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【お寺めぐり】長谷寺-270年間忘れられていた巡礼、徳道上人が閻魔大王から授かった33の宝印(奈良県桜井市)

# 【お寺めぐり】長谷寺-270年間忘れられていた巡礼、徳道上人が閻魔大王から授かった33の宝印(奈良県桜井市)
長谷寺 登廊
仁王門から本堂へと続く、399段の屋根付き回廊「登廊」

この記事でわかること
・長谷寺の開山・徳道上人が、冥界で閻魔大王から授かったという西国三十三所巡礼の起源
・一度は封印され、270年後に花山法皇によって復活したという、巡礼の知られざる歴史
・「花の御寺」と呼ばれる長谷寺の、牡丹と登廊が織りなす美しい見どころ
奈良県桜井市、西国三十三所第8番札所の長谷寺には、一人の高僧が冥界から持ち帰った、巡礼という信仰の原点があります。

01. 長谷寺の基本情報

正式名称豊山神楽院長谷寺(ぶさんかぐらいんはせでら)
山号豊山(ぶさん)
宗派真言宗豊山派 総本山
ご本尊十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)
開山道明(どうみょう)上人/徳道(とくどう)上人
創建朱鳥元年(686年)三重塔建立/神亀4年(727年)本尊安置
寺格真言宗豊山派総本山、西国三十三所第8番札所、「花の御寺」
所在地奈良県桜井市初瀬731-1
アクセス近鉄大阪線「長谷寺」駅から徒歩約15分
拝観料大人・中高生500円、小学生250円
公式サイトhttps://www.hasedera.or.jp/

02. ご本尊「十一面観世音菩薩」ってどんな仏様?

十一面観世音菩薩
分類:菩薩
日本最大級の木造観音像

① 一言まとめ
長谷寺のご本尊は十一面観世音菩薩。十一の顔であらゆる方向を見渡し、人々を救おうとする観音様で、その像高は10メートルを超える、日本最大級の木造仏です。

② 由来・経典上の位置づけ
朱鳥元年(686年)、僧・道明は初瀬山の西の丘に、天武天皇のために銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)を安置する三重塔を建立しました。これが長谷寺の始まりとされています。その後、神亀4年(727年)、僧・徳道は聖武天皇の勅命を受け、近江国(現在の滋賀県)から流れ出たと伝わる霊木を用いて、東の丘(現在の本堂の地)に十一面観音像を刻んで安置しました。平安時代には貴族たちがこぞって参詣し、「長谷詣で」として広く親しまれました。

③ 姿・特徴
長谷寺の十一面観音は、右手に錫杖(しゃくじょう)を持つという、一般的な十一面観音とは異なる独特のお姿で表され、「長谷寺式観音」とも呼ばれています。

03. ご利益・祈願

🙏 現世利益全般
💕 縁結び
🩺 病気平癒
📿 諸願成就

十一面観音は現世利益全般に霊験あらたかとされ、平安時代から多くの貴族が縁結びや諸願成就を願って参詣してきました。『源氏物語』や『枕草子』にも登場するなど、古典文学とも深いゆかりを持つお寺です。

長谷寺は「花の御寺」と呼ばれるほど、四季を通じて美しい花に彩られます。特に4月下旬から5月上旬にかけて咲き誇る牡丹は、150種・7,000株ともいわれ、圧巻の美しさです。

04. 境内の見どころガイド

登廊(重要文化財)

長谷寺 登廊
仁王門から本堂へと続く、399段の屋根付き石段
仁王門から本堂まで続く、屋根付きの石段の回廊。399段あり、上中下の三廊に分かれています。両脇に吊るされた灯籠と、季節の花々が織りなす景観は、長谷寺参拝の醍醐味の一つです。

本堂(国宝)

長谷寺 本堂
清水寺と同様の「舞台造」で、初瀬の山並みを一望できる
巨大なご本尊を安置する本堂は、清水寺と同じ「懸造(舞台造)」という工法で建てられています。舞台からは門前町や与喜山の原生林を一望できます。

牡丹

長谷寺 牡丹
150種・7,000株が咲き誇る「花の御寺」の象徴
登廊の両脇を彩る牡丹は、長谷寺を象徴する花。4月下旬から5月上旬の見頃には、境内が華やかな彩りに包まれます。
登廊は399段の石段が続きます。歩きやすい靴での参拝をおすすめします。

御朱印情報

受付場所備考
本堂周辺の授与所西国三十三所の御朱印を含む複数種類を授与

初穂料等の詳細は参拝時にご確認ください。

05. 参拝の作法ガイド

  1. 仁王門をくぐる前に、境内に向かって軽く一礼します
  2. 手水舎で両手と口を清めます
  3. 本堂の前で姿勢を正し、静かに合掌して一礼します
  4. お参りが終わったら、来た時と同じように山門で振り返り一礼して退出します
神社の「二礼二拍手一礼」とは異なり、お寺では拍手は打ちません。静かに手を合わせる「合掌」だけでよい、ということをお子さんにも教えてあげてください。登廊は段数が多いため、ゆっくりと自分のペースで進みましょう。

06. 閻魔大王から授かった、33の宝印の物語

養老2年(718年)、長谷寺の開山の一人である徳道上人は、重い病により仮死状態に陥りました。意識を失った上人は、冥界で閻魔大王と出会います。閻魔大王は徳道上人に起請文(誓いの文書)と33の宝印を授け、観音菩薩の慈悲を伝えるため、33の観音霊場を定めて人々に巡礼を勧めるようにと告げました。

息を吹き返した徳道上人は、この教えに従って33の霊場を選定しますが、当時の人々にはなかなか受け入れられませんでした。やむなく上人は、授かった33の宝印を摂津国(現在の兵庫県)の中山寺の石櫃に納め、その構想は長い間、人々の記憶から忘れ去られてしまいます。それから約270年もの歳月が流れた平安時代、花山法皇が自らこの巡礼を復興させたことで、ようやく西国三十三所巡礼として広く定着しました。長谷寺は、この巡礼の第8番札所として、今も多くの巡礼者を迎え続けています。

07. 周辺スポット・アクセス

🚃 電車
近鉄「長谷寺」駅から徒歩約15分
🚗 車
西名阪自動車道 天理ICから約30分
🅿️ 駐車場
周辺の有料駐車場を利用
⏱ 所要時間
境内散策 約90分

長谷寺の門前町には、名物の草餅や柿の葉寿司を扱う店が軒を連ねています。近隣には「女人高野」として知られる室生寺もあり、あわせて巡る「大和三山・室生・長谷寺コース」も人気です。

🌸 牡丹の季節(4月下旬〜5月上旬)に加え、初夏のあじさい、秋の紅葉、冬のぼたん(寒牡丹)と、長谷寺は一年を通じて花の見どころが尽きません。

08. まとめ

  • 長谷寺は、道明上人・徳道上人という二人の高僧によって奈良時代に開かれた真言宗豊山派の総本山
  • 開山・徳道上人は、閻魔大王から授かった33の宝印をもとに西国三十三所巡礼の構想を最初に立てた
  • この巡礼構想は一度忘れ去られたが、270年後に花山法皇によって復興され、今も多くの巡礼者に親しまれている

「花の御寺」として、牡丹と登廊が織りなす美しい景観を守り続ける長谷寺。ぜひその奥深い歴史と、四季折々の花の美しさを、実際に感じてみてください。

09. ゆる仏様トーク

十一面観世音菩薩様、いわば「270年越しの企画が、まさかの大ヒットになった」ような存在です。徳道上人が最初に提案した「33の霊場を巡る」というアイデアは、当時はまったく理解されませんでしたが、後の時代になって一大巡礼文化として花開いたのですから、先見の明とはこういうことを言うのかもしれません。

「今は理解されなくとも、いつか必ず届く」

──徳道上人が中山寺に宝印を納めながら、そう信じていたかどうかは分かりませんが、結果としてその通りになったのです。

10. 謎と考察コーナー

【謎】なぜ徳道上人の巡礼構想は、一度忘れ去られてしまったのか?

【事実の整理】
養老2年(718年)、徳道上人は閻魔大王から授かった33の宝印をもとに西国三十三所巡礼の構想を立てましたが、当時の人々には受け入れられず、宝印は中山寺に封印されました。それから約270年後、花山法皇によってこの巡礼が復興され、ようやく広く定着しました。

【私の考察】
なぜ徳道上人の教えは、最初は受け入れられなかったのでしょうか。私は、これは当時の仏教が、まだ貴族階級を中心とした特権的な信仰にとどまっていたことと関係しているのではないかと考えます。「あらゆる人が実際に霊場を巡ることで、観音様の慈悲を体感できる」という徳道上人の発想は、身分を問わず広く開かれた信仰のあり方を示すものであり、当時の社会にはまだ早すぎたのかもしれません。花山法皇の時代になって、貴族から庶民まで幅広い層が巡礼という行為に参加する土壌がようやく整い、徳道上人の構想が270年の時を経て花開いたのではないでしょうか。

【結論(あくまで推測)】
徳道上人の巡礼構想が一度忘れ去られたのは、失敗というより、時代がまだその教えに追いついていなかったからなのではないでしょうか。あなたはどう思いますか?

※あくまで私の考察です。

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