焔摩天(えんまてん)は、十二天(じゅうにてん)の一尊で、南の方角を守る密教の神です。「閻魔天」とも書きます。もとは閻魔大王と同じ、インドの死者の王ヤマです。
この記事でわかること
死を司る神に、命を延ばしてもらう。そこには、昔の人の切実な知恵がありました。
01. 焔摩天の基本情報
| 分類 | 天部(てんぶ=仏教を守る神々)。十二天・八方天の一尊 |
| 読み方 | えんまてん |
| 別名 | 閻摩天・閻魔天(えんまてん)・南方焔摩天 |
| 梵名(ぼんみょう) | ヤマ(Yama) |
| 守る方角 | 南 |
| 真言(しんごん) | オン・ヤマヤ・ソワカ(一般に伝わるもの。宗派で異なる場合あり) |
| 種子字(しゅじ) | 確認できる資料では確かめられないため省略 |
| 持物(じもつ) | 人頭幢(にんとうどう=人の顔が付いた杖) |
| 乗り物 | 水牛 |
| ご縁日 | 焔摩天だけの縁日は、確認できる資料では定められていない |
| 妃・眷属(けんぞく=家来) | 妃(の一人)は黒闇天(こくあんてん=黒暗后〈こくあんこう〉)。泰山府君(太山府君)・荼枳尼天(荼枳尼衆)・鬼衆(きしゅう)など |
02. 焔摩天とは? ― 閻魔さまの「密教バージョン」
① 一言まとめ
焔摩天は、閻魔大王の密教での姿です。運命や死、死後の世界を司り、南の方角を守ります。ただし、こわい裁判官ではなく、おだやかな顔の神として表されます。
② 由来・経典上の位置づけ
焔摩天のルーツは、インドの神話の死者の王ヤマです。ヤマの物語は十二天の記事で、地獄の裁判官になるまでは閻魔大王の記事で紹介しています。
同じヤマから、2つの姿が生まれました。中国で役人の姿になったのが閻魔大王です。そして密教の中で、神々の一人として整えられたのが焔摩天です。
密教では、焔摩天は八方(東西南北と、その間の4方向)を守る「八方天」の一尊です。さらに天・地・日・月の4尊を加えた十二天の一尊にも数えられます。
胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)では、いちばん外側の外金剛部院(げこんごうぶいん)の南方にいます。
実は、焔摩天のまわりには、たくさんの家来がいます。妃の黒闇天(こくあんてん)、人の寿命を記す泰山府君(たいざんふくん)、そして荼枳尼天(だきにてん)の仲間たちです。死と運命を司る神らしい、ちょっとこわい顔ぶれです。
焔摩天を中心に描いた「焔摩天曼荼羅」を使って行う修法(しゅほう=密教の祈り)を、「焔摩天供(えんまてんく)」といいます(くわしくは「03 ご利益」へ)。
③ 姿・持物の特徴
焔摩天は、インド風の服を着た菩薩のような姿で表されることが多いです。表情はおだやかです。
水牛の上に座り、手には人頭幢(にんとうどう)を持ちます。これは、杖の先に人の顔が付いたものです。
天部なので、如来のような決まった印相(いんぞう=手の形)はありません。光背(こうはい=背中の光)は作例によってさまざまで、決まった形はありません。台座の代わりに、水牛が乗り物になっているのが大きな特徴です。
水牛に座る姿は、西大寺に伝わった十二天画像(平安時代)や、醍醐寺の木像(重要文化財。平安時代後期〜鎌倉時代とされ、資料により諸説あり)などに見られます。いっぽう、京都国立博物館の旧東寺本(1127年)は、水牛ではなく敷物の上に座る形で描かれています。
03. 焔摩天のご利益 ― 延命・除病・息災
💊 除病(病気よけ)
🛡️ 息災(災いよけ)
👶 安産
🙏 追善供養
こんな人におすすめ
- 家族やペットの健康と長生きを願う人
- 病気からの回復を祈りたい人
- 亡くなった人の供養をしたい人
- 手術や治療をひかえた家族がいる人
- 無事の出産を願う人
ご利益の根拠:密教では、焔摩天供が「除病・息災・延寿・産生(さんしょう=安産)」を祈る修法とされています。病を除き、災いを消し、寿命を延ばし、無事の出産を願う祈りです。亡くなった人の供養のために行うときは、「冥道供(みょうどうく)」と呼ばれます。
ただし、焔摩天を単独でまつって一般の人がお参りできるお寺は、多くありません。十二天の一尊として、仏画や曼荼羅の中で出会うのが一般的です。ご利益の内容はお寺ごとに違うので、案内もあわせて確かめてください。
04. 焔摩天と関連する仏様・神様
05. 焔摩天に会える主な寺院・場所
- 赤山禅院(せきざんぜんいん/京都府京都市)― 焔摩天の眷属・泰山府君そのものとされる赤山大明神をまつるお寺です。延暦寺の別院(べついん)で、円仁(えんにん)の遺言によって888年に創建されたと伝わります(創建の年には異説もあります)。焔摩天の「命の帳簿係」に、直接会いに行ける場所です。
- 豊川稲荷(とよかわいなり/愛知県豊川市)― 正式名は妙厳寺(みょうごんじ)。焔摩天の眷属ともされる荼枳尼天が、稲荷と結びついた姿の豊川吒枳尼真天(だきにしんてん)をまつります。
- 醍醐寺(だいごじ/京都府京都市)― 水牛に乗る焔摩天の木像が伝わります。公開は霊宝館の展示によるので、公式サイトで確認を。くわしくは閻魔大王の記事で紹介しています。
- 西大寺伝来の十二天画像(国宝・平安時代)― 現存する最も古い十二天画の一つとされ、各天が鳥や獣の上に座る形です(鳥獣座〈ちょうじゅうざ〉)。現在は奈良・東京・京都の国立博物館に分けて預けられ、展覧会で公開されることがあります。
- 京都国立博物館(京都府京都市)― もとは東寺にあった十二天像(国宝・1127年)を所蔵しています。正月の「後七日御修法(ごしちにちのみしほ)」のために描かれた名品です。こちらは水牛ではなく、敷物に座る姿です。十二天画像のくわしい話は十二天の記事へ。
06. 焔摩天の見分け方 ― 閻魔大王・増長天・泰山府君との違い
※姿や持物は、時代や作品によって例外があります。展示の解説もあわせて確かめてください。
07. 焔摩天の物語コラム ― 家来の荼枳尼が仏道に入った話
焔摩天の家来の中でも、とりわけ恐ろしいのが荼枳尼(だきに)たちです。『大日経疏』(だいにちきょうしょ)という密教の注釈書に、彼女たちが仏道に入った話があります。
荼枳尼は、人の死を6か月も前に知るとされました。そして、その人が死ぬまでは守り、死んだ直後に心臓を取って食べる。そんな恐ろしい存在として語られます。
あるとき、大日如来(だいにちにょらい)が、大黒天(だいこくてん)の姿になって現れました。場所は尸林(しりん=死体を葬る林)です。
大黒天は荼枳尼たちを呼び集め、仏の力で降伏させました。そして、仏道に帰依(きえ=教えに従うこと)させたのです。
そして荼枳尼たちは、生きている人を襲うことは許されず、死んだ人の心臓だけを食べることが許されたと伝わります。
こうして荼枳尼は、恐ろしい鬼女から、仏法の側に立つ者へと変わっていきました。胎蔵界曼荼羅では、荼枳尼は焔摩天の眷属として描かれます(大黒天の眷属とする辞書もあり、諸説あり)。
のちに日本では、荼枳尼は白い狐に乗る女神の姿で表されるようになります。そして、稲荷(いなり)の信仰と結びついていきました。
08. 焔摩天のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
こわいイメージの閻魔さまにも、命を守ってくれる「もう一つの顔」があったのです。
09. ゆる仏様トーク ― 焔摩天編
焔摩天と閻魔大王は、今でいえば「同じ人の、仕事着と普段着」のような関係です。法廷で裁判官の服を着ているのが閻魔大王。インド風のゆったりした服で、水牛に座ってくつろいでいるのが焔摩天です。
妃に、帳簿係に、鬼女の一団に、鬼たち。焔摩天のまわりは、いつもにぎやかな大所帯です。それなのに本人は、水牛の上でおだやかな顔。──そう、本当に力のある神ほど、あわてないのかもしれません。
※経典の言葉ではなく、命と運命を見守る焔摩天をイメージしたセリフです。


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