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【仏様図鑑】阿難(あなん)-多聞第一の十大弟子、施餓鬼の由来になった焔口餓鬼の謎

仏様図鑑
阿難(あなん)は、お釈迦さまのいとこで十大弟子の一人。約25年そばでつかえ「多聞第一(たもんだいいち)」と呼ばれました。

この記事でわかること

  • 阿難が「多聞第一」と呼ばれた理由と、女性の出家を取りなした話
  • 教えをいちばん多く聞いた阿難が、悟るのは最後のほうだったという物語
  • 【謎】お盆の施餓鬼(せがき)のもとになった阿難の話は、もとは「自分の命を延ばす」話だった。それがなぜ日本では「縁のない霊」の供養になったのか

お経のはじめの「如是我聞(にょぜがもん)=わたしはこう聞きました」。その「わたし」とされる人の物語です。

01. 阿難(阿難陀)の基本情報

阿難(あなん)基本情報
分類 羅漢・祖師(らかん・そし/十大弟子の一人)
読み方 あなん
別名 阿難陀(あなんだ)、阿難尊者(あなんそんじゃ)。「歓喜(かんぎ)」「慶喜(きょうき)」と訳されます
梵名(ぼんみょう) アーナンダ(Ānanda)。パーリ語でも同じです。意味は「よろこび」
家族 お釈迦さまのいとことされます。父の名は経典によってちがいます(斛飯王〈こくぼんのう〉・白飯王〈びゃくぼんのう〉など。諸説あり)。提婆達多(だいばだった)の弟とする伝えもあります
称号 多聞第一(たもんだいいち)。お釈迦さまの説法をいちばん多く聞き、よく覚えていたことによります
真言・種子字(しゅじじ)・ご縁日 確認できる資料では見つからなかった(本記事では省略)
💡 出典:読み・訳語・いとこ・約25年の侍者・多聞第一はコトバンク(日本大百科全書〈ニッポニカ〉・精選版 日本国語大辞典など)。父の名の諸説と提婆達多の弟とする伝えはWikipedia「阿難」。

02. 阿難とは? ― お釈迦さまの説法をいちばん多く聞いた十大弟子

① 一言まとめ

阿難は、お釈迦さまの身のまわりの世話をした弟子です。いつもそばにいたので、説法をいちばん多く聞きました。仏様ではなく、実在したとされるお坊さんです。

② 生涯と経典上の位置づけ

名前の「アーナンダ」は「よろこび」という意味です。『大智度論(だいちどろん)』では、生まれたことを知らされた浄飯王(じょうぼんのう=お釈迦さまの父)が、大いによろこんだからだとされます。

生まれた日にも、ふしぎな伝えがあります。お釈迦さまが悟りを開いた夜に生まれた、という話です。いっぽうパーリ語の伝えでは、お釈迦さまと同じ日に生まれたとされます(諸説あり)。

阿難は、阿那律(あなりつ)など釈迦族の若者たちと出家しました。のちに、お釈迦さまの侍者(じしゃ=おそばづきの世話役)に選ばれます。お釈迦さまが55歳ごろのことで、亡くなるまで約25年つかえたとされます。

阿難の大きな仕事の一つが、女性の出家の取りなしです。お釈迦さまの育ての母・摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)が、出家を願い出ました。お釈迦さまは、はじめは許しませんでした。

そこで阿難が、「女性も悟ることができますか」とたずねます。そして、育ての母の恩を挙げて願いました。こうして女性の出家者(比丘尼〈びくに〉)の教団が生まれたと伝わります。

💡 この話は後の時代に付け加えられた可能性が高い、とみる研究者もいます(植木雅俊氏など。Wikipedia「阿難」)。

お釈迦さまが亡くなったあと、弟子たちは教えを確かめ合う会議を開きました(第一結集〈だいいちけつじゅう〉)。このとき経(教え)を声に出して唱えたのが阿難です。議長役の迦葉(かしょう)のくわしい話は、迦葉の記事にまとめています。

お経のはじめによくある「如是我聞(にょぜがもん)」。この「我(わたし)」は、多くの場合、阿難を指すとされます。

禅宗では、迦葉から教えを受けついだ祖師とされます。インドの祖師を迦葉から数えると2代目です(お釈迦さまから数えて3代目とする数え方もあります)。

最期にも伝えがあります。阿難は120歳で亡くなったとされます(法顕〈ほっけん〉の旅行記など)。ガンジス川の両岸で、阿闍世王(あじゃせおう)と、ヴァイシャーリーの人々(離車族〈りしゃぞく〉)が阿難を待っていました。

阿難はどちらの側にもかたよらないよう、川の中洲で舟の上から空に昇り、火に包まれて亡くなったといいます。遺骨は二つに分かれて両岸に落ち、それぞれが塔を建ててまつったと伝わります(パーリ語の伝えでは別の川とされるなど、諸説あり)。

③ 姿の特徴 ― 若々しい僧の顔

阿難の像は、若い僧の姿で造られることが多いのが特徴です。ふっくらとした顔で、まっすぐに立ちます。手に持つ道具の決まりは、とくにありません。

日本や中国のお寺では、釈迦如来の両わきに迦葉と阿難が立つことがあります。年をとった姿が迦葉、若い姿が阿難です。お釈迦さまと年が大きく離れた弟子だった、という伝えとも合います。

03. 阿難とご縁のある祈り ― 学び・記憶・人の世話

📚 よく聞き、よく覚える
🤲 人の世話をする力
🕊️ 弱い立場の人を助ける
🍚 施餓鬼(無縁の霊への供養)

阿難は、決まったご利益をさずける仏様ではありません。けれども、その生き方から、いくつかの祈りと結びついてきました。

こんな人におすすめ

  • 試験や資格の勉強で、たくさんのことを覚えなければならない人
  • 介護や子育て、仕事のサポート役など、だれかをそばで支えている人
  • お盆の施餓鬼会(せがきえ)に参加して、由来を知りたい人

結びつきの根拠:阿難は、説法をいちばん多く聞いて覚えた「多聞第一」です。また、約25年お釈迦さまの世話をし、女性の出家を取りなしたとされます。さらに、施餓鬼は「阿難が焔口餓鬼(えんくがき)に告げられて行ったのが始まり」と伝えられます(コトバンク:百科事典マイペディア)。

04. 阿難と関連する仏様・人物

釈迦如来(しゃかにょらい)阿難の師で、いとこ。約25年そばでつかえた。
迦葉(かしょう)「頭陀第一」。第一結集の議長役。釈迦如来の脇に阿難と並んで立つ老僧。
目連(もくれん)「神通第一」。盂蘭盆経(うらぼんきょう)でお盆の由来となった弟子。
舎利弗(しゃりほつ)「智慧第一」。目連の親友。
摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)お釈迦さまの育ての母。阿難の取りなしで出家したと伝わる。
観音菩薩(かんのんぼさつ)焔口餓鬼の経典で、お釈迦さまが前世にこの陀羅尼を受けた相手の一人とされる。

神仏習合で阿難に対応づけられた神様は、確認できる資料では見つかりませんでした。

05. 阿難尊者に会える寺院 ― 萬福寺・源光庵・大報恩寺など

  • 萬福寺(まんぷくじ/京都府宇治市)― 黄檗宗(おうばくしゅう)の大本山です。2024年に国宝となった大雄宝殿(だいゆうほうでん)に、本尊の釈迦如来と、脇の阿難・迦葉がまつられます。まわりには十八羅漢像も並びます。拝観は9時〜17時(受付16時30分まで)、大人500円・中学生と小学生300円です(公式サイト)。
  • 源光庵(げんこうあん/京都市北区)― 「悟りの窓」「迷いの窓」で知られる禅寺です。本堂の本尊釈迦如来の脇に、阿難尊者と迦葉尊者がひかえます(公式サイト「源光庵 縁起」)。
  • 大報恩寺(千本釈迦堂/京都市上京区)― 快慶(かいけい)とその工房による晩年の作とされる十大弟子立像(重要文化財・10体そろって伝わる)の中に、阿難の像があります。
  • このほか、長崎の崇福寺や千葉の眼蔵寺にも、迦葉と並ぶ阿難の像(県指定文化財)があります。くわしくは迦葉の記事をご覧ください。
📅 出典:萬福寺の像の配置は観光情報(tabi-mag)、拝観時間・料金は萬福寺公式サイトのアクセスページ。大報恩寺の阿難像はコトバンク(精選版 日本国語大辞典の図版「大報恩寺蔵 阿難」)。崇福寺は長崎市、眼蔵寺は千葉県教育委員会の文化財解説。拝観料・時間・公開の有無は変わることがあるため、お出かけ前に確認してください。

06. 阿難の見分け方 ― 迦葉・ほかの十大弟子との違い

  • ✅ お釈迦さまの横の「若い僧」:釈迦如来の両わきの2人の僧のうち、若いほうが阿難のことが多いです(左右の決まりや老僧との違いは迦葉の記事へ)。
  • ✅ 十八羅漢とまちがえない:萬福寺のように本堂に羅漢像が並ぶお寺では、本尊のすぐ両脇の2人が阿難と迦葉です。まわりにずらりと並ぶのが十八羅漢です。
  • ✅ 「阿難尊者」という名札:お寺の案内では「阿難尊者(あなんそんじゃ)」と書かれることが多いです(源光庵の公式の例)。「尊者」は、すぐれた僧を敬う呼び名です。
  • ✅ 絵や物語では「迦葉と2人組」:『西遊記』のように、阿難は迦葉とコンビで登場することが多いです。

07. 阿難の物語コラム ― 頭が枕につく前に

お釈迦さまが亡くなり、教えを確かめ合う会議(第一結集)が開かれることになりました。集まるのは、悟りを開いた聖者(阿羅漢〈あらかん〉)だけです。

ところが阿難は、まだ悟りを開いていませんでした。いちばん多く教えを聞いた人なのに、です。議長の迦葉は、阿難が会議に加わることを認めませんでした。

阿難は、会議の前の晩、ひと晩じゅう修行にうちこみました。そして会議の日の朝、少し休もうと横になりかけます。

そのときでした。体を横たえようとした、その途中で、阿難は悟りを開いたといいます。立っているのでも、横になっているのでもない姿でした。

「歩く・立つ・座る・横になる。そのどれでもないときに悟った」

のちの人は、阿難の悟りをこう語りつぎました。こうして阿難は会議に加わり、覚えていた教えを声に出して唱えたのです。

ただし会議では、阿難はいくつかの「過ち」も問われました。女性の出家を取りなしたこと、お釈迦さまに長く生きてほしいと願わなかったことなどです。阿難は過ちとは思わなかったものの、仲間の和を乱さないよう、わびたと伝わります。

📖 Wikipedia「阿難」と英語版Wikipedia「Ānanda」をもとに、やさしく言いかえました。もとになったのはパーリ語の律蔵(りつぞう=お坊さんの決まりをまとめた書)などの伝えです。セリフは意訳です。問われた過ちの数は、伝えによって5つ・7つなどとちがいます。
なお『西遊記』の終わり近くでは、阿難と迦葉が三蔵法師に経典をわたす役で登場します。経典をわたす前にお礼の品を求める、人間くさい役で描かれます(Wikipedia「阿難」)。

08. 阿難(阿難陀)のまとめと関連記事

この記事でわかったこと

  • 阿難は、お釈迦さまのいとこで十大弟子の「多聞第一」。約25年そばでつかえた
  • 女性の出家を取りなし、第一結集では経を唱えた。お経の「如是我聞」の「我」とされる
  • お盆の施餓鬼は、阿難と焔口餓鬼の話が始まりとされる

お盆に施餓鬼の幟(のぼり)を見かけたら、夜中に餓鬼と出会った若い弟子のことを思い出してみてください。

09. ゆる仏様トーク ― 阿難編

🍵 ゆる仏様トーク①(たとえ話)

阿難は、今でいえば「社長の話を25年ぶん全部覚えている秘書」です。会議の議事録がなくても、「あのとき社長はこう言いました」と一字一句再現できる。……会社にひとりいてくれたら、本当に助かります。

🍵 ゆる仏様トーク②(ツッコミ)

教えをいちばん多く聞いた人が、悟るのはぎりぎり最後。しかも、横になろうとした、その途中で。──そう、たくさん知っていることと、悟ることは、同じではなかったのです。

🍵 ゆる仏様トーク③(ひとこと)
「聞いたことは、みんなに返します。」

※経典の言葉ではなく、阿難の生き方をもとにイメージしたセリフです。

10. 阿難の謎 ― 施餓鬼はなぜ無縁の霊の供養になったのか

【謎】経典で阿難が施したのは「自分が死なないため」。なぜ日本では、お盆に「縁のない霊」を供養する行事になったのか?
【事実の整理】① 施餓鬼のもとは、唐の不空(ふくう)が訳した『救抜焔口餓鬼陀羅尼経(くばつえんくがきだらにきょう)』です。阿難がひとり静かな場所で修行していると、夜中に焔口(えんく)という餓鬼が現れます。
その姿は、やせ細り、口から火を出し、のどは針のように細いものでした。餓鬼は言います。「3日後、おまえの命は尽き、餓鬼に生まれる」。
② 助かる方法は、数えきれないほどの餓鬼と仙人たちに、食べ物を施すことでした。そうすれば阿難の寿命は延び、餓鬼たちも苦しみを離れて天に生まれる、と。おそれた阿難はお釈迦さまに救いを求め、陀羅尼(だらに=長い呪文)を授かります。つまり経典では、施しは阿難自身の命を延ばすためのものでした。
③ 施餓鬼の経典は、空海らによって日本に伝えられ、はじめは真言宗で行われました。鎌倉時代の明恵(みょうえ)上人は、施餓鬼の法を毎夕行ったと伝記に書かれています。その後、浄土真宗をのぞく多くの宗派に広まりました。
④ 施餓鬼は、本来は時期を決めない法会でした。ところが、いつのころからか、お盆に行うのが代表的になります。家の先祖だけでなく、まつる人のいない無縁の霊(無縁仏)にも施したい、という思いが背景にあったとされます。
⑤ いっぽう、お盆そのものの由来とされるのは、『盂蘭盆経』の目連の話です。目連が救おうとしたのは、餓鬼の世界に落ちた自分の母でした。辞典は、二つは本来別の法会だったと説明します。
【私の考察】施餓鬼がお盆に結びついた理由は、④のとおり「無縁の霊も供養したい」という思いだと説明されています。私が考えたいのは、その先です。その役目を受けもったのが、なぜ「自分の命のため」に始まった阿難の話だったのでしょうか。
手がかりは、⑤と②の「施す相手」のちがいです。目連の話で救われるのは、名前も顔もわかる自分の母です。それに対して阿難の話で施しを受けるのは、数えきれない、名前もわからない餓鬼たちでした。
しかも阿難は、その餓鬼たちと何の縁もありません。自分を救う方法が「縁のない、たくさんの者に施すこと」だった。これは、まつる人のいない無縁仏に施すことと、形がそっくりです。
つまり、日本のお盆が「先祖」と「無縁の霊」の両方を供養するようになったとき(中国での流れは、本記事では確かめていません)、二つの弟子の話が役目を分けたのではないでしょうか。縁のある死者は目連の話、縁のない死者は阿難の話です。そして、無縁の霊へ施すことが中心になるうちに、「阿難の延命」という出発点は、うしろに下がっていったのだと私は考えます。
【結論(あくまで推測)】阿難の話がお盆の施餓鬼になったのは、施す相手が「名もない、縁のない多くの者」だったからかもしれません。「自分のため」に始まった施しが、施す相手の側から読みかえられ、「だれにもまつられない霊のため」の行事になった。ただし、日本のお寺がそう考えて二つを結びつけたと書いた資料は、確認できていません。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?
💡 出典:①②は『佛説救抜焔口餓鬼陀羅尼経』(不空訳、中文ウィキソースの本文)。③④⑤はコトバンク(世界大百科事典・日本大百科全書・精選版 日本国語大辞典の「施餓鬼」「盂蘭盆会」)。明恵上人の例は『栂尾明恵上人伝記』(同じくコトバンクの用例)。目連とお盆の話は目連の記事にまとめています。

11. 阿難データベース早見表

項目 内容
分類 羅漢・祖師(十大弟子)
読み方 あなん(阿難陀=あなんだ)
梵名 アーナンダ(Ānanda)=よろこび
称号 多聞第一
おもな役目 お釈迦さまの侍者(約25年)。第一結集で経を唱えた。禅宗では迦葉に次ぐ祖師
真言・ご縁日 確認できる資料では見つからなかった
ゆかりの祈り 学び・記憶、人の世話(象徴として)、施餓鬼
ゆかりの話 女性の出家の取りなし、結集前夜の悟り、焔口餓鬼、如是我聞
代表的な像 萬福寺大雄宝殿の脇侍、源光庵本尊の脇侍、大報恩寺の十大弟子立像(重要文化財・快慶らの作とされる)、崇福寺・眼蔵寺の阿難立像(県指定)

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