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【お寺めぐり】日本三大厄除け-嵯峨天皇の厄年から生まれた、二つの顔を持つ仏様の正体(埼玉県・兵庫県・広島県)

厄除け祈願のイメージ
空海が嵯峨天皇の厄年に刻んだと伝わる、愛染明王と不動明王が一体化した仏「厄神明王」

この記事でわかること
・二つの仏様が一体化した、日本でも珍しい「厄神明王」という存在
・関東で唯一、2体の弘法大師像を同時に祀るという埼玉の寺院
・広島平和記念公園の「平和の灯」の火元にもなった、宮島の古刹
弘法大師信仰にもとづく厄除け霊場は全国に数多くありますが、その中でも「日本三大厄除け開運大師」と呼ばれる3寺があります。※このくくりには諸説あり、他の組み合わせ(川崎大師・西新井大師・観福寺を「関東厄除け三大師」とする説など)も存在しますが、本記事では埼玉厄除け開運大師(龍泉寺)・門戸厄神(東光寺)・大聖院という組み合わせでご紹介します。

01. 日本三大厄除けとは? 「厄除け」の定義によって変わる顔ぶれ

「日本三大厄除け」は、対象を「大師」に限定するか「厄神」全般とするかによって顔ぶれが変わる、諸説あるくくりです。本記事で紹介する3寺は「日本三大厄除け開運大師」として紹介されることのある組み合わせです。
寺名 所在地 特徴
龍泉寺(埼玉厄除け開運大師) 埼玉県熊谷市 厄除けと開運、2体の大師像を安置
東光寺(門戸厄神) 兵庫県西宮市 愛染明王と不動明王が一体化した厄神明王
大聖院 広島県廿日市市(宮島) 「消えずの火」、平和記念公園の火元

02. 日本三大厄除け、3つの物語

埼玉

龍泉寺 ― 厄除けと開運、二体の大師像を同時に祀る寺

1200年の歴史を持つと伝わる龍泉寺は、平安時代には弘法大師空海自身がこの地を訪れたとも伝えられています。江戸時代後期の武士・画家である渡辺崋山ゆかりの寺院でもあり、崋山が描いた天井画は埼玉県の文化財に指定されています。

【特徴】関東で唯一、二体の金色大師像を祀る

龍泉寺は「厄除け金色大師」と「開運金色大師」という、厄除けと開運それぞれの願いに応える2体の大師像を同時に安置する、関東で唯一の寺院とされています。毎年の初詣には全国から70万人以上の参拝者が訪れる、埼玉屈指の厄除け霊場です。

兵庫

門戸厄神(東光寺)― 二つの仏が一体化した、珍しい「厄神明王」

天長6年(829年)、42歳の厄年を迎えた嵯峨天皇のため、空海が厄除け祈願を行ったのが門戸厄神の始まりと伝えられています。天皇の夢に、愛染明王と不動明王が一体となった姿が現れたことから、空海はこの二尊が合体した「厄神明王」を3体彫刻したとされています。

【謎】3体のうち、現存するのはこの1体だけ

空海が彫った3体の厄神明王像は、それぞれ高野山・石清水八幡宮・門戸厄神東光寺に安置されたと伝えられていますが、現存するのは東光寺の1体のみとされています。戦国時代の焼失を免れたと伝わるこの像は、今も多くの参拝者から篤い信仰を集め続けています。

広島

大聖院 ― 1200年燃え続ける炎に込められた、平和への祈り

宮島にある大聖院は、空海が唐から帰国後、大同元年(806年)に弥山で修行を行ったことに始まると伝わる、宮島最古の寺院です。

1200年間 ― 空海が灯した炎が守り継がれてきた年月。境内の「消えずの火」は、広島平和記念公園に灯る「平和の灯」の種火としても分けられています。

→ 詳しくはこちら:【お寺めぐり】大聖院

03. まとめ

  • 日本三大厄除けには複数の組み合わせがあるが、本記事では龍泉寺・東光寺(門戸厄神)・大聖院の3寺を紹介した
  • 門戸厄神には、愛染明王と不動明王が一体化した「厄神明王」という珍しい仏が祀られている
  • 大聖院の「消えずの火」は、広島平和記念公園の「平和の灯」の火元にもなっている

厄除けを願うだけでなく、それぞれの寺に込められた1200年以上の祈りの重みを感じながら、参拝してみてください。

04. 謎と考察コーナー

【謎】なぜ空海は、愛染明王と不動明王を「一体化」させる必要があったのか?

【事実の整理】
門戸厄神の厄神明王は、本来別々の仏である愛染明王(愛欲や煩悩を悟りに変える仏)と不動明王(強い意志で人々を導く仏)が、一体の姿として合体しています。このような合体像は、日本の仏教彫刻の中でも極めて珍しい存在です。

【私の考察】
なぜ空海は、あえて二つの異なる仏を一体化させたのでしょうか。私は、これは「厄」という災いの性質そのものを表現しようとしたからではないかと考えます。人生における厄災は、しばしば自分自身の欲望や執着(愛染明王が司る領域)と、外部からの困難(不動明王が司る領域)が絡み合って生まれます。この二つの側面を一つの仏に統合することで、内面と外界、両方の厄を同時に払うという、より強力で包括的な厄除けの力を表現しようとしたのではないでしょうか。

【結論(あくまで推測)】
厄神明王という合体仏は、単なる珍しい造形ではなく、人の内面と外界、両方に宿る「厄」を一度に払おうとする、空海の深い仏教的な思想の表れなのではないでしょうか。あなたはどう思いますか?

※あくまで私の考察です。

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