(写真準備中)
京都・東山の松原通(まつばらどおり)に、「あの世の入口」と呼ばれてきたお寺があります。六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)、京都の人には「六道さん」と親しまれる寺です。
この記事でわかること
- 平安貴族・小野篁(おののたかむら)が冥土へ通ったと伝わる井戸と、2011年に見つかった「帰りの井戸」
- 3年待てずに掘り出された鐘の伝説と、お盆の「迎え鐘」「六道まいり」
- 【謎】篁の「帰り道」の井戸は、なぜ嵯峨と東山の2か所にあるのか
その鐘の音は、海をこえて唐の国まで届いたと伝えられています。
01. 六道珍皇寺の基本情報
| 寺号(読み方) | 六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)。「ろくどうちんこうじ」とも読みます。通称は「六道さん」 |
|---|---|
| 山号 | 大椿山(だいちんざん) |
| 宗派 | 臨済宗建仁寺派(大本山は建仁寺) |
| ご本尊 | 薬師如来(やくしにょらい)坐像(重要文化財) |
| 開山(開基) | 諸説あり。大安寺(だいあんじ)の僧・慶俊(きょうしゅん)とする説のほか、空海説、小野篁説、山代淡海(やましろのおうみ)説などがあります |
| 創建 | 延暦(えんりゃく)年間(782〜805年)と伝わります。東寺に伝わる文書では、承和(じょうわ)3年(836年)の創建とされます |
| 寺格 | 鎌倉時代までは東寺の末寺。1364年に建仁寺の僧が再興し、臨済宗に改められました |
| 所在地 | 京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595 |
| アクセス | 市バス「清水道(きよみずみち)」から徒歩5分。京阪「清水五条」駅から徒歩約15分 |
| 拝観時間 | 境内は9:00〜16:00ごろ(旅行情報サイト。公式に記載なし)。六道まいりの期間(8月7〜10日)は6:00〜22:00 |
| 拝観料 | 境内は無料。本堂などの堂内は特別拝観の日のみ(例:2026年9月の秋の彼岸特別寺宝展は大人800円・中学生600円・小学生500円)。原則5名以上の団体は予約制で1人1,000円 |
| 公式サイト | 大椿山 六道珍皇寺 公式サイト(rokudou.jp)/電話 075-561-4129 |
02. 六道珍皇寺のご本尊 ― 薬師如来
(写真準備中)
① 一言まとめ
ご本尊は、病気を治し、命を守る仏さま・薬師如来です。「あの世の入口」の寺の本尊が、この世の命を守る仏さまなのです。
② 由来・位置づけ
薬師如来は、東の瑠璃光(るりこう)浄土の仏さまです。経典の中で、人々の病や苦しみを除く12の誓いを立てたとされます。くわしくは薬師如来の記事で紹介しています。
六道珍皇寺の木造薬師如来坐像は、国の重要文化財です。江戸時代の名所案内『都名所図会(みやこめいしょずえ)』は、伝教大師最澄の作としています(コトバンク・日本歴史地名大系)。
③ 姿・特徴
重要文化財の像は、ふだんは収蔵庫に安置されています。本堂には、仏師・中西祥雲(なかにししょううん)が作った薬師三尊像がまつられています(Wikipedia「六道珍皇寺」)。
この寺の像の手の形や持ち物は、公式に説明がありません。一般に薬師如来は、左手に薬壺(やっこ=薬の入ったつぼ)を持つ姿で表されることが多い仏さまです。見た目は釈迦如来とよく似ていて、薬壺が見分けるヒントになります。
薬師如来は、東の浄土の仏さまです。いっぽう、この寺は都の東、鳥辺野の入口に建っています。死者を送る土地で、生きる人の病を治す仏さまが迎えてくれる。この組み合わせも、六道珍皇寺らしさのひとつです。
重要文化財の像に会えるのは、寺宝展などの特別拝観の日です。旅行情報サイトでは、六道まいりの期間も、本尊と閻魔・篁の像は拝観できるとされます(堂内と井戸は不可。公式に記載なしのため要確認)。
03. 六道珍皇寺のご利益・祈願
六道珍皇寺は、お盆に先祖の霊(精霊〈しょうらい〉)をお迎えする寺として知られます。公式サイトは、盂蘭盆(うらぼん)を前に精霊を迎えるため参詣する風習を「六道まいり」と説明しています。
本尊の薬師如来は、病気平癒の仏さまとして信仰されてきました。
こんな人におすすめ
- お盆に、亡くなった家族や先祖を京都のしきたりでお迎えしたい人
- 初盆(はつぼん)を迎える家族がいる人(公式サイトで新仏の供養の申しこみができます)
- 家族の病気の回復を願う人
ご利益の根拠:寺は、平安京の葬送の地・鳥辺野(とりべの)の入口にあたります。そのため、この世とあの世の境「六道の辻」と考えられてきました(Wikipedia「六道珍皇寺」)。この土地がらが、精霊を迎える信仰につながっています。
04. 六道珍皇寺 境内の見どころガイド(あの世の入口を歩く)
(写真準備中)
山門と「六道の辻」の石碑
寺の前には「六道の辻」と刻まれた石碑が立ちます。六道とは、人が生まれ変わりをくり返すという6つの世界のことです。六道の辻は、松原通ぞいの門前とも、少し西の西福寺(さいふくじ)のあたりともいわれます。
(写真準備中)
閻魔堂(篁堂〈たかむらどう〉)
空海・小野篁・閻魔大王の3体の像をまつるお堂です(コトバンク・世界大百科事典)。
(写真準備中)
鐘楼(迎え鐘)
お盆に精霊を迎えるためにつかれる「迎え鐘」です。六道まいりの4日間には、多くの人がこの鐘をつきに訪れます。
(写真準備中)
冥土通いの井戸・黄泉がえりの井戸
本堂の裏の庭に、小野篁が冥土へ行くときに使ったと伝わる井戸があります。2011年には、となりの土地から「帰り」に使ったという井戸も見つかりました。
(写真準備中)
地蔵堂(大石地蔵尊)
「大石地蔵尊」をまつるお堂です。空海(弘法大師)が一夜で彫ったと伝わります。
(写真準備中)
三界萬霊供養塔(さんがいばんれいくようとう)
自分の先祖だけでなく、すべての霊のために祈る供養塔です。
| 御朱印 | 内容 |
|---|---|
| 通常時の御朱印 | 種類・料金・受付時間は公式に記載なし |
| 特別拝観の限定御朱印 | 例:2026年秋の彼岸特別寺宝展では、直書きの「小野篁の異能『神通力』」(1,500円)や、見開きの彩色朱印「薬師如来」「地蔵尊」「ゑんま王」(各800円)など5種。1人各1枚・整理券制・拝観者のみ(公式サイト) |
05. 六道珍皇寺の寺宝・秘宝ハイライト
精霊迎えの様子を描いた「珍皇寺参詣曼荼羅」
桃山時代のものと推定される大きな絵で、縦206.8cm・横176.3cmあります。お盆の精霊迎えのにぎわいが描かれています。1997年に京都府の指定歴史資料になりました(Wikipedia「六道珍皇寺」)。
篁の「帰り道」と伝わる黄泉がえりの井戸
2011年、寺のとなりの民有地から見つかった井戸です。今は寺の所有で、小野篁が冥土から帰るときに使ったと伝わります(Wikipedia「六道珍皇寺」)。
06. 六道珍皇寺の参拝の作法
お寺の基本の作法は、お寺の参拝作法の記事でくわしく紹介しています。六道珍皇寺では、次の順番で静かにお参りしましょう。
- 山門の前で、軽く一礼します
- 手水舎(ちょうずや)があれば、手と口を清めます(手水舎の有無は公式に記載なし)
- 本堂の前で手を合わせ、本尊の薬師如来にお参りします
- 閻魔堂・地蔵堂・鐘楼をめぐります
- 帰りに山門でもう一度一礼して、境内を離れます
子どもへの説明:「お盆になると、ご先祖さまが家に帰ってくるんだよ。その道しるべに、この鐘をついてお知らせするんだって」
07. 六道珍皇寺の物語 ― 3年待てなかった鐘
昔、この寺に鐘をもたらしたのは、奈良の大安寺の僧・慶俊だったと伝えられています。鎌倉時代の説話集『古事談(こじだん)』に、こんな話が残ります。
慶俊は鐘を鋳(い)ると、それを土の中に埋めました。そして寺の僧たちに言い残します。「3年たったら掘り出しなさい」。そう言って、慶俊は海をわたり、唐の国へ旅立ちました。
ところが、寺の僧たちは待ちきれませんでした。1年半ほどで、鐘を掘り出してしまったのです。
その鐘をつくと、音は海をこえて、遠い唐の国まで響いたといいます。唐でその音を聞いた慶俊は、たいへん惜しみました。3年埋めておけば、人がつかなくても、ひとりでに時を告げる鐘になるはずだったからです。
待ちきれなかった僧たちのせいで、鐘は「ひとりで鳴る力」を失いました。でも、海の向こうまで届く音は残ったのです。
この寺の鐘は、のちにお盆に精霊を迎える「迎え鐘」として知られるようになります。今の鐘が、この伝説の鐘そのものかどうかはわかっていません。
それでも、伝説は鐘の評判とともに語られてきました。世界大百科事典は、迎え鐘の音は冥府(めいふ=あの世)はもちろん、唐の国まで届くと語られた、と説明しています。その出どころとされるのが『古事談』です。
08. 六道珍皇寺に伝わる伝説・言い伝え
【言い伝え】精霊は高野槇に乗って帰る
六道まいりでは、門前で売られる高野槇の枝を家に持ち帰ります。先祖の精霊は、この枝に宿って家に帰ってくると言われています(コトバンク)。
【寺伝】一夜で彫られた大石地蔵
地蔵堂の大石地蔵尊は、空海が一夜のうちに彫ったと伝えられています(Wikipedia「六道珍皇寺」)。
【言い伝え】飴を買いに来た幽霊
六道の辻の近くには、こんな話が伝わります。毎晩、青白い顔の女が飴屋に飴を買いに来ました。あとをつけると、女は墓の中で生まれた赤ちゃんを、飴で育てていたというのです。この「幽霊子育飴(ゆうれいこそだてあめ)」は、今も近くの店で売られています。
09. 六道の辻・六道珍皇寺周辺のスポット・アクセス詳細
JR京都駅から206系統、阪急「京都河原町」駅から207系統で「清水道」下車、徒歩5分
「清水五条」駅から徒歩約15分
京阪「祇園四条」駅から市バス207系統で「清水道」下車、徒歩5分
駐車場の案内なし。近くの有料駐車場を利用
所要時間の目安:境内だけなら20〜30分ほど。特別拝観の日に、井戸や寺宝までゆっくり見るなら1時間みておくと安心です。
近くの寺社:すぐ近くに、空也上人の像で知られる六波羅蜜寺があります。北へ歩けば建仁寺、東へ坂を上れば清水寺です。六道の辻の西福寺もあわせてめぐると、「あの世の入口」の町の空気を感じられます。
グルメ:松原通の「みなとや幽霊子育飴本舗」では、伝説の飴を買うことができます。麦芽糖などで作る、素朴な味の飴です。
10. 六道珍皇寺のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
- 六道珍皇寺は、葬送の地・鳥辺野の入口「六道の辻」にある臨済宗建仁寺派の寺。本尊は重要文化財の薬師如来
- 3年待てずに掘り出された鐘の音は唐まで届いたと伝わり、今はお盆の「迎え鐘」として精霊を呼ぶ
- 小野篁が冥土へ通った井戸と、2011年に見つかった「帰りの井戸」が残る
お盆の前には、迎え鐘の音を聞きに、ぜひ六道珍皇寺にお参りしてみてください。
11. ゆる仏様トーク ― 六道珍皇寺編
🍵 ゆる仏様トーク①(たとえ話)
迎え鐘は、今でいえば「ご先祖さまへの、年に一度の呼び出しチャイム」です。高野槇の枝は、帰り道で迷わないための「乗り物」。京都のお盆は、迎え方まで丁寧なのです。
🍵 ゆる仏様トーク②(ツッコミ)
「3年たったら掘り出しなさい」。そう言い残して慶俊は唐へ。でも1年半で、僧たちはがまんできずに掘ってしまいました。気持ちはわかります……。──そう、お坊さんだって、待つのは苦手だったのです。それでも伝説の鐘の物語は、今もお盆の迎え鐘とともに語りつがれています。
🍵 ゆる仏様トーク③(ひとこと)
本尊の薬師如来が、六道まいりの人にかけるとしたら――
※経典や公式の言葉ではなく、迎え鐘の伝説をもとにイメージしたセリフです。
12. 六道珍皇寺の謎 ― 篁の「帰り道」の井戸は、なぜ2か所あるのか
【謎】
小野篁は、六道珍皇寺の井戸から冥土へ行ったと伝わります。では、帰りはどこから戻ったのでしょう。古い話では、帰り道は遠い嵯峨野(さがの)にあったとされます。ところが今、六道珍皇寺にも「帰りの井戸」があります。篁の帰り道は、なぜ2か所あるのでしょうか。
【事実の整理】
① 本堂の裏の「冥土通いの井戸」は、篁が冥土へ行くときに使ったと伝わります。
② 篁は珍皇寺の井戸から冥土へ行き、嵯峨の福生寺(ふくしょうじ。福正寺とも)の井戸から戻った、という伝説があります。珍皇寺は「死の六道(入口)」、福生寺は「生の六道(出口)」と呼ばれたとされます。この形は、室町時代の説話集(『三国伝記』などとされます)でまとまったという指摘があります。
③ 福生寺は、明治時代に廃寺になったと紹介されています。そこにあった「生六道(いきろくどう)地蔵菩薩」像は、嵯峨の薬師寺に伝わるとされます。この薬師寺は、奈良の薬師寺とは別の寺で、清凉寺(せいりょうじ)の近くにあります。
④ 2011年、珍皇寺のとなりの土地から井戸が見つかりました。今は寺のもので、篁が帰りに使った「黄泉がえりの井戸」と伝わります。ただし、江戸時代の名所案内『拾遺都名所図会』の「生六道」とは別のものとされます(Wikipedia「六道珍皇寺」)。
⑤ 京都には、東の鳥辺野、西の化野(あだしの)、北の蓮台野(れんだいの)という、3つの大きな葬送の地がありました。六道珍皇寺は鳥辺野の入口です。福生寺のあった嵯峨は、清凉寺のあたりから西の葬送地・化野へと続く地域です。
【私の考察】
まず②と⑤を重ねてみました。古い話の「行き」は東の鳥辺野の入口、「帰り」は西の化野へ続く嵯峨です。「死の六道」と「生の六道」という呼び名も、2つで1組です。つまり篁は、都の東の葬送地から冥土へ入り、西の葬送地からこの世へ戻ったことになります。
これは、都を東から西へ横切る大きな旅です。冥土は地面の下で、2つの葬送地の入口がつながっている。昔の人は、そんな「あの世の地図」を思い描いていたのではないでしょうか。東の口と西の口があってこそ、篁は「行って、帰る」ことができたのです。
では、なぜ今の珍皇寺に「帰りの井戸」があるのでしょう。ここで考えたいのが、六道まいりです。お盆の精霊は、この寺で迎え鐘に呼ばれ、高野槇に乗って家へ帰ってきます。つまり珍皇寺は、あの世から「戻ってくる」場所でもあるのです。
行きの井戸しかない寺は、「入口」の寺です。でも行きと帰りの井戸がそろえば、「入口」であり「出口」でもある寺になります。2011年に見つかった井戸が「帰りの井戸」として受け入れられたのは、精霊が戻ってくる寺にふさわしい形だったからではないか、と私は考えます。③のように、嵯峨の「生の六道」の寺は明治に廃寺になったと紹介されています。それから2011年まで、帰り道の伝説には目に見える置き場がなかったことになります。新しく見つかった井戸が、その空いた席におさまったのかもしれません。
【結論(あくまで推測)】
篁の帰り道が2か所あるのは、時代によって「あの世の地図」の描き方が変わったからだと思います。古い伝説では、東の鳥辺野から入り、西の化野から出る、都を横切る大きな地図でした。今の珍皇寺では、精霊を迎える寺らしく、入口と出口が1つの寺にそろった小さな地図になっています。どちらも、亡き人に「行って、帰ってきてほしい」という願いの形なのかもしれません。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?

コメント