お寺で読まれる『法華経』や『阿弥陀経』。じつはどちらも、1600年ほど前に一人の三蔵法師が訳した漢文です。それが鳩摩羅什(くまらじゅう)です。
この記事でわかること
- 鳩摩羅什とはだれか。シルクロードの国・亀茲(きじ)生まれで、玄奘と並ぶ「二大訳聖」
- 捕らわれの身から、長安で300巻近いお経を訳すまでの物語
- 【謎】なぜ、火葬のあとに「舌だけが焼け残った」と伝えられたのか
わたしたちが今読むお経の言葉は、ある人の「舌」をくぐって届いたものなのです。
01. 鳩摩羅什の基本情報
| 分類 | 祖師(そし)。お経を漢文に訳した訳経僧(やっきょうそう) |
| 読み方 | くまらじゅう |
| 別名 | 羅什(らじゅう)・什(じゅう)。「三蔵法師」とも呼ばれます |
| 梵名(ぼんみょう) | クマーラジーヴァ(Kumārajīva) |
| 生没年 | 344〜413年が通説です。350〜409年とする説もあります。『高僧伝』の本文は409年に亡くなったとし、ほかの年の説も書いています(諸説あり) |
| 出身 | 西域(せいいき)の亀茲国(きじこく=クチャ。今の中国・新疆ウイグル自治区) |
| 父母 | 父はインドの名門出身の鳩摩羅炎(くまらえん)。母は亀茲国王の妹・耆婆(ぎば) |
| おもな訳経 | 『妙法蓮華経』(法華経)・『阿弥陀経』・『維摩経』(ゆいまぎょう)・『金剛般若経』(こんごうはんにゃきょう)・『大智度論』(だいちどろん)・『中論』(ちゅうろん)など。35部・約300巻とされます |
| 真言・種子字・ご縁日 | 決まったものは確認できませんでした |
訳経の巻数は資料でちがいます。「297巻」(ブリタニカ)、「300巻」(デジタル大辞泉)、「三百余巻」(『高僧伝』)などです。
02. 鳩摩羅什とは? ― シルクロードから来た「二大訳聖」の一人
① 一言まとめ
鳩摩羅什は、インドの言葉で書かれたお経を、読みやすく美しい漢文に訳したお坊さんです。日本のお寺で読まれる法華経や阿弥陀経は、鳩摩羅什の訳が使われています。
② 由来・生涯
鳩摩羅什は、シルクロードのオアシスの国・亀茲で生まれました。母とともに幼くして出家し、カシミールなどで仏教を学びます。はじめは小乗の教え(阿毘達磨〈あびだつま〉)を学び、のちに大乗の教えに移りました(Wikipedia)。
382年、中国の前秦(ぜんしん)の王・苻堅(ふけん)は、将軍の呂光(りょこう)を西域へ送りました。384年、亀茲は攻め落とされます。鳩摩羅什は捕らえられ、涼州(りょうしゅう=今の中国・甘粛省の武威〈ぶい〉)で十数年をすごしました(くわしくは07の物語で)。
401年、後秦(こうしん)の王・姚興(ようこう)に迎えられ、都の長安(ちょうあん)へ。そこで亡くなるまでのあいだに、たくさんのお経を訳しました。門下は3000人といわれます。僧肇(そうじょう)・道生(どうしょう)などの弟子が育ちました(コトバンク)。
のちに唐の玄奘(げんじょう)の訳を「新訳」、鳩摩羅什から玄奘の前までを「旧訳(くやく)」と呼ぶようになります。鳩摩羅什は玄奘と並ぶ「二大訳聖」とされます(Wikipedia)。
③ 姿・持物の特徴
- 僧の姿:頭を丸め、袈裟(けさ)を着た僧の姿で表されます
- 西域の顔立ち:中国の寺や石窟の前には、西域の僧らしい彫りの深い顔の像が建てられています(現代の像)
- 経典とともに:訳経僧なので、経巻を手にしたり、机に向かったりする姿で表されることがあります
- 印相・光背・台座:祖師なので、決まった印相や台座はありません
03. 鳩摩羅什にまつわるご利益 ― 言葉・学び・ほんとうのことを伝える力
📚 学び・語学
📜 お経を伝える
🪷 逆境の中の志
- 言葉・翻訳:別の言葉の教えを、だれにでも読める文章にうつした人です。翻訳や通訳、言葉の仕事をする人の励みになります(筆者の見方)
- 学び・語学:亀茲の言葉、インドの言葉、中国の言葉を身につけました。語学を学ぶ人のお手本です(筆者の見方)
- お経を伝える:日本の多くの宗派で読まれる法華経・阿弥陀経は、鳩摩羅什の訳です
- 逆境の中の志:捕らわれの身で十数年待ちつづけ、ついに大きな仕事をなしとげました
ご利益の根拠:鳩摩羅什に決まったご利益があると書いた資料は、確認できませんでした。ここでは、生涯と業績から紹介しています。
こんな人におすすめ:外国語を学んでいる人。むずかしいことを、わかりやすく伝える仕事をしている人。思うようにいかない時期が長く続いている人。
04. 鳩摩羅什と関係の深い仏様・人物
05. 鳩摩羅什ゆかりの場所・その訳経に出会える寺
- 草堂寺(そうどうじ。中国・陝西省西安市):鳩摩羅什が訳経をおこなった逍遥園(しょうようえん)のあととされる寺です。「鳩摩羅什舎利塔」があります。唐代の作とする資料があります(諸説あり)
- 鳩摩羅什寺(中国・甘粛省武威市):涼州時代をしのぶ寺です。羅什寺塔には、鳩摩羅什の「舌の舎利(しゃり)」がまつられていると伝わります(中国の報道・旅行情報)。ただし『高僧伝』では、火葬の場所は長安の逍遥園です。武威の舌の舎利は、後の時代の伝承と考えられます
- 延暦寺(滋賀県大津市):天台宗の総本山。天台宗は、鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』を教えの中心にします
- 法華経寺(ほけきょうじ。千葉県市川市):日蓮宗の大本山。日蓮宗で唱える「南無妙法蓮華経」の「妙法蓮華経」は、鳩摩羅什訳の法華経の題名です
- 知恩院(京都市東山区):浄土宗の総本山。浄土宗が大切にする「浄土三部経」のうち、『阿弥陀経』は鳩摩羅什の訳です
06. 鳩摩羅什の見分け方ガイド
✅ これがあれば鳩摩羅什かも?チェックリスト
- □ お経の題の下に「姚秦三蔵法師鳩摩羅什訳(ようしんさんぞうほっし くまらじゅうやく)」と書かれている
- □ 「妙法蓮華経」「仏説阿弥陀経」の経本を開いている
- □ 中国の寺で、西域の顔立ちの僧の像を見た
まちがえやすい人とのちがい
07. 鳩摩羅什の物語 ― 捕らわれの天才、長安へ
384年。ふるさとの亀茲に、中国の大軍がやってきました。率いるのは将軍・呂光です。国は敗れ、鳩摩羅什は捕らえられました。
呂光は、鳩摩羅什の知恵の深さをはかりかね、年が若いと見て軽んじていました。そして無理やり、亀茲王の娘と結婚させようとします。鳩摩羅什は、はげしく断りました。けれども追いつめられ、ついに戒(かい)を破ってしまったと伝わります(『高僧伝』)。
それから鳩摩羅什は、涼州で十数年を過ごします。呂光の一族が国を治めるあいだ、その知恵で何度も助けたといいます。けれど、仏教の教えを広める場は与えられませんでした。
401年、ついに転機が来ます。後秦の王・姚興が涼州の国を下し、鳩摩羅什を長安に迎えたのです。姚興は仏教をあつく信じていました。鳩摩羅什は国の力で訳経の場を与えられ、大勢の僧とともに、次々とお経を訳していきました。
ところが姚興は、「すぐれた血すじを残してほしい」と、鳩摩羅什に女性たちを与えます。鳩摩羅什は、ふたたび僧の暮らしから離れることになりました(『高僧伝』)。
──そう、お経を訳した天才は、いちばん守りたかった「僧としての形」を、二度も奪われた人でもあったのです。
呂光の場面の原文は「什拒而不受,辭甚苦到」、姚興の場面は「以伎女(ぎじょ)十人,逼令受之」です。会話は筆者がやさしく言いかえました。
『高僧伝』は、呂光が羅什を「年が若い」と見たと書きます(原文「見年齒向少」)。通説の生年(344年)なら、このとき40歳ほどです(諸説あり)。
涼州にいた年数は、本文では「積年(長年)」です。Wikipediaは18年、コトバンクは十数年としています。
【伝説】「訳したのは、知っていることの10分の1」
『高僧伝』の終わりには、こんな話が添えられています。のちに外国から来た僧が言いました。「羅什の訳したものは、彼が知っていたことの10分の1にもならない」(原文「羅什所譯,十不出一」)。300巻近くを訳した人の頭の中には、まだその何倍もの教えがあった、というのです。
08. 鳩摩羅什のまとめと関連記事
この記事でわかったこと
お経の本を開いたら、題の下の「鳩摩羅什訳」の文字をさがしてみてください。
09. ゆる仏様トーク ― 鳩摩羅什編
鳩摩羅什は、今でいえば「1600年たっても絶版にならない、超ロングセラーの翻訳家」です。しかも、その訳文は毎朝どこかのお寺で声に出して読まれています。こんな翻訳家は、世界でもなかなかいません。
天才訳経僧が、捕らわれて十数年。やっと長安に来られたと思ったら、今度は王さまから「すぐれた血すじを残して」と女性たちを与えられる。どこまで思いどおりにならないのでしょう。──そう、仏様の道を伝える人の人生も、まっすぐではなかったのです。
鳩摩羅什が、お経を読む人に声をかけるとしたら――
※鳩摩羅什の言葉そのものではなく、『高僧伝』の「泥の中の蓮の花」のたとえをもとにイメージしたセリフです。
10. 鳩摩羅什の謎 ― なぜ「舌だけが焼け残った」のか
中国・武威の鳩摩羅什寺には、この舌をまつると伝わる塔があります(後の時代の伝承。05へ)。


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