8本の腕のうち2本を胸の前で交差させ、手足には蛇が巻きつく。五大明王の南を守る軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)は、さまざまな障りを除く明王です。
この記事でわかること
- 名前の意味は「甘露(不死の薬)の壺」と「とぐろを巻く蛇」。インド神話の乳海攪拌(にゅうかいかくはん)とのつながり
- 一面三目八臂(いちめんさんもくはっぴ)の姿と見分け方、会える寺
- 【謎】「高山不動」と呼ばれる飯能の寺の本尊が、なぜ不動明王ではなく軍荼利明王なのか
こわい顔の明王の名前には、甘い「不死の薬」がかくれていました。
01. 軍荼利明王の基本情報(梵名・真言・種子)
| 分類 | 明王(みょうおう=怒りの姿で人々を導く仏様) |
| 読み方 | ぐんだりみょうおう |
| 別名 | 甘露軍荼利(かんろぐんだり)。金剛界曼荼羅では甘露軍荼利菩薩(かんろぐんだりぼさつ)にあたるとされます |
| 梵名(ぼんみょう) | アムリタ・クンダリン(amṛta-kuṇḍalin)。アムリタは「不死の霊薬」、クンダリンは「水瓶」または「とぐろを巻いた蛇」の意味です |
| 真言(しんごん) | オン・アミリテイ・ウン・ハッタ(甘露軍荼利の真言) |
| 種子字(しゅじじ) | ウン(hūṃ) |
| 五大明王での位置 | 南方を守る。宝生如来(ほうしょうにょらい)が怒りの姿になったもの(教令輪身〈きょうりょうりんじん〉)とされます |
| ご縁日 | 軍荼利明王としての定まったご縁日は、確認できる資料では見つかりませんでした |
02. 軍荼利明王とは? ― 甘露の名をもつ、障りを除く明王
① 一言まとめ
軍荼利明王は、五大明王のひとりで、南の方角を守る明王です。修行や暮らしをじゃまする、さまざまな障り(障碍〈しょうげ〉)を除くとされます。
② 由来・経典上の位置づけ
「軍荼利」は、梵名クンダリンの音を漢字にあてたものです。正式な梵名はアムリタ・クンダリン。「甘露(不死の薬)の壺」とも、「甘露をもつ、とぐろを巻く蛇」とも読める名前です。
実は、軍荼利明王は明王の中でも古くからいる仏様とされます。7世紀に阿地瞿多(あじくた)が訳した『陀羅尼集経(だらにじっきょう)』には、すでに「金剛甘露軍荼利菩薩」の名が出てきます(Wikipedia「軍荼利明王」)。
密教では、仏様は3つの姿で人を救うと考えます。軍荼利明王は、宝をさずける宝生如来が怒りの姿になったものとされます。また、病などの災いをもたらす毘那夜迦(びなやか)をしずめる明王とも解釈されます。毘那夜迦は、インドの象の頭の神ガネーシャのことで、のちの歓喜天(かんぎてん)のもとになった神です。
曼荼羅では、胎蔵界曼荼羅に軍荼利明王として描かれます。金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)には、甘露・金剛・蓮華の「三部軍荼利(さんぶぐんだり)」がいます。その中の甘露軍荼利菩薩が、軍荼利明王にあたるとされます。
③ 姿・持物・印相の特徴
- 顔:顔は1つで、目は3つ(一面三目)の姿が多く見られます。ただし常楽院の像のように、目が2つ(二眼)の例もあります(飯能市の解説より)。怒りの表情です。
- 腕:8本(八臂〈はっぴ〉)。いちばん前の2本の腕を胸の前で交差させ、大瞋印(だいしんいん。三鈷印とも)という手の形を結びます。
- 持物:右手に金剛杵(こんごうしょ)・金剛鈎(こんごうこう=かぎ)など、左手に三叉戟(さんさげき=三つまたのほこ)・輪・羂索(けんさく=なわ)などを持ちます(箕面市の解説より)。
- 蛇:手足に蛇が巻きつき、腰にも蛇のベルトをしています。名前の「とぐろを巻く蛇」を思わせる姿です。
- 足・台座・光背:乗り物には乗らず、蓮の花や岩をかたどった台座の上に立つ姿が多く見られます。両足で立つ像のほか、片足を浮かせた像もあります。背には炎の光背(こうはい)を背負います。
- 蛇の意味:常楽院の像についての飯能市の解説では、手足の赤い蛇は、異教の神々ののろいをはらうことを示すとされています。
03. 軍荼利明王のご利益 ― 障りを除き、甘露で救う
👹 悪鬼をしずめる
💧 甘露の救い
🔥 煩悩・欲を断つ
軍荼利明王は、さまざまな障り(障碍除去〈しょうげじょきょ〉)を除くとされます(Wikipedia)。箕面市の解説では、阿修羅(あしゅら)や悪鬼をしずめ、甘露によって人々を救うと説明されています。観光庁の解説文は、明王を「物欲などの障害を乗り越え、悟りに至るのを助ける」存在とし、軍荼利明王は不死の霊薬・甘露を授けるとしています。
こんな人におすすめ
- 何をやってもじゃまが入る、と感じている人
- 新しいことを始める前に、道のりの障りをはらっておきたい人
- 「ほしい」という気持ちにふり回されがちな人
ご利益の根拠:障りをもたらす毘那夜迦をしずめる明王とされることが、障碍除去のよりどころです。また、名前の「甘露」は不死の薬。いのちをうるおす薬の名をもつことも、人々を救う力の象徴とされます。
04. 軍荼利明王の関連する仏様 ― 五大明王のなかまたち
五大明王全体については、五大明王の記事でくわしく紹介しています。軍荼利明王の眷属(けんぞく=お供)についての決まった記載は、確認できる資料では見つかりませんでした。
05. 軍荼利明王をまつる主な寺院
- 常楽院(高山不動・埼玉県飯能市):本尊が軍荼利明王という、めずらしい寺です。木造軍荼利明王立像は、ヒノキの一木造り(いちぼくづくり)で像高228.8cm。一面二眼八臂で、両手両足に赤い蛇が巻きつきます。「ほぼ11世紀を下らない作」とされる国の重要文化財です(飯能市の解説より)。ふだんは公開されない秘仏(ひぶつ)で、冬至のころに年1回御開帳(ごかいちょう)されます。飯能市の案内では、2026年は12月22日(火)予定で、午前11時からの法要のあとに公開されます。吾野駅からの送迎バスはありません(飯能市「指定文化財 公開日一覧(令和8年度)」より)。
- 東寺(京都市南区):講堂の立体曼荼羅に、五大明王の一体として軍荼利明王がまつられています(国宝)。
- 大覚寺(京都市右京区):仏師・明円(みょうえん)が平安時代の終わり(安元3年〈1177年〉ごろ)に作った五大明王像(重要文化財)の一体があります。
- 東浪見寺(とらみじ・千葉県一宮町):木造軍荼利明王立像(千葉県指定文化財)。ヒノキの一木造りで像高約204cm。両肩のわきに穴があり、もとは多くの腕をもつ像だったと考えられています(千葉県の解説より)。
- 勝尾寺(大阪府箕面市):寺の四方八方を守る「八天石蔵(はってんせきぞう)」のうち、南(午〈うま〉の方角)に軍荼利明王の石蔵があります(箕面市の解説より)。
06. 軍荼利明王の見分け方ガイド
✅ 軍荼利明王かどうか、ここをチェック!
- 手足や腰に蛇が巻きついている:いちばんの目印です。
- 胸の前で2本の腕を交差させている:大瞋印(三鈷印)です。
- 顔は1つ、腕は8本:目は3つが多いですが、2つの像もあります。
- 乗り物に乗らず、立っている:片足を浮かせた像もあります。
似ている明王とのちがい
07. 軍荼利明王の名前の物語 ― 不死の薬「甘露」と、海をかき回した大蛇
仏教の経典では、7世紀の『陀羅尼集経』に「金剛甘露軍荼利菩薩」として登場します。その名前の中心にあるのが「アムリタ(甘露)」です。では、甘露とはどんなものなのでしょう。その甘露が生まれた物語が、インドの古い叙事詩(じょじし)『マハーバーラタ』などに語られています。「乳海攪拌(にゅうかいかくはん)」です。
むかし、神々は聖仙(せいせん)ののろいを受けて、力を失ってしまいました。そのすきに、アスラ(阿修羅のもとになった神々)が天界に攻めこんできます。
こまった神々に、ヴィシュヌ神は言いました。
それは、神々だけではできない大仕事でした。そこで神々は、敵のアスラと手を結びます。アムリタを分け合う約束で、力を借りたのです。
ヴィシュヌは大きな亀に姿を変え、海にもぐりました。その背中に、大きなマンダラ山をのせます。山には、大蛇ヴァースキを綱のように巻きつけました。神々が尾を、アスラが頭を持って引き合います。山がぐるぐる回り、乳の海がかき回されていきました。
ところが途中で、大蛇が猛毒をはき出しました。世界がほろびかけたそのとき、シヴァ神がその毒を飲みほします。シヴァの喉は、毒で青くそまったといいます。
攪拌は1000年も続きました。海からは太陽や月、白い象、女神ラクシュミーなどが次々と現れます。そして最後に、医神ダヌヴァンタリが、アムリタの入った壺をかかえて現れたのです。
大蛇がとぐろを巻いた山。そこから生まれた、不死の薬の壺。「とぐろを巻く蛇」と「水瓶」という、クンダリンの2つの意味は、この物語の中でひとつにつながって見える――私はそう感じます。
そして仏教の世界では、その甘露の名をもつ軍荼利明王が、障りをもたらす毘那夜迦(歓喜天のもとになったガネーシャ)をしずめる役目を担ったとされます。不死の薬を守る力が、人々の障りをはらう力になったのです。
08. 軍荼利明王のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
- 軍荼利明王は五大明王の南を守る明王。障りを除くとされ、宝生如来の怒りの姿
- 梵名アムリタ・クンダリンは「甘露の壺」「とぐろを巻く蛇」の意味。一面三目八臂で、体に蛇をまとう
- 飯能の常楽院(高山不動)は、軍荼利明王を本尊とするめずらしい寺。11世紀を下らないとされる像は国の重要文化財
こわい顔の奥にあるのは、人をうるおす甘露のやさしさ。冬至のころ、ぜひ軍荼利明王に会いに出かけてみてください。
09. ゆる仏様トーク ― 軍荼利明王編
軍荼利明王は、今でいえば「こわそうに見えて、救急箱を持ち歩いている先輩」です。見た目は蛇を巻いてこわもて。でも名前は「不死の薬の壺」。いざというときに、ちゃんと助けてくれそうです。
呼び名は「高山不動」、境内には「不動堂」。それなのに本尊は軍荼利明王。看板は「お不動さま」なのに、冬至のころに姿を見せるのは、蛇をまとった8本腕の明王です。──そう、仏様の看板と中身もまた、まっすぐではなかったのです。
※経典の言葉ではなく、軍荼利明王の名前の意味をもとにイメージしたセリフです。
10. 軍荼利明王の謎 ― 「高山不動」の本尊は、なぜ軍荼利明王なのか
埼玉県飯能市の常楽院は、「高山不動(こうやまふどう)」の名で親しまれています。ところが、その本尊は不動明王ではなく、軍荼利明王です。五大明王のうちでも、軍荼利明王を本尊とする寺はめずらしい存在です。なぜ「不動」の名の寺に、軍荼利明王がまつられているのでしょうか。
① 常楽院は、正式には高貴山(こうきさん)常楽院。今は真言宗智山派の寺です。寺伝では654年の創建で、かつては36の坊(僧の住まい)をもつ修験道の道場でした(観光情報より)。
② 寺伝では、716年に行基(ぎょうき)が五大明王の像を自ら刻み、その1体が今の本尊だと伝えます。ただし、像の作風は平安時代中期のもので、行基の作というのは伝承とされます(観光情報より)。
③ 本尊の木造軍荼利明王立像は、像高228.8cmの大きな像で、国の重要文化財です。「ほぼ11世紀を下らない作」とされます(飯能市の解説)。
④ 本尊は秘仏で、冬至(星祭り)のころに年1回御開帳されます。2026年は12月22日の予定です(飯能市の案内・観光情報)。
⑤ 境内には「不動堂」(埼玉県指定文化財。天保2年〈1831年〉の棟札〈むなふだ〉がある)があります。内陣の須弥壇(しゅみだん)には、大小3つの宮殿(くうでん=仏様を納める小さな建物)が置かれています(飯能市の解説)。
⑥ 常楽院は、高幡不動・成田不動とならぶ「関東三大不動」の1つと紹介されることがあります(数え方には諸説あり)。
⑦ ほかの4体の明王があったことや、それがいつ失われたかを示す記録は、確認できる資料では見つかりません。
まず考えられるのは、「お堂の名前が不動堂だから、高山不動と呼ばれた」という見方です。たしかに、それも理由の1つでしょう。でも、それなら次は「なぜ軍荼利明王の寺のお堂が『不動堂』なのか」という疑問が残ります。
そこで私は、高山不動はもともと「五大明王の寺」で、そのうち軍荼利明王だけが残ったのではないかと考えます。理由は2つあります。
「高山不動」の本尊が軍荼利明王なのは、もともと不動明王を中心とする五大明王がまつられ、その中から軍荼利明王だけが今に伝わったからではないでしょうか。寺の名は「5体の中心」を、本尊は「残った1体」を、それぞれ覚えているのだと思います。ただし、ほかの4体がいつ、どうして失われたのかを示す記録は見つかっていません。冬至の御開帳と甘露の関係も、私の想像です。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?


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