この記事でわかること
・父に義絶された息子・教如が、なぜ徳川家康の力を借りて新たな寺を興したのか
・世界最大級の木造建築とされる御影堂の、圧倒的なスケール
・全国の女性信徒が自らの髪を切って寄進したという、「毛綱」にまつわる不思議な物語
京都府京都市、真宗大谷派本山の東本願寺には、親から子への対立と、それでも受け継がれた信仰の物語が刻まれています。
01. 東本願寺の基本情報
| 正式名称 | 真宗本廟(しんしゅうほんびょう)/通称:東本願寺 |
|---|---|
| 宗派 | 真宗大谷派 本山 |
| ご本尊 | 阿弥陀如来(あみだにょらい)(阿弥陀堂) |
| 宗祖 | 親鸞聖人(御影堂に御真影を安置) |
| 開基 | 教如(きょうにょ) |
| 創建 | 慶長7年(1602年)と伝わる |
| 寺格 | 真宗大谷派本山 |
| 所在地 | 京都府京都市下京区烏丸通七条上る |
| アクセス | JR京都駅から徒歩約7分 |
| 拝観料 | 境内参拝は無料 |
| 公式サイト | https://www.higashihonganji.or.jp/ |
02. ご本尊「阿弥陀如来」ってどんな仏様?
分類:如来
阿弥陀堂に安置
① 一言まとめ
東本願寺のご本尊は阿弥陀如来。「南無阿弥陀仏」と一心に念仏を唱える人を、身分や学識にかかわらず等しく極楽浄土へ導いてくださる仏様です。
② 由来・経典上の位置づけ
親鸞聖人の教えは、娘・覚信尼をはじめとする門弟たちによって受け継がれ、本願寺として発展していきました。戦国時代末期、11世法主・顕如の長男であった教如は、織田信長との石山合戦において、信長との和睦を進める父・顕如に反発し、なおも徹底抗戦を主張しました。この対立の末、教如は父から義絶されるという事態に至ります。顕如の死後、教如は一時本願寺を継ぎましたが、豊臣秀吉の意向により、法主の座を弟の准如に譲ることになりました。その後、教如は徳川家康に接近し、慶長7年(1602年)、家康から京都・烏丸六条の地を寄進されます。これにより、准如を法主とする西本願寺とは別に、教如を開基とする東本願寺が誕生しました。
③ 姿・特徴
東本願寺には、宗祖・親鸞聖人の御真影を祀る御影堂と、ご本尊の阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂の、二つの重要なお堂が並んで建っています。
03. ご利益・祈願
浄土真宗の教えの根本である「誰もが分け隔てなく救われる」という思想から、あらゆる人々の極楽往生を願う場として篤く信仰されています。全国の信徒が力を合わせて幾度も寺を再建してきた歴史から、結束や団結を願う参拝者にも親しまれています。
04. 境内の見どころガイド
御影堂
宗祖・親鸞聖人の御真影を安置する、世界最大級の木造建築。幾度もの火災を乗り越え、そのたびに全国の門徒の力によって再建されてきました。
阿弥陀堂
御影堂と並び立つ、ご本尊を祀る本堂。西本願寺の阿弥陀堂と並び、真宗信仰の中心として大切に守られています。
毛綱(けづな)
明治時代の再建の際、全国の女性信徒が自らの髪を切って寄進し、麻縄と合わせて作られた特別な綱。詳しくは08で紹介します。
御朱印情報
| 受付場所 | 備考 |
|---|---|
| 境内参拝接待所等 | 浄土真宗の教義上、御朱印を授与しない方針の寺院も多いため要確認 |
浄土真宗では宗派の教義上、御朱印の授与を行わない場合があります。詳細は公式サイトでご確認ください。
05. 参拝の作法ガイド
- 御影堂門をくぐる前に、境内に向かって軽く一礼します
- 手水舎で両手と口を清めます
- 阿弥陀堂の前で姿勢を正し、静かに合掌して一礼します
- お参りが終わったら、来た時と同じように山門で振り返り一礼して退出します
06. 女性たちが髪を切って結んだ、再建への祈り
東本願寺の御影堂・阿弥陀堂は、慶長9年(1604年)の完成以来、実に4度もの火災に見舞われてきました。最後の火災は元治元年(1864年)の蛤御門の変による京都大火で、両堂は再び焼失してしまいます。明治13年(1880年)、ついに再建工事が始まりましたが、当時使われていた麻縄は品質が悪く、巨大な梁や柱を運ぶ際に度々切れてしまい、大きな事故につながる危険がありました。
この窮状を知った全国の女性信徒たちは、自らの髪を切って寄進することを申し出ます。髪の毛は麻縄よりも強靭で切れにくいとされ、麻縄と合わせて編み込むことで、より丈夫な綱を作ることができたのです。こうして作られた綱は「毛綱(けづな)」と呼ばれ、全部で53本、最も大きなものは長さ約110メートル、太さ約40センチ、重さは約1トンにも及んだと伝えられています。この毛綱を使って巨大な用材が引かれ、現在の御影堂・阿弥陀堂が完成しました。父に義絶された息子が興したこの寺は、幾度もの苦難を、名もなき信徒たちの献身によって乗り越えてきたのです。
07. 周辺スポット・アクセス
JR京都駅から徒歩約7分
五条駅から徒歩約5分
周辺の有料駐車場を利用
境内散策 約40〜60分
東本願寺の飛地境内である「渉成園(しょうせいえん)」(枳殻邸)は、石川丈山が作庭に関わったと伝わる美しい庭園。徒歩圏内にあり、あわせて訪れるのもおすすめです。西本願寺とも徒歩圏内で、東西両本願寺の建築を見比べることもできます。
08. まとめ
- 東本願寺は、父・顕如に義絶された教如が、徳川家康の支援を受けて興した真宗大谷派本山
- 御影堂は世界最大級の木造建築として、幾度もの火災を乗り越え再建されてきた
- 再建の際には、全国の女性信徒が髪を寄進した「毛綱」が用いられた
親子の対立を乗り越え、名もなき人々の献身によって守られてきた東本願寺。ぜひその壮大な御影堂と、信仰の重みを実際に感じてみてください。
09. ゆる仏様トーク
阿弥陀如来様、いわば「家族の対立すら、大きな信仰の力に変えてしまう」懐の深い仏様です。父と子が袂を分かったことがきっかけで、結果的に東西二つの本願寺が生まれ、それぞれが独自の信仰を発展させていったのですから、歴史とは不思議なものです。
──名もなき女性信徒たちのこの思いが、今も御影堂という形で私たちの前にそびえ立っているのです。
10. 謎と考察コーナー
【謎】なぜ女性信徒たちは、自らの髪を切ってまで寺の再建に協力したのか?
【事実の整理】
明治時代の御影堂・阿弥陀堂再建の際、当時の麻縄では巨大な用材を運ぶには強度が足りず、事故の危険がありました。この窮状を知った全国の女性信徒たちは、自らの髪を切って寄進し、麻縄と合わせて「毛綱」と呼ばれる特別な綱が作られました。
【私の考察】
なぜ女性たちは、当時大変貴重であったはずの自分の髪を、迷わず差し出したのでしょうか。私は、これは単なる実用的な材料提供以上に、「自分自身の一部を捧げる」という、信仰における最も直接的な献身の形だったのではないかと考えます。お金や物品による寄進とは異なり、髪はまさに自分の体の一部です。それを差し出すという行為には、目に見えるお布施以上の、深い信仰心が込められていたのではないでしょうか。
【結論(あくまで推測)】
毛綱は単なる建築資材ではなく、名もなき信徒一人ひとりの信仰そのものが編み込まれた、いわば「祈りの綱」だったのではないでしょうか。あなたはどう思いますか?
※あくまで私の考察です。

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