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【仏様図鑑】五百羅漢(ごひゃくらかん)-十六羅漢との違いと「亡き人に会える」謎

仏様図鑑

五百羅漢(ごひゃくらかん)は、お釈迦さまにつき従った500人の弟子、またはその像です。笑う顔、怒る顔、ひそひそ話をする顔。お寺の境内に、何百体もの僧の像がならぶ光景を見たことはありませんか。

この記事でわかること

  • 五百羅漢とはだれか。「500」という数の由来と、十六羅漢とのちがい
  • 喜多院・目黒の五百羅漢寺など、五百羅漢に会える場所
  • 【謎】五百羅漢の中には、なぜ「亡き人の顔」が見つかると言われるのか

500の顔の中に、あなたの会いたい人がいるかもしれません。

01. 五百羅漢の基本情報

五百羅漢(ごひゃくらかん)基本情報
分類 羅漢(らかん=修行をきわめたお釈迦さまの弟子)。500人のグループ
読み方 ごひゃくらかん
別名 五百阿羅漢(ごひゃくあらかん)
意味 お釈迦さまにいつもつき従った500人の弟子。または、お釈迦さまが亡くなったあと、最初の経典づくりの会議(第一結集〈だいいちけつじゅう〉)に集まった500人。その像や、像をまつる場所もいいます
梵名(ぼんみょう) グループ名の梵名は確認できませんでした
真言・種子字(しゅじ) 決まったものは確認できませんでした
ご縁日 決まった日は確認できませんでした
💡 出典:定義はコトバンク(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典・日本大百科全書・ブリタニカ・世界大百科事典)とWikipedia「五百羅漢」「阿羅漢」。

02. 五百羅漢とは? ― 「500」はどこから来たのか

① 一言まとめ

五百羅漢は、お釈迦さまの弟子のうち、悟りを開いた500人の聖者です。日本では、500体ほどの羅漢像をずらりとならべて、まとめてまつります。

② 由来・経典上の位置づけ

インドの仏典では、「500」という数が2つの場面に出てきます。1つは、お釈迦さまにいつもつき従った弟子の数です。もう1つは、お釈迦さまが亡くなった直後の第一結集に集まった弟子の数です。

第一結集は、王舎城(おうしゃじょう)の近くで開かれたと伝わります。迦葉(かしょう)が会議の長となり、阿難(あなん)が教えを、優波離(うぱり)が決まりごとを唱えました(くわしくは迦葉の記事へ)。辞典によっては、のちの第四結集の500人とする説もあります(諸説あり)。

また、『法華経』の「五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)」には、500人の阿羅漢が登場します。お釈迦さまは、この500人がみな未来に仏になると予言しました(07の物語で紹介します)。

中国では、500人一人ひとりの名前を刻んだ石碑(乾明院〈けんみょういん〉五百羅漢名号碑〈みょうごうひ〉)も作られました。でも実は、その名前は史実ではないとされます。そもそも「500」が決まった500人なのか、「とても多い」という意味なのかも、はっきりしません。

日本では鎌倉時代以降、禅宗とともに羅漢への信仰が広まりました。禅寺では、十六羅漢の像を山門に、五百羅漢の絵を僧堂にかけたとされます。江戸時代には、石や木の五百羅漢像が各地で作られました。

③ 姿・持物・印相の特徴

  • 僧の姿:頭を丸め、袈裟(けさ)を着た修行僧の姿です。仏や菩薩のような冠や飾りはつけません
  • 一体ごとに表情がちがう:笑う、泣く、怒る、ひそひそ話をするなど、表情もしぐさもさまざまです。喜多院の公式サイトも、表情のゆたかさを見どころとして紹介しています
  • 持ち物:仏具や日用品を持つ像、動物を連れた像もあります。決まった持ち物はありません
  • 印相・光背・台座:人間の僧の姿なので、決まった印相(いんぞう=手の形)や光背はありません。岩や台に座る像が多いです
  • 中央に仏様:多くの場合、まん中に釈迦如来がいて、そのまわりを羅漢が囲みます。喜多院では、釈迦如来のわきに文殊菩薩・普賢菩薩、左右に阿弥陀如来・地蔵菩薩がいます
💡 出典:「500」の由来・名号碑・禅宗との関係はコトバンク(日本大百科全書・世界大百科事典)、「500」が実数かどうかはJAANUS(ジャーナス=日本美術・建築の用語辞典)「gohyaku rakan」、喜多院の像の姿は喜多院公式「五百羅漢」。

03. 五百羅漢のご利益 ― 会いたい人に会える?

🕯️ 先祖・故人の供養
🌾 福徳(福田)
📜 仏法守護
😊 心のなぐさめ
  • 先祖・故人の供養:羅漢寺(島根県大田市)の五百羅漢は、石見銀山(いわみぎんざん)で働いて亡くなった人々の霊を供養するために作られました(公式)
  • 福徳:「羅漢」は阿羅漢の略で、「供養を受けるにふさわしい人」という意味です。羅漢を供養すると、よい報いがあると信じられてきました
  • 仏法守護:羅漢は、お釈迦さまの教えを守り伝える聖者とされます
  • 心のなぐさめ:「五百羅漢の中には、亡くなった人に似た顔がある」と言い伝えられています(10の謎で考えます)

ご利益の根拠:お経が五百羅漢に特別なご利益を約束しているわけではありません。羅漢への供養は福をまく「田んぼ」(福田〈ふくでん〉)になる、という考え方がもとにあります。故人の供養や「会いたい人に会える」は、日本の民間で育った信仰です。

こんな人におすすめ:亡くなった家族や友人をしのびたい人。にぎやかな羅漢の顔を見て、くすっと笑いたい人。「自分に似た羅漢」をさがすのが好きな人。

04. 五百羅漢と関係の深い仏様・聖者

五百羅漢そのものに決まった眷属(けんぞく=おとも)はいません。対応づけられた日本の神様も、確認できませんでした。ここでは、関係の深い仏様・聖者を紹介します。

十六羅漢(じゅうろくらかん)お釈迦さまに後を託された16人。五百羅漢の像の中に、十六羅漢がふくまれることもあります
迦葉(かしょう)第一結集で、500人の会議の長をつとめた十大弟子の一人です
阿難(あなん)第一結集で、お釈迦さまの教えを唱えた弟子です
富楼那(ふるな)『法華経』五百弟子受記品で、最初に仏になる予言を受ける弟子です
賓頭盧(びんずる)十六羅漢の第一。お堂の外の「なで仏」として知られます
釈迦如来(しゃかにょらい)五百羅漢の中央に座ることが多い仏様です

五百羅漢と十六羅漢の違い

くらべるところ 五百羅漢 十六羅漢
人数 500人(「とても多い」の意味とも) 16人
名簿 はっきりした名簿はない 名前・住む場所・おともの数が決まっている
もとになった書物 第一結集の伝え、『法華経』など 『法住記(ほうじゅうき)』
役目 悟りを開いた弟子たちの群れ お釈迦さま亡きあと、この世に残って教えを守る
禅寺でのまつり方 僧堂に絵をかける(三門の2階の例も) 山門(三門)の2階など

しかも、五百羅漢の像の中に十六羅漢がまじっていることもあります。くわしくは十六羅漢の記事へ。

05. 五百羅漢に会える主要な寺院

  • 喜多院(埼玉県川越市):羅漢533体に、釈迦如来などの仏様・菩薩様5体を合わせた538体の石像がならびます。十大弟子(じゅうだいでし)と十六羅漢もふくまれます。川越北田島の志誠(しじょう)の発願(ほつがん=願いを立てること)で、1782年から1825年にかけて作られました(公式は「約50年間」と紹介)。公式サイトは「日本三大羅漢の一つ」としています。拝観は有料(大人400円)です。くわしくは喜多院の記事へ
  • 五百羅漢寺(東京都目黒区):江戸時代の僧・松雲元慶(しょううんげんけい)が、ほとんどの像を彫りました。十数年かけて、本尊をふくむ536体の像を作りました。1695年に本所(今の江東区)でまつられました。江戸の人には「本所の五百羅漢」と親しまれました。今は305体が残り、東京都指定有形文化財です。拝観は有料です。料金と時間は、行く前に寺に確かめてください
  • 建長寺(神奈川県鎌倉市):三門の2階に、釈迦如来・十六羅漢・五百羅漢がまつられます。ただし、ふだんは公開されていません
  • 耶馬渓の羅漢寺(やばけいのらかんじ。大分県中津市):岩山の洞窟「無漏窟(むろくつ)」の中とそのまわりに、石の五百羅漢がまつられています。1360年ごろの作で、今に残る中で最も古い石造の五百羅漢とされます。2014年に国の重要文化財になりました
  • 羅漢寺(島根県大田市):石見銀山で亡くなった人々のために作られた、石窟の500体の羅漢です。公式サイトによれば、1766年(明和3年)に完成しました。始まりの年は資料で分かれます(諸説あり)。くわしくは羅漢寺の記事へ
💡 出典:喜多院は公式「五百羅漢」「拝観」(志誠が病に倒れた話は旅行メディア「ニッポン旅マガジン」)、目黒は目黒区公式「木造釈迦三尊及び五百羅漢等像」、建長寺は観光庁 多言語解説文データベース、耶馬渓は文化遺産オンライン・Wikipedia「羅漢寺 (中津市)」、石見銀山は羅漢寺公式。
💡 ほかに、京都・伏見の石峯寺(せきほうじ)には、画家の伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)が下絵を描いた石の羅漢が530体残ります。石像を守るため撮影やスケッチが禁止されているとの情報があります(Wikipedia)。行く前に寺に確かめてください。絵では、大徳寺に伝わる南宋(なんそう)の五百羅漢図(1178年の銘)や、増上寺の狩野一信(かのうかずのぶ)が描いた100幅が有名です(JAANUS)。耶馬渓の羅漢寺のリフトは運行状況が資料で食い違うため、行く前に確認してください。

06. 五百羅漢の見分け方ガイド

✅ この特徴があれば五百羅漢かも?チェックリスト

  • □ 僧の姿の像が、数十〜数百体もずらりとならんでいる
  • □ 一体ずつ顔もポーズもちがい、笑ったり話したりしている
  • □ まん中に釈迦如来などの仏様が座っている
  • □ 名前の札がない、または番号だけがついている
  • □ 持ち物がばらばらで、岩や自然石の台に座る像が多い

似たグループとのちがい

  • 十六羅漢との違い:ちょうど16体で、「第一尊者」のように番号がついていたら十六羅漢です。一人ひとりに名前と住む場所が決まっています。お堂の外に1体だけ座る像は、第一の賓頭盧のことが多いです
  • 十八羅漢との違い:18体なら十八羅漢です。萬福寺(まんぷくじ)などで見られます
  • 十大弟子との違い:10体のひと組で、「舎利弗(しゃりほつ)」「目連(もくれん)」などの名札があれば十大弟子です
  • 「千二百羅漢」など:愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)の「千二百羅漢」のように、500をこえる羅漢もあります

07. 五百羅漢の物語 ― 衣の裏の宝の珠(法華経)

ある日、お釈迦さまは、弟子の富楼那に「未来に仏になる」と予言しました。続けて、憍陳如(きょうじんにょ)にも予言します。「おまえは未来に、普明如来(ふみょうにょらい)という名の仏になる」。

そして、なんとこう言いました。「ここにいる500人の阿羅漢も、みな仏になる。名前は、みな同じ普明だ」。

500人は、おどりあがって喜びました。そして、お釈迦さまの前で、一つのたとえ話を語りはじめます。

――ある貧しい男が、親友の家でお酒によって眠ってしまいました。親友は急な仕事で出かけることになります。そこで、値もつけられないほどの宝の珠を、男の服の裏にぬいつけて出ていきました。

男は何も知りません。目をさますと旅に出て、食べるためにひどく苦労しました。少しでも稼げると、それで満足していました。

何年もたって、親友と再会します。親友は言いました。「なんということだ。あの日、きみの服の裏に宝の珠をぬいつけておいたのに。今もそこにあるじゃないか」。

500人は言います。「わたしたちは、この男と同じでした。小さな悟りで満足していました。でも、仏になる宝は、ずっと自分の中にあったのです」。

──そう、500人の羅漢は、自分の服の裏の宝に気づいた人たちだったのです。

📖 『法華経』五百弟子受記品第八(鳩摩羅什〈くまらじゅう〉訳)による。原文は「其五百阿羅漢…盡同一號。名曰普明」「譬如有人至親友家。醉酒而臥」など。この話は「衣裏繋珠(えりけいじゅ)のたとえ」として、法華七喩(ほっけしちゆ)の一つに数えられます。会話は筆者がやさしく言いかえました。予言を受ける弟子の名前として、阿那律(あなりつ)なども挙げられています。

【伝説】天台山の石橋の向こうに住む500人

中国の天台山(てんだいさん)には、虹のように高い石の橋「石橋(しゃっきょう)」があると伝わります。唐の時代の終わりごろから、この橋の向こうに羅漢たちが住むという伝説が生まれました。大徳寺に伝わった南宋の羅漢図にも、この石橋が描かれています(JAANUS)。

08. 五百羅漢のまとめと関連記事

この記事でわかったこと

  • 五百羅漢は、お釈迦さまにつき従った500人、または第一結集に集まった500人の聖者
  • 『法華経』では、500人がみな「普明如来」という同じ名の仏になると予言される
  • 日本では江戸時代に各地で五百羅漢像が作られ、喜多院・目黒の五百羅漢寺・耶馬渓の羅漢寺・石見銀山の羅漢寺などで会える

羅漢の前に立ったら、一体ずつゆっくり顔を見てみてください。

09. ゆる仏様トーク ― 五百羅漢編

🍵 ゆる仏様トーク①(たとえ話)

五百羅漢は、今でいえば「全校500人の卒業アルバム」です。お釈迦さまという先生のもとで学び、全員が卒業(悟り)しました。ページをめくると、まじめな顔もおどけた顔もならんでいます。そして、なぜかいつも一人、知っている人に似た顔がいるのです。

🍵 ゆる仏様トーク②(ツッコミ)

喜多院の538体をよく見ると、なんと十大弟子や十六羅漢まで、さりげなくまじっています。500人の「その他おおぜい」かと思ったら、有名人もふつうの顔で列にならんでいたわけです。──そう、名札がなくても、えらい人はすぐ近くにいるのかもしれません。

🍵 ゆる仏様トーク③(ひとこと)

夕方の境内で、羅漢の一体がこちらに声をかけるとしたら――

「500人もいれば、ひとりくらいあなたの大切な人に似ていても、ふしぎではないでしょう。ゆっくりさがしていきなさい。」

※経典の言葉ではなく、五百羅漢の言い伝えをもとにイメージしたセリフです。

10. 五百羅漢の謎 ― なぜ「亡き人の顔」が見つかるのか

【謎】五百羅漢の中には、なぜ「亡くなった人に似た顔がある」と言われるのか
【事実の整理】
① 喜多院の公式サイトは、こんな言い伝えを紹介しています。深夜にこっそり羅漢さまの頭をなでると、必ず一つだけ温かいものがある。それは亡くなった親の顔に似ている、というものです。
② 石見銀山の羅漢寺の公式サイトも、参拝者の間で「亡くなった親や子、大切な人が羅漢の中にいる」と言われていると紹介しています。
③ 五百羅漢の「500」は、決まった500人なのか、「とても多い」という意味なのか、はっきりしません。中国で作られた500人の名簿も、史実ではないとされます。辞典は「一か所に集まった大勢の人」のたとえにも使うとしています。
④ 『法華経』では、500人の阿羅漢がみな「同じ名前」の仏になると予言されます(07の物語)。
⑤ 五百羅漢像には、供養の願いから作られたものがあります。石見銀山では、銀山で亡くなった人々のためでした(公式)。喜多院は、志誠の発願で、1782年から1825年にかけて538体になりました(公式)。志誠が途中で倒れたあとも、僧たちが寄付を集めて作りつづけたと伝わります。旅行サイトには、もう一つ話があります。1775年に、関根仙右衛門(せきねせんえもん)が父母の供養のため1体を建てたというものです(諸説あり)。
【私の考察】
私は、五百羅漢が「名前も顔も決まっていない聖者」だったからこそ、亡き人の顔を受けとめる器になったのだと考えます。
なぜなら、十六羅漢や十大弟子には、名前と役目があります。ところが五百羅漢は、名前のわかる500人の名簿がありません(③)。法華経でさえ、500人に「同じ名前」をあたえています(④)。つまり、一人ひとりは「だれでもない聖者」です。だから、見る人が自分の大切な人を重ねても、じゃまをする「本当の名前」がないのです。
そこへ、日本の五百羅漢を作った人たちの思いが重なります。像の中には、銀山で命を落とした人々の供養のために作られたものがあります(⑤)。作る側がすでに、羅漢に亡き人への思いをこめていたのです。
さらに、羅漢は仏や菩薩とちがい、人間の僧の姿をしています。表情もばらばらです。500もの「人間の顔」がならべば、その中に知っている顔に似たものが見つかるのは、ある意味で自然なことです。
【結論(あくまで推測)】
名前のない500人の聖者の顔に、供養の思いをこめて像を作った人たちの願いが重なりました。そこから「会いたい人の顔がある」という言い伝えが育ったのではないでしょうか。さがしていた顔は、じつは見る人の心の中にあるのかもしれません。ただし、言い伝えがいつ生まれたかを書いた資料は、見つけられませんでした。あくまで私の考察です。あなたはどう思いますか?
💡 出典:①⑤の喜多院は喜多院公式「五百羅漢」、②⑤の石見銀山は羅漢寺公式サイト(rakanji.jp。観光庁の解説にも「亡くなった家族に似た像を探した」とあります)、③はJAANUS「gohyaku rakan」とコトバンク(日本大百科全書・精選版 日本国語大辞典)、④は『法華経』五百弟子受記品、⑤の志誠が倒れた話と関根仙右衛門の話は旅行メディア(ニッポン旅マガジン。年号を「安政4年」と書くが、1775年は安永4年)。

11. 五百羅漢データベース早見表

項目 内容
分類 羅漢(500人のグループ)
読み方 ごひゃくらかん
別名 五百阿羅漢
梵名 確認できず
由来 お釈迦さまにいつもそばにいた弟子500人/第一結集の500人(諸説あり)
関係するお経 『法華経』五百弟子受記品(500人がみな普明如来になる予言)
真言・種子字 決まったものは確認できず
ご縁日 決まった日は確認できず
主なご利益 先祖・故人の供養・福徳・仏法守護
会える場所 喜多院(538体)・目黒の五百羅漢寺(305体)・耶馬渓の羅漢寺・羅漢寺(石見銀山)・石峯寺

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