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京都・東山の泉涌寺(せんにゅうじ)の山内に、「頭痛封じ」「ぼけ封じ」で知られる観音様がいます。西国三十三所の第15番札所、今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)です。
この記事でわかること
赤い鳥居橋をわたると、そこは「都の中の熊野」です。
01. 今熊野観音寺の基本情報
| 寺号(読み方) | 観音寺(かんのんじ)。通称は今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)、今熊野観音(いまくまのかんのん) |
|---|---|
| 山号 | 新那智山(しんなちさん)。後白河上皇から賜ったとされます |
| 宗派 | 真言宗泉涌寺派(せんにゅうじは) |
| 寺格 | 総本山泉涌寺の塔頭(たっちゅう=大きな寺の中の小さな寺) |
| ご本尊 | 十一面観音(じゅういちめんかんのん)。空海作と伝わる秘仏 |
| 開基 | 空海(弘法大師〈こうぼうだいし〉)と伝わります |
| 創建 | 大同2年(807年)に空海が庵を結んだと伝わります(公式サイト)。西国三十三所の公式サイトは「天長年間(824〜834年)」としています(諸説あり) |
| 札所 | 西国三十三所 第15番、ぼけ封じ近畿十楽観音霊場 第1番、洛陽三十三所観音霊場 第19番、泉山七福神 第3番(恵比須)など |
| 所在地 | 京都府京都市東山区泉涌寺山内町32 |
| アクセス | 市バス「泉涌寺道」から徒歩約10分。JR・京阪「東福寺」駅から徒歩約15分 |
| 拝観時間 | 8:00〜17:00(納経も同じ) |
| 拝観料 | 入山無料 |
| 駐車場 | あり(10台。資料によって20台とも) |
| 公式サイト | 今熊野観音寺 公式サイト/電話 075-561-5511 |
・山号・所在地・電話・アクセス・創建(807年)・札所(西国15番・ぼけ封じ1番):公式サイト(2026年10月確認)
・宗派・本尊・開基・創建(天長年間)・拝観時間・拝観料・納経時間・駐車場10台:西国三十三所の公式サイト
・塔頭であること・洛陽19番・泉山七福神:Wikipedia「今熊野観音寺」
02. 今熊野観音寺のご本尊 ― 秘仏の十一面観音
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① 一言まとめ
本尊は、11の顔をもつ十一面観音(じゅういちめんかんのん)です。四方八方の人の苦しみを見のがさない観音様とされます。仏様のくわしい話は、十一面観音の記事にまとめています。
② 由来 ― 像の中にもう一体の観音様
公式サイトによると、本尊は空海が刻んだと伝わる、身の丈一尺八寸(約55cm)の像です。
しかも、なんとその体の中には、もう一体の小さな観音様が納められているといいます。熊野権現(くまのごんげん)から授かったと伝わる、一寸八分(約5.5cm)の十一面観音です。このように像の中に納めた仏様を「体内仏(たいないぶつ)」と呼びます。
十一面観音は、『十一面観音神呪経』(じゅういちめんかんのんじんしゅきょう)などのお経に説かれる仏様です。
永暦(えいりゃく)元年(1160年)、後白河上皇はこの寺の本尊を、熊野権現の本地仏(ほんじぶつ=神様の本当の姿とされる仏様)と定めたとされます(公式サイト)。
③ 姿・持ち物と本堂
十一面観音は、頭の上に小さな顔をいくつものせた姿で表されます。左手に、蓮華(れんげ)をさした水瓶(すいびょう)を持つ像が多く見られます。やさしい顔、怒った顔、笑った顔などで、あらゆる人を見守るとされます。
ただし、ここの本尊は秘仏で、ふだんは見ることができません。本当のお姿は、心の中で思いえがいてお参りしましょう。
本堂は、正徳2年(1712年)に宗恕祖元律師(そうじょそげんりっし)が建てたものです(公式サイト)。
本尊の両脇には、円珍(えんちん=智証大師)作と伝わる不動明王と、運慶(うんけい)作と伝わる毘沙門天がまつられています。京都七福神の恵比須神も、本堂にまつられています(公式サイト)。
03. 今熊野観音寺のご利益 ― 頭痛封じ・ぼけ封じ
公式サイトの「霊験記(れいげんき=ご利益の記録)」によると、今熊野観音は頭痛封じ・智慧授かり・学業成就の観音です。さらに、厄除開運・健康長寿・中風(ちゅうぶう)封じ・ぼけ封じの観音としても信仰されています。
ご利益の根拠:後白河上皇(のちに出家して法皇)は、頭痛封じで評判だったこの観音様に祈りました。頭痛が治ったあと、上皇はこの観音様を頭痛封じの観音として広く知らせたと伝わります(公式サイト)。頭の病が治った話が、やがて智慧やぼけ封じの願いへと広がっていったのでしょう。
こんな人におすすめ
- 頭痛に悩んでいる人、家族の健康を願う人
- 年を重ねても、心も体も元気でいたい人。親のぼけ封じを願う人
- 受験生(子ども・若い人向けの「智慧授け」の枕カバーがあります)
授与品:祈祷ずみの「枕宝布(まくらカバー)」が名物です。大人用は頭痛封じ・ぼけ封じ、子ども〜若い人用は智慧授け・学業成就の祈祷がされています。ぼけ封じの「かぼちゃ御守」もあります(公式サイト。初穂料は寺務所へ)。
参拝に適した時期:11月中旬〜下旬の「紅葉まつり」のころ。鳥居橋のまわりが赤や黄色に染まります。
04. 今熊野観音寺 境内の見どころガイド(鳥居橋から医聖堂まで)
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鳥居橋(とりいばし)
泉涌寺との間を流れる今熊野川にかかる、赤い橋です。むかしこの地に熊野権現の社があったことが、橋の名の由来とも言われます(公式サイト)。
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子護大師(こまもりだいし)
参道で出迎える空海の像です。子どもの健康・学業成就・交通安全などを祈ります(公式サイト)。5月5日には子ども祈願祭が行われます。
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五智水(ごちすい)・五智の井
空海が錫杖(しゃくじょう)で岩をついたところ、わき出したと伝わる霊泉です(公式サイト)。
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本堂
1712年の建立です。秘仏の本尊十一面観音と、脇の不動明王・毘沙門天、恵比須神をまつります(公式サイト)。
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大師堂とぼけ封じ観音
大師堂は「東山大師」とも呼ばれ、空海と、不動明王・愛染明王、この寺を造営した左大臣・藤原緒嗣(ふじわらのおつぐ)の像をまつります。その前に立つのが「ぼけ封じ観音」です(公式サイト)。
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医聖堂(いせいどう)
本堂の東の山の上に立つ、平安様式の多宝塔です。医療に貢献した人々をまつります。1980年代の建立とされます(Wikipediaは1984年)。2016年には、33年ぶりに朱色がよみがえりました(公式サイト)。
| 御朱印(納経) | 内容 |
|---|---|
| 受付時間 | 8:00〜17:00(西国三十三所の公式サイト) |
| 種類・料金 | 公式サイトに記載なし。寺務所(075-561-5511)で確かめてください |
05. 今熊野観音寺の寺宝・秘宝ハイライト
本尊の体内仏 ― 熊野権現から授かった観音様
秘仏の本尊十一面観音(一尺八寸)の体の中に納められていると伝わる、小さな十一面観音です。熊野権現が空海に授けたとされます(公式サイト)。本尊も体内仏も、ふだんは拝むことができません。
島津逆修(ぎゃくしゅう)の塔
大小の五輪塔(ごりんとう=5つの石を積んだ供養塔)など5基がならぶ石塔群です。5基すべてに慶長3年の年号が見られます。中央の大きな五輪塔は、島津義久が願主(がんしゅ=願いを立てた人)となった、娘の亀寿(かめじゅ)の逆修塔と指摘されています。石は鹿児島県産の山川石です(公式サイト)。逆修とは、生きているうちに自分の死後の供養をしておくことです。
06. 今熊野観音寺の参拝の作法
お寺の基本の作法は、お寺の参拝作法の記事でくわしく紹介しています。今熊野観音寺では、次の順番でお参りしましょう。
- 鳥居橋をわたる前に、軽く一礼します
- 子護大師、五智水にごあいさつしながら坂を上ります
- 本堂の前で手を合わせ、本尊の十一面観音に一礼します
- 大師堂の空海と、ぼけ封じ観音にもお参りします
- 西国巡礼の人は、納経所で納経(御朱印)を受けます
子どもへの説明:「ここの観音様は、むかし、えらい人の頭のいたいのを治してくれたんだって。おじいちゃん、おばあちゃんが元気でいられるように、お願いしようね」
07. 今熊野観音寺の物語 ― 空海と白髪の老人
平安時代のはじめのことです。空海は、京の東山のあたりに、ふしぎな光と、めでたい雲がたなびくのを見ました。
光をたどって山に入ると、白い髪の老人が現れて、こう告げます。「この山には観音様が現れた。お堂を建てて、おまつりしなさい」。
老人は、自分は熊野権現だと名乗りました。そして、一寸八分の十一面観音と宝印(ほういん=仏の力がこもる印)を、空海に授けたのです。
空海は、自ら一尺八寸の十一面観音を刻みます。授かった小さな観音様は、その体の中に納めました。お堂を建てる場所を選ぶとき、清らかな水がわき出します。これが「五智水」と名づけられた、と伝えられます。
その後、嵯峨天皇(さがてんのう)が朝廷の財(官財〈かんざい〉)を与え、弘仁3年(812年)に諸堂が造られたとされます。左大臣藤原緒嗣の願いで始まった造営は、藤原春津(はるつ)に受けつがれ、斉衡2年(855年)に完成したと伝わります。
──そう、熊野の神様が、わざわざ都の山に観音様を届けに来た。この寺と熊野のつながりは、空海の時代から始まっていたのです。
08. 今熊野観音寺に伝わる伝説・言い伝え
【霊験】後白河上皇の枕元に立った観音様
後白河上皇は、はげしい頭痛に長く悩んでいました。ある夜、枕元に観音様が現れ、痛む頭に光をさしかけます。すると、長年の頭痛が治ったと伝えられます(公式サイト「霊験記」)。枕カバーのお守りも、この霊験を思わせる授与品です。
09. 今熊野観音寺周辺のスポット・アクセス詳細
202・207・208系統「泉涌寺道」下車、徒歩約10分(循環バスなので方向に注意)
「東福寺」駅から徒歩約15分
京都駅から約5分、四条河原町から約10分
泉涌寺道を上り、泉涌寺の総門の先へ。参拝者駐車場あり
京都駅から:京都駅(烏丸口)から市バス208系統で「泉涌寺道」へ。そこから徒歩約10分です(公式サイト)。
所要時間の目安:境内のお参りで30分〜1時間(筆者の目安)。
グルメ・休憩:境内には茶所「閑坐(かんざ)」があります。営業日やメニューは公式サイトに記載がないので、専用ダイヤル(090-4011-8170)で確かめてください。食事は、バス停「泉涌寺道」のある東大路通や、東福寺駅のまわりの店を利用すると便利です(店は事前に確かめてください)。
近くの寺社:本坊の泉涌寺は、歴代天皇の墓が集まる「御寺(みてら)」です。紅葉の名所東福寺、後白河上皇ゆかりの新熊野神社と三十三間堂も、同じ東山七条〜東福寺のエリアにあります。
10. 今熊野観音寺のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
- 今熊野観音寺は泉涌寺の塔頭で、西国三十三所の第15番。入山は無料
- 本尊は空海作と伝わる秘仏の十一面観音。体の中に、熊野権現から授かった一寸八分の観音様が納められていると伝わる
- 後白河上皇の頭痛が治った話から、頭痛封じ・ぼけ封じの観音として信仰される
紅葉が鳥居橋を染める11月、ぜひ「都の中の熊野」にお参りしてみてください。
11. ゆる仏様トーク ― 今熊野観音寺編
🍵 ゆる仏様トーク①(たとえ話)
今熊野観音寺の枕カバーは、今でいえば「お守り機能つきの寝具」です。寝ているあいだも観音様が見守ってくれる……。上皇の枕元に観音様が現れた話を知ると、毎晩の枕がちょっと特別に思えてきます。
🍵 ゆる仏様トーク②(ツッコミ)
熊野まで34回もお参りした後白河上皇。遠い熊野へいつでも通えるわけではないので、都の近くに「新しい熊野」を迎えたのです。──そう、熊野の神様への思いは、紀伊の山をこえて東山までやってきたのです。
🍵 ゆる仏様トーク③(ひとこと)
本尊の十一面観音が、頭をかかえてがんばる受験生に声をかけるとしたら――
※経典の言葉ではなく、四方を見守る十一面観音と、枕元に現れた霊験記をもとにイメージしたセリフです。
12. 今熊野観音寺の謎 ― 後白河上皇の「頭痛封じ」は、なぜ3か所にあるのか
【謎】
後白河上皇の頭痛を治したのは、今熊野観音寺の観音様だと伝わります。ところが、近くの三十三間堂にも、遠く熊野の山あいのお堂にも、「後白河上皇の頭痛」の伝説があります。上皇の頭痛を治したのは、いったいどこなのでしょうか。
【事実の整理】
① 今熊野観音寺:ある夜、上皇の枕元に観音様が現れ、頭に光をさしかけて頭痛が治ったと伝わります(公式サイト「霊験記」)。
② 三十三間堂:上皇の前世は熊野で修行した僧で、その髑髏(どくろ)から生えた柳が風にゆれるたびに頭が痛んだ、という伝説があります。お告げは熊野権現から出たとされます(くわしくは三十三間堂の記事へ)。
③ 三重県熊野市の楊枝薬師堂(ようじやくしどう):上皇の頭痛を治すため、この里の柳の大木が三十三間堂の棟木(むなぎ)として切り出された。その切り株の上にお堂を建てたのが始まり、と伝わります(三重県の観光公式サイト)。
④ 上皇は生涯で34回も熊野三山にお参りするほど、熊野権現を信仰していました。1160年には、御所の法住寺殿(ほうじゅうじどの)の守り神として、新熊野神社を建てています(Wikipedia)。
⑤ 同じ1160年、上皇はこの寺の本尊を熊野権現の本地仏と定め、「新那智山」の山号を与えたとされます(公式サイト)。三十三間堂(蓮華王院〈れんげおういん〉)も、法住寺殿の中に建てられたお堂です(Wikipedia「法住寺殿」)。
【私の考察】
私が注目したのは、3つの伝説に共通するものです。それは「熊野」です。
①は、熊野権現の本当の姿とされた観音様が治した話。②は、熊野で修行した前世の僧と、熊野権現のお告げの話。③は、熊野の里の柳が、都のお堂を支えた話。舞台はちがっても、どれも頭痛を治すのは「熊野の力」なのです。
そして④⑤のとおり、上皇は御所のまわりに、熊野をまるごと写したような場所を作りました。新熊野神社、今熊野観音寺、そして三十三間堂。どれも、上皇の御所の近くにあり、熊野とつながっています。
私は、「後白河上皇の頭痛が治った」という話は、もともと一つの寺だけの話ではなかったと考えます。熊野を深く信じた上皇の物語として語られ、それぞれの寺が自分の寺に引きよせて伝えたのではないでしょうか。今熊野では観音様の光として、三十三間堂では前世の髑髏と柳として。そして熊野の里では、都へ運ばれた柳の切り株として。
【結論(あくまで推測)】
上皇の頭痛を治したのは、どこか一つの寺ではなく、「都の中の熊野」と本物の熊野をつなぐ信仰そのものだったのかもしれません。3つの伝説は、上皇の熊野への思いが、東山と紀伊の山をつないだあとを伝えているのだと思います。ただし、どの伝説がいつ生まれたのかは、確かめられていません。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?

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