この記事でわかること
・かつて存在した「京の大仏」が、なぜ日本三大大仏の座から姿を消したのか
・富山の大仏が、著名な歌人から「鎌倉の大仏より美男」と評されたという逸話
・「3番目の大仏」が今も定まっていない、日本三大大仏ならではの事情
奈良の東大寺、鎌倉の高徳院――この2つの大仏が「日本三大大仏」の不動の2席であることに異論はありません。しかし3番目の大仏については、実は今も定まった通説がなく、複数の候補が存在します。本記事では、その中でも広く知られる富山県・高岡大仏を含めてご紹介します。
01. 日本三大大仏とは? 定まらない「3番目」の謎
江戸時代には、奈良の東大寺、鎌倉の高徳院、そして京都・方広寺の「京の大仏」をあわせて日本三大仏とする説が一般的でした。しかし京の大仏は寛政10年(1798年)の落雷による焼失、その後の再建も昭和48年(1973年)の火災で失われてしまいました。3番目の大仏の座が空席となった現在、富山県の高岡大仏、岐阜県の岐阜大仏、兵庫県の再建・兵庫大仏、東京都の東京大仏など、複数の候補が挙げられており、統一された通説は存在しません。
| 寺名 | 所在地 | 高さ | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 東大寺(奈良の大仏) | 奈良県奈良市 | 約15m | 国家鎮護のため聖武天皇が造立 |
| 高徳院(鎌倉の大仏) | 神奈川県鎌倉市 | 約11.3m | 屋外に鎮座する阿弥陀如来 |
| 大佛寺(高岡大仏) | 富山県高岡市 | 約16m | 「日本一の美男」と称される |
02. 日本三大大仏、3つの物語
東大寺 ― 国家の総力を挙げて造立された、大仏の原点
聖武天皇が発願し、天平勝宝4年(752年)に開眼供養が行われた盧舎那仏。飢饉や疫病が相次いだ世相を鎮めるため、全国から動員された延べ260万人以上ともいわれる人々の労力によって完成した、まさに国家プロジェクトの結晶です。
→ 詳しくはこちら:【お寺めぐり】東大寺
高徳院 ― 屋根を持たず、露座で佇む阿弥陀如来
鎌倉の大仏として親しまれる高徳院の阿弥陀如来像は、かつて存在した大仏殿が失われて以来、屋根のない「露座(ろざ)」の姿で佇んでいます。この開放的な姿こそが、多くの参拝者に親しまれる理由の一つとなっています。
高岡大仏 ― 歌人に「美男」と評された、青銅製の大仏
約800年前、承久の乱を逃れて越中に入道した源義勝が木造大仏を造営したのが始まりと伝えられています。度重なる焼失を経て、明治40年(1907年)から26年の歳月をかけ、高岡の伝統技術・銅器づくりの粋を集めた現在の青銅製の姿に生まれ変わりました。
【逸話】与謝野晶子「鎌倉大仏より一段と美男」
昭和8年(1933年)、高岡を訪れた歌人・与謝野晶子が、高岡大仏を「鎌倉大仏より一段と美男」と評したという逸話が伝えられています。以来、高岡大仏は「日本一の美男」の異名で親しまれ、銅器の街・高岡の象徴として今も多くの人に愛され続けています。
03. まとめ
- 日本三大大仏のうち、東大寺(奈良)と高徳院(鎌倉)の2寺は不動の存在だが、3番目は複数の候補があり定説がない
- かつては京都・方広寺の「京の大仏」が3番目とされていたが、江戸・昭和の2度の火災で失われた
- 富山県の高岡大仏は、歌人・与謝野晶子に「美男」と評されたという逸話を持つ、有力候補の一つである
3番目の大仏に定説がないからこそ、各地の大仏を巡りながら「自分にとっての日本三大大仏」を探してみるのも一興です。
04. 謎と考察コーナー
【謎】なぜ「3番目の大仏」だけは、いつまでも定説が生まれないのか?
【事実の整理】
かつての「京の大仏」焼失以降、日本三大大仏の3番目の座には、高岡大仏・岐阜大仏・兵庫大仏・東京大仏など複数の候補が挙げられていますが、いずれも全国的な統一見解には至っていません。
【私の考察】
なぜ1番目・2番目は不動なのに、3番目だけがこれほど定まらないのでしょうか。私は、これは東大寺・高徳院という2寺が、単なる大きさだけでなく、国家的な歴史・文化財としての圧倒的な知名度を持っている一方、3番目の候補となる大仏たちは、いずれもそれぞれの「地元」で深く愛される存在であり、全国区の知名度という点では拮抗しているからではないかと考えます。言い換えれば、3番目の空席は、各地域が誇る大仏への愛着が全国で分散している証でもあり、それ自体が日本各地の豊かな信仰の多様性を物語っているのかもしれません。
【結論(あくまで推測)】
3番目の大仏に定説が生まれないのは、それぞれの地域が自分たちの大仏に誇りを持ち続けているからこそであり、この「決まらなさ」自体が、日本各地の大仏信仰の豊かさを物語っているのではないでしょうか。あなたはどう思いますか?
※あくまで私の考察です。

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