この記事でわかること
- 王子たちの理髪師が、王子より先に出家した話
- お釈迦さまの髪をそりながら、心が深く静まった物語
- 【謎】『楞厳経』で「お釈迦さまの出家を見た」と語るのはなぜか
お坊さんの決まり(戒律)の第一人者は、もと床屋さんでした。
01. 優波離の基本情報
| 分類 | 羅漢・祖師(らかん・そし/十大弟子の一人) |
| 読み方 | うぱり(「うばり」とも) |
| 梵名(ぼんみょう) | ウパーリ(Upāli)。パーリ語でも同じくウパーリ |
| 別名 | 優婆離(うばり)・鄔波離(うばり)など。意味をとった訳は近執(ごんしゅう)・近取(ごんしゅ) |
| 出身 | カピラ城(カピラヴァストゥ)の理髪師の家。身分はシュードラ(インドの身分制度でいちばん下とされた身分)とされます |
| 称号 | 持律第一(戒律をいちばんよく守り、よく知る人) |
| 真言・種子字(しゅじじ)・ご縁日 | 確認できる資料では見つからなかった(本記事では省略) |
02. 優波離とは? ― 戒律の第一人者・持律第一の十大弟子
① 一言まとめ
優波離は、お坊さんの生活の決まり「律(りつ)」を、弟子の中でいちばんよく知っていた人です。仏様ではなく、実在したとされるお坊さんです。
② 生涯と経典上の位置づけ
優波離は、お釈迦さまの故郷・カピラ城で、理髪師の家に生まれました。大人になると、釈迦族(しゃかぞく)の王子たちの髪を整える仕事をしていました。お釈迦さまが太子だったころの執事(身のまわりの世話をする人)だった、という説もあります(諸説あり)。
悟りを開いたお釈迦さまが故郷へ帰ると、王子たちが次々に出家を願います。阿那律(あなりつ)や阿難(あなん)、提婆達多(だいばだった)たちです。優波離もいっしょに出かけました。
王子たちは、身につけていた飾りを優波離にわたして帰そうとします。でも優波離は受け取りませんでした。持ち帰れば、王子を殺して宝をうばったと疑われるかもしれない、と心配したからだといいます。そして、自分も出家したいと願いました。
王子たちは、お釈迦さまに「優波離を先に出家させてください」とたのみます。教団では、先に出家した人に礼をする決まりがあります。王子たちは、自分たちのおごりを捨てるため、もとの理髪師に頭を下げる道をえらんだのです(くわしくは阿那律の記事へ)。
出家したあと、優波離は「森にこもって修行したい」と願い出ます。でもお釈迦さまは、「僧の仲間の中に住みなさい」と答えました(パーリ語の『増支部』10.99)。パーリ固有名詞辞典は、その理由を「仲間の中にいれば、瞑想と教えの両方を学べるから」と説明しています。
優波離は仲間とくらしながら修行し、悟りを開きます。お釈迦さまから律のすべてを教わり、「律をよく知る者の中で第一」とほめられました。律についてお釈迦さまに細かく質問した記録も、たくさん残っています。
お釈迦さまが亡くなったあとの第一結集(だいいちけつじゅう=お経をまとめる会議)では、阿難が教え(経)を、優波離が律を唱えました。会議の長は迦葉(かしょう)です(くわしくは迦葉の記事へ)。
律を受けついだ人たちは、のちに優波離を始まりとする流れを大切にしました。中国では7世紀に道宣(どうせん)らの南山律宗(なんざんりっしゅう)が生まれ、優波離を祖師としてうやまったとされます。
③ 姿の特徴 ― 決まった持ち物はない
優波離には、決まった持ち物や印相(いんぞう=手の形)はありません。十大弟子の像では、ほかの弟子と同じく僧の姿で立ちます。
密教の胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)では、お釈迦さまを中心とする区画に、優波離もえがかれるとされます(『仏光大辞典』による)。
03. 優波離とご縁のある祈り ― 決まりを守る心・身だしなみ
✂️ 理容・美容の仕事
🧘 姿勢と心を整える
🤝 身分や肩書きにとらわれない
優波離は、決まったご利益をさずける仏様ではありません。けれども、その生き方から、次のような願いと結びつけて考えることができます(筆者の見方です)。
こんな人におすすめ
- 理容師・美容師など、人の髪や身だしなみにかかわる仕事の人
- ルールづくりや、チームのまとめ役をまかされた人
- 生まれや学歴に引け目を感じて、一歩をふみ出せない人
結びつきの根拠:優波離は、理髪師の出身です。そして、王子たちより先に出家し、律の第一人者になりました。「07」の物語では、姿勢を正すことで心が深く静まっています。
04. 優波離と関連する仏様・人物
優波離は仏様ではなく弟子なので、脇侍(わきじ)や眷属(けんぞく=つきしたがう者)はいません。ここでは、ゆかりの深い仏様・人物を紹介しました。神仏習合で優波離に対応づけられた神様も、確認できる資料では見つかりませんでした。
05. 優波離に会える場所 ― 大報恩寺と博物館・美術館
- 大報恩寺(千本釈迦堂/京都市上京区)― 快慶(かいけい)の晩年の作とされる十大弟子立像(重要文化財・鎌倉時代)に、優波離の像がふくまれます。霊宝殿(れいほうでん)で拝観できます。
- 京都国立博物館(京都市東山区)― 京都の常楽院(じょうらくいん)に伝わった木造十大弟子立像(重要文化財・10体)を所蔵しています。目連と羅睺羅の2体は江戸時代の補作です。残る8体は13世紀なかごろの作とみられ、優波離の像もその1体と考えられます。もとは清凉寺式の釈迦如来像につきしたがう像でした。
- 東京国立近代美術館(東京都千代田区)― 版画家・棟方志功(むなかたしこう)の「二菩薩釈迦十大弟子」(1939年、1948年改刻)を所蔵しています。2人の菩薩と10人の弟子を1人ずつ彫った作品で、優波離の版もその一枚です。
なお、奈良の興福寺の国宝・十大弟子立像は、今は6体だけが残ります。その中に、優波離とされる像はありません。今回の調べでは、優波離の像を拝観できるお寺は大報恩寺のほかに、公式の情報で確かめられませんでした。
06. 優波離の見分け方 ― ほかの十大弟子との違い
07. 優波離の物語コラム ― お釈迦さまの髪をそりながら
お釈迦さまが故郷のカピラ城へ帰ったときのことです。まだ若い優波離が、お釈迦さまの髪をそることになりました。そばには、優波離の母がついていました。
優波離は、かみそりを手に、体をかがめてそりはじめます。
母がたずねました。「この子の腕前は、いかがでしょう」。お釈迦さまは答えます。
母に言われて、優波離は背すじをのばします。すると心がすっと静まり、瞑想の最初の段階(初禅〈しょぜん〉)に入りました。
次は「体が反りすぎている」。直すと、第二の段階へ。「息を吸いすぎている」。直すと、第三の段階へ。「息を吐きすぎている」。直すと、とうとう第四の段階(第四禅)に入ったのです。
お釈迦さまは、そばの僧たちに言いました。「あの子の手からかみそりを取って、倒れないよう支えてあげなさい」。
体の向きと息を、ひとつ直すごとに、心がひとつ深くなる。のちの「律の第一人者」の、はじまりの物語です。
08. 優波離のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
09. ゆる仏様トーク ― 優波離編
優波離は、今でいえば「学校の生徒手帳を、一行のこらず暗記している先輩」です。しかも「この決まりは、いつ、どこで、だれのことがきっかけでできたの?」と聞かれても、すらすら答えられます。……たよりになりすぎます。
森で静かに修行したい、と願った優波離。でも答えは「いや、みんなの中にいなさい」。そして、みんなでくらすための決まりの第一人者になりました。──そう、ひとりになりたかった人が、みんなのための人になったのです。
※経典の言葉ではなく、「07」の物語をもとにイメージしたセリフです。
10. 優波離の謎 ― 『楞厳経』で「お釈迦さまの出家を見た」と語るのはなぜか
11. 優波離データベース早見表
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 分類 | 羅漢・祖師(十大弟子) |
| 読み方 | うぱり(うばり) |
| 梵名 | ウパーリ(Upāli) |
| 称号 | 持律第一 |
| 別名 | 優婆離(うばり)・ウパーリ |
| 出身 | カピラ城の理髪師の家(釈迦族の王子たちに仕えた) |
| 真言・ご縁日 | 確認できる資料では見つからなかった |
| 主なご利益(象徴として) | 決まりを守る心・姿勢と心を整える・理容の仕事 |
| ゆかりのお経 | パーリ律『小品』(出家・第一結集)、『仏本行集経』巻55(剃髪と四禅)、『楞厳経』巻5(弟子たちが悟りへの道を語る段) |
| ゆかりの話 | 王子たちより先に出家、お釈迦さまの髪をそりながら四禅に入った話、第一結集で律を唱えた |
| 代表的な像 | 大報恩寺の十大弟子立像のうち優波離(重要文化財・快慶作とされる・鎌倉時代) |

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