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群馬県高崎市の少林山達磨寺(しょうりんざんだるまじ)。1月6〜7日の「七草大祭だるま市」で知られる、縁起だるま発祥の寺です。でも実は、本堂にまつられるのは北極星の神様なのです。
この記事でわかること
- 縁起だるまの始まりと、七草大祭だるま市
- 建築家ブルーノ・タウトが暮らした洗心亭
- 【謎】だるまの寺の本尊は、なぜ北極星の神なのか
午前2時、星の神様が降りてくる夜に、だるま市は開かれます。
- 01. 少林山達磨寺の基本情報
- 02. 少林山達磨寺のご本尊 ― 北極星の神と達磨大師
- 03. 少林山達磨寺のご利益と七草大祭だるま市 ― 方位除・開運
- 04. 少林山達磨寺 境内の見どころガイド(霊符堂・達磨堂・洗心亭)
- 少林山達磨寺の御朱印・お守り・撮影
01. 少林山達磨寺の基本情報
| 寺号(読み方) | 達磨寺(だるまじ)。享保16年(1731年)に鳳台院(ほうだいいん)を譲り受けて寺院となり、正式には少林山鳳台院達磨寺(しょうりんざんほうだいいんだるまじ)といいます |
|---|---|
| 山号 | 少林山(しょうりんざん) |
| 宗派 | 黄檗宗(おうばくしゅう)。本山は宇治の萬福寺。開創のころは曹洞宗(寿昌派)で、明治に黄檗宗になったとされます |
| ご本尊 | 本堂の霊符堂に、北辰鎮宅霊符尊(ほくしんちんたくれいふそん)と達磨大師をまつります |
| 開山(開基) | 開山は東皐心越(とうこうしんえつ)禅師。開基は前橋藩主の酒井忠挙(さかいただたか) |
| 創建 | 元禄10年(1697年)(公式)。記録が火事で失われたため、創建のくわしい事情には諸説あります。正徳2年(1712年)の鐘の銘文から、このころには寺が成り立っていたともされます |
| 寺格・特徴 | 前橋城の裏鬼門(うらきもん=南西)を守る寺。水戸徳川家の永世の祈願所。方位除・八方除の祈願所 |
| 所在地 | 群馬県高崎市鼻高町(はなだかまち)296 |
| アクセス | JR信越本線「群馬八幡」駅からタクシー約5分・徒歩約20分。JR高崎駅西口からバス「ぐるりん」少林山線で約30分、「少林山入口」下車 |
| 受付時間 | 寺務所・札場(ふだば)9時〜17時、祈祷受付9時〜16時、達磨堂9時〜17時 |
| 拝観料 | 公式サイトに記載なし。お出かけ前にお寺へ確かめましょう |
| 駐車場 | 無料の駐車場あり(公式) |
| 公式サイト | 黄檗宗 少林山達磨寺 公式サイト/電話 027-322-8800 |
・創建・開山・開基・裏鬼門・水戸家・正式名:少林山達磨寺公式「歴史」「達磨寺縁起」
・本尊・方位除:公式「星に願う」「山内図」
・受付時間・アクセス・駐車場・住所:公式「参拝・交通」
・宗派の移り変わり・創建の別説:Wikipedia「少林山達磨寺」(曹洞宗寿昌派は公式「歴史」)
02. 少林山達磨寺のご本尊 ― 北極星の神と達磨大師
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① 一言まとめ
本堂の霊符堂(れいふどう)には、2つの尊(そん)がまつられています。北極星と北斗七星の神・北辰鎮宅霊符尊と、禅の祖・達磨大師です。
② 由来・寺の中での位置づけ
公式サイトによると、昔の中国では、北極星は「動かない星」として知られていました。すべての星がそのまわりをめぐるので、世界の中心と考えられたのです。北極星は北斗七星を手がかりに見つけるので、2つをあわせて「北斗星」とも呼びます。
この北斗星を神格化したのが、北辰鎮宅霊符尊です。吉凶禍福(きっきょうかふく)や、家相・方位をつかさどります。よい星を招いてしあわせを守り、悪い星をのぞいて災難を消すとされます。
ちなみに、北極星を仏様としてあらわしたのが妙見菩薩です。Wikipediaは、この寺の霊符尊の項目から妙見菩薩へリンクしています。同じ北極星の信仰の流れにある、と考えてよさそうです(筆者の見方・諸説あり)。
もう一つの達磨大師は、インドから中国へ禅を伝えたとされるお坊さんです。この地で達磨像が彫られたことから、山は「少林山」と呼ばれるようになりました(07の物語へ)。達磨大師の解説は、達磨大師の記事にまとめています。
③ 姿・役割の特徴
霊符尊のお像の姿は、公開されていません。霊符堂には、開山・心越禅師の像もまつられているとされます。本堂の霊符堂は明治44年(1911年)に再建された権現造(ごんげんづくり)のお堂です。寺は、多くの寺のように南や東ではなく、北極星のある北を向いて建っているそうです(公式)。
03. 少林山達磨寺のご利益と七草大祭だるま市 ― 方位除・開運
- 方位除・八方除:「関東随一」の方位除の祈願所として信仰されています(公式)
- 開運・願いごと成就:縁起だるまに目を入れて願いをかけます。和尚が最初に片目を入れる「だるま開眼」も行われます(公式)
- 必勝祈願:達磨忌にちなみ、毎月5日だけ「金の必勝守」を達磨堂で授けています(公式)
- 縁結び・安産:観音堂の十一面観音のご利益とされます(公式)
ご利益の根拠:寺は、前橋城の裏鬼門を守るために建てられました。そのため、方位の災いをのぞく霊符尊が本尊になったと考えられます。
こんな人におすすめ:引っこしや家の新築をひかえた人。新しい年に目標を立てたい人。受験や試合に向かう人。
04. 少林山達磨寺 境内の見どころガイド(霊符堂・達磨堂・洗心亭)
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総門
開創300年を記念して、平成9年(1997年)に建てられた中国式の門です。本山の萬福寺の総門と同じ様式で、境内のケヤキの木を使っています(公式)。
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大石段
霊符堂へ向かう大きな石段です。だるま市の夜には、たくさんの参拝者が行き来します。
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霊符堂(本堂)
本尊の北辰鎮宅霊符尊と達磨大師をまつるお堂です。開山・心越禅師の像もまつられているとされます。明治44年(1911年)に再建された権現造です。方位除や家内安全の祈祷が行われます(公式)。
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達磨堂
古今東西のさまざまなだるまを展示するお堂です。大阪のコレクターから寄贈されただるまが縁となり、昭和61年(1986年)10月5日に開堂しました。中央の達磨大師像は、昭和28年(1953年)に前橋の方が奉納したものです(公式)。お守りや縁起だるまを受ける札場もここにあります。
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観音堂
寺でいちばん古い建物で、創建当時の姿を伝える茅葺き(かやぶき)のお堂です。もとは経蔵で、のちに霊符堂となり、今は十一面観音をまつります(公式)。
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洗心亭(せんしんてい)
ドイツの建築家ブルーノ・タウトが、2年3か月暮らした小さな家です。庭の碑には「ICH LIEBE DIE JAPANISCHE KULTUR(私は日本の文化を愛す)」と刻まれています(公式)。群馬県の史跡です(Wikipedia)。
少林山達磨寺の御朱印・お守り・撮影
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 御朱印 | 公式サイトに記載なし。料金・受付は寺務所で確かめてください |
| 縁起だるま・お守り | 達磨堂の札場で受けられます(9時〜17時)。名入れだるま・郵送の受付もあります(公式) |
| 体験 | だるま絵付け体験(受付10時〜15時40分、公式) |
| 撮影 | 公式サイトに記載なし。お堂の中や祈祷中の撮影はひかえましょう |
| 撮影スポット | 総門を正面から見上げる構図、大石段の上からの里のながめ、達磨堂の前にならぶだるま(いずれも筆者のおすすめ) |
| ペット | ペット連れの参拝・境内への立ち入りはひかえるよう案内されています(公式) |
05. 少林山達磨寺の寺宝・秘宝ハイライト
ブルーノ・タウトが暮らした「洗心亭」
1933年に来日したタウトは、1934年8月1日から洗心亭に住みました。はじめは100日の予定でしたが、2年3か月におよびました。公式サイトは、タウトの著作として画帳『桂離宮』や『日本文化私観』などを紹介しています。タウトはその後トルコへ渡り、1937年12月24日に亡くなりました。寺では毎年12月24日に「タウト忌」を行っています(公式)。
星の神が降りる「星祭大祈祷」
1月7日の午前2時は、本尊が降りてくる吉日とされます。6日の午後2時の安全祈願祭から、夜通しの前夜祭(星祭)が続きます。そして真夜中の午前2時、星祭大祈祷が行われます。開創のころから続く行事で、天明年間からはだるま市も同時に開かれるようになりました(公式)。
真冬の山あいの、いちばん冷えこむ時間です。星空の下、赤いだるまを抱えた人たちが石段を行き来する――そんな一夜を想像してみてください。
開創300年の総門と、市指定の達磨大師立像
平成9年(1997年)、開創300年を記念して本山の萬福寺と同じ様式の総門が建てられました(公式)。また、寺の達磨大師立像は高崎市の指定文化財です(Wikipedia)。
06. 少林山達磨寺の参拝の作法
- 総門の前で一礼してから入ります
- 手水舎(ちょうずや)で手と口を清めます
- 霊符堂の前で静かに合掌し、一礼します。お寺では拍手はしません
- 観音堂・達磨堂にもお参りします
- 帰るときも門で一礼します
子どもへの説明:「ここは、北の星の神様と、だるまさんのお寺だよ。だるまに目を入れて、がんばることを一つ決めようね。」
基本の作法は、お寺の参拝作法の記事にもまとめています。
07. 少林山達磨寺の物語 ― 碓氷川の霊木と、一了居士の一刀三礼
江戸時代のはじめ、延宝年間(1673〜1680年)のころのことです。鼻高村(はなだかむら)の高台には、小さな草ぶきの観音堂がありました。
ある年、大雨で碓氷川があふれました。水が引いた夜、村人が川の中で、あやしく光る大きな黒い古木を見つけます。引き上げると、よい香りがしました。村人はこれを霊木として、観音堂に納めたといいます。
延宝8年(1680年)の春。諸国をめぐる行者の一了(いちりょう)が、この村を訪れました。一了は言いました。「夢に達磨大師が現れて、『鼻高の聖地に霊木がある。坐禅する私の姿を彫りなさい』と告げたのです」。
一了は身を清め、ひと彫りごとに三度礼拝する「一刀三礼(いっとうさんれい)」で、達磨大師の坐禅像を彫りあげました。高さ四尺(約1.2メートル)ほどの像だったといいます。ところが、像は観音様の隣に置くには大きすぎます。すると、碓氷川に流れ着いた朽ちた大木の穴が、厨子(ずし)にぴったり合ったと伝わります。
この話は近くの村々に広まり、ここは「達磨出現の霊地」として「少林山」と呼ばれるようになりました。この名は、達磨大師が坐禅したと伝わる中国の嵩山少林寺にちなむと考えられます(一般的な説明)。
──そう、お寺ができる前に、まず「山の名前」が生まれていたのです。
08. 少林山達磨寺に伝わる伝説・言い伝え
【伝承】飢饉の村を救った張り子のだるま
天明3年(1783年)、浅間山の大噴火などで大飢饉が起こりました。9代目住職の東嶽(とうがく)和尚は、開山・心越禅師の「一筆達磨坐禅像」をもとに木型を彫りました。そして豊岡村の山縣友五郎に張り子のだるま作りを伝え、七草大祭の縁日で売り出したのが始まりと伝えられています(公式)。
【言い伝え】だるまの顔は「鶴と亀」
少林山の縁起だるまの眉は、2羽の鶴が向かい合った形です。鼻から口ひげは、2匹の亀が向かい合った形になっています。「鶴亀の顔」と呼ばれる、おめでたい顔です(公式)。
【言い伝え】だるまが赤いわけ・手足がないわけ
お寺の説明では、だるまが赤いのは、達磨大師が赤い衣を着て坐禅していた姿によるとされます。手足がないように見えるのは、赤い衣にかくれているだけだそうです(公式)。
【逸話】黒澤明が書いた「達磨寺のドイツ人」
映画監督の黒澤明は、助監督時代に、タウトをモデルにした脚本「達磨寺のドイツ人」を書いたといわれます(Wikipedia)。少林山は、その舞台になりました。
09. 少林山達磨寺の周辺スポット・アクセス
- 高崎駅の「だるまの詩」壁画:寺では毎年10月4日に、高崎駅のだるまの詩の壁画をふく行事を行っています(公式)。駅で探してみましょう
- 榛名神社:高崎市の山あいにある、岩と杉の古社です
- グルメ:高崎駅の駅弁「だるま弁当」(高崎弁当)は、1960年に少林山のだるま市にちなんで生まれたとされます。食べ終わった赤いだるまの容器は、貯金箱として使えるそうです(旅行メディアの情報)
「群馬八幡」駅
タクシー約5分・徒歩約20分
バス「ぐるりん」少林山線
約30分・「少林山入口」下車
タクシー約20分
関越道「高崎IC」から約30分
無料駐車場あり
所要時間の目安:参拝と達磨堂の見学で1時間ほど。洗心亭や絵付け体験もするなら2時間がおすすめです(筆者の見方)。
10. 少林山達磨寺のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
- 少林山達磨寺は、天明の飢饉のころに縁起だるまが生まれた「縁起だるま発祥の寺」
- 本堂の霊符堂には、北極星の神・北辰鎮宅霊符尊と達磨大師がまつられている
- だるま市は、1月7日午前2時の星祭と同じ夜に開かれる
新しい年のはじめに、ぜひ少林山の星祭とだるま市にお参りしてみてください。
11. 少林山達磨寺のゆる仏様トーク
🍵 ゆる仏様トーク①(たとえ話)
北辰鎮宅霊符尊は、今でいえば「家と方角専門の、24時間営業のナビ」です。動かない北極星を目印に、「その方角は大丈夫?」と見守ってくれます。引っこし前には、ぜひ相談したい存在です。
🍵 ゆる仏様トーク②(ツッコミ)
真冬の午前2時に、星の神様をお迎えする大祈祷。いちばん寒くて眠い時間に、わざわざ起きて祈る。──そう、この夜ばかりは、参拝する人も「面壁九年」の達磨大師に負けない根性が試されるのです。
🍵 ゆる仏様トーク③(ひとこと)
霊符堂の達磨大師が、だるま市に来た人に声をかけるとしたら――
※経典や語録の言葉ではなく、北極星と起き上がりだるまをもとにイメージしたセリフです。
12. 少林山達磨寺の謎 ― だるまの寺の本尊は、なぜ北極星の神なのか
【謎】「達磨寺」なのに、なぜ本尊は北極星の神で、だるま市は星祭の夜に開かれるのか
【事実の整理】
① この地は、1680年に一了が達磨像を彫ったことで「少林山」と呼ばれるようになりました。寺ができる前のことです(公式)。
② 寺は1697年、前橋藩主の酒井忠挙が、領内の方位の災いをのぞき、前橋城の裏鬼門を守るために開いたとされます(公式)。
③ 本堂の霊符堂には、北斗星を神格化した北辰鎮宅霊符尊が、達磨大師とともにまつられます。寺は北極星の方角・北を向いているといわれます(公式)。
④ 北極星は「動かない星」で、すべての星がそのまわりをめぐるため、世界の中心と考えられました(公式)。
⑤ 1月7日午前2時の星祭は開創のころからの行事で、だるま市は天明年間に東嶽和尚がだるま作りを伝えてから、同時に開かれるようになりました(公式)。
【私の考察】
まず、本尊が霊符尊なのは、寺の「役目」から説明できそうです。藩主が求めたのは、城の裏鬼門を守ることでした(②)。方位をつかさどる星の神は、その願いにぴったりの本尊です(③)。一方で、山の名前と人々の信仰は、それより前に生まれた達磨像が作っていました(①)。
私が注目したいのは、2つの尊に共通する「動かない」という性質です。北極星は、空の中心で動かない星です(④)。達磨大師は、壁に向かって9年間、動かずに坐ったと伝わる人です。
そして縁起だるまは、たおしても必ず起き上がり、まっすぐな姿にもどります。星がいつも北極星のまわりをめぐって元の位置にもどるように、です。だから、星の神がおりる夜にだるまを売ることは、ただの「ついで」ではなかったのかもしれません。「動かない中心」をたのむ星祭に、「何度でも中心にもどる」だるまが、自然に重なったのではないでしょうか(⑤)。
【結論(あくまで推測)】
本尊が北極星の神なのは、城を守る方位除の寺として開かれたから。そして、その星祭の夜にだるま市が根づいたのは、「動かない星」と「動かない達磨」、「中心にもどる星」と「起き上がるだるま」が重なったから――私はそう考えます。ただし、だるま市が星祭と同じ日に開かれた理由を書いた資料は、見つけられませんでした。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?

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