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【神社めぐり】花園神社|お稲荷さまと日本武尊、酉の市と芸能のご利益を徹底解説(東京都新宿区)

【神社めぐり】

花園神社(はなぞのじんじゃ)は、東京・新宿の真ん中にある「新宿の総鎮守(そうちんじゅ)」です。

この記事でわかること

  • お稲荷さまと日本武尊(やまとたけるのみこと)、花園神社の神様とご利益
  • 2026年の酉の市(とりのいち)の日程と、熊手(くまで)の楽しみ方
  • 「花園神社」という名前が正式になるまで、なぜ160年以上かかったのか(謎と考察)

ネオンの街のすぐ隣に、赤い鳥居がひっそり並ぶ。そこには、江戸から続く新宿の物語がつまっています。

01. 花園神社の基本情報

⛩️ 花園神社(はなぞのじんじゃ)基本情報
神社名 花園神社(はなぞのじんじゃ)
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・日本武尊(やまとたけるのみこと)・受持神(うけもちのかみ)
主なご利益 商売繁昌・開運招福・芸能上達・家内安全
社格など 新宿の総鎮守(旧社格は村社)
創建 1590年より前に、大和国(やまとのくに)の吉野山から勧請(かんじょう)されたと伝わる
所在地 東京都新宿区新宿5-17-3
アクセス 東京メトロ・都営「新宿三丁目駅」E2出口から徒歩0分/JR・小田急・京王「新宿駅」東口から徒歩7分
社務所の受付 9:00〜20:00(状況により18:00まで)。ご祈祷は9:30〜11:30、13:00〜16:30
拝観料 境内は自由に参拝できます
公式サイト http://www.hanazono-jinja.or.jp/

02. 花園神社に祀られている神様

① 一言まとめ

花園神社には、お稲荷さま(倉稲魂命)と、同じく食べ物の神様・受持神、そして英雄・日本武尊の三柱(みはしら)が祀られています。食と商売、そして開運を守り、新宿の街を見守ってきました。

② 神話のエピソード

主祭神の倉稲魂命(うかのみたまのみこと)は、稲の神様です。「うか」は穀物や食べ物を表す言葉とされます。『古事記(こじき)』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と書かれ、全国のお稲荷さんで祀られています。

受持神(うけもちのかみ)も、食べ物の神様です。『日本書紀(にほんしょき)』に登場する保食神(うけもちのかみ)と同じ神とされることもあります。「うけ」も食べ物を意味する言葉といわれます。受持神は、もとは境内にあった雷電神社(らいでんじんじゃ)の神様だったとされます。宝物殿には、本社神輿とともに「雷電神輿」が納められています。

そして日本武尊は、日本各地を旅して戦った英雄です。亡くなったあと白い鳥になって飛び去ったと、『古事記』『日本書紀』は伝えています。この伝説から、「鳥」にちなむ大鳥神社(おおとりじんじゃ)の神様として信仰されるようになったといわれます。

実は、花園神社に日本武尊がいるのは、境内にあった大鳥神社を1965年(昭和40年)に本社へ合祀(ごうし)したからです。このとき、正式な名前がようやく「花園神社」になりました(くわしくは「10 謎」で)。

③ 神様の性格・特徴

お稲荷さま。稲と食べ物の神様で、今は商売繁昌の神様としても親しまれています。
勇ましい英雄。大鳥神社の神様として、開運や商売繁昌を願う「酉の市」の主役です。
食べ物の神様。人々の暮らしを、食の面から支えてくれるとされます。
境内社(けいだいしゃ)・芸能浅間神社の神様。芸能にたずさわる人たちから篤(あつ)く信仰されています。

03. 花園神社のご利益と2026年の酉の市

💰商売繁昌お稲荷さまと大鳥神社
🎭芸能上達芸能浅間神社
🍀開運招福熊手で福をかき集める
💞夫婦和合・子宝威徳稲荷神社

こんな人におすすめ

  • お店や会社を営んでいて、商売繁昌を願う人
  • 舞台・音楽・お笑いなど、芸の道で成功したい人
  • 新しい年に向けて、運を開きたい人(酉の市の熊手が人気です)

ご利益の根拠:お稲荷さまは、稲の実りから「豊かさ」をもたらす神様として、商売繁昌の信仰を集めてきました。日本武尊を祀る大鳥神社の「酉の市」では、福をかき集める熊手(くまで)が授けられます。

芸能上達は、境内社の芸能浅間神社にちなむものです。公式サイトでは「芸道成就守」も授与されています。

おすすめの時期:11月の酉の市。例年5月下旬の例大祭も、神輿(みこし)が出てにぎやかです(日程は公式の年間行事で確認してください)。

🪝 2026年 花園神社の大酉祭(酉の市)
一の酉:前夜祭 11月6日(金)・本祭 11月7日(土)
二の酉:前夜祭 11月18日(水)・本祭 11月19日(木)
境内には縁起物の熊手を売る店がずらりと並びます。夜も遅くまでにぎわう、新宿の冬の始まりの風物詩です。

04. 花園神社の見どころ・境内ガイドと御朱印

大鳥居
新宿でも1、2を争う高さの鉄製の大鳥居。1996年(平成8年)に建てられました。(写真準備中)
手水舎(ちょうずや)と浅間神社の井戸
お参りの前に手と口を清める場所。戦前は今の手水舎の脇に井戸がありましたが、戦後に埋め立てられました。テレビ番組の企画で、約70年ぶりに芸能浅間神社の境内に再興されています。(写真準備中)
拝殿(はいでん)と神楽殿(かぐらでん)
何度も火災にあい、そのたびに再建されてきました。今の社殿は1965年に完成した鉄筋コンクリート造りです。神楽殿では、酉の市や例大祭の日にお神楽やお囃子が披露されます。(写真準備中)
芸能浅間神社(げいのうせんげんじんじゃ)
芸能の神様を祀る境内社。すぐ隣には、歌手・藤圭子(ふじけいこ)の「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑があります。(写真準備中)
威徳稲荷神社(いとくいなりじんじゃ)
朱色の鳥居がトンネルのように続く、女性に人気の境内社(けいだいしゃ)。夫婦和合(ふうふわごう)・子宝のお守りが授与されています。(写真準備中)
唐獅子(からじし/新宿区有形文化財)
1821年(文政4年)に名工・村田整珉(むらたせいみん)が鋳造(ちゅうぞう)した銅の唐獅子。(写真準備中)
青空骨董市(こっとういち)
毎週日曜の日の出から日の入りまで開かれる骨董市(行事の日と雨の日は中止)。(写真準備中)
御朱印(ごしゅいん)・授与品 内容
受付場所 社務所(年中無休・9:00〜20:00、状況により18:00まで)
御朱印 社務所で受付。種類や初穂料(はつほりょう)は公式サイトに記載がないため、当日の案内で確認してください
熊手守 800円。酉の市の時期に限らず、一年中授与されています
芸道成就守 1,000円(芸能浅間神社のお守り)
🎭 芸能との縁:1780年(安永〈あんえい〉9年)と1811年(文化〈ぶんか〉8年)、大火で焼けた社殿を再建するため、境内に劇場が設けられました。そこで見世物(みせもの)や芝居が興行(こうぎょう)され、評判を呼びます。花園神社と芸能の縁は、この頃から始まったとされています。
時代は下って1967年の夏。劇作家・唐十郎(からじゅうろう)の劇団「状況劇場」が境内に紅テントを張り、『腰巻お仙(こしまきおせん)』を上演しました。江戸の芝居小屋から、戦後のアングラ演劇へ。境内は、いつの時代も新しい芸能の舞台になってきたのです。
📸 撮影スポット:大鳥居をくぐった先の参道から見る拝殿と、威徳稲荷神社の朱色の鳥居が人気です。ほかの参拝者が写り込まないよう、配慮して撮影しましょう。

05. 花園神社の参拝作法ガイド

基本の作法は「二礼二拍手一礼(にれいにはくしゅいちれい)」です(くわしい作法は【基礎知識】神社の正式な参拝方法~鳥居からお参りまで正しい作法を詳しく解説~で紹介しています)。

  1. 1大鳥居の前で軽く一礼してから、参道の端を歩きます。
  2. 2手水舎(ちょうずや)で手と口を清めます。
  3. 3拝殿で二礼二拍手一礼。芸能浅間神社・威徳稲荷神社にもお参りしましょう。
  4. 4お参りが終わったら、鳥居を出るときに振り返って軽く一礼します。
⚠️ 古いお札やお守りを納める「納め大明神」には、神社のお札(神札〈しんさつ〉・神符〈しんぷ〉)しか納められません。熊手などの縁起物(えんぎもの)は社務所へ持っていきましょう。
子どもへの説明:「神様へのごあいさつは、おじぎを2回、手を2回たたいて、最後にもう1回おじぎをしようね。」

06. 物語コラム ― 花が咲き乱れる庭へ。「花園」の名が生まれた日

江戸時代のはじめ、花園神社は今より約250m南、今の伊勢丹デパートのあたりにありました。

ところが寛永(かんえい)年間(1624〜1644)、朝倉筑後守(あさくらちくごのかみ)という旗本(はたもと)が、このあたりに屋敷を与えられます。神社の土地は、なんと旗本の屋敷の中に囲い込まれてしまいました。

これでは、氏子(うじこ)たちがお参りできません。困った人々は、幕府に訴え出ました。

そして与えられたのが、今の場所です。そこは、徳川御三家の筆頭・尾張藩(おわりはん)の下屋敷(しもやしき)の庭の一部でした。そこには、たくさんの花が咲き乱れていたと伝えられています。

美しい花園の跡に移ったお稲荷さま。だから「花園稲荷神社」と呼ばれるようになった――これが社名の由来とされています。

ネオンの街・新宿のど真ん中に、かつて花の庭があった。そう思って境内を歩くと、ビルの谷間の小さな緑が、少し違って見えてきます。

07. 花園神社の周辺スポット・アクセス詳細

🚇 電車
新宿三丁目駅(東京メトロ丸の内線・副都心線、都営新宿線)E2出口から徒歩0分/新宿駅東口から徒歩7分
🚌 バス
都営バス「新宿三丁目」または「新宿伊勢丹前」から徒歩3分
🚗 車
首都高速4号新宿線・新宿出口から約5分(周辺の有料駐車場を利用)
⏱ 所要時間
境内の参拝で約20〜30分。酉の市の日は混雑するので余裕をもって

周辺のおすすめ

  • 太宗寺(たいそうじ)― 徒歩圏内のお寺。高さ5.5mの閻魔(えんま)様で知られます。
  • 新宿御苑(しんじゅくぎょえん)― 徳川家康の江戸入城(1590年)の後に、内藤家が拝領(はいりょう)した屋敷地が今の新宿御苑です。「内藤新宿」の名の由来にもなりました。
  • 明治神宮 ― 電車で数駅。都心の大きな杜(もり)の神社です。
  • グルメ ― 新宿三丁目・ゴールデン街周辺には、飲食店がたくさん集まっています。

Googleマップ:花園神社の地図を開く

08. 花園神社のまとめと関連記事

この記事でわかったこと

  • 花園神社は、お稲荷さまと日本武尊などを祀る「新宿の総鎮守」。尾張藩下屋敷の花園の跡に移ったことが名前の由来
  • 2026年の酉の市は、一の酉が11月7日(前夜祭6日)、二の酉が11月19日(前夜祭18日)
  • 江戸時代、社殿の再建のために境内で芝居を興行したことが芸能との縁の始まり。「花園神社」が正式名称になったのは1965年

ぜひ酉の市の熊手を手に、新宿のお稲荷さまと日本武尊に会いに行ってみてください。

09. ゆる神様トーク ― 花園神社編

🍵 ゆる神様トーク

型A(たとえ話):花園神社は、今でいえば「眠らない街の、いちばん古い常連さん」のような存在です。新宿が宿場町だったころから、ずっとこの街の移り変わりを見てきました。

型B(ツッコミ):江戸時代から「花園社」と呼ばれていたのに、明治の届け出で「花園」の字を書き漏らして、正式名称は「稲荷神社」に。──そう、神社の名前にも、人間のうっかりミスはつきものなのです。

「にぎやかなのは大歓迎。この街の元気が、私たちの力になるのだから。」

※花園神社の神様たちをイメージしたセリフで、実際の言葉ではありません。

ひとくち知識:酉の市の熊手は、福や運を「かき集める」縁起物。毎年少しずつ大きな熊手に買いかえると、商売が大きくなるという言い伝えもあります。

10. 花園神社の謎 ― 「花園神社」という名前が正式になるまで、なぜ160年以上かかったのか

🔍 【謎】江戸時代から「花園社」と呼ばれていたのに、正式名称になったのはなぜ昭和40年だったのか
【事実の整理】

史料に「花園社」の名前が初めて出てくるのは1803年(享和〈きょうわ〉3年)。大火からの社殿復興を願って奉納された額に書かれていました。

でも江戸時代には、「稲荷神社」「三光院稲荷(さんこういんいなり)」「四谷追分稲荷(よつやおいわけいなり)」など、いろいろな名前で呼ばれていました。三光院は、神仏習合(しんぶつしゅうごう)の時代に神社といっしょに祀られていたお寺です。
明治になると、神仏分離で三光院は廃されます。しかも神社の名前を届け出るとき、「花園」の文字を書き漏らしてしまい、正式名称は「村社(そんしゃ)稲荷神社」になってしまいました。
そこで1916年(大正5年)、当時の社掌(しゃしょう=神職の役職)と氏子総代(うじこそうだい)13名が名前を変える願いを出し、「花園稲荷神社」に。さらに1965年(昭和40年)、境内の大鳥神社を合祀したとき、ようやく「花園神社」が正式名称になりました。
【私の考察】

私は、「花園」という名前が、もともと人々の呼び名、つまり愛称だったからこそ、正式名称になるのに時間がかかったのだと考えます。

なぜなら、正式な名前は、お寺との関係や届け出の書類など、時代ごとの制度で決まるものだからです。一方、「花園さん」という呼び名は、花の庭に移ったという土地の記憶から、町の人たちが自然に使ってきた名前でした。
改名の理由には、「稲荷神社」だけでは伏見稲荷大社を指すのが一般的で紛らわしかった、という事情もありました。人々が呼び続けた愛称を、神職と氏子総代が制度の名前へと押し上げた。そして最後に、大鳥神社の合祀と社殿の建て替えという大きな節目が、「花園神社」という名前を後押ししたのではないでしょうか。
【結論(あくまで推測)】

「花園神社」は、町の人々の愛称を、神社を支える人たちが何十年もかけて正式な名前へと育てたもの――あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?

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