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【お寺めぐり】唐招提寺-5度失敗し失明してもなお日本を目指した、鑑真和上不屈の物語(奈良県奈良市)

唐招提寺 金堂
奈良時代の金堂建築として現存唯一の唐招提寺金堂(国宝)

この記事でわかること
・唐の高僧・鑑真が、5度の失敗と失明を乗り越えてまで日本を目指した理由
・年に一度だけ扉が開かれる、日本最古の肖像彫刻「鑑真和上坐像」
・奈良時代の金堂建築として唯一現存する、唐招提寺の見どころ
奈良県奈良市、世界遺産「古都奈良の文化財」の一つである唐招提寺には、命を懸けて海を渡った一人の僧侶の、不屈の物語が刻まれています。

01. 唐招提寺の基本情報

正式名称 唐招提寺(とうしょうだいじ)
宗派 律宗 総本山
ご本尊 盧舎那仏(るしゃなぶつ)(金堂)
開山 鑑真和上(がんじんわじょう)
創建 天平宝字3年(759年)と伝わる
寺格 律宗総本山、世界遺産「古都奈良の文化財」(1998年登録)
所在地 奈良県奈良市五条町13-46
アクセス 近鉄「西ノ京」駅から徒歩約10分
拝観時間 8:30〜17:00(受付16:30まで)
拝観料 一般1,000円
公式サイト https://toshodaiji.jp/

02. ご本尊「盧舎那仏」ってどんな仏様?

盧舎那仏
分類:如来
金堂に安置・光背高さ5.15m

① 一言まとめ
唐招提寺のご本尊は盧舎那仏。太陽の光のように世界のすべてを照らす仏様で、鑑真和上が命がけで日本にもたらした「戒律」の教えの中心に、静かに座しています。

② 由来・経典上の位置づけ
唐(中国)の高僧・鑑真は、日本からの留学僧・栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)の熱心な懇願を受け、正式な戒律を授ける僧侶が不在だった日本へ渡ることを決意しました。しかし渡航は嵐や密告、当局の妨害によって5度も失敗し、この苦難の中で栄叡は病により命を落とし、鑑真自身も両目の視力を失ってしまいます。それでも鑑真は諦めず、天平勝宝5年(753年)、ついに6度目の渡航で来日を果たしました。すでに66歳、視力を失っていたにもかかわらず、鑑真は東大寺に戒壇を設けて日本で初めての正式な授戒を行い、天平宝字3年(759年)、新田部親王の旧宅跡を朝廷から譲り受けて唐招提寺を開きました。

③ 姿・特徴
金堂の本尊・盧舎那仏坐像は、光背の高さが5.15メートルにおよぶ巨像で、左右に千手観音立像・薬師如来立像を従えています。

03. ご利益・祈願

🙏 諸願成就
💪 不屈・克己
🕊 心願成就
📿 修行成就

盧舎那仏の現世利益全般に加え、鑑真和上の不屈の生き様にちなみ、困難に立ち向かう力や目標達成を願う参拝者にも篤く信仰されています。律宗総本山として、戒律を守る精神修養の場としても親しまれています。

鑑真和上坐像(国宝)は、日本に現存する最古の肖像彫刻とされています。年に一度、6月上旬の「開山忌舎利会」前後の数日間のみ特別開扉され、多くの参拝者が訪れます。

04. 境内の見どころガイド

金堂(国宝)

唐招提寺 金堂
奈良時代の金堂建築として現存唯一

奈良時代に建立された金堂として、現存する唯一の建築とされています。堂々とした列柱が特徴で、天平文化の建築美を今に伝えています。

鑑真和上坐像(国宝)

鑑真和上坐像
日本最古の肖像彫刻、年に一度のみ特別開扉

弟子たちによって鑑真の生前の姿を写して作られたと伝わる、日本最古の肖像彫刻。ふだんは御影堂の奥深くに安置され、年に一度、開山忌舎利会の時期のみ特別開扉されます。

御影堂

御影堂
日本画家・東山魁夷が10年以上かけて手がけた襖絵で知られる

鑑真和上坐像を安置する御影堂には、日本画の巨匠・東山魁夷が10年以上の歳月をかけて描いた襖絵・障壁画が納められています。

鑑真和上御廟

鑑真和上御廟
境内の奥に静かに佇む鑑真和上の墓所

苔むした静かな松林の奥にある鑑真和上の墓所。命懸けで日本に渡った高僧が、今もこの地で静かに眠っています。

鑑真和上坐像の特別開扉は年に数日間のみです。拝観を希望する場合は、事前に公式サイトで日程を確認しましょう。

御朱印情報

受付場所 備考
境内の御朱印所 2種類の御朱印を授与

初穂料等の詳細は参拝時にご確認ください。

05. 参拝の作法ガイド

  1. 南大門をくぐる前に、境内に向かって軽く一礼します
  2. 手水舎で両手と口を清めます
  3. 金堂の前で姿勢を正し、静かに合掌して一礼します
  4. お参りが終わったら、来た時と同じように山門で振り返り一礼して退出します
神社の「二礼二拍手一礼」とは異なり、お寺では拍手は打ちません。静かに手を合わせる「合掌」だけでよい、ということをお子さんにも教えてあげてください。境内は緑豊かで静寂に包まれているので、ゆっくりと時間をかけて参拝するのがおすすめです。

06. 12年、5度の失敗を越えて ― 鑑真の不屈の航海

留学僧・栄叡と普照から「日本には正式な戒律を授けられる僧侶がいない」と切実に懇願された鑑真は、すでに高名な僧侶としての地位を確立していたにもかかわらず、みずから海を渡る決意をします。しかし当時の航海は命がけでした。1度目、2度目の渡航は嵐や妨害によって失敗し、3度目は密告により頓挫、4度目、5度目もまた嵐や座礁により失敗を重ねます。この過酷な旅の中で、ともに戦ってきた栄叡は病に倒れて命を落とし、鑑真自身も度重なる心労と熱病により、両目の視力を完全に失ってしまいました。

それでも鑑真の決意は揺らぎませんでした。天平勝宝5年(753年)、遣唐使の帰国船にひそかに乗り込んだ鑑真は、6度目の航海の末、ついに屋久島にたどり着きます。渡航を決意してから実に12年、すでに66歳、目の光を失った鑑真は、それでも力強い足取りで平城京へと向かいました。日本にたどり着いた鑑真は、東大寺で日本初の正式な授戒を執り行い、その後この唐招提寺を開いて、日本仏教に戒律という新たな柱を打ち立てたのです。

07. 周辺スポット・アクセス

🚃 電車
近鉄「西ノ京」駅から徒歩約10分
🚌 バス
近鉄奈良駅からバスでも移動可能
🅿️ 駐車場
周辺の有料駐車場を利用
⏱ 所要時間
境内散策 約60分

唐招提寺は薬師寺と徒歩圏内にあり、「西ノ京」エリアの二大古刹としてあわせて巡るのが定番のコースです。近鉄電車一本でアクセスできる立地も魅力です。

🌸 6月上旬の「開山忌舎利会」の時期には、鑑真和上坐像の特別開扉にあわせて、境内に鑑真の故郷・中国揚州にちなむ瓊花(けいか)の花が美しく咲きます。

08. まとめ

  • 唐招提寺は、5度の渡航失敗と失明を乗り越えた鑑真和上が開いた律宗総本山
  • 金堂は奈良時代の金堂建築として唯一現存し、天平文化の美しさを今に伝えている
  • 鑑真和上坐像は日本最古の肖像彫刻で、年に一度のみ特別開扉される

命懸けで海を渡った高僧の不屈の物語が息づく唐招提寺。ぜひその静謐な境内で、鑑真和上の強い意志に思いを馳せてみてください。

09. ゆる仏様トーク

盧舎那仏様、いわば「12年がかりの壮大なプロジェクトの、最終成果報告」を見守る仏様です。5回の失敗、そして視力の喪失という、普通なら心が折れてしまう困難の連続を、鑑真和上は最後まで諦めませんでした。

「たとえ目が見えずとも、私の使命は変わらない」

──鑑真和上がそう語ったかどうかは分かりませんが、その行動そのものが、何よりも雄弁にこの言葉を体現しています。

10. 謎と考察コーナー

【謎】なぜ鑑真は、失明してもなお日本行きを諦めなかったのか?

【事実の整理】
鑑真は5度の渡航失敗と、盟友・栄叡の死、そして自身の失明という、あまりに大きな代償を払いながらも、6度目の渡航に挑み、ついに日本にたどり着きました。この時すでに66歳、視力も失っていました。

【私の考察】
なぜ鑑真は、これほどの犠牲を払ってまで、日本行きを諦めなかったのでしょうか。私は、これは単なる個人的な使命感を超えて、共に戦い、命を落とした栄叡や、道半ばで倒れていった仲間たちへの責任感が、鑑真を突き動かしていたのではないかと考えます。ここで諦めれば、これまでの犠牲がすべて無駄になってしまう。むしろ視力を失ったことで、鑑真の中では「もう後戻りはできない」という、ある種の覚悟がより強固なものになっていったのかもしれません。

【結論(あくまで推測)】
鑑真の不屈の意志は、自分自身のためというより、共に歩みながら道半ばで倒れていった仲間たちの思いを背負い続けた結果だったのではないでしょうか。あなたはどう思いますか?

※あくまで私の考察です。

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