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11月の酉の日、浅草の北で熊手の市が立ちます。その「浅草酉の市」の発祥の寺とされるのが、長國寺(ちょうこくじ)です(Wikipedia)。江戸の酉の市そのものは、花又村(今の足立区)の「本の酉」が始まりとされ、浅草は「新の酉」と呼ばれました(公式サイト)。浅草・鷲神社のすぐ隣にあり、「酉の寺」と呼ばれています。
この記事でわかること
- 鷲の背に立つ「おとりさま」=鷲妙見大菩薩(わしみょうけんだいぼさつ)とは
- 2026年の酉の市の日程(11月7日・19日)と、熊手守りの授与
- 【謎】本山・鷲山寺と名前が入れかわった?「鷲」と「長国」の謎
実は、熊手の市の主役は、星の仏様です。熊手を手にする前に、その「おおもと」に会いに行きませんか。
01. 長國寺の基本情報
| 寺号(読み方) | 長國寺(ちょうこくじ)。長国寺とも書きます。通称「酉の寺」「浅草田圃(たんぼ)酉の寺」 |
|---|---|
| 山号 | 鷲在山(じゅざいさん)。古い区史には「本立山(ほんりゅうざん)」とする記録もあります |
| 宗派 | 法華宗本門流(ほっけしゅうほんもんりゅう)。日蓮の教えを受けつぐ宗派の一つです |
| 寺格 | 大本山鷲山寺(じゅせんじ・千葉県茂原市)の末寺(まつじ=本山に属する寺) |
| ご本尊 | 十界曼荼羅(じっかいまんだら)。あわせて、鷲妙見大菩薩(妙見菩薩)をまつります。Wikipediaは情報欄で十界曼荼羅、本文で鷲妙見大菩薩を本尊としており、資料で書き方が分かれます |
| 開山 | 日乾(にっけん)上人。鷲山寺の第13世で、石田三成の遺児とされます(第12世とする資料もあり) |
| 創建 | 寛永7年(1630年)、浅草の鳥越(とりごえ)で。寛文9年(1669年)に今の場所へ移りました。大正7年(1918年)に今の番地へ移ったという記録もあります(下谷區史) |
| 所在地 | 東京都台東区千束3丁目19-6 |
| アクセス | 東京メトロ日比谷線「入谷」駅・「三ノ輪」駅から徒歩約8〜10分 |
| 拝観時間 | ふだんの拝観時間は確認できませんでした。酉の市の日は深夜0時〜24時(公式Q&A) |
| 拝観料 | 境内は無料と紹介されています(参拝記) |
| 駐車場 | なし(参拝記)。酉の市の日は周辺が大変混雑します |
| 公式サイト | 浅草 酉の寺 長國寺「酉の市」公式サイト/長國寺 公式サイト/電話 03-3872-1667 |
02. 長國寺のご本尊 ― 十界曼荼羅と、鷲に立つ「おとりさま」
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① 一言まとめ
本尊は、日蓮系の寺で多い「十界曼荼羅」です。そして、この寺の顔といえるのが、鷲の背に立つ鷲妙見大菩薩。人々は「おとりさま」「鷲大明神(わしだいみょうじん)」と呼んで親しんできました。
② 由来・経典での位置づけ
十界曼荼羅とは、『法華経』の世界を文字で表したものです。日蓮が考え出した、法華経をたもつ人のための本尊です。中央に「南無妙法蓮華経」を大きく書き、そのまわりに仏や菩薩、神々の名を書き並べます。地獄から仏まで、10の世界(十界)のすべてが法華経のもとに救われる、という考えを表します。
十界曼荼羅は、法華経を守る神々の名も書き入れるのが特徴です。日蓮系の寺では、妙見菩薩も法華経を守る神として大切にされてきました。浅草の長國寺も、その一つです。
鷲妙見大菩薩は、北極星・北斗七星の仏様、妙見菩薩の一つの姿です。公式サイトによると、文永2年(1265年)、日蓮が上総国鷲巣(かずさのくに わしのす=今の千葉県茂原市)の小早川家に泊まり、国の平穏を祈りました。すると、なんと明星(金星)がにわかに動き出し、鷲妙見大菩薩が現れたと伝えられます。
③ 姿・持ち物
公式サイトは、その姿を「七曜の冠を戴き宝剣をかざして鷲の背に立つ」と伝えます(戴き=いただき)。七曜(しちよう)とは、太陽・月と5つの星のことです。妙見菩薩は亀や龍に乗る姿が多いのですが、ここでは鷲に乗ります。なお、妙見菩薩は菩薩とも天部とも分類されます(諸説あり)。くわしくは妙見菩薩の記事へ。
03. 長國寺のご利益と酉の市2026 ― 熊手で開運招福・商売繁盛
- 開運招福:公式サイトは、鷲妙見大菩薩を「開運招福の守り本尊」としています
- 商売繁盛・金運:酉の市の熊手は「福をかきこむ」縁起物です。金運かっこめ守りや小判守りもあります(公式サイト)
- 学業・良縁・交通安全:それぞれのお守りが授与されています(公式サイト)
こんな人におすすめ:お店や会社を営む人。新しい年に向けて運を開きたい人。受験をひかえた人。
参拝に適した時期:やはり11月の酉の日です。ふだんの日は静かで、ゆっくりお参りできると紹介されています(参拝記)。
04. 長國寺 境内の見どころガイド
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熊手納め所
長國寺と鷲神社の入口には、1年かざった熊手を納める「熊手納め所」があります。納めた熊手は、寺で時間ごとに浄められます(公式Q&A)。
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本堂
十界曼荼羅と鷲妙見大菩薩をまつるお堂です。酉の市の日は、ここでお参りの列ができます。
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境内の熊手の屋台
酉の市の日には、境内の両側に熊手の屋台がずらりと並ぶと紹介されています(参拝記)。隣の浅草・鷲神社とあわせて、町全体が市になります。
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鷲神社との境
江戸時代までは、長國寺と鷲神社は一つでした。明治のはじめの神仏分離で、境内が寺と神社に分けられました(Wikipedia)。今も境内が接しています。
長國寺の御朱印(御首題)・授与品・撮影
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 御首題(ごしゅだい) | 日蓮系の寺の御朱印のことです。参拝記によると書き置きで授与されているようです。料金・時間は確認できませんでした |
| かっこめ熊手守り | 1,200円。小さな竹の熊手に稲穂を付けたお守りで、江戸時代から授与されています(公式サイト) |
| 開運大熊手守り | 3,000円(公式サイト) |
| 鷲妙見かっこめ守り | 1,800円・限定授与(公式サイト) |
| 開運置型熊手 | 1,800円(公式サイト) |
| 金運かっこめ守り・金運大熊手守り | 1,400円・3,500円(公式サイト) |
| 小判守り・学業守り・良縁守り・交通安全守り | 各700円(公式サイト)。三の酉の年だけの「火除守り」もあります |
| 撮影 | 決まりは公式サイトで確認できませんでした。混雑時は周りの人に気をつけましょう |
05. 長國寺の寺宝・秘宝ハイライト
鷲妙見大菩薩 ― 本山から迎えた「おとりさま」
鷲妙見大菩薩は、明和8年(1771年)ごろ、本山の鷲山寺からこの寺へ迎え移されました(公式サイト)。ふだんは公開されない秘仏とされます。2021年11月には、秘仏の厨子(ずし)を開く開帳の法要が、初めてYouTubeで生配信されました(Time Out・MATCHA)。
かっこめ熊手守り
小さな竹の熊手に稲穂を付けたお守りです。江戸時代から授与されてきたと公式サイトは伝えます。「福をかっこむ(かきこむ)」から「かっこめ」と呼ばれます。
江戸の「三つの酉」の一つ
江戸時代、酉の市は花又村(はなまたむら=今の足立区花畑)の大鷲神社が「本の酉」、千住の勝専寺が「中の酉」と呼ばれました。そして、長國寺が別当として管理した浅草の鷲大明神が「新の酉」。この3か所が有名でした(公式サイト)。
06. 長國寺の参拝の作法
お寺の基本の作法は、お寺の参拝作法の記事でくわしく紹介しています。長國寺では、次の順番でお参りしましょう。
- 山門の前で軽く一礼します。古い熊手があれば、熊手納め所へ
- 手水舎(ちょうずや)があれば、手と口を清めます
- 本堂の前で手を合わせ、一礼します
- 日蓮系の寺なので、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」と心の中で唱えるのもよいでしょう
- お守りや熊手を授かり、最後に一礼して退出します
07. 長國寺の物語 ― 鷲巣の夜から、浅草の酉の寺へ
文永2年(1265年)、日蓮は上総国の鷲巣にいました。小早川家に泊まり、国の平穏を祈っていたのです。すると、明星(みょうじょう=金星)がにわかに動き出し、妙見大菩薩が現れたと伝えられます。その日は11月の酉の日でした(公式サイト)。
その小早川家の地に、のちに建てられたのが本山の鷲山寺です(Wikipedia「鷲山寺」は1277年の建立とします)。
時は流れて寛永7年(1630年)。鷲山寺の日乾上人が、江戸の鳥越に長國寺を開きます。寛文9年(1669年)には、新吉原(しんよしわら)に近い今の地へ移りました。
そして明和8年(1771年)ごろ、日玄(にちげん)上人の手で、鷲山寺から鷲妙見大菩薩が迎えられます(迎えた人はWikipedia)。長國寺は鷲大明神の別当(べっとう=神社を管理する寺)となり、酉の日の市でにぎわうようになりました(公式サイト)。
──そう、房総の村の夜空に現れた星の仏様が、江戸の人々が正月を前に足を運ぶ市を育てたのです。
08. 長國寺に伝わる伝説・言い伝え
【言い伝え】三の酉の年は火事が多い
11月の酉の日は12日ごとにめぐるので、年によっては「三の酉」まであります。三の酉まである年は火事が多い、と言い伝えられています(公式サイト)。三の酉の年だけの「火除守り」もあるそうです。2026年は三の酉がありません。
【伝え】観音様の前に放たれた鶏
酉の市の始まりとされる花又村では、氏子が村の鎮守(今の大鷲神社)に鶏を納めました。その鶏は、浅草寺の観音堂(観音菩薩のお堂)の前に放たれたといわれます(公式サイト)。酉の市と「とり」の縁は、ここにもあります。
【伝え】破軍星の祈りと、鷲の背の仏
古い縁起には、文永3年(1266年)、日蓮が上総で破軍星(はぐんせい=北斗七星の星の一つ)をまつって祈ると、妙見菩薩が鷲の背に乗った姿で現れた、という形も伝わります(tesshow が引く縁起)。公式サイトの話(文永2年・明星)とは、年も星の名もちがいます。
【伝え】賭けごと禁止で、にぎわいは浅草へ
花又村の社の前では、辻賭博(つじとばく)が行われてにぎわっていました。ところが安永年間(1772〜1781年)の賭博禁止令をきっかけに、にぎわいは浅草へ移ったといいます(公式サイト)。
09. 長國寺周辺のスポット・アクセス詳細
「入谷」駅から徒歩約8〜10分
「三ノ輪」駅から徒歩約8〜10分
駐車場なし。酉の市の日は交通規制があることも。電車がおすすめです
ふだんは約20分、酉の市の日は1時間以上(筆者の目安)
グルメ・休憩:公式サイトに近くのお店の案内はありません。酉の市の日は、境内や周りに屋台が並び、前の晩から宵宮の露店も出ます(公式Q&A)。ふだんの日は、入谷・浅草方面の店を利用すると便利です(店は事前に確かめてください)。
近くの寺社:すぐ隣が浅草・鷲神社です。南へ歩けば浅草寺、西の入谷には「おそれ入谷の真源寺(入谷鬼子母神)」があります。
10. 長國寺のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
- 長國寺は、1630年に開かれた法華宗本門流の寺で、浅草酉の市の発祥の寺とされる(江戸の酉の市の始まりは花又村の「本の酉」)
- 鷲の背に立つ鷲妙見大菩薩(おとりさま)を、1771年ごろ本山の鷲山寺から迎えた
- 2026年の酉の市は11月7日・19日。かっこめ熊手守りは江戸時代から授与されている
今年の酉の市は、ぜひ長國寺の「おとりさま」にもお参りしてみてください。
11. ゆる仏様トーク ― 長國寺編
🍵 ゆる仏様トーク①(たとえ話)
酉の市は、今でいえば「1年分の運の初売り」です。江戸の人にとって、酉の市は正月を迎える最初の祭りでした(公式サイト)。年末のセールより先に、運を買いに行くのです。
🍵 ゆる仏様トーク②(ツッコミ)
星の仏様なのに、乗り物は鷲。しかもお祭りは「酉(にわとり)」の日。鳥が多すぎませんか?──そう、このお寺は、星と鳥の縁が何重にも重なった場所なのです。
🍵 ゆる仏様トーク③(ひとこと)
鷲妙見大菩薩が、大きな熊手を前に迷う人に声をかけるとしたら――
※経典や寺の言葉ではなく、開運招福の守り本尊という性格をもとにイメージしたセリフです。
12. 長國寺の謎 ― 本山・鷲山寺と名前が入れかわった?「鷲」と「長国」の謎
【謎】
長國寺の山号は「鷲在山(じゅざいさん)」。一方、本山の鷲山寺の山号は「長国山(ちょうこくさん)」です。子の寺は「長国」を寺の名に、本山は「鷲」を寺の名に持っています。まるで名前を入れかえたような、この関係はなぜ生まれたのでしょうか。
【事実の整理】
① 長國寺は、山号が鷲在山、寺号が長國寺です(Wikipedia「長国寺 (台東区)」)。
② 本山の鷲山寺は、山号が長国山、寺号が鷲山寺です。所在地は千葉県茂原市「鷲巣」です(Wikipedia「鷲山寺」)。
③ 長國寺は1630年に開かれました。でも鷲妙見大菩薩が迎えられたのは、その約140年後の1771年ごろです(公式サイト)。
④ 江戸後期の『御府内寺社備考』(1829年)と、昭和の『下谷區史』は、長國寺の山号を「本立山」と書いています。どちらも、鷲妙見大菩薩を迎えた1771年より後の記録です。
⑤ この2つの資料は、開山の日乾を「第12世」とする点も同じです。Wikipediaなどは「第13世」としています(tesshow)。
⑥ 明治のはじめの神仏分離で、境内は寺と鷲神社に分けられました。鷲大明神の社は神社として独立しました(Wikipedia)。
【私の考察】
私は、長國寺の名前は「二度に分けて」できたのではないかと考えます。まず1630年、本山の山号「長国山」から、寺号「長國寺」をもらった。本山の子であることを示す、親の名を受けつぐ名づけです。
次に山号です。④のとおり、鷲妙見を迎えたあとの江戸後期にも、山号は「本立山」と書かれています。つまり「鷲在山」の名は、それよりさらに後に生まれた可能性があります。
では、昭和の『下谷區史』も「本立山」なのはなぜか。考えられるのは、(A)区史が江戸の記録を写した、(B)昭和のはじめまで本当に本立山だった、の2つです。私は(A)のほうが有力だと考えます。なぜなら⑤のように、区史は開山の世代まで『御府内寺社備考』と同じだからです。区史が江戸の記録をもとに書かれたなら、山号もそのまま写した可能性が高いのです。
では「鷲在山」はいつか。私が注目するのは⑥です。神仏分離で、「鷲」の名を持つ社は神社として寺を離れました。でも、鷲の背に立つ鷲妙見大菩薩は寺に残りました。だからこそ寺は、「鷲は、ここに在(あ)る」=「鷲在山」と名乗ったのではないでしょうか。
【結論(あくまで推測)】
長國寺と鷲山寺の名前が入れかわって見えるのは、親の山号を寺号にもらったからです。そして、神仏分離で「鷲」の社が離れたあと(もっと後かもしれません)、寺に残った鷲妙見を山号に刻んだからではないか――私はそう考えます。ただし、山号がいつ「鷲在山」になったかを書いた資料は確認できていません。寺号の由来も、寺の公式な説明は見つけられませんでした。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?

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