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紅葉で名高い東福寺(とうふくじ)の南に、小さな塔頭(たっちゅう=大きなお寺の中にある小さなお寺)があります。光明院(こうみょういん)です。白い砂と苔、75の石がつくる庭は、「虹の苔寺」と呼ばれています。
この記事でわかること
- 昭和の作庭家・重森三玲(しげもりみれい)がつくった「波心庭」の見方
- 月をかたどった茶亭「蘿月庵(らげつあん)」と、勝負の守り神の摩利支天
- 【謎】「嶺(みね)に雲が生じなければ」という禅語の庭に、なぜ雲の刈り込みがあるのか
実は、この寺は庭も茶亭も、ひとつの禅語でつながっています。縁側に座って、石が放つ「光」を目でたどってみませんか。
01. 光明院の基本情報
| 寺号(読み方) | 光明院(こうみょういん)。通称「虹の苔寺(にじのこけでら)」 |
|---|---|
| 山号 | 確認できませんでした(塔頭のため、本山東福寺の山号「慧日山〈えにちさん〉」の中の寺です) |
| 宗派 | 臨済宗東福寺派 |
| 寺格 | 大本山東福寺の塔頭 |
| ご本尊 | 釈迦如来(しゃかにょらい)(体験ツアーの紹介ページによる。公式サイトでは未確認) |
| 開山 | 金山明昶(きんざんみんちょう。「みんしょう」と読む資料もあり)。明祖禅師(みんそぜんじ)とも。開山は最初の住職のことです |
| 創建 | 明徳2年(1391年) |
| 所在地 | 京都府京都市東山区本町15丁目809 |
| アクセス | 京阪「鳥羽街道」駅から徒歩約5〜7分。JR・京阪「東福寺」駅から徒歩約10〜15分 |
| 拝観時間 | 7時ごろ〜日没(季節で変わります。8時からとする資料もあり) |
| 拝観料 | 志納(しのう=気持ちで納めるお金)。玄関の竹筒に納める形と紹介されています。目安は資料によって300円程度〜500円とちがいます |
| 駐車場 | 資料によって「なし」と「北駐車場あり(紅葉期は使えない)」に分かれます。公共交通がおすすめです |
| 公式サイト | 光明院 公式サイト/電話 075-561-7317 |
・創建・開山・宗派・所在地:るるぶ&more、tabi-mag、京都風光、京都通百科事典
・本尊:OTONAMI(体験ツアーの紹介ページ)
・拝観時間・拝観料500円:JR東海「そうだ 京都、行こう。」。志納300円程度・竹筒:京都観光Navi(2023年の記事)
02. 光明院のご本尊 ― 釈迦如来と、庭の三尊
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① 一言まとめ
本尊は、仏教を開いたお釈迦さま、釈迦如来と紹介されています。旅行サイトには「釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)」とする記事もあります。仏様のくわしい話は、釈迦如来の記事にまとめています。
② 由来・寺の中での位置づけ
禅宗では、教えはお釈迦さまから弟子へ、心から心へ伝えられたと考えます。その始まりとして語られるのが、拈華微笑(ねんげみしょう)の話です。お釈迦さまが花をひねって見せると、弟子の迦葉(かしょう)だけがほほえんだ、という話です(話のくわしい成り立ちは迦葉の記事へ)。禅寺がお釈迦さまを大切にまつるのは、この教えの流れの出発点だからです。
光明院は、1391年に金山明昶が開きました。金山明昶は、大道一以(だいどういちい)の教えを受けついだ僧です。中国の明(みん)から帰ったあと、各地に寺を開いたと伝わります。
でも、この寺では、仏様は本堂の中だけにいるのではありません。方丈(ほうじょう=禅寺の中心の建物)の前の庭「波心庭」には、釈迦如来・阿弥陀如来(あみだにょらい)・薬師如来(やくしにょらい)を表す3組の「三尊石(さんぞんせき)」が組まれています。なんと、石で仏様を表しているのです。
③ 姿・役割と、石の仏様
釈迦如来は、ふつう両手を組んで瞑想する姿や、右手を上げて「おそれなくてよい」と示す姿で表されます。両脇には文殊菩薩と普賢菩薩が並ぶ「釈迦三尊」の形がよく知られています。
三尊石とは、中央の大きな石と左右の石で、この「三尊」を表す石の組み方です。光明院では、東(中央)と南北(左右)に三尊石が置かれています。三尊石を仰ぐように置かれた石を、お釈迦さまの弟子の羅漢(らかん)とする資料もあります。
お参りのあとは、縁側から庭の石の仏様にも手を合わせてみましょう(筆者のおすすめ)。
03. 光明院のご利益 ― 心を整える庭と、勝負の守り神
光明院のご利益をまとめた公式の説明は、確認できませんでした。上の4つは、まつられる仏様と庭の意味から選んだ筆者のおすすめです。
- 心の平安:庭の名「波心」は、煩悩(ぼんのう=心のまよい)がなければ、仏の心という月が波に映る、という禅の教えからきています
- 勝負運・災難よけ:前庭の摩利支天は、勝負の守り神です(京都観光Navi の紹介)。陽炎(かげろう)の神様で、くわしくは摩利支天の記事へ
- ひらめき:月をかたどった茶亭や丸い窓をながめて、考えごとを整理するのもおすすめです(筆者の見方)
こんな人におすすめ:試験や試合の前に心を落ち着けたい人。人の多い東福寺の紅葉のあとに、静かな庭で休みたい人。庭の写真が好きな人。
参拝に適した時期:サツキ・ツツジは例年5〜6月、紅葉は例年11月中旬〜12月上旬が見ごろとされます(tabi-mag)。
04. 光明院 境内の見どころガイド(波心庭・雲嶺庭・蘿月庵)
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山門・参道
東福寺の六波羅門(ろくはらもん)の前の通りを南へ下った、東側にあります(京都通百科事典)。北どなりの寺とは、白い築地塀(ついじべい)で接しています。
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雲嶺庭(うんれいてい)=前庭
山門を入ってすぐの前庭です。1962年に重森三玲がつくりました(1962〜63年ごろとする資料もあり)。白砂・苔・青石の三尊石・鶴島(つるしま)などで組まれています。摩利支尊天(摩利支天)もここにまつられています。
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波心庭(はしんてい)=方丈の庭
1939年に重森三玲がつくった、池泉式(ちせんしき)の枯山水(かれさんすい=水を使わず、石と砂で山や水を表す庭)です。昭和38年(1963年)に完成とする資料もあります(諸説あり)。広さは約1150平方メートル。白砂は海、苔の中の小石は波しぶきを表します。主な石から放射状に並ぶ石は、寺の名の「光明(後光)」を表すとされます。
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雲の大刈り込み
庭の東側の斜面には、サツキやツツジが雲の形に刈り込まれています。これは雲紋(うんもん=雲の模様)を表すとされます。花は例年5〜6月です。
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蘿月庵(らげつあん)=月の茶亭
庭の東の高台、「雲の上」に建つ茶亭です。重森三玲が設計しました。窓・壁・障子にえがかれた大きな円は月を表し、月が東から昇るようすを表すとされます。建てられたのは1963年とされます。名の「蘿月」は、つたの間から見える月のことです。
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本堂と書院
本堂と書院はかぎ形に建ち、どちらからも庭が見られます。石組は、本堂・書院・茶室のどの方角からも見られるよう工夫されているといいます。丸・三角・四角の小窓や、なまず・ひょうたんの飾りもあると紹介されています。
光明院の御朱印・撮影
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 御朱印 | 2021年の口コミに、門の近くに見本があったとあります。料金・受付時間は確認できませんでした |
| お抹茶 | 口コミに、500円でお抹茶をいただいたという報告があります(2020年)。今もあるかは確かめてください |
| 撮影 | 庭や丸窓ごしの紅葉を撮ったという口コミが多くあります。撮影の決まりは確認できませんでした |
05. 光明院の寺宝・秘宝ハイライト
波心庭の「光の石組」(1939年作庭・諸説あり)
波心庭は、大小75の石でできています。石は、滋賀県の南郷(なんごう)の洗堰(あらいぜき)のあたりから運ばれたものです。体験ツアーの紹介では「三尊石と48の巨石」と書かれており、数え方は資料でちがいます。州浜(すはま)の形の枯池には、毛越寺(もうつうじ)や天龍寺の影響が見られるといいます。枯山水に州浜を取り入れた、初めての例ともいわれます。
固山一鞏墨蹟(こざんいっきょうぼくせき)― 重要文化財と紹介される書
南北朝時代、観応3年(1352年)に、禅僧の固山一鞏が書いた「清源寺家訓(せいげんじかくん)」1巻です。国の重要文化財と紹介されています。京都国立博物館にあずけられているとされ、寺に行っても見られるとは限りません。
ひとつの禅語でつながる、24年の庭づくり
庭の名「波心」と前庭の名「雲嶺」は、同じ禅語「無雲生嶺上 有月落波心」からとられています。波心庭は1939年、雲嶺庭は1962年、茶亭の蘿月庵は1963年とされます。1939年から1963年まで、24年にわたって重森三玲がこの寺の庭にかかわったことになります(年は京都風光による)。最初から一つの計画だったかはわかりません。
06. 光明院の参拝の作法
お寺の基本の作法は、お寺の参拝作法の記事でくわしく紹介しています。光明院では、次の順番でお参りしましょう。
- 山門の前で軽く一礼します
- 手水鉢(ちょうずばち)があれば、手と口を清めます。見当たらなければ、心を静めるだけでかまいません
- 前庭(雲嶺庭)の摩利支天に、手を合わせて一礼します
- 玄関で志納金を竹筒に納めます(金額は気持ちで)
- 本堂の釈迦如来の前で、手を合わせて一礼します
- 縁側や座敷に座って、波心庭をゆっくりながめます。最後に一礼して退出します
子どもへの説明:「白い砂は海で、とがった石は仏様の光なんだよ。どこから光が出ているか、さがしてみよう」
07. 光明院の物語 ― 荒れた寺を、托鉢でよみがえらせた住職
光明院を開いた金山明昶は、中国の明へ渡って学んだ禅僧です。帰国後は、播磨(兵庫県)の円応寺や淡路の安国寺など、各地に寺を開いたと伝わります。そして1391年、東福寺の中に光明院を開きました。でも、そのあとの寺の歩みは、くわしくわかっていません。
大きな転機は、明治のはじめにおとずれます。1868年の神仏分離令のあと、仏教の寺が打ちこわされる「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の流れの中で、光明院は荒れてしまいました。
1911年、横幕滴泉(よこまくてきせん)という住職が寺に入ります。住職は、20年以上にわたって托鉢(たくはつ=家々をまわって施しを受ける修行)を続けました。そうして集めた施しで、今の本堂が建てられたと伝わります。
そして1939年。東福寺の本坊の庭「八相の庭」と同じ年に、重森三玲が光明院の庭をつくりました。
──そう、荒れた寺は、一人の住職の足でよみがえり、一人の作庭家の手で「光」を得たのです。今、縁側に座る私たちは、その2人の仕事の続きをながめているのかもしれません。
08. 光明院に伝わる伝説・言い伝え
【見どころの話】雨の日だけ現れる池
波心庭は水を使わない枯山水です。でも大雨の日には、くぼみに水がたまり、本物の池のようになるといいます。「池泉式の枯山水」と呼ばれる庭が、雨の日だけ本当の池泉になるのです。
【呼び名の話】「虹の苔寺」の名の由来
苔の寺といえば西芳寺(苔寺)が有名です。光明院が「虹の苔寺」と呼ばれる理由は、四季の木々や草花が庭を虹のように色どるから、と紹介されます。秋の紅葉が苔の緑を色どるから、とする記事もあります。
09. 光明院周辺のスポット・アクセス詳細
「鳥羽街道」駅から徒歩約5〜7分(いちばん近い駅)
「東福寺」駅から徒歩約10〜15分
市バス・京阪バス「十条相深町」から徒歩約8〜10分(京都通百科事典・oniwa.garden)
拝観は約30〜40分(筆者の目安)
グルメ・休憩:東福寺の門前や、東福寺駅のまわりにお店があります(店は事前に確かめてください)。光明院では、お抹茶をいただけたという口コミもあります。
近くの寺社:本山の東福寺は歩いてすぐです。南へ歩けば伏見稲荷大社、東へ行けば泉涌寺・今熊野観音寺・雲龍院もあります。
10. 光明院のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
- 光明院は、1391年に金山明昶が開いた東福寺の塔頭で、「虹の苔寺」と呼ばれる
- 1939年に重森三玲がつくった波心庭は、75の石で仏様と「光」を表している
- 波心庭・雲嶺庭・蘿月庵は、ひとつの禅語「無雲生嶺上 有月落波心」でつながっている
紅葉が色づく11月、ぜひ光明院の縁側に座ってみてください。
11. ゆる仏様トーク ― 光明院編
🍵 ゆる仏様トーク①(たとえ話)
波心庭は、今でいえば「石でつくったプラネタリウム」です。中心の三尊石から、光が放たれるように石が並びます。見上げるかわりに、縁側から見下ろす星空なのです。
🍵 ゆる仏様トーク②(ツッコミ)
拝観料は「気持ちで」。受付の人もいないかもしれない。でも、だからこそ竹筒にお金を入れるとき、ちょっと背すじがのびます。──そう、このお寺は、入口からもう修行が始まっているのです。
🍵 ゆる仏様トーク③(ひとこと)
本尊の釈迦如来が、紅葉の写真をとるのにいそがしい人に声をかけるとしたら――
※経典の言葉ではなく、庭の名「波心」の意味をもとにイメージしたセリフです。
12. 光明院の謎 ― なぜ「雲なし」の禅語の庭に、雲の刈り込みがあるのか
【謎】
光明院の庭の名は、禅語「無雲生嶺上 有月落波心」からとられています。読み下すと「雲は嶺上(りょうじょう)に生ずることなくんば、月の波心に落つる有り」。「嶺の上に雲が生じなければ、月は波の中に映る」という意味です。それなのに、波心庭の背後には、大きな「雲」の刈り込みがあります。これは、言葉と庭が食いちがっているのでしょうか。
【事実の整理】
① 禅語の意味は「煩悩がなければ、月(仏の心)は波に映る」と説明されます。雲は煩悩、月は仏の心のたとえです(京都風光)。
② 波心庭(1939年)の東側の斜面には、サツキ・ツツジの大刈り込みがあり、雲紋を表すとされます(京都風光・京都通百科事典)。
③ 茶亭の蘿月庵(1963年とされる)は、その東の高台の「雲の上」に建ちます。円い窓や壁の円は月を表し、月が東に昇る姿を表すとされます(京都風光・JR東海「そうだ 京都、行こう。」)。
④ 前庭の雲嶺庭(1962年とされる)の名も、同じ禅語の前半「雲・嶺」からとられています(京都通百科事典)。
⑤ 庭の石は、本堂・書院・茶室のどこからでも見られるよう工夫されています(京都風光)。
【私の考察】
私は、食いちがいではないと考えます。なぜなら、この禅語は「雲がまったくない」と言っているのではないからです。「雲が嶺の上に生じなければ」という、条件の文なのです。そこで雲がある場所に注目すると、雲は「嶺の上」ではなく、斜面の中ほどにあります。
本堂から東を見ると、下から順に、白砂の海(波)、光を放つ石、雲の刈り込み、そして高台の月の茶亭が重なります。つまり、雲は月の「下」にあります。月のいる嶺の上は、雲がなく晴れているのです。①の禅語のとおり、晴れた嶺の月が、波(白砂)に光を落とす――その場面が、そのまま縦に並んでいるように見えます。
さらに④のように、前半の「雲嶺」は入口の前庭の名に、後半の「波心」は奥の庭の名になっています。山門から入ると、禅語を前から順に読むように歩くことになります。そして最後に、高台の月を見上げます。
【結論(あくまで推測)】
波心庭の雲の刈り込みは、禅語に反しているのではありません。雲を、わざと嶺の下に置いたのではないでしょうか。「嶺の上に雲が生じなければ、月は波に映る」。その条件と答えを、目に見える形にしたのです。私はそう考えます。ただし、重森三玲がそう考えてつくったと書いた資料は、確認できていません。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?

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