この記事でわかること
・なぜ「33」という数の観音霊場が、1300年以上も前から日本人の心を惹きつけてきたのか
・地獄で閻魔大王から授かった「起請文」を、なぜ僧侶が石櫃に埋めて270年も眠らせたのか
・33ヶ寺それぞれに伝わる伝説・見どころと、巡礼のヒント
日本最古の巡礼路として知られる「西国三十三所」。和歌山から岐阜まで、近畿2府4県と岐阜県にまたがる33の観音霊場を巡るこの旅は、1300年以上前に始まったと伝えられています。今回は、その起源となった不思議な伝説から、33ヶ寺それぞれに眠る物語まで、実際に訪れたくなる魅力を一気にご紹介します。
01. 西国三十三所とは? 地獄から始まった巡礼の物語
西国三十三所の起源には、驚くべき伝説が伝えられています。養老2年(718年)、長谷寺の開山とされる徳道上人が病で仮死状態となり、あの世で閻魔大王と対面します。閻魔大王は「悩み苦しむ人々を救うため、33の観音霊場を作りなさい」と告げ、上人に起請文と33の宝印を授けたと伝えられています。
現世に戻った徳道上人は、閻魔大王に示された33の観音霊場を整えようとしましたが、当時の人々には受け入れられませんでした。上人はやむなく、授かった宝印を中山寺の石櫃に納めて、時が来るのを待つことにしたのです。それから約270年後、花山法皇が書写山の性空上人らとともに那智山で修行し、途絶えていたこの観音巡礼を復興させたと伝えられています。地獄から始まり、270年の眠りを経て復活した巡礼――それが、今も多くの人を惹きつける西国三十三所の物語です。
02. 33ヶ寺、地域別ガイド
和歌山エリア(第1〜3番)― 巡礼の出発点
1青岸渡寺
西国巡礼の第1番札所。那智の滝を望む絶景の地に建ち、修験道の聖地としても知られています。
→ 【お寺めぐり】青岸渡寺
2紀三井寺
231段の石段「結縁坂」は、江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門が、母を背負って参拝した際に運命の女性と出会ったという恋物語の舞台です。早咲き桜の名所としても有名です。
3粉河寺
一夜にして千手観音像を彫り上げ、忽然と姿を消したという「童男大士」の伝説が残る古刹。地形の高低差を活かした珍しい枯山水庭園も見どころです。
大阪エリア(第4・5・22・23番)
4施福寺
槇尾山の山中深くにある、西国屈指の「難所」として知られる寺院。険しい山道を登った先に待つ達成感が魅力です。
5葛井寺
実際に1041本もの手を持つ、国宝の千手観音坐像で知られています。奈良時代の作例は他に唐招提寺にしか残っていない、極めて貴重な仏像です。毎月18日に開帳。
22総持寺
父が助けた亀が、川に落とされた息子を甲羅に乗せて救ったという「亀の恩返し」伝説から創建された寺院。本尊は亀の背に立つ姿で伝えられています。
23勝尾寺
境内を埋め尽くす無数の「勝ちだるま」で有名な、勝運祈願の寺。源氏や足利氏など、歴代の権力者が戦勝祈願に訪れたと伝えられています。
奈良エリア(第6〜9番)
6南法華寺(壺阪寺)
盲目の沢市とその妻お里の夫婦愛を描いた浄瑠璃「壺坂霊験記」の舞台。眼病平癒の観音様として篤い信仰を集めています。
7岡寺(龍蓋寺)
日本最初の厄除け霊場。農民を苦しめた悪龍を、義淵僧正が池に封じ込め大石で蓋をしたという伝説が「龍蓋寺」という別名の由来です。
8長谷寺(奈良県桜井市)
四季の花に彩られた「花の御寺」。徳道上人ゆかりの寺であり、西国三十三所の物語そのものの発祥地ともいえる存在です。
※神奈川県鎌倉市にも同名の長谷寺があり、両寺の観音像は同じ木から彫られたという伝説が伝わっています。
9興福寺南円堂
藤原氏の氏寺・興福寺の一堂。八角形の優美なお堂で、阿修羅像で知られる興福寺境内の一角にあります。
→ 【お寺めぐり】興福寺
京都エリア(第10・11・15〜21・28・29番)
10三室戸寺
2万株のあじさいが咲き誇る「あじさい寺」。ハート形のあじさいを見つけると幸せになれるといわれています。
11醍醐寺(上醍醐准胝堂)
豊臣秀吉の「醍醐の花見」で名高い世界遺産の大寺院。札所は山上の上醍醐にあり、本格的な登山装備での参拝が必要です。
→ 【お寺めぐり】醍醐寺
15今熊野観音寺
空海自刻と伝わる観音像を祀り、後白河法皇の頭痛を治したという逸話から「頭痛封じ」の観音として知られています。
16清水寺(京都府)
釘を1本も使わない「清水の舞台」で知られる、京都を代表する名刹。西国三十三所の中でも屈指の人気を誇ります。
→ 【お寺めぐり】清水寺
17六波羅蜜寺
念仏を唱えると口から6体の小さな仏が現れたと伝わる、空也上人像で有名な寺院。
→ 【お寺めぐり】六波羅蜜寺
18頂法寺(六角堂)
お堂が一夜で15メートルも動いたという不思議な伝説が残る寺院。生け花発祥の地としても知られています。
→ 【お寺めぐり】六角堂
19行願寺(革堂)
かつて猟師だった行円上人が、自らが射止めた母鹿の革を常に身につけ贖罪したことから「革堂(こうどう)」と呼ばれる寺院です。
20善峯寺
樹齢600年、全長37メートルにおよぶ天然記念物「遊龍の松」が横たわる、3万坪の広大な花の寺院です。
21穴太寺
主人の身勝手な命令によって矢で射られた仏師の身代わりとなり、胸から血を流したという「身代わり観音」伝説が伝わっています。
28成相寺
日本三景・天橋立を一望する山寺。雪深い冬、飢えた僧を救うため観音様が自らの体を差し出したという「身代わり観音」伝説の舞台です。
29松尾寺
西国三十三所で唯一、馬頭観音を本尊とする寺院。病気平癒・安産に加え、競馬関係者からの信仰も篤い、ユニークな存在です。
滋賀エリア(第12〜14・30〜32番)
12正法寺(岩間寺)
かつて山を荒らした雷を、開山・泰澄大師が法力で捕らえ弟子にしたという「雷除け観音」伝説の寺。「ぼけ封じ観音」としても名高い霊場です。
13石山寺
紫式部が『源氏物語』の着想を得たと伝わる、文学ゆかりの古刹。天然記念物の珪灰石の上に建つ、独特の景観でも知られています。
→ 【お寺めぐり】石山寺
14園城寺(三井寺)
天智・天武・持統の三天皇が産湯に使ったという霊泉が名の由来。本尊はわずか9.7センチの小さな秘仏として、誰も見たことがないと伝えられています。
→ 【お寺めぐり】三井寺
30宝厳寺
琵琶湖に浮かぶ竹生島に建つ、日本三大弁才天の一つ。国宝の唐門は、豊臣秀吉の大坂城から移築されたと伝わる、極めて貴重な遺構です。
31長命寺
琵琶湖畔から808段の石段を登った先に広がる絶景の寺院。300年以上生きたと伝わる伝説の忠臣・武内宿禰が長寿を祈願した地とされています。
32観音正寺
聖徳太子が湖から現れた人魚に懇願され建立したと伝わる、日本で唯一の人魚伝説が残る寺院。かつては人魚のミイラが寺宝として伝えられていました。
兵庫エリア(第24〜27番)
24中山寺
聖徳太子創建と伝わる、日本最古の観音霊場。安産祈願の腹帯「鐘の緒」で全国的に有名で、源頼朝や豊臣秀吉も篤く信仰しました。
25清水寺(兵庫県加東市)
京都の清水寺と区別して「播州清水寺」とも呼ばれる、御嶽山頂の名刹。開山・法道仙人が水神に祈って湧かせたという霊泉「おかげの井戸」が残ります。
26一乗寺
インドから紫の雲に乗って渡来したという伝説の仙人・法道仙人が開いたと伝わる寺院。平安時代建立の国宝三重塔が現存しています。
27圓教寺
「西の比叡山」とも呼ばれる天台宗の名刹。武蔵坊弁慶が少年時代に修行したという伝説が残り、清水寺を思わせる舞台造りの摩尼殿が見どころです。
岐阜エリア(第33番・結願)
33華厳寺
西国三十三所、長い巡礼の旅を締めくくる結願(けちがん)の寺。岩から油が湧き出たという伝説から「谷汲山」の名が付けられました。参拝を終えた人々が本堂の「精進落としの鯉」を撫でる習わしがあります。
→ 【お寺めぐり】谷汲山華厳寺
03. 西国三十三所、巡り方のヒント
西国三十三所は全行程が広範囲に及ぶため、一度に全て巡るのは容易ではありません。多くの巡礼者は、居住地から近いエリアや、公共交通機関でアクセスしやすい寺院から少しずつ巡っていきます。
公共交通機関+徒歩・タクシー併用が現実的
専用の納経帳・掛軸も用意されている
施福寺・書写山圓教寺・観音正寺など山寺に注意
最後は岐阜県・華厳寺を目指すのが伝統的な順路
04. まとめ
- 西国三十三所は、徳道上人が閻魔大王から授かった起請文を起源とし、270年の眠りを経て花山法皇が復興させたと伝わる、日本最古の巡礼路である
- 和歌山・大阪・奈良・京都・滋賀・兵庫・岐阜の7府県にまたがり、それぞれの寺に個性豊かな伝説が残されている
- 結願の地・華厳寺まで巡り終えたとき、1300年の歴史とともに歩んだ達成感を味わえる
すべてを一度に巡る必要はありません。まずは近くの一寺から、あるいは伝説に心惹かれた一寺から、西国三十三所の旅を始めてみてください。
05. 巡礼の心構え
【謎】徳道上人は、なぜ人々に受け入れられなかった巡礼を諦めなかったのか
養老2年(718年)に閻魔大王から巡礼創設を託された徳道上人でしたが、当時の人々はこの新しい信仰を受け入れませんでした。それでも上人は宝印を捨てるのではなく、中山寺の石櫃にそっと納めて後世に託しました。
私は、この「埋めて待つ」という選択こそが、西国三十三所という巡礼が1300年もの間、途切れることなく多くの人に愛され続けてきた理由ではないかと考えます。信仰は、常に時代に受け入れられるとは限りません。それでも「いつか必要とされる日が来る」と信じて種を残し続けることの大切さを、この伝説は教えてくれているように思います。実際に270年後、花山法皇によって巡礼は見事に復興を遂げました。徳道上人の「待つ」という選択がなければ、私たちが今こうして西国三十三所を巡ることもなかったのかもしれません。
※あくまで私の考察です。

コメント