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【神社めぐり】浅草・鷲神社|天日鷲命と日本武尊、酉の市と熊手のご利益を徹底解説

鷲神社(おおとりじんじゃ)は、東京・浅草の北にある「おとりさま」。酉の市(とりのいち)の起源・発祥の神社とされています。

この記事でわかること

  • 祭神の天日鷲命(あめのひわしのみこと)と日本武尊(やまとたけるのみこと)、そして熊手の由来
  • 2026年の酉の市の日程と、熊手の「粋な買い方」
  • 「三の酉の年は火事が多い」という言い伝えの謎

午前0時、一番太鼓が鳴りひびくと、24時間のお祭りが始まります。江戸の人々が新しい年の福をかき集めた市へ、ご案内します。

01. 鷲神社の基本情報

⛩️ 鷲神社(おおとりじんじゃ)基本情報
神社名 鷲神社(おおとりじんじゃ)。通称「おとりさま」。昔は「鷲大明神社(わしだいみょうじんしゃ)」とも
祭神 天日鷲命(あめのひわしのみこと)・日本武尊(やまとたけるのみこと)
創建 不詳(江戸時代の宝暦(ほうれき)・明和(めいわ)年間〈1750〜60年代〉には、すでに酉の祭が大にぎわいだったと記録に残る)
主なご利益 開運・商売繁昌・殖産(しょくさん:産業がさかえること)・家内安全
例祭 11月の酉の日(酉の市)
七福神 浅草名所七福神のうち、寿老人(じゅろうじん)を祀る
所在地 東京都台東区千束(せんぞく)3-18-7
アクセス 東京メトロ日比谷線「入谷(いりや)駅」北口3番出口から徒歩約7分/つくばエクスプレス「浅草駅」から徒歩約8分
社格 公式サイトに記載なし
参拝 酉の市の日は午前0時〜24時。ふだんの受付時間は公式サイトに記載がないため、事前に確認を
電話 03-3876-0010(インフォメーション)
公式サイト https://otorisama.or.jp/

02. 鷲神社に祀られている神様

(写真準備中)
天岩戸の神話を描いた絵(イメージ)

① 一言まとめ

鷲神社には、鷲の名を持つ開運の神様・天日鷲命と、英雄・日本武尊の二柱(ふたはしら)が祀られています。どちらも、福や勝ちを「つかみ取る」力をもつ神様として信仰されています。

② 神話のエピソード

天日鷲命は、『古事記』には登場しない神様です。『日本書紀』の一書(あるふみ:別の伝え)には「粟国(あわのくに)の忌部(いんべ)の遠祖」として名前が見えます。平安時代の歴史書『古語拾遺(こごしゅうい)』でも、忌部氏の祖先の神とされています。

神社に伝わる社伝(しゃでん)によると、天日鷲命の名前は天岩戸(あまのいわと)の神話に由来します。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩戸にこもり、世界が真っ暗になったときのことです。天宇受売命(あめのうずめのみこと)が岩戸の前で舞いました。そのとき、「弦(げん)」という楽器を受け持つ神様がいました。

そして天手力男命(あめのたぢからおのみこと)が岩戸を開いたとき、その弦の先に鷲がとまりました。神々は「世を明るくするめでたいしるしの鳥だ」と喜びます。それからこの神様は、鷲の一字を入れて「鷲大明神」「天日鷲命」と呼ばれるようになったと伝えられています。

もう一柱の日本武尊は、のちにこの社に立ち寄った英雄です。その物語は「06 物語コラム」で紹介します。

③ 神様の性格・特徴

社伝では、諸国の土地を開き、開運・殖産・商売繁昌に力のある神様。鷲のように、福をがっちりつかむ神様です。
各地を旅して戦った英雄。この社で勝利を祈り、お礼参りに熊手をかけたと伝わります。
寿老人(じゅろうじん)
浅草名所七福神のひとり。健康と長寿を授けてくれるとされます。

03. 鷲神社のご利益と2026年の酉の市

🪝開運・授福熊手で福をかき集める
💰商売繁昌天日鷲命のご神徳
🏆勝運日本武尊の戦勝祈願
🏠家内安全・除災来る年の無事を祈る

こんな人におすすめ

  • お店や会社を営み、来年の商売繁昌を願う人
  • 新しい年に向けて、運を開きたい人
  • 試合や試験など、勝負ごとをひかえている人

酉の市以外のおすすめ:1月の初酉祭(はつとりさい)、元日〜7日の浅草名所七福神めぐり、2月の節分祭も行われます。

ご利益の根拠:公式サイトによると、酉の市は来る年の幸せを祈るお祭りです。願うのは「開運、授福(じゅふく:福を授かること)、殖産、除災、商売繁昌」です。実は、酉の市の本当の名前は「酉の祭(とりのまち)」。市が立つようになって、「市」の字があてられるようになりました。熊手は、福をかき集める縁起物として授けられてきました。

神社によると、酉の市の人出は毎年70万〜80万人。熊手店と露店の規模、にぎわいとも日本一だそうです。夜や週末はとくに混み合うので、時間に余裕をもって出かけましょう。

最近では、商売をしていない人も、家内安全や健康、恋愛成就などを願って熊手を求めるようになっているそうです。

🪝 2026年(令和8年)鷲神社の酉の市
一の酉:11月7日(土) 二の酉:11月19日(木)
各日とも午前0時〜24時。午前0時の「一番太鼓」を合図に始まります。2026年は二の酉まで行われます。
前夜の11月6日(金)・18日(水)の午後11時15分からは、「宵宮開運福寿祭(よいみやかいうんふくじゅさい)」が行われます。
本祭の11月7日(土)・19日(木)の午後1時からは、「鷲祭特別祭儀(おおとりまつりとくべつさいぎ)」が行われます。どちらも参列には事前予約が必要です。
🪙 熊手御守(かっこめ):神社で授与される熊手のお守りは、酉の市の日だけのもの。一番太鼓と同時に授与が始まります。公式の由緒のページでは、いちばん先に受けた人に「一番札」として神社の金小判が授けられる、と紹介されています(今の実施状況は当日確認してください)。

04. 鷲神社の見どころ・境内ガイドと「なでおかめ」

明神鳥居と参道
神社の入口に立つ明神鳥居(みょうじんとりい)。酉の市の日には、参道から境内まで熊手店と人の波でうめつくされます。(写真準備中)
手水舎(ちょうずや)
1999年(平成11年)11月に再建されました。お参りの前に手と口を清めましょう。(写真準備中)
大熊手(撮影スポット)
境内の大きな熊手は、なでおかめと並ぶ人気の写真スポットとして神社でも紹介されています。(写真準備中)
御社殿となでおかめ
社殿の賽銭箱(さいせんばこ)の上に「なでおかめ」がいます。酉の市の間は、社務所入口の前に移されます。(写真準備中)
其角(きかく)と正岡子規の句碑
俳人・其角の「春をまつ ことのはじめや 酉の市」の句碑と、正岡子規の「雑閙(ざっとう)や 熊手押あふ 酉の市」の句碑。子規の句碑は、没後100年を記念して2000年(平成12年)2月に建てられました。(写真準備中)
樋口一葉の碑
小説『たけくらべ』に鷲神社のにぎわいを描いた樋口一葉(ひぐちいちよう)の文学碑と、師・半井桃水(なからいとうすい)に宛てた書簡の碑。(写真準備中)

なでおかめのご利益

「おかめ」は、天宇受売命のことだといわれます。福が多い「お多福(おたふく)」として、熊手の飾りにも江戸時代から使われてきました。なでる場所によって、ご利益が変わると伝えられています。

なでる場所 ご利益(言い伝え)
おでこ 賢くなる
目 先見の明がきく
鼻 金運がつく
向かって右の頬 恋愛成就
左の頬 健康
口 災いを防ぐ
あごから時計回り 物事が丸くおさまる
授与品・ご祈願 内容
熊手御守(かっこめ) 酉の市の日だけ授与
酉の市のご祈願 当日受付順に随時(事前予約も可)。初穂料(はつほりょう)5,000円から(1家族・1団体5名まで)
御朱印 種類や初穂料は公式サイトに記載がないため、当日の案内で確認してください

05. 鷲神社の参拝作法ガイド

基本の作法は「二礼二拍手一礼」です(くわしくは【基礎知識】神社の正式な参拝方法~鳥居からお参りまで正しい作法を詳しく解説~で紹介しています)。

  1. 1鳥居の前で軽く一礼してから、参道の端を歩きます。
  2. 2手水舎で手と口を清めます。
  3. 3社殿で二礼二拍手一礼。そのあと、なでおかめにもごあいさつを。
  4. 4鳥居を出るときに、振り返って軽く一礼します。
⚠️ 酉の市のお参りの順番:まず神社にお参りして、神社の「熊手御守」を受けます。そのあと熊手店で縁起熊手を求め、家や神棚にお祀りするのが一般的だそうです。
子どもへの説明:「まず神様にごあいさつしてから、お店で熊手を選ぼうね。」

06. 鷲神社の物語コラム ― 日本武尊が松にかけた熊手

東の国々へ向かう長い旅。この先に、どんな戦いが待っているのかは分かりません。

その途中、日本武尊は、鷲の神様をお祀りする小さな社に立ち寄りました。社伝によると、ここで天日鷲命に戦いの勝利を祈ったといいます。

やがて季節はめぐり、志を果たした日本武尊が、ふたたびこの社の前に立ちます。冷たい風のなか、松の枝が静かに揺れていたのかもしれません。手にしていたのは、戦いで使った武具の「熊手」。日本武尊はその熊手を、社の前の松の枝にかけて、勝ち戦を祝いました。

そのお礼参りの日が、11月の酉の日だった――鷲神社の社伝は、そう伝えています。この日を例祭日と定めたのが「酉の祭(とりのまち)」、今の酉の市の始まりとされます。

実は、戦いの道具だった熊手は、いつしか「福をかき集める」縁起物に姿を変えました。江戸時代の中ごろから天保(てんぽう)のはじめごろまでは、柄の長い実用の熊手でした。そこに、おかめの面と四手(しで:紙の飾り)をつけたものだったと伝わります。

勝利を運んだ熊手が、今は一年の幸せを運ぶ。そう思うと、境内に並ぶ色とりどりの熊手が、少し誇らしげに見えてきます。

📜 公式サイトによると、江戸時代の酉の市は、花畑の大鷲神社(上酉)、千住の勝専寺(中酉)、浅草の鷲神社(下酉)の3か所でした。明治になって千住の酉の市が閉じ、浅草と花畑が江戸から続く酉の市として残っています。

07. 鷲神社の周辺スポット・アクセス詳細

🚇 電車
日比谷線「入谷駅」北口3番出口から徒歩約7分/つくばエクスプレス「浅草駅」から徒歩約8分/銀座線「田原町駅」から徒歩約15分
🚌 バス
都バス(日暮里駅〜錦糸町駅)「千束」下車、徒歩2分。台東区循環バスは「南めぐりん」(田原町方面)・「北めぐりん」(鶯谷方面)が運行しています
🚗 車
酉の市の日は大変混雑します。公式サイトの「近隣駐車場のご案内」を確認し、できるだけ公共交通機関で
⏱ 所要時間
ふだんは約20分。酉の市の日は、熊手選びも含めて1〜2時間は見ておくと安心

周辺のおすすめ

  • 浅草寺(せんそうじ)― 浅草駅方面へ歩いて行ける距離にある、浅草観光の中心です(公式サイトでは、浅草駅から鷲神社まで約15分)。
  • 浅草名所七福神めぐり ― 鷲神社(寿老人)をふくむ9つの社寺をめぐります。元日から7日までは、各社寺で福絵馬などが授与されます。
  • グルメ・名物 ― 酉の市の日は、熊手店約150店のほか露店約750店が並びます。「頭の芋(とうのいも)」とも呼ばれる八頭(やつがしら)は、人の頭に立つように出世できる縁起物。お正月用の餅菓子・切山椒(きりざんしょ)も名物です。
  • 吉原神社(よしわらじんじゃ)― 鷲神社のすぐ近く(台東区千束3-20-2)にある、浅草名所七福神の一社です。
  • 樋口一葉ゆかりの地 ― 境内の一葉の碑のほか、近くの竜泉(りゅうせん)には台東区立一葉記念館があります。

Googleマップ:鷲神社の地図を開く

08. 鷲神社のまとめと関連記事

この記事でわかったこと

  • 鷲神社は、天日鷲命と日本武尊を祀る「おとりさま」。酉の市の起源・発祥の神社とされる
  • 2026年の酉の市は、一の酉が11月7日(土)、二の酉が11月19日(木)。各日0時〜24時
  • 日本武尊が社前の松に熊手をかけた故事が、熊手の縁起物のはじまりと伝わる

ぜひ天日鷲命と日本武尊に会いに、一番太鼓の響く浅草の「おとりさま」へ出かけてみてください。

09. ゆる神様トーク ― 鷲神社と熊手編

🍵 ゆる神様トーク

型A(たとえ話):酉の市は、今でいえば「24時間営業の、開運の年末セール会場」です。午前0時のオープンと同時に、福を求める人が集まります。

型B(ツッコミ):熊手屋さんで値切ったら、値切った分をご祝儀として置いてくる。結局、言い値で買っています。──そう、江戸っ子の「粋(いき)」は、損得の計算より気持ちのやりとりだったのです。

型C(神様のひとこと)

「弦の先に鷲がとまったあの朝のように、あなたの新しい一年にも、明るい光が差しますように。」

※鷲神社の神様たちをイメージしたセリフで、実際の言葉ではありません。

ちょっといい話:神社の由緒によると、鷲神社の酉の市は、1923年(大正12年)の関東大震災の年も、戦時中や終戦の年も行われてきました。一度として行われなかった年はないそうです。

ひとくち知識:熊手は、最初は小さいものから始めて、会社や家の繁栄に合わせて少しずつ大きくしていくといわれます。買ったあとは、お店の人と「手締め(てじめ:みんなで手を打って締めくくること)」をするのがお決まりです。

10. 鷲神社の謎 ― 「三の酉の年は火事が多い」は本当か

🔍 【謎】なぜ「三の酉まである年は火事が多い」と言われるのか
【事実の整理】

11月に酉の日が3回ある年は「三の酉」まで行われます。昔から「三の酉の年は火事が多い」と言われてきました。

神社は、その由来はよく分かっていないとしたうえで、いくつかの説を紹介しています。
まず、由緒のページで挙げられているのが「宵(よい)に鳴かないはずの鶏が鳴くと火事が出る」という地方の俗信です。
ほかにも、「寒く乾燥する時期に、火への注意をうながした」説。「吉原(よしわら)へ遊びに行こうとする夫を引きとめるため、妻たちが広めた」説。そして「明暦(めいれき)の大火(1657年)の前の年が三の酉だった」という説があります。
【私の考察】

私がまず注目したいのは、「酉(とり)」の市だからこそ、「鶏」の俗信と結びつきやすかったという点です。そのうえで、どの説にも共通する「酉の市は来年を祈るお祭り」という点がカギだと考えます。

なぜなら、未来の福を祈る日は、同時に未来の災いに備える日でもあるからです。福をかき集める熊手を買うその日に、「火の用心」という戒めを思い出す。三の酉は、一年でいちばん遅く、いちばん寒い酉の市です。だからこそ、その年の人々は、来年の無事をいっそう強く意識したのではないでしょうか。
もうひとつ注目したいのは、公式サイトが紹介する「浅草では、三の酉の年は吉原に異変があると言われてきた」という伝えです。鷲神社のすぐ東には吉原があり、酉の市の日には吉原の中が開放されたともいわれます。
この「浅草の酉の市ならではの言い伝え」は、江戸の町に広まるうちに、誰にでも当てはまる「火事が多い」という形に変わっていったのではないでしょうか。明暦の大火の前の冬は、80日近く雨が降らなかったとも伝わります。「三の酉」と「大火」の記憶が、その変化を後押ししたのかもしれません。
【結論(あくまで推測)】

「三の酉の年は火事が多い」は、鶏の俗信と浅草の言い伝えが、大火の記憶とともに江戸じゅうの「来年への戒め(いましめ)」に育ったもの。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?

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