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【お寺めぐり】六波羅蜜寺-念仏を唱えると口から6体の仏様が現れた、市中の聖の物語(京都府京都市)

六波羅蜜寺 空也上人立像
口から6体の阿弥陀仏が現れる姿で表された、空也上人立像

この記事でわかること
・教科書でおなじみの空也上人像が、なぜ口から仏様を出している姿をしているのか
・貴族ではなく庶民に念仏を説いた空也が、なぜ「市聖」と呼ばれたのか
・ご本尊が12年に一度、辰年にしか見られない秘仏だという事実
京都市東山区、清水寺の程近くに佇む六波羅蜜寺。教科書で目にしたことのある、あの特徴的な仏像が伝わるこの寺には、庶民に寄り添った一人の聖の物語が息づいています。

01. 六波羅蜜寺の基本情報

正式名称 補陀洛山六波羅蜜寺(ふだらくさん ろくはらみつじ)
宗派 真言宗智山派
ご本尊 十一面観音(じゅういちめんかんのん)(国宝・秘仏)
開山 空也上人(くうやしょうにん)
創建 天暦5年(951年)
寺格 西国三十三所第17番札所、都七福神(弁財天)札所
所在地 京都府京都市東山区五条通大和大路上ル東
アクセス 京阪電車「清水五条駅」から徒歩約7分
拝観時間 8:00〜17:00(令和館〈宝物館〉は8:30〜16:30)
拝観料 境内無料、令和館600円
公式サイト https://rokuhara.or.jp/

02. ご本尊「十一面観音」ってどんな仏様?

十一面観音(じゅういちめんかんのん)
分類:菩薩(国宝・空也上人自作と伝わる)
本堂厨子内に安置・辰年にのみ開帳

① 一言まとめ
六波羅蜜寺のご本尊は十一面観音。あらゆる方向から人々を見守る11の顔を持つ観音様で、空也上人自らが刻んだと伝えられる国宝の秘仏です。

② 由来・経典上の位置づけ
天暦5年(951年)、京都に疫病が流行した際、空也上人は自ら刻んだ十一面観音像を車に乗せて市中を回り、病に苦しむ人々に茶を振る舞って救済に努めたと伝えられます。この観音像を安置するために建てられたのが、六波羅蜜寺の始まりです。本尊は12年に一度、辰年にのみ御開帳される秘仏として、大切に守られています。

③ 姿・特徴
空也上人は醍醐天皇の第二皇子と伝わる高貴な生まれでありながら、貴族社会に留まらず、市中に出て庶民に念仏の教えを説いて歩いたことから「市聖(いちのひじり)」と呼ばれました。踊りながら念仏を唱える「踊念仏(おどりねんぶつ)」の先駆者としても知られています。

03. ご利益・祈願

🕊 疫病退散
💰 金運・財運(弁財天)
🙏 諸願成就
📿 心の平安

十一面観音への祈りに加え、六波羅蜜寺は都七福神の一柱・弁財天の札所としても知られ、金運・財運を願う参拝者にも親しまれています。空也上人が疫病を鎮めるために観音を市中に運んだ由緒から、疫病退散のご利益でも信仰されてきました。

正月に行われる「皇服茶(おうぶくちゃ)」の授与は、空也上人が病人に振る舞った茶にちなむ伝統行事で、無病息災を願う参拝者で賑わいます。

04. 境内の見どころガイド

令和館(宝物館)と空也上人立像

六波羅蜜寺 空也上人立像
口から6体の阿弥陀仏が現れる姿を表した、教科書でも有名な木像

鎌倉時代の仏師・康勝(運慶の四男)作と伝わる空也上人立像を収蔵しています。「南無阿弥陀仏」の6文字の念仏を唱えると、その一字一字が阿弥陀仏となって口から現れたという伝承を、6体の小さな仏像で視覚的に表現した、日本彫刻史上でも類を見ない独創的な像です。

平清盛坐像

六波羅蜜寺 平清盛坐像
出家後の姿を表した、平清盛の貴重な肖像彫刻

経巻を手にした僧形の平清盛を表した坐像です。かつてこの一帯には平家一門の屋敷が立ち並んでおり、六波羅蜜寺は平家の隆盛と深く結びついた土地に建っています。

弁財天堂

六波羅蜜寺 弁財天堂
都七福神の一柱、弁財天を祀る

都七福神めぐりの一つとして、金運・財運のご利益で知られる弁財天を祀るお堂です。都七福神巡りの参拝者が数多く訪れます。

本尊の十一面観音は秘仏のため、通常は拝観できません。次回の御開帳は辰年になるため、参拝の際は事前に情報を確認しましょう。

御朱印情報

種類 備考
六波羅蜜寺/御詠歌(西国十七番)/洛陽三十三観音(十五番)/都七福神 弁財天 全4種類

05. 参拝の作法ガイド

  1. 山門をくぐる前に、境内に向かって軽く一礼します
  2. 手水舎で両手と口を清めます
  3. 本堂の前で姿勢を正し、静かに合掌して一礼します
  4. お参りが終わったら、来た時と同じように山門で振り返り一礼して退出します
神社の「二礼二拍手一礼」とは異なり、お寺では拍手は打ちません。静かに手を合わせる「合掌」だけでよい、ということをお子さんにも教えてあげてください。令和館では空也上人立像や平清盛坐像を間近で拝観できるので、参拝とあわせてぜひ立ち寄ってみてください。

06. 貴族の身分を捨て、市中に生きた聖

醍醐天皇の第二皇子と伝えられる高貴な出自でありながら、空也上人は貴族社会の枠にとどまることなく、市井の人々の中に飛び込み、念仏の教えを説いて回りました。橋や道を整備し、井戸を掘るなど、社会事業にも尽力したと伝えられ、人々は彼を親しみを込めて「市聖」「阿弥陀聖」と呼びました。天暦5年(951年)の疫病流行の際には、自ら刻んだ十一面観音像を車に乗せて市中を巡り、病に苦しむ人々に茶を振る舞ったと伝えられます。この時の観音像を安置するために建てられたのが、六波羅蜜寺の始まりです。

時代が下り、平安時代末期には、この一帯に平家一門の邸宅が軒を連ね、六波羅蜜寺は平家の権勢と深く結びつく土地になりました。平家滅亡後、鎌倉幕府はこの地に「六波羅探題(ろくはらたんだい)」という西国監視の拠点を設置し、六波羅蜜寺の周辺は、公家政権と武家政権の緊張関係が交錯する、京都でも重要な場所であり続けたのです。庶民に寄り添った聖の祈りの場が、時代を超えて権力の中心地の一角にもなっていったという歴史の重なりは、この寺ならではの奥深さといえるでしょう。

07. 周辺スポット・アクセス

🚃 電車
京阪「清水五条駅」徒歩約7分
⛩ 周辺
清水寺・八坂神社も徒歩圏内
💰 都七福神
弁財天の札所
⏱ 所要時間
境内散策 約30〜45分

六波羅蜜寺は清水寺や八坂神社にも近く、東山エリアの観光とあわせて参拝しやすい立地です。都七福神めぐりの一環として訪れる参拝者も多くいます。

08. まとめ

  • 六波羅蜜寺は天暦5年(951年)、庶民に念仏を説いた「市聖」空也上人によって開かれた
  • 教科書でも有名な空也上人立像は、念仏の一字一字が6体の阿弥陀仏となって口から現れる姿を表している
  • 本尊・十一面観音は国宝の秘仏で、12年に一度、辰年にのみ御開帳される

庶民に寄り添った聖の祈りと、独創的な仏像の造形美。ぜひ六波羅蜜寺で、その両方に触れてみてください。

09. ゆる仏様トーク

空也上人像、いわば「話した言葉がそのまま形になって見える」という、なんともユニークな表現方法です。「南無阿弥陀仏」の6文字が6体の仏様に変わるという発想は、現代のポップアートにも通じるインパクトがあります。

「市聖」

──貴族の身分を捨てて市井に生きた空也上人。地位や名誉よりも、目の前で苦しむ人々を救うことを選んだその生き方が、千年以上経った今も語り継がれているのです。

10. 謎と考察コーナー

【謎】なぜ本尊は「辰年」にしか公開されないのか?

【事実の整理】
六波羅蜜寺の本尊・十一面観音は国宝でありながら秘仏とされ、12年に一度、辰年にのみ御開帳されます。空也上人自らが刻んだと伝えられる、非常に由緒の深い像です。

【私の考察】
なぜ数ある干支の中でも「辰」の年が選ばれたのでしょうか。私は、龍が水や豊穣、そして「変化」や「昇華」を象徴する存在とされてきたことと、観音信仰の持つ「救済による変化」のイメージが重なったからではないかと考えます。秘仏を「めったに見られないからこそ尊い」という形で守り続けることは、単なる希少性の演出ではなく、日常とは異なる特別な巡り合わせの中で祈りを新たにする、という仏教的な時間の捉え方の表れなのかもしれません。

【結論(あくまで推測)】
辰年という特別な巡り合わせでしか本尊に出会えない仕組みは、観音様への祈りを「当たり前のもの」にしないための、長い年月をかけて磨かれた知恵なのではないでしょうか。あなたはどう思いますか?

※あくまで私の考察です。

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