この記事でわかること
空海から数えると「師の師の師」。日本の密教のはじまりをたどる旅です。
01. 金剛智の基本情報
| 分類 | 祖師(そし)。密教のお経を訳した訳経僧(やっきょうそう) |
| 読み方 | こんごうち(金剛智三蔵〈さんぞう〉とも呼ばれます) |
| 別名・おくり名 | 大弘教三蔵(だいこうきょうさんぞう。日本大百科全書)・灌頂国師(かんじょうこくし。精選版日本国語大辞典)。『宋高僧伝』は「国師」の号とします(諸説あり) |
| 梵名(ぼんみょう) | ヴァジュラボーディ(Vajrabodhi)。音をうつした漢字では「跋日羅菩提(ばじらぼだい)」 |
| 生没年 | 671〜741年(一説に732年没) |
| 出身 | 中インドの王子とも、南インドのバラモン(インドの僧侶の身分)の出身ともいわれます(諸説あり) |
| 師 | 龍智(りゅうち) |
| おもな弟子 | 不空(ふくう)・一行(いちぎょう)など |
| 真言八祖での位置 | 付法(ふほう)の八祖の第五祖・伝持(でんじ)の八祖の第三祖(付法=教えを受けついだ順の8人、伝持=教えを広め伝えた人間の祖師8人) |
| 真言・種子字・ご縁日 | 決まったものは確認できませんでした |
没年は741年(開元29年)とする辞典が多いですが、『宋高僧伝』は開元20年(732年)とし、精選版日本国語大辞典も一説として挙げています。宋高僧伝は71歳で亡くなったとするので、この説では生まれた年は662年ごろになります。
02. 金剛智三蔵(ヴァジュラボーディ)とは? ― 中国密教の祖、不空の師
① 一言まとめ
金剛智は、インドの密教を船で唐に運び、『金剛頂経』の系統の教えをはじめて漢文に訳したお坊さんです。その教えは、弟子の不空、孫弟子の恵果をへて、空海に届きました。
② 由来・生涯
金剛智は671年、インドに生まれました。小さいころから記憶力がすぐれ、一日に一万字をとなえたと伝わります(『宋高僧伝』)。なんと10歳でナーランダー寺に入り、出家したとされます。一方、『宋高僧伝』は、16歳で仏の教えにめざめて出家し、そのあと師とナーランダー寺へ行ったと書きます(諸説あり)。
ナーランダー寺は、当時のインドでいちばん大きな仏教の学問寺でした。金剛智はここで、戒律や唯識(ゆいしき。心のしくみを考える教え)などを学びました。31歳ごろからは南インドの龍智に7年間つき、密教を受けたとされます(Wikipedia)。
その後、金剛智は師子国(ししこく。今のスリランカ)などをめぐります。やがて「中国では仏の教えがさかんだ」と聞き、船で東へ向かいました。『宋高僧伝』は、困難が多く「何年もかかって、ようやく着いた」と書きます。719年(開元7年)、金剛智は広州(こうしゅう)にたどり着きました。
翌720年、金剛智は洛陽(らくよう)・長安(ちょうあん)へ入ります。玄宗(げんそう)皇帝のもとで、大慈恩寺(だいじおんじ)や大薦福寺(だいせんぷくじ)で活動します。寺には祈りの壇を建て、お経を訳しました。723年ごろからは『金剛頂瑜伽中略出念誦経』(こんごうちょうゆがちゅうりゃくしゅつねんじゅきょう)4巻などを訳します。
741年、金剛智は故郷へ帰ることを思い立ちましたが、病気になり、洛陽で亡くなりました(Wikipedia)。数え年71歳です。弟子の不空の願いで、おくり名が贈られました。その名は「大弘教三蔵」(日本大百科全書)とも、「国師」(『宋高僧伝』)ともいわれます。
中国に着いた年は、719年(精選版日本国語大辞典・宋高僧伝)と720年(多くの辞典)で分かれます。719年に広州に着き、720年に都に入ったと考えると、両方の説明が合います。
③ 姿の特徴
- 僧の姿:頭を丸め、袈裟(けさ)を着た僧の姿でえがかれます
- 東寺の祖師像:東寺の国宝「真言七祖像」(しんごんしちそぞう)のうち、唐で描かれた5幅の一つが金剛智です。805年に唐の画家・李真(りしん)らが描き、空海が日本へ持ち帰りました
- 印相・光背・台座:祖師なので、決まった印相や台座はありません
- 持物:東寺の七祖像の金剛智が手に何を持ち、どんな手の形をしているかは、今回は確認できませんでした
03. 金剛智にまつわるご利益 ― 雨の祈り、病の祈り、旅の祈り
🏥 病気平癒
🌊 海の旅の安全
📜 学問・記憶力
- 雨ごい:ひでりのとき、祈りの壇を建てて雨を降らせたと伝わります(07の伝説)
- 病気平癒:病気の公主(皇帝の娘)を救ったという伝説があります(07の物語)
- 海の旅の安全:困難の多い船旅をこえて、唐にたどり着きました
- 学問・記憶力:小さいころから一日に一万字をとなえたと伝わります
ご利益の根拠:金剛智に決まったご利益があると書いた資料は、確認できませんでした。ここでは、生涯と伝説から紹介しています(筆者の見方)。
こんな人におすすめ:遠い国で新しい仕事を始める人。家族の病気を心配している人。全部がそろわなくても、手に入った一部から始めたい人(10の謎へ)。
04. 金剛智と関係の深い仏様・人物 ― 開元三大士と弟子たち
05. 金剛智ゆかりの場所・その教えに出会える寺
- 東寺(教王護国寺。京都市南区):唐で描かれた金剛智の像をふくむ国宝「真言七祖像」が伝わります。公開の時期は、東寺の公式サイトで確かめてください
- 大薦福寺(だいせんぷくじ。中国・陝西省西安市):金剛智が壇を建てて教えを広めた長安の寺です(Wikipedia)。今は小雁塔(しょうがんとう)のある寺として知られます
- 大慈恩寺(だいじおんじ。中国・陝西省西安市):金剛智が住んだと伝わる寺です(世界大百科事典)。玄奘ゆかりの大雁塔(だいがんとう)がある寺でもあります
- 龍門(りゅうもん。中国・河南省洛陽市):『宋高僧伝』は、金剛智を龍門の南、伊川(いせん)のほとりに葬って塔を建てたとします。Wikipediaは、743年に西龍門に塔が建てられたとします(諸説あり)
06. 金剛智の見分け方ガイド
✅ これがあれば金剛智かも?チェックリスト
- □ 真言宗のお寺で、8人の祖師をならべた「真言八祖像」の中にいる
- □ お経の題の下に「金剛智訳」とある(『金剛頂瑜伽中略出念誦経』『七倶胝仏母准提大明陀羅尼経』など)
- □ 付法の八祖では、龍智と不空のあいだに置かれている
まちがえやすい人とのちがい
07. 金剛智の物語 ― 7歳の少女二人と、閻魔王への手紙
唐の都。玄宗皇帝の娘、第二十五公主が、長い病にふせっていました。目を閉じたまま何も話さず、もう十日から一か月ほどがたっていました。
金剛智は、公主のいる館へ向かいました。そして宮中から、7歳の少女を二人選びます。二人の顔を赤い絹でつつみ、床に横たえました。
次に、皇帝の手紙(勅書〈ちょくしょ〉)を一枚書かせ、別の場所で焼きます。金剛智がひみつのことばをとなえると、二人の少女は、焼いた手紙の文を一字もまちがえずにとなえはじめました。
金剛智は深い瞑想に入ります。そのふしぎな力で、二人は手紙を持って閻魔王(えんまおう)のもとへ向かったといいます。食事をするほどの短い時間のあと、閻魔王は、すでに亡くなっていた公主の守り役(保母)・劉(りゅう)氏に、公主のたましいを送りとどけさせました。たましいは、二人の少女といっしょに帰ってきたと伝わります。
すると公主は、起き上がりました。目を開け、いつものように話しはじめたのです。
──そう、海をこえてきた密教の僧は、あの世への使いまで出せる人として、都の人々に語りつがれたのです。
『宋高僧伝』は金剛智の死から250年ほどあとの988年にまとめられた伝記です。ふしぎな話は伝承として読んでください。
【伝説】空を割った雨と、屋根をつき破った龍
ある年、正月から5月まで雨が降りませんでした。あちこちの山や川の神をまつる祠(ほこら)で祈っても、まったく効きめがありません。
皇帝の命を受けた金剛智は、祈りの壇を建て、七倶胝菩薩(しちくていぼさつ)の像をえがきました。7日目、像に目を入れると、北西から強い風が吹きます。瓦が飛び、木がぬけ、雲がくずれるように雨が降りだしました。人々は「金剛智が龍をつかまえ、龍が屋根をつき破って飛んでいった」とうわさしたといいます(『宋高僧伝』)。
08. 金剛智のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
09. ゆる仏様トーク ― 金剛智編
金剛智は、今でいえば「海外の本店から、まだだれも知らない新商品を船で運んできた、最初の駐在員」です。売り方の説明書(儀軌〈ぎき〉)まで、自分で翻訳しました。
病気の公主を救うために、7歳の少女を閻魔王のところへお使いに出す。現代の感覚では、思いもよらない方法です。──そう、仏様の道を伝える人の祈りは、ときに私たちの想像の外側にあったのです。なぜ7歳の子どもだったのか。子どもには清らかな力があると考えられていたのかもしれない、と想像がふくらみます(筆者の見方)。
金剛智が、遠い国で新しいことを始める人に声をかけるとしたら――
※金剛智の言葉そのものではなく、その生涯をもとにイメージしたセリフです。
10. 金剛智の謎 ― 『金剛頂経』の「略出」と、幻の広本はどこへ消えたのか
11. 金剛智データベース早見表
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 分類 | 祖師(訳経僧・真言八祖) |
| 読み方 | こんごうち(金剛智三蔵) |
| 梵名 | ヴァジュラボーディ(Vajrabodhi) |
| 生没年 | 671〜741年(一説に662ごろ〜732年) |
| 出身 | 中インド・南インドなど諸説あり |
| 師・弟子 | 師:龍智/弟子:不空・一行など |
| 来唐 | 719年に広州、720年に洛陽・長安 |
| おもな訳経 | 金剛頂瑜伽中略出念誦経(4巻)・七倶胝仏母准提大明陀羅尼経など |
| 真言・種子字・ご縁日 | 決まったものは確認できず |
| 主なご利益(伝説から) | 雨ごい・病気平癒・海の旅の安全(筆者の見方) |
| ゆかりの場所 | 東寺(真言七祖像)・大薦福寺・大慈恩寺・龍門 |


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