この記事でわかること
- 龍樹とはだれか。『中論』で空を説いた大乗仏教の祖師
- 姿を消す薬で王宮にしのびこみ、友だち3人を失った若き日の物語
- 【謎】同じ人なのに、なぜ真言宗では「龍猛(りゅうみょう)」と呼ばれるのか
二つの名前をもつ祖師の旅です。
01. 龍樹の基本情報
| 分類 | 祖師(そし)。大乗仏教の論師(ろんし。教えを論じて書にまとめた人) |
| 読み方 | りゅうじゅ(龍樹菩薩〈ぼさつ〉・龍樹大士〈だいじ〉とも呼ばれます) |
| 別名 | 龍猛(りゅうみょう)・龍勝(りゅうしょう) |
| 梵名(ぼんみょう) | ナーガールジュナ(Nāgārjuna) |
| 生没年 | 150〜250年ごろ(はっきりしません) |
| 出身 | 南インドのバラモン(インドの僧侶の身分)の家とされます。南インドのビダルバとする説もあります(諸説あり) |
| おもな著作 | 『中論』(ちゅうろん)など。『大智度論』(だいちどろん)・『十住毘婆沙論』(じゅうじゅうびばしゃろん)も龍樹の作と伝わります(本当に龍樹が書いたかは議論があります) |
| 宗派での位置 | 八宗の祖。浄土真宗の七高僧の第一祖。真言八祖(付法〈ふほう。教えを受けついだ順〉の八祖)の第三祖(龍猛として) |
| 真言・種子字・ご縁日 | 決まったものは確認できませんでした |
近代の仏教学で、龍樹が書いたとほぼ認められているのは『中論』などです。『大智度論』『十住毘婆沙論』は、龍樹の作かどうか決着していません(Wikipedia)。
02. 龍樹菩薩(ナーガールジュナ)とは? ― 『中論』で空を説いた「八宗の祖」
① 一言まとめ
龍樹は、「すべてのものは、それだけで成り立つ本体をもたない(空)」という考え方を、理屈で筋道立てた人です。この考え方は、のちの大乗仏教のほとんどに受けつがれました。だから「八宗の祖」、つまり仏教の多くの宗派のご先祖といわれます。
② 由来・生涯
龍樹の伝記として古いものに、『龍樹菩薩伝』(りゅうじゅぼさつでん)があります。鳩摩羅什(くまらじゅう)が訳したと伝わる本です。それによると、龍樹は南インドのバラモンの家に生まれました。
若いころは頭がよく、インドの学問を身につけました。でも、友だちと王宮にしのびこむ大きな失敗をします(07の物語)。これをきっかけに、龍樹は出家しました。
龍樹は、それまでの仏教のお経(小乗の経典)を90日で読みつくしたと伝わります。そのあと、ヒマラヤの老いた僧から大乗のお経を授かりました。さらに大龍菩薩(だいりゅうぼさつ)に海の底の龍宮(りゅうぐう)へつれて行かれ、深いお経を授かったといいます。
歴史の上では、龍樹は南インドのシャータバーハナ朝(さーたばーはなちょう)の保護を受けたとされます。そして、のちに「ナーガールジュナコンダ(龍樹の丘)」と呼ばれる地を、仏教研究の中心地にしたといわれます(ブリタニカ国際大百科事典)。
『中論』は、約450の詩(鳩摩羅什の漢訳では446)でできた龍樹の代表作です。「縁起(えんぎ。すべてはほかとの関係で起こること)だから、空である」と説きました。龍樹は、のちのインド・チベット・中国・日本の大乗仏教から、祖として敬われました(日本大百科全書)。
『龍樹菩薩伝』は、5世紀はじめごろに訳された本で、龍樹が生きた時代から150年ほどあとのものです。ふしぎな話は伝承として読んでください。
③ 姿の特徴
- 僧の姿:頭を丸め、袈裟(けさ)を着た僧の姿でえがかれます
- 東寺の祖師像:東寺の国宝「真言七祖像」には、「龍猛」として龍樹の像があります。この龍猛像と龍智像の2幅は、821年に日本で新しく描かれたとされます(加藤詩乃氏の研究発表の要旨)
- ナーガをいただく像:頭の上に、ナーガ(蛇・龍)をいただく姿でも表されます(Wikipediaの図版)
- 印相・光背・台座:祖師なので、決まった印相や台座はありません
03. 龍樹にまつわるご利益 ― 知恵と、まよいを晴らす力
💭 迷いを晴らす
🛡️ 悪い術・のろいよけ
🌱 やり直し
- 学業・知恵:お経を90日で読みつくしたと伝わる、学問の人です
- 迷いを晴らす:「ある」「ない」のどちらかに決めつける考えを打ちやぶった人として、たたえられます(浄土真宗の『正信偈』〈しょうしんげ〉など)
- 悪い術・のろいよけ:呪術(じゅじゅつ)を使うバラモンと、王の前で術くらべをして勝ったと伝わります(『龍樹菩薩伝』)
- やり直し:大きな失敗から出家し、道を開いた人です(07の物語)
ご利益の根拠:龍樹に決まったご利益があると書いた資料は、確認できませんでした。ここでは、伝記と宗派での役わりから紹介しています(筆者の見方)。
こんな人におすすめ:試験や論文にとり組む人。白か黒かで考えすぎて、つかれている人。若いころの失敗を、いまも引きずっている人。
04. 龍樹と関係の深い仏様・人物 ― 師と弟子、二つの系譜
【伝説】鉢の水にしずめた一本の針
提婆が龍樹をたずねたとき、龍樹は弟子に、水をなみなみと入れた鉢を持って行かせました。提婆はだまって、その水に針を一本しずめます。
話を聞いた龍樹は「智(ち)なるかな」とほめ、提婆を弟子にしたと伝わります。満ちた水のような師の教えの底まで、針のようにしずんでみせた――筆者はそう読みます(『大唐西域記』〈だいとうさいいきき〉巻10を原文で確認)。
05. 龍樹ゆかりの場所・その姿に出会える寺
- 東寺(教王護国寺〈きょうおうごこくじ〉。京都市南区):国宝「真言七祖像」の中に、「龍猛」の像があります。公開の時期は、東寺の公式サイトで確かめてください
- 西本願寺(本願寺。京都市下京区):国宝の阿弥陀堂には、七高僧の影像(えいぞう。肖像画)がまつられ、龍樹もその中にいます。観光案内では、内陣(ないじん。本尊のある奥の場所)の阿弥陀如来の左右に六師、余間(よま。本尊の両わきの部屋)に法然とされます。並び方は資料によって説明がちがいます。拝観は公式サイトで確かめてください
- ナーガールジュナコンダ(インド・アーンドラ・プラデーシュ州):龍樹が仏教研究の中心にしたといわれる地です(ブリタニカ国際大百科事典)。遺跡の多くはダム湖に沈み、一部は島に移されたとされます
06. 龍樹の見分け方ガイド
✅ これがあれば龍樹かも?チェックリスト
まちがえやすい人とのちがい
07. 龍樹の物語 ― 姿を消す薬と、王宮に残った足あと
南インド。若い龍樹には、同じように頭のいい友だちが3人いました。4人は、世の中の学問をほとんど学びつくしてしまいます。
「あとは、思いのままに楽しむだけだ」。4人は、姿を消す術を学び、薬を手に入れました。そして、王宮の奥へしのびこんだのです。
100日あまりがたつと、王宮の女性たちのなかに子をみごもる人が出てきました。王はおどろき、家来に相談します。「姿の見えない者が入りこんでいるのなら、床に細かい土をまいてみましょう」。
すると、土の上に足あとがあらわれました。王は、刀を持った兵を何百人も入れ、宙を切らせます。3人の友だちは、切られて命を落としました。
龍樹だけは、身をちぢめ、息をひそめて、王のすぐそばにはりついていました。王の頭のまわり七尺(約2メートル)には、刀がとどかなかったのです。
このとき龍樹は、はじめて気づきました。「欲こそが、苦しみのもとなのだ」。龍樹は王宮をぬけ出すと、山の寺へ行き、出家しました。
──そう、八宗の祖と呼ばれる人の道は、いちばん大きな失敗から始まったのです。
08. 龍樹のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
- 龍樹は、2〜3世紀ごろの南インドで、『中論』を書いて空の思想を説いた人
- 多くの宗派に受けつがれ、「八宗の祖」と呼ばれる。浄土真宗では七高僧の第一祖
- 真言宗では「龍猛」と呼ばれ、南天鉄塔をひらいて密教を伝えた祖師とされる
お寺で「龍樹」「龍猛」の名前を見かけたら、どちらの道からやって来た名前なのか、考えてみてください。
09. ゆる仏様トーク ― 龍樹編
龍樹は、今でいえば「たくさんの会社が、そろって基本ルールに使っている本を書いた人」です。宗派という会社がちがっても、土台の考え方は龍樹の本から来ています。
姿を消す薬で王宮にしのびこむ。後の「八宗の祖」の若き日としては、かなりの大失敗です。でも、だからこそ龍樹は「欲が苦しみのもと」を、本で読んだ知識ではなく、身をもって知りました。──そう、仏様の道もまっすぐではなかったのです。
龍樹が、白か黒かで悩んでいる人に声をかけるとしたら――
※龍樹の言葉そのものではなく、その教えをもとにイメージしたセリフです。
10. 龍樹の謎 ― ナーガールジュナはなぜ真言宗で「龍猛」と呼ばれるのか
空海が「龍猛」の名を選んだ理由を書いた資料は見つかりませんでした。玄奘は観音の名前でも、古い訳を「あやまり」と書いています(玄奘の記事へ)。


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