この記事でわかること
・無実の罪を着せられた一人の漁師が、海から引き上げた木像から始まった川崎大師の物語
・「男は川崎大師、女は西新井大師」といわれる、意外な言い伝えの理由
・平将門ゆかりの観音様と、伊能忠敬の墓が眠る千葉の古刹
弘法大師・空海を祀る、関東を代表する3つの厄除け大師「関東三大師」。神奈川の川崎大師、東京の西新井大師、千葉の観福寺――それぞれに、漁師の贖罪、悪疫退散、そして歴史上の人物ゆかりの物語が残されています。
01. 関東三大師とは? 弘法大師信仰の3つの中心地
関東三大師は、弘法大師・空海を祀り、厄除けのご利益で名高い関東の3つの大寺院、川崎大師(平間寺)・西新井大師(總持寺)・観福寺の総称です。いずれも真言宗の寺院で、正月の初詣には多くの参拝者で賑わう、関東屈指の厄除け霊場として知られています。
| 寺名 | 所在地 | 創建 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 川崎大師(平間寺) | 神奈川県川崎市 | 大治3年(1128年) | 海から引き上げた弘法大師像 |
| 西新井大師(總持寺) | 東京都足立区 | 天長年間(824〜834年) | 悪疫を癒した井戸の伝説 |
| 観福寺 | 千葉県香取市 | 寛平2年(890年) | 平将門ゆかりの観音、伊能忠敬の墓 |
02. 関東三大師、3つの物語
川崎大師(平間寺)― 無実の罪を晴らした、一人の漁師の祈り
平安時代末、無実の罪を着せられ故郷を追われた平間兼乗(ひらまかねのり)は、川崎の地で漁師として暮らしていました。厄年である42歳を迎えたある夜、兼乗は夢のお告げに従って海に網を入れ、弘法大師自らが彫ったと伝わる木像を引き揚げます。
【伝説】木像を清め、無実の罪が晴れた
兼乗はこの木像を大切に洗い清め、小さなお堂を建てて厄除けを祈願しました。すると、長らく晴れなかった無実の罪の疑いが晴れ、故郷に帰ることができたと伝えられています。大治3年(1128年)、兼乗は僧・尊賢とともに、この木像を本尊とする平間寺(川崎大師)を建立しました。一人の漁師の切実な祈りが、今日の関東屈指の厄除け霊場の始まりとなったのです。
西新井大師(總持寺)― 悪疫を癒した、枯れ井戸の奇跡
天長年間(824〜834年)、関東巡錫中の弘法大師空海が、悪疫(伝染病)に苦しむ村人たちを救うため、十一面観音像と自らの像を彫り、枯れた井戸に自身の像を安置して21日間の護摩祈願を行ったと伝えられています。
【地名の由来】枯れ井戸から湧き出た清水
祈願の満願の日、枯れていた井戸から清らかな水が湧き出し、それを飲んだ村人たちの病がたちどころに癒えたと伝えられています。この霊験あらたかな井戸が本堂の「西」にあったことから、「西新井(にしあらい)」という地名が生まれたとされています。「男は川崎大師、女は西新井大師」という言い伝えがあるほど、古くから多くの参拝者に親しまれてきました。
観福寺 ― 平将門を守った観音様と、伊能忠敬の墓
観福寺は、寛平2年(890年)、尊海上人によって開かれた真言宗豊山派の古刹です。本尊の観世音菩薩は、平安時代に関東で反乱を起こした武将・平将門の守り本尊であったと伝えられています。
【見どころ】日本地図を作った男が眠る境内
観福寺の境内には、日本全国を測量して精密な日本地図を作り上げたことで知られる伊能忠敬の墓があります。厄除け信仰の中心地でありながら、日本の測量史に名を刻んだ偉人が静かに眠る場所でもあるという、意外な一面を持つ寺院です。
03. 関東三大師、巡り方のヒント
京急大師線「川崎大師駅」すぐ
東武大師線「大師前駅」すぐ
JR成田線「佐原駅」から徒歩圏内
いずれも正月三が日は大変混雑
04. まとめ
- 関東三大師は、弘法大師信仰で名高い川崎大師・西新井大師・観福寺の総称である
- 川崎大師は漁師が海から引き上げた木像、西新井大師は枯れ井戸の奇跡と、それぞれ独自の縁起を持つ
- 観福寺には平将門ゆかりの観音様と、伊能忠敬の墓所が今も伝えられている
厄除けを願うだけでなく、それぞれの寺に眠る物語に触れながら、関東三大師を巡ってみてください。
05. 謎と考察コーナー
【謎】なぜ「男は川崎大師、女は西新井大師」という区別が生まれたのか?
【事実の整理】
川崎大師と西新井大師は、ともに弘法大師信仰にもとづく厄除け霊場でありながら、「男は川崎大師、女は西新井大師」という、性別による使い分けの言い伝えが古くから伝えられています。
【私の考察】
なぜこのような区別が生まれたのでしょうか。私は、これは両寺の縁起の違いが関係しているのではないかと考えます。川崎大師は漁師・平間兼乗という「一人の男性」の贖罪の物語から始まり、西新井大師は「悪疫から村人全体を救う」という、より共同体的・母性的な救済の物語を持っています。江戸時代の人々が、それぞれの寺の成り立ちの物語に、自然と男性性・女性性のイメージを重ね合わせていった結果、こうした言い伝えが定着していったのではないでしょうか。
【結論(あくまで推測)】
「男は川崎大師、女は西新井大師」という言い伝えは、単なる迷信ではなく、それぞれの寺の縁起物語が持つ性質の違いを、人々が長い年月をかけて自然に言語化してきた結果なのではないでしょうか。あなたはどう思いますか?
※あくまで私の考察です。

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