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【仏様図鑑】不空(ふくう)-三代の皇帝の師となった密教の三蔵、空海の誕生日が不空の命日の謎

仏様図鑑

不空(ふくう)、または不空三蔵・不空金剛。唐の時代に密教のお経を100部以上も漢文に訳したお坊さんです。真言宗では「真言八祖(しんごんはっそ)」の一人として、今もまつられています。

この記事でわかること

  • 不空とはだれか。三代の皇帝の師となり、「四大訳経家」に数えられる密教の僧
  • 嵐の海と暴れる象をしずめた、スリランカへの旅の物語
  • 【謎】なぜ、空海の誕生日は「不空の命日」と同じ6月15日なのか

空海のお師匠さんの、そのまたお師匠さん。日本の密教は、この人なしには始まりませんでした。

01. 不空の基本情報

不空(ふくう)基本情報
分類 祖師(そし)。密教のお経を訳した訳経僧(やっきょうそう)
読み方 ふくう
別名 不空金剛(ふくうこんごう)・不空三蔵(ふくうさんぞう)。没後のおくり名は「大弁正広智(だいべんしょうこうち)三蔵」
梵名(ぼんみょう) アモーガヴァジュラ(Amoghavajra)。「むなしくない金剛」という意味です
生没年 705〜774年。亡くなったのは大暦(たいれき)9年6月15日です(旧暦。西暦では774年7月28日)
出身 北インド、セイロン(スリランカ)、中央アジア、唐の涼州(りょうしゅう)など諸説あり
師 金剛智(こんごうち)
おもな弟子 恵果(けいか)・含光(がんこう)・慧超(えちょう)など
真言八祖での位置 付法(ふほう)の八祖の第六祖・伝持(でんじ)の八祖の第四祖
真言・種子字・ご縁日 決まったものは確認できませんでした
💡 出典:コトバンク(日本大百科全書・世界大百科事典・ブリタニカ国際大百科事典・精選版日本国語大辞典)、Wikipedia「不空」、『宋高僧伝』巻1「不空伝」。
出身は資料によってちがいます。日本大百科全書は「北インドのバラモンとも、セイロンの出身とも」、世界大百科事典は「涼州の生まれ。父は北インドのバラモン系、母は康国(こうこく)の人」とします。

02. 不空とは? ― 三代の皇帝の師となった不空三蔵(不空金剛)

① 一言まとめ

不空は、インドの密教のお経を中国に持ち帰り、漢文に訳して広めたお坊さんです。その教えが弟子の恵果から空海へ伝わり、日本の真言宗になりました。

② 由来・生涯

不空は少年のころ、師の金剛智に出会い、弟子になりました。『宋高僧伝』は「15歳で金剛智に師事した」と書きます(原文「年十五,師事金剛智三藏」)。ただし、師事した年を714年(Wikipedia)や720年(辞典)とする説もあります。

741年、師の金剛智が亡くなります。不空は師の遺言にしたがい、海をわたってセイロン(師子国〈ししこく〉)とインドへ向かいました。目的は、『金剛頂経』(こんごうちょうぎょう)の完全な本などを手に入れることです(Wikipedia)。

746年、不空はたくさんのお経を持って長安(ちょうあん)へ帰りました。755年に安史の乱(あんしのらん)が起こると、乱をしずめるための祈りをおこない、朝廷のあつい信頼を集めます(世界大百科事典)。

不空は、玄宗(げんそう)・粛宗(しゅくそう)・代宗(だいそう)の三代の皇帝に灌頂(かんじょう)をさずけました(世界大百科事典)。こうして三代の「帝師(ていし)」、つまり皇帝の先生になったのです(日本大百科全書)。訳したお経は110部143巻とされます。鳩摩羅什(くまらじゅう)・真諦(しんだい)・玄奘(げんじょう)とともに「四大訳経家(よんだいやっきょうか)」と呼ばれます。

774年6月15日(旧暦)、数え年70歳で亡くなりました。代宗は「大弁正広智三蔵」のおくり名と、「司空(しくう)」という高い位を贈りました(世界大百科事典)。

💡 灌頂(かんじょう)は、頭に水をそそいで仏とのご縁を結ぶ密教の儀式です。
訳経の数は「110部143巻」(日本大百科全書・世界大百科事典)、「百余部」(精選版日本国語大辞典)、「80部以上の密教経典」(ブリタニカ)と、資料でちがいます。世界大百科事典は、鳩摩羅什・玄奘と並べて「三大訳経家」としています。
おくり名は『宋高僧伝』の原文では「大辯廣正智三藏」と、字の順番がちがいます。

③ 姿・持物の特徴

  • 僧の姿:頭を丸め、袈裟(けさ)を着た僧の姿でえがかれます
  • 東寺の祖師像:東寺の国宝「真言七祖像(しんごんしちそぞう)」の一幅に、不空の姿がえがかれています。805年に唐の画家・李真(りしん)らが描き、空海が806年に日本へ持ち帰りました
  • 印相・光背・台座:祖師なので、決まった印相や台座はありません
💡 出典:真言七祖像はJAANUS「Shingon hasso」と、加藤詩乃氏の研究発表の要旨(筑波大学)。七祖像のうち唐で描かれたのは金剛智・善無畏(ぜんむい)・不空・恵果・一行(いちぎょう)の5幅です。

03. 不空にまつわるご利益 ― 国を守る祈りと、言葉を伝える力

🛡️ 国の平和・災いよけ
🌧️ 雨・風の祈り
📜 お経を伝える
🌊 旅の安全
  • 国の平和・災いよけ:安史の乱のさなかに、国のための祈りをおこないました(世界大百科事典)
  • 雨・風の祈り:『宋高僧伝』には、雨を止め、風をしずめた話が伝わります(07の伝説)
  • お経を伝える:真言宗で毎日のように読まれる『理趣経』(りしゅきょう)は、不空の訳とされます
  • 旅の安全:嵐の海を、お経の力で越えたと伝わります(07の物語)

ご利益の根拠:不空に決まったご利益があると書いた資料は、確認できませんでした。ここでは、生涯と伝説から紹介しています(筆者の見方)。

こんな人におすすめ:遠くへ学びに行く人。大事な仕事を先生から引きついだ人。外国の言葉や文化を伝える仕事をしている人。

04. 不空と関係の深い仏様・人物

金剛智(こんごうち)不空の師。インドから海をわたって唐に来た密教の僧で、真言八祖の一人です
恵果(けいか)不空の弟子で、空海の師。亡くなったあと、不空の塔のそばに葬られました(Wikipedia)
空海(くうかい)恵果から密教を受けつぎ、日本に真言宗を開きました。不空の「孫弟子」です
孔雀明王(くじゃくみょうおう)不空が訳した『仏母大孔雀明王経』(ぶつもだいくじゃくみょうおうきょう)が説く明王です
文殊菩薩(もんじゅぼさつ)不空は文殊信仰を広めることにも力をそそぎました(世界大百科事典)
阿難(あなん)不空訳『救抜焔口餓鬼陀羅尼経』(くばつえんくがきだらにきょう)の主人公。施餓鬼の由来になったお経です
💡 寺の食堂(じきどう)で、賓頭盧(びんずる)よりも上の席(上座)に文殊菩薩の像を置くよう、769年(大暦4年)に願い出たのも不空です(『不空三蔵表制集』)。くわしくは賓頭盧の記事で。

05. 不空ゆかりの場所・その教えに出会える寺

  • 東寺(教王護国寺。京都市南区):空海が唐から持ち帰った国宝「真言七祖像」に、不空の姿がえがかれています。公開の時期は、東寺の公式サイトで確かめてください
  • 金剛峯寺(こんごうぶじ。和歌山県高野町):高野山の真言宗の総本山。毎年6月15日に、空海の誕生日を祝う「青葉まつり(宗祖降誕会〈しゅうそごうたんえ〉)」が開かれます。この日は不空の命日でもあります。6月15日に訪ねれば、不空と空海のつながりを感じられるでしょう(10の謎へ)
  • 大興善寺(だいこうぜんじ。中国・陝西省西安市):不空が住んだ長安の寺です。『宋高僧伝』の伝の題は「唐京兆大興善寺不空伝」です
  • 青龍寺(せいりゅうじ。中国・陝西省西安市):不空の弟子・恵果がいた寺。空海はここで恵果から灌頂を受けました
  • 五台山の金閣寺(きんかくじ。中国・山西省。京都の金閣寺とは別の寺):文殊菩薩の聖地・五台山の寺。不空が工事を続けるよう代宗に願い出て、建てられたとされます。766年に工事が始まり、767年にひとまず完成したとされます(京都大学・高田時雄氏の論考)
💡 中国の寺の公開状況は、資料によってちがいます。日本の寺の拝観情報は、それぞれの寺の記事・公式サイトで確かめてください。

06. 不空の見分け方ガイド

✅ これがあれば不空かも?チェックリスト

  • □ お経の題の下に「大興善寺三蔵沙門大広智不空奉詔訳」のように「不空」の名がある
  • □ 真言宗のお寺で、8人の祖師をならべた「真言八祖像」の中にいる
  • □ 『理趣経』『仏母大孔雀明王経』の経本を開いている

まちがえやすい人とのちがい

  • 金剛智とのちがい:金剛智は不空の師で、インドから来た僧です。不空は師の亡きあと、自分でインドまで行ってお経を集めました
  • 善無畏とのちがい:善無畏は『大日経』を訳した僧です。不空は『金剛頂経』の系統を伝えました
  • 玄奘とのちがい:同じ「三蔵法師」でも、玄奘は7世紀の人で『西遊記』のモデルです。不空は8世紀の密教の僧です
💡 経本に書かれた訳者名が、いちばん確かな見分け方です。お経の訳者の書き方は、本によってちがいます。

07. 不空の物語 ― 嵐の海と、暴れる象

741年。師の金剛智を見送った不空は、商人たちの船で南の海へこぎ出しました。めざすは師子国、今のスリランカです。

ところが訶陵国(かりょうこく。今のインドネシアのジャワ島あたりとされます)の近くで、真っ黒な大風に襲われます。商人たちは、それぞれの国のやり方でお祓いをしました。でも、風はやみません。

不空は言いました。「わたしには法があります。心配しないでください」。右手に五股杵(ごこしょ)、左手にお経を持ち、『大随求陀羅尼』(だいずいぐだらに)を一回となえます。すると風はやみ、海は静かになったといいます。

次は大きな鯨があらわれ、波を立てました。不空は同じように祈り、弟子に『娑竭龍王経』(しゃかつりゅうおうきょう)をとなえさせます。すると、この難もおさまりました。

師子国に着くと、王は使いを出して不空を迎えました。ある日、王が象の見せ物を開くと、暴れる象が何頭もいました。不空は手で印を結び、慈しみの心の瞑想に入って、道のまん中に立ちます。すると象たちは次々に倒れ、国じゅうの人が驚いたと伝わります。

──そう、お経を求める旅は、海も象も相手にする、命がけの旅だったのです。

📖 出典:『宋高僧伝』巻1「不空伝」(中国語版Wikisourceの本文で確認)。
嵐の場面の原文は「吾今有法,汝等勿憂」、象の場面は「住於慈定,當衢而立,狂象數頭頓皆踢跌」です。会話は筆者がやさしく言いかえました。
『宋高僧伝』は不空の死から200年ほどあとの988年にまとめられた伝記で、ふしぎな話は伝承として読んでください。

【伝説】降らせすぎた雨を止めた、泥の人形

まだ師の金剛智が生きていた、玄宗皇帝の時代。ある年、ひでりが続きました。皇帝が雨ごいを命じると、不空は「何日か待ってから祈るのがよい。無理に降らせると、ひどい雨になる」と答えます。

それでも皇帝は、不空の師・金剛智に祈りの壇を作らせました。すると本当に大雨と大風が止まらなくなり、町では流される人も出ました。

皇帝は急いで不空に「雨を止めよ」と命じます。不空は寺の庭で泥の人形を5つ6つ作り、水をかけながらインドの言葉で叱りました。しばらくすると、空は晴れたといいます(『宋高僧伝』。原文「揑泥媼五六,溜水作梵言罵之,有頃開霽矣」)。

08. 不空のまとめと関連記事

この記事でわかったこと

  • 不空は、唐で密教のお経を110部ほど訳した「四大訳経家」の一人
  • スリランカ・インドへ旅をしてお経を集め、三代の皇帝の師となった
  • 弟子の恵果を通して、その教えが空海と日本の真言宗に伝わった

真言宗のお寺で八祖像を見かけたら、空海のおじいさん先生・不空をさがしてみてください。

09. ゆる仏様トーク ― 不空編

🍵 ゆる仏様トーク①(たとえ話)

不空は、今でいえば「三代の社長に信頼された、伝説の顧問」です。しかも本業は、海外から本を取りよせて訳す翻訳チームのリーダー。祈りも翻訳も、両方こなした人でした。

🍵 ゆる仏様トーク②(ツッコミ)

「無理に降らせると、ひどい雨になります」。その言葉どおり、祈りの力が強すぎて大雨に。そして止める役は不空へ。──そう、仏様の道を伝える人の毎日も、まっすぐではなかったのです。この話は、不空が「時をよむ力」をもっていたことを伝える伝承です。

🍵 ゆる仏様トーク③(ひとこと)

不空が、遠くへ学びに行く人に声をかけるとしたら――

「海が荒れても、心配しないでください。持って帰るものがある人は、ちゃんと帰れます。」

※不空の言葉そのものではなく、『宋高僧伝』の「わたしには法があります。心配しないでください」をもとにイメージしたセリフです。

10. 不空の謎 ― 空海の誕生日は、なぜ不空の命日なのか

【謎】空海の誕生日とされる6月15日は、なぜ不空の命日と同じなのか
【事実の整理】
① 不空は774年(大暦9年)の旧暦6月15日に亡くなりました(『宋高僧伝』、Wikipedia)。
② 空海が生まれたのも、同じ774年(宝亀〈ほうき〉5年)です。
③ ただし、空海が生まれた月日はわかっていません。世界大百科事典は、空海を「不空三蔵の生れかわり」とする信仰から、不空の命日の6月15日に生まれたという説が生じた、と書きます。
④ 今も高野山では、毎年6月15日に空海の誕生を祝う「青葉まつり(宗祖降誕会)」が開かれます。今の6月15日は、旧暦の日付をそのまま新暦で祝っているものです。高野山大学図書館の資料によれば、この法会は1773年(安永2年)に始まるとされます。快弁(かいべん)が『弘法大師誕生会式』を著したのが始まりです。6月15日なのは、不空が亡くなった日で、大師がその生まれかわりと考えられたためと説明されています。
⑤ 空海の師・恵果は、不空の弟子でした。恵果が永貞元年(805年)12月に亡くなると(西暦では806年1月)、不空の塔のそばに葬られました。弟子を代表して空海が碑文を書きました(Wikipedia「恵果」)。
⑥ 不空は、師・金剛智の亡きあと、海をわたってお経を集めに行き、持ち帰りました(02)。空海もまた、海をわたって唐で密教を受け、日本に持ち帰りました。
【私の考察】
私は、6月15日という誕生日は、「教えのバトンにすき間がない」ことを示すしるしとして選ばれたのではないかと考えます。
出発点は、不空が亡くなった774年に空海が生まれた、という年の一致でしょう(①②)。空海の月日がわからない以上、「同じ年なら、日も合わせられる」と考えた人がいても不思議ではありません。そして、空海と不空のあいだには、恵果という一人の師しかいません(⑤)。不空が亡くなったその日に空海が生まれたことにすれば、不空の命は、そのまま空海へ受けつがれたことになります。先生の先生が、いなくなった日に、次の担い手が生まれる。時間のすき間が、まったくありません。
しかも二人は、よく似た人生を歩みました(⑥)。どちらも海をわたり、遠い国の先生のもとで密教を受け、それを持ち帰りました。不空が「インドから唐へ」運んだ教えを、空海は「唐から日本へ」運んだのです。生まれかわりの話は、この二つの旅を、一人の人の旅のようにつなげて見せます。
さらに、恵果は不空の塔のそばに眠り、その碑文を空海が書きました(⑤)。師の師と、師と、自分。三人が同じ場所でつながる光景は、「不空→恵果→空海」を一本の線として感じさせたはずです。
【結論(あくまで推測)】
6月15日の誕生日は、「日本の密教は、インドから海を越えてきた教えの、とぎれない続き」だと伝えるために選ばれた日ではないか――私はそう考えます。世界大百科事典も高野山大学の資料も、6月15日の理由を「不空の生まれかわり」と説明しています。けれど、生まれかわりの信仰そのものがいつ始まったのか、なぜそう信じられたのかまでは、確かめられませんでした。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?
💡 出典:①は『宋高僧伝』巻1(原文「六月十五日…享年七十」)とWikipedia「不空」。③はコトバンク「空海」(改訂新版 世界大百科事典)。④は高野山大学図書館だより第120号と、高野山の行事紹介(熊本日日新聞〈共同通信〉)。⑤はWikipedia「恵果」。
空海自身が「不空の生まれかわり」と書いた資料は、確認できませんでした。

11. 不空データベース早見表

項目 内容
分類 祖師(訳経僧・真言八祖)
読み方 ふくう(不空金剛・不空三蔵)
梵名 アモーガヴァジュラ(Amoghavajra)
生没年 705〜774年(旧暦6月15日没)
出身 北インド・セイロン・涼州など諸説あり
師・弟子 師:金剛智/弟子:恵果など
おもな訳経 金剛頂経(三巻本)・理趣経・仏母大孔雀明王経・救抜焔口餓鬼陀羅尼経など。110部143巻とされる
真言・種子字・ご縁日 決まったものは確認できず
主なご利益(生涯から) 国の平和・災いよけ、雨・風の祈り、旅の安全(筆者の見方)
ゆかりの場所 東寺(真言七祖像)・金剛峯寺(青葉まつり)・大興善寺・青龍寺・五台山金閣寺

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