です
- 護浄院(ごじょういん。京都市上京区):天台宗の寺で、通称は「清荒神」。地名「荒神口(こうじんぐち)」の由来になりました。本尊は清三宝大荒神です
- 立里荒神社(たてりこうじんじゃ。奈良県野迫川〈のせがわ〉村):標高1260mの荒神岳の山頂にあります。空海が高野山を開くとき、三宝荒神をまつったと社伝は伝えます
- 海雲寺(かいうんじ。東京都品川区):「千躰荒神(せんたいこうじん)」をまつり、江戸の町でかまどの神として信仰されました。春と秋に大祭があり、旅行サイトでは3月・11月の27・28日ごろとされます。日程は寺に確認しましょう
06. 三宝荒神の見分け方ガイド
✅ この特徴があれば三宝荒神かも?チェックリスト
- □ 顔が3つ(または頭上にさらに5つ)あり、腕が6本ある
- □ 髪を逆立て、目をつり上げた怒りの顔
- □ 仏壇ではなく、台所の棚(荒神棚)や柱にまつられている
- □ お札の前に、松の小枝(荒神松)や榊(さかき)が供えてある
- □ 「荒神」「三宝荒神王」と書かれたお札
似た仏様との違い
07. 三宝荒神の物語 ― 山で出会い、火の中で残った神
荒神さまのお話は、山から始まります。
修験道の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が、金剛山(こんごうさん)で祈っていたときのことです。艮(うしとら=北東)の方角に、赤い雲がたなびきました。その雲の中に、荒神が姿を現したといいます。役行者は祠(ほこら)を建てて、荒神をまつりました。
時代は下って、平安時代のはじめ。816年、空海は高野山を開くにあたり、近くの荒神岳に登ったと伝わります。そして一枚の板に三宝荒神をえがいて本尊とし、17日間まつったといいます。これが立里荒神社の始まりと伝わります。
11世紀には、奈良の子島寺(こじまでら)にゆかりの僧・真興(しんこう)の夢にも、荒神が現れたと伝わります。冠をつけた宮廷の装束の姿で、これが「子島荒神」の姿になりました。(子島寺を開いた人は報恩〈ほうおん〉とされ、真興とする資料もあります。諸説あり)
山の修行者が、山で出会う神。それが、荒神さまのもう一つの顔です。
そして荒神さまには、「火の中でも残った」という伝えもあります。清荒神清澄寺は、源平の戦いや荒木村重(あらきむらしげ)の乱の戦火で、何度も焼けました。それでも、鎮守(ちんじゅ=寺を守る神)の三宝荒神社だけは、どの火事でも難をのがれたと寺は伝えます。
──そう、火の神様の社は、火の中でも残ったのです。
08. 三宝荒神のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
- 三宝荒神は、インドの経典にいない、日本で生まれた仏・法・僧の守り神
- 不浄をきらい火の清らかさを好むとされ、江戸時代ごろから台所のかまど神になった
- 山伏・陰陽師・盲僧たちが家々を回る「荒神祓い」が、荒神信仰を支えてきた
台所で火をつけるとき、ちょっとだけ荒神さまを思い出してみてください。
09. 三宝荒神のゆる仏様トーク ― 台所の荒神さま編
三宝荒神は、今でいえば「キッチンの火災報知器」です。ふだんは天井でだまっていますが、いざというとき家を守ってくれる。こわい顔なのも、本気で守ってくれるしるしです。
「荒ぶる神」なのに、毎朝いちばんに炊いたごはんを供えてもらえる。清荒神清澄寺の案内に、そう書いてあります。──そう、荒神さまは、家族のだれよりも先に朝ごはんを食べる神様だったのです。
三宝荒神が、台所に立つ人に声をかけるとしたら――
※経典の言葉ではなく、不浄をきらい火の清らかさを好むという性格をもとにイメージしたセリフです。


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