(写真準備中)
曇鸞(どんらん)は、5〜6世紀(北魏の時代)の中国のお坊さんです。不老長寿の仙人の書を焼きすてて、阿弥陀如来の教えに入ったと伝わります。浄土真宗の七高僧の第三祖です。
この記事でわかること
「親鸞」の「鸞」の字は、この人から来ているとされます。日本でいちばん知られたお坊さんの名前に、中国の僧の名がかくれているのです。
01. 曇鸞(曇鸞大師)の基本情報
| 分類 | 祖師(そし)。中国・北魏〜東魏の浄土教の僧 |
| 読み方 | どんらん |
| 別名 | 曇鸞大師・曇鸞和尚(どんらんかしょう) |
| 梵名(ぼんみょう) | なし(中国の僧のため) |
| 生没年 | 476年〜542年とされます。没年には諸説あり |
| 出身 | 雁門(がんもん)郡(今の中国・山西省代県)。五台山の近く。迦才(かざい)の『浄土論』には汶水(ぶんすい。今の文水県)の人とあります(日本大百科全書) |
| おもな著作 | 『往生論註(おうじょうろんちゅう)』2巻、『讃阿弥陀仏偈(さんあみだぶつげ)』など |
| 位置づけ | 浄土真宗の七高僧の第三祖。浄土宗では「浄土五祖」の第一祖 |
| ゆかりの寺 | 玄中寺(げんちゅうじ。山西省) |
| 真言 | 決まったものは確認できませんでした |
| 種子字 | 決まったものは確認できませんでした |
| ご縁日 | 決まったものは確認できませんでした |
02. 曇鸞大師とは? ― 往生論註で「他力」を説いた七高僧の第三祖
① 一言まとめ
曇鸞は、天親の『浄土論』に注釈を書いた人です。その中で、極楽へ生まれることは阿弥陀如来の力(他力)によるのだ、と説きました。
② 由来・生涯
曇鸞は476年ごろ、五台山の近くの雁門で生まれました。出家したあと、「四論(しろん)」を深く学びます。四論とは、龍樹らの『中論』『十二門論』『大智度論』『百論』のことです。あわせて『涅槃経(ねはんぎょう)』の教えも学びました(Wikipedia)。
あるとき曇鸞は、『大集経(だいじっきょう)』という長いお経の注釈にとりかかりました。ところが、その途中で病にたおれてしまいます。
「このままでは、注釈を書きあげられない」。曇鸞は長生きの術を求めて、南の茅山(ぼうざん)の陶弘景(とうこうけい)をたずねました。陶弘景は、道教の名高い学者です。曇鸞はそこで仙人の書「仙経(せんぎょう)」をさずかりました。
ところが帰り道の洛陽(らくよう)で、インドから来た僧菩提流支(ぼだいるし)に出会います。この出会いが、曇鸞の一生を変えました(くわしくは07の物語)。
浄土の教えに入った曇鸞を、魏の皇帝は重んじ、「神鸞(しんらん)」とよびました。そして并州(へいしゅう)の大寺(大巌寺〈だいがんじ〉とも)に住むよう命じたと、『続高僧伝』は書きます。
その後、曇鸞は汾州(ふんしゅう)北山の石壁(せきへき)の玄中寺にうつりました。542年、平遥山寺(へいようさんじ)で病のため67歳で亡くなったとされます(『続高僧伝』)。
③ 姿の特徴
03. 曇鸞大師のご利益 ― 病の不安・長寿の願い・極楽往生
🌿 病の不安をやわらげる
⏳ いのちへの願い
📚 学問・読書
- 極楽往生:阿弥陀如来の力で極楽へ生まれる道を説きました
- 病の不安をやわらげる:病にたおれ、長生きを求めたところから、浄土の教えに入った人です(07)
- いのちへの願い:阿弥陀如来は「無量寿(むりょうじゅ。はかりしれない命)の仏」ともよばれます
- 学問・読書:四論を学び、『浄土論』を読みといた学僧でした
ご利益の根拠:曇鸞に決まったご利益があると書いた資料は、確認できませんでした。ここでは、その生涯と著作から紹介しています(筆者の見方)。
こんな人におすすめ:病気や年齢のことで、先が不安になっている人。「自分の力だけではどうにもならない」と感じている人です。
04. 曇鸞と関係の深い仏様・人物 ― 天親・菩提流支から道綽・親鸞まで
05. 曇鸞大師に出会える寺 ― 玄中寺と七高僧の絵
- 玄中寺(げんちゅうじ。中国・山西省):曇鸞が入った石壁の寺です。のちに道綽もこの寺で曇鸞の碑文を読み、浄土の教えに入ったと伝わります(Wikipedia「曇鸞」「道綽」)。現在の拝観の情報は確認できませんでした
- 西本願寺(京都市下京区):浄土真宗本願寺派の本山です。阿弥陀堂に七高僧の影像(えいぞう。肖像画)がまつられます。くわしくは西本願寺の記事へ
- 知恩院(京都市東山区):浄土宗の総本山です。浄土宗では、曇鸞は中国の「浄土五祖」の第一祖とされます(Wikipedia「曇鸞」)。知恩院に曇鸞の像や絵があるかは、確認できませんでした。くわしくは知恩院の記事へ
- 浄土真宗のお寺・お仏壇:七高僧の絵や、朝夕にとなえられる『正信偈』の中で、曇鸞に出会えます
06. 曇鸞大師の見分け方ガイド
✅ これがあれば曇鸞大師かも?チェックリスト
まちがえやすい人とのちがい
07. 曇鸞の物語 ― 洛陽の道で焼かれた、仙人の書
病にたおれた曇鸞は、長生きの術を求めて、はるばる南の茅山まで旅をしました。道教の大学者・陶弘景から、仙人の術の書「仙経」をさずかります。
「これで、注釈を書きあげるまで生きられる」。曇鸞は、きっとそう思ったことでしょう。
その帰り道、都の洛陽で、曇鸞はインドから来た僧菩提流支に出会いました。曇鸞はたずねます。
「仏の教えにも、この国の仙経よりすぐれた、長生きの法はありますか」
すると菩提流支は、地面につばをはいて言いました。
(何を言うのか。くらべものにならない。)
そして菩提流支は、『観無量寿経』をさずけて言いました。
(これこそ大いなる仙人の処方だ。これによって修行すれば、生と死のくり返しからぬけ出せる。)
曇鸞は、持っていた仙経をすべて焼きすてました。そして、阿弥陀如来の国に生まれる教えに入ったのです。
(三蔵流支、浄教を授けしかば/仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき)
(三蔵〈さんぞう。お経に通じた高僧〉の菩提流支が浄土の教えをさずけると、曇鸞は仙経を焼いて楽邦〈らくほう。極楽〉に帰依した。「焚焼」を「梵焼」と書く本もあります)
(親鸞『正信偈』)
──そう、曇鸞が手ばなしたのは、長生きの願いではなかったのかもしれません。自分の力で命をのばそうとする、その方法のほうだったのです。
08. 曇鸞のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
- 曇鸞は、龍樹系の四論を学び、天親の『浄土論』に注釈を書いた七高僧の第三祖
- 長生きの術を求めた帰りに菩提流支と出会い、仙経を焼いて浄土の教えに入ったと伝わる
- 『往生論註』の「他力」の教えは、親鸞の教えの根っこになった
お寺で『正信偈』を耳にしたら、「本師曇鸞」の句をさがしてみてください。仙人の書を焼いた人の名が、そこにあります。
09. ゆる仏様トーク ― 曇鸞大師編
曇鸞は、今でいえば「長生きのサプリを山ほど買って帰る途中で、お医者さんに『命のことなら、もっと大きな見方がありますよ』と言われ、その場でサプリの袋を手ばなした人」です。しかもそのあと、その「大きな見方」の解説書を書いてしまいました。
長生きの術を求めて、はるばる茅山まで旅をした曇鸞。手に入れた仙経は、帰り道で燃やしてしまいます。──そう、長い旅のおみやげは、行きと正反対のものでした。
曇鸞が、病気で不安な人に声をかけるとしたら――
※曇鸞の言葉そのものではありません。仙経を焼いた話と『往生論註』の他力の教えをもとに、イメージしたセリフです。

コメント