神 様 図 鑑 — No. 027
いちきしまひめのみこと 市杵嶋姫命
宗像三女神の一柱 / 厳島神社の祭神 / 弁財天のルーツ・芸能・美・財の女神
市杵島姫命とは?30秒でわかるまとめ
| 読み方 | いちきしまひめのみこと(「いちきしまひめ」とも) |
|---|---|
| 書き方 | 市杵島姫命・市杵嶋姫命(日本書紀)・市寸島比売命(古事記)。どれも同じ神様です |
| 何の神様? | 海上交通・航海安全の神。弁財天と同じとされ、芸能・音楽・財運・美の神としても信仰される |
| 生まれ | 天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)で生まれた宗像三女神の一柱 |
| 別名 | 狭依毘売命(さよりびめのみこと)・厳島大明神・弁財天(神仏習合) |
| 主なご利益 | 芸能上達・財運・商売繁盛・航海安全・交通安全・縁結び |
| まつる主な神社 | 宗像大社 辺津宮(福岡県)・厳島神社(広島県)・江島神社(神奈川県)・都久夫須麻神社(滋賀県・竹生島) |
基本情報
① 名前と出典
| 古事記の表記 | 市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)。別名を狭依毘売命(さよりびめのみこと)という古事記 |
|---|---|
| 日本書紀表記 | 市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)。現在は「市杵島姫命」と書かれることも多い日本書紀 |
| 名前の意味 | 「イチキ」は「斎(いつ)き」——神を清めてまつるという意味とされ、「神をまつる島の姫神」と解釈されるのが一般的。厳島(いつくしま)という島の名も「斎く島」に由来するという説がある。 |
| 初出文献 | 古事記(712年)上巻・日本書紀(720年)神代上。天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)から生まれた宗像三女神の一柱として登場する(日本書紀の本文では3番目、古事記では2番目に生まれる)。田心姫命(No.023)・湍津姫命の姉妹神。 |
② 宗像三女神と市杵嶋姫命の位置づけ
③ 別名と出典
| 狭依毘売命 | さよりびめのみこと。古事記に「またの名」として書かれた別名。古事記 |
|---|---|
| 弁財天(習合) | べんざいてん。中世神仏習合で市杵嶋姫命と同一視された仏教・ヒンドゥー教起源の女神。七福神の一柱として「琵琶を抱えた女神」として有名。中世神仏習合 |
| 厳島大明神 | いつくしまだいみょうじん。厳島神社の主祭神としての称号的な呼び方。「厳島(いつくしま)」は宮島の古名。厳島神社社伝 |
| 弁才天・弁財天 | べんざいてん。芸能の神としては「弁才天」、財の神としては「弁財天」と書き分けることがある。七福神の文脈では「弁財天」が一般的。江戸時代の七福神信仰 |
④ 同一神・神仏習合
| 弁財天との習合 | 市杵嶋姫命とヒンドゥー教の女神「サラスヴァティー(Saraswati)」が中国を経て伝わった「弁才天(弁財天)」は、「海・水の女神・芸能・音楽の女神」という共通の神格から神仏習合の時代に同じ神とみなされるようになった(本地垂迹説で、市杵嶋姫命の本来の姿が弁才天とされた)。このため、厳島神社・江島神社・竹生島など、市杵嶋姫命をまつる場所の多くが弁財天の聖地にもなっている。 中世神仏習合・七福神成立の歴史 |
|---|---|
| 厳島神社との関係 | 広島県廿日市市宮島町の厳島神社は、市杵嶋姫命・田心姫命・湍津姫命の宗像三女神をまつる世界遺産の神社。社伝では593年(推古天皇元年)、この地方の豪族・佐伯鞍職(さえきのくらもと)が神のお告げを受けて創建したとされる。平清盛が厳島神社を篤く信仰・修築したことで全国的な知名度を持つようになり、「芸能・美・財の女神」として武士・商人・芸術家から絶大な信仰を集めた。 厳島神社社伝・平清盛の奉仕記録 |
| 日本三大弁天 | 日本三大弁天とは弁財天をまつる代表的な三つの聖地のこと。厳島神社(広島県)・竹生島(ちくぶしま・滋賀県)・江島神社(神奈川県)の三つが一般的に知られる(数え方には諸説ある)。いずれも「島・水辺」に鎮座するという共通点を持ち、市杵嶋姫命の「海・水の女神」という神格を反映している。 日本三弁天の伝承 |
⑤ 神様の種類
| 分類 | 天津神(あまつかみ)——誓約から生まれた三女神の末女——天照大神と素戔嗚尊の誓約から生まれた宗像三女神の三女。田島(宗像大社辺津宮)と宮島(厳島神社)という二大聖地に鎮座し、宗像三女神の中で最も全国的な知名度と信仰規模を持つ。弁財天との習合により「海・芸能・音楽・美・財」という多彩な神格を獲得した。 |
|---|---|
| 神格 | 芸能神・音楽神・弁舌神・美神・財神・海神・縁結神・知恵神 |
| 特徴 | 宗像三女神の中で最も民間信仰に根付いた神。田心姫命(沖ノ島・立入禁止)・湍津姫命(大島・船でしかアクセスできない)に比べ、厳島神社という世界的観光地・宮島に鎮座することで最もアクセスしやすく、七福神の弁財天として日常的な信仰対象となっている。「姉たちより参拝しやすい三女神」という親しみやすさも特徴。 |
⑥ 系図
⑦ 活躍した時代
市杵嶋姫命は神代に誓約から生まれ、姉たちとともに玄界灘の航路守護を担ったが、時代とともに信仰の性格が変化していった。平安時代・中世において弁財天との習合が進み、「海の女神」という原初の性格に「芸能・音楽・美・財」という新たな神格が加わった。平清盛の篤い信仰と厳島神社の整備、戦国・江戸時代の七福神信仰の広まりを経て、現代では「弁財天・芸能・美・財の女神」として全国で最もポピュラーな女神のひとりとなっている。
祀られる神社
登場する神話・伝説
弁財天の原型はインドのヒンドゥー教女神「サラスヴァティー(Sarasvatī)」です。河の女神として豊穣・芸術・知恵を司るサラスヴァティーが、仏教に取り入れられて「弁才天(べんざいてん)」となり、中国を経て日本に伝来しました。日本に伝わった弁才天の「海・水の女神・芸能の女神」という性格が、古事記の市杵嶋姫命の「海に鎮まる女神」という神格と重なり、中世の神仏習合で両者が融合しました。「インドのサラスヴァティー→中国の弁才天→日本の市杵嶋姫命(弁財天)」という女神の長い旅が、現代の七福神・厳島神社信仰につながっています。
誓約から生まれた三女——市杵嶋姫命の出生
田心姫命(No.023)の記事でも詳述したとおり、天照大神と素戔嗚尊の誓約から生まれた宗像三女神の一柱が市杵嶋姫命である。古事記では、天照大神が素戔嗚尊の剣を噛み砕いて吹き出した息から三女神が生まれ、剣の持ち主である素戔嗚尊の子とされた。生まれた順番は文献によってちがい、日本書紀の本文では3番目(末の妹)、古事記では2番目、日本書紀のある一書(別の伝え)では最初に生まれたとされる。いずれも「誓約」という神聖な儀式から生まれた特別な女神として位置づけられる。
厳島神社の創建——海上社殿の起源
社伝によれば593年(推古天皇元年)、佐伯鞍職(さえきのくらもと)が神のお告げを受けて、宮島に宗像三女神をまつる社を建てたのが厳島神社の起源とされる。その後、平安時代末期の仁安3年(1168年)ごろに平清盛が大規模な社殿を造営し、現在の海上社殿の原型ができた。清盛の信仰が厳島神社を全国的な聖地へと押し上げ、「平家の守護神・芸能の女神」としての信仰が全国に広まった。今の社殿の主な部分は鎌倉時代の火災のあと、仁治2年(1241年)ごろに建て直されたものだが、清盛の時代の姿を受けついでいる。
竹生島の弁財天——琵琶湖の島に宿る市杵嶋姫命
滋賀県・琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)は「日本三弁天」のひとつとして有名な聖地。古くから「弁財天が宿る神の島」として参拝者が訪れており、都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)に市杵嶋姫命が祀られている。参拝者は島の斜面に設けられた「かわらけ投げ」——素焼きの小皿を鳥居に向かって投げ入れる縁起の行事——で有名。名古屋から米原経由で長浜まで約1時間、長浜港から船で約25分という比較的アクセスしやすい水上聖地として、神社めぐりの一日コースとしても人気が高い。
平清盛と厳島神社——武士の守護神となった海の女神
平清盛(1118〜1181年)は厳島神社を平家一門の守護神として篤く信仰し、大規模な修築・整備を行った。現在の厳島神社の壮麗な海上社殿の基本設計は清盛の時代に完成したとされる。清盛が大規模な奉納・参拝を行ったことで、厳島神社は「武家の聖地」「権力者が詣でる神社」としての地位を確立した。戦国時代には毛利元就が社殿を大きく修復し、豊臣秀吉は天正15年(1587年)に大経堂(今の千畳閣)の建立を命じるなど、後の時代の権力者たちも厳島神社をあつく敬った。日本の歴史を動かした権力者たちが市杵嶋姫命に祈った聖地として、歴史ファンにとっても必訪の神社。
逸話・エピソード
厳島神社の海上大鳥居は日本の神社建築の中でも最も有名なシンボルのひとつ。現在の鳥居は1875年(明治8年)に建てられた8代目で、高さ約16.6m・総重量60トン。世界遺産・日本三景のひとつとして、毎年たくさんの人が宮島を訪れる。特に満潮時には海上に浮かぶように見え、干潮時には歩いて鳥居の足元まで近づける。市杵嶋姫命の「海の女神」という神格が、海に建てられた鳥居という唯一無二の建築物として体現されている。2019年から大規模保存修理工事が行われ、2022年12月に完了した。
七福神(大黒天・恵比寿・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋)の中で唯一の女神が弁財天(市杵嶋姫命)である。七福神は室町時代頃に成立し始め、江戸時代に広く庶民の間に定着した。他の六神がすべて男性神である中で弁財天だけが女神であることは、「七福神の紅一点」として特別な注目を集めてきた。琵琶を抱えた優美な姿で描かれる弁財天は、芸能・音楽・美・弁舌・財運の守護神として芸能人・音楽家・商人から特に信仰が厚く、現代でも「弁天様に参る」という表現が生きた信仰として続いている。
1555年(弘治元年)、毛利元就が宮島で陶晴賢(すえはるかた)の大軍を破った「厳島の戦い」は、桶狭間の戦い・河越夜戦とならぶ「日本三大奇襲」のひとつに数えられる。神の島が戦場になったため、元就は戦いのあと島を清め、厳島神社の社殿を大きく修復した。平舞台の石の柱も元就の寄進と伝えられる。戦国の武将にとっても、市杵嶋姫命をまつる宮島は特別な聖地だった。
名古屋から最もアクセスしやすい「日本三弁天」が滋賀県の竹生島(ちくぶしま)。名古屋から電車で長浜まで約1時間、長浜港からの船で約25分という日帰り圏内の聖地として、神社めぐりファンに人気。島の急峻な石段を登り切った先に都久夫須麻神社(市杵嶋姫命)・宝厳寺(弁財天)が鎮座する。「かわらけ投げ」では素焼きの小皿に名前を書き、湖上の鳥居に向かって投げ入れる縁起の行事が有名。鳥居をくぐると願いが叶うとされ、何枚も投げる参拝者も多い。秋の紅葉シーズンの竹生島は格別に美しい。

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